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2020年上半期は日本を含め、世界中がコロナウィルスの汚染による伝染病発症で大騒ぎとなりました。 大都市圏では外出を含め、個人の行動が非常に制限されました。外出は精々買い物か散歩程度になり、 公的交通機関を利用しての外出はほぼ不可能でした。 在宅での時間が多くなったのを機会に、古いホームページの整理をしました。HP作成初期のページは数枚の写真を 張り付けた程度のものが多いので、残っている写真を追加することで、新しいページの作成を試みました。 すでに、トルコ、ポルトガル、スイスが終わり、比較的早い時期に出かけたイタリアを再生する事にしました。 古い記憶で欠けている部分もありますが、古い写真での旅行を楽しみました。 |
イタリアへは2007年3月2日から7泊8日の旅でした。 初日は成田空港を午後便で出発し、当日の夕刻ミラノ着。 翌3日にはミラノ市内観光後夕刻ヴェニス(ベネチア)着、 4日は午前にベニス市内観光し、夕刻にはフィレンツェに到着。 5日は朝からシエナ・ピサを訪れ、フィレンツェで2泊、 翌6日にはアッシジ経由ローマ入り。 7日はナポリを訪れ、ローマにもどり、 8日はローマから直行便で9日成田に戻りました。 |
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イタリア屈指の観光都市であるミラノには、歴史、美術、建築、ファッション などたくさんの見所が詰まっています。また、ミラノは昔ながらの建物が 立ち並び、中世当時の面影を見ることができる、情緒あふれる街です。 |
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ヴェニスからフィレンツェへ向かい、フィレンツェで2泊して シエナ、ピサをも回りました。 |
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フィレンツェからアッシジへ出て、その日にローマまで行きました。 ローマでは2連泊し、その間にポンペイとナポリ(車窓)を訪れました。 |
アッシジの高台に建つ 「サンフランチェスコ聖堂」です。 アッシジはフランシスコ会の創設者である 聖フランチェスコの出身地として知られており、 キリスト教の巡礼地としての性格を持つ 都市でもあります。 アッシジは2千年の歴史の有る町ですが、 13世紀に 聖フランチエスコ神父がここで悟りを 開いた町で観光地というよりも、カソリックの 「フランチェスコ会」の総本山です。 |
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「サンフランチェスコ聖堂」の正面です。 |
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聖堂敷地から見るアッシジの街並みです。 | |
聖堂から見る夕景です。 この後、ローマ市内へと向かいました。 約3時間の行程です。この日はローマ泊まり でした。 |
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ローマではまず、ナポリへと向かいました。 雨のため、ナポリの市内はスキップです。 画面は車窓からの雨に煙る「ヌオヴォ城」です。 |
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ナポリの街並みです。 |
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ナポリの「卵城」です。 サンタルチア港の小島に突出して作られた 要塞で、もともとはローマ帝国にルクルスが 建築した豪華な別荘であったそうです。 |
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「ポンペイの遺跡」です。 ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって |
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夕食はカンツォーネの舞台を 見ながらの食事でした。 |
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翌朝最初に「バチカン市国」を 訪れました。 1929年に独立国家となり、 欧州にある国家で、国土面積は 世界最小です。 その領域はローマ市内にあります 。 バチカン市国の様子は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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バチカン市国を出た後は「コロッセオ (正式名はフラウィウス円形闘技場)」へ 行きました。行列が長くて内部への入場は 果たせませんでした。 これは2008年5月にシリア・ヨルダンからの 帰りに、ローマへ立ち寄った時も同じでした。 コロッセオは闘技場と言うだけあって、主に 剣闘士たちの戦いが行われたそうです。 剣闘士たちは腕に自信がある自由民も いましたが、多くの場合は屈強な奴隷や戦争で 捕虜になった人たちを争わせたようです。 画面にポインターを置くと 別角度からの「コロッセオ」もご覧いただけます。 |
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コロッセオの傍にある 「コンスタンティヌスの凱旋門」です。 これはローマ最大の凱旋門で、フランス・パリに あるエトワール凱旋門のモデルにもされたと 言われています。 |
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「トレビの泉」です。 この泉は、ローマにある最も巨大な |
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スペイン広場にある「スペイン階段」です。 ローマで最もにぎわう場所のひとつのこの階段は、 1725年に完成して、本来の名前は坂上の教会と 同じくトリニタ・ディ・モンティ階段が正式名称です。 スペイン大使館が近くにあることから、 スペイン階段の通称が広まったそうです。 画面にポインターを置くと坂上にある 「トリニタ・ディ・モンテ教会」をご覧頂けます。 |
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「真実の口」です。 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある 大理石の彫刻です。 「偽りの心を持つ者がこの彫刻の口の中に 手を入れた場合、手を食べられてしまう」 という都市伝説があります。 この写真からは2008年にローマ再訪時の ものです。 |
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「フォロ・ロマーノ」の一部です。 フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀から 紀元3世紀まで、古代ローマの政治・経済・ 商業の中心地として栄えた場所です。 |
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上図と同じ「フォロ・ロマーノ」の一部です。 最初のイタリア旅行は2007年3月8日の ローマ発JL夜便で成田へ直行帰国しました。 2度目のローマは乗り継ぎの時間利用で、 約半日のローマ滞在で2008年5月17日の ローマ発AZ午後便で成田へ帰国しました。 |
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