熱海
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過っては新婚旅行の目的地として一時代を作った熱海も現在はシルバー世代の休養場所としての方に
ウエイトがかかってきているようです。
今回は小田原寄りにある伊豆山温泉へ行ってきました。
伊豆山は昔は修験道者の修行の場所であったようです。
特に、伊豆山神社は源頼朝が伊豆に流されていた時代に源氏復興の祈願を行ったことで
有名になり、北条政子との恋の成就から縁結び、恋愛成就の神としての参拝者も多いそうです。

伊豆山神社
創建は紀元前5世紀〜紀元前4世紀と言われています。役の小角が
伊豆大島に流された折には、伊豆山神社で修行を行ったとのことです。
また、空海も此処で修行を行ったとも伝えられています。
伊豆山神社の現在の
入口です。案内図@
昔は海岸から本殿まで
階段が続いていたそうです。
現在もその階段が
残されている所があります。
熱海駅からの循環バスの
停留所もあります。
駐車場が本殿横にもあり、
階段を歩かなくても
お参り出来るようになっています。
左は入口からの石段です。
案内図A
全部で837段あります。
元は海から岩の階段が此処まで
繋がっていたそうです。

右は境内にあった案内図です。
赤数字は写真の場所です。
祖霊社です。案内図B
祖先の霊を祀る社です。
伊豆山神社に仕えた
氏人の祖霊を祀っています。
足立権現社です。案内図C
祭神は役の小角(えんのおずぬ)
です。
役の小角は修験道の祖と言われ
日本中の名山高山を開き、
伊豆に流された折にも伊豆山で
修行を重ねたと伝えられています。
足腰が強くなるように祈願する
人が多いそうです。

下の写真は中に祀られている
役の小角の木彫り像です。
結明神社(むすぶみょうじんしゃ)
です。案内図D
日精、月精が祭神で
縁結びの神様だそうです。
手水舎です。案内図E
紅白の龍が水口に
なっていました。
伊豆山の地下には紅白の龍が
住んでいて、赤は母、白は父で
仲が良く、この龍が吐く息が
熱海の海を二色にしたそうです。
これにより、二色浦〜錦ヶ浦に
なったとのことです。
本殿の全景です。案内図F
昭和6年に改修されています。
細部の彫刻など素晴らしい
本殿です。
本殿右手にあるのは神木の
梛(なぎ)の木で、葉っぱは
竹の葉のように葉脈が
まっすぐにのびており、
お守りになるそうです。
境内には数本の梛の木が
ありました。

現在の向拝龍は嶋村俊規の
作品と思われます。(下図)
これ以外は初代波の伊八の作品と
思われます。
本殿の拝殿木鼻の彫刻です。
初代波の伊八の作品と
思われます。
現在の向拝龍は伊八の作品では
ありませんが、
下に表示した昔の向拝龍は
伊八の銘が入っており、
本殿の彫刻は伊八の作品と
考えられています。
伊豆山にある白山神社への
参道です。案内図G
鳥居とお社は
白山神社遥拝所です。
結構坂道が険しく、
登るのは諦めました。

この右手に郷土資料館が
あります。
ごく小さな資料館ですが、
係の人が案内してくれました。


上は郷土資料館です。
資料館内部は撮影禁止です。
左は波の伊八作の向拝龍です。
この龍は最近まで作者も判らず
神輿蔵に放置されていたものです。
2012年7月に波の伊八の作品と
鑑定されています。
源頼朝と北条政子が
腰かけて愛を語らったと
言われる岩です。
案内図H
走り湯
伊豆山神社の海寄りに「走り湯」が有ります。横穴式源泉で日本三大古大泉の一つです。
約1300年前に発見され、海に向って飛び出す様に噴出したことから走り湯と名付けられています。
奥行5m程の洞窟の中から現在も日量7000トンのお湯が湧き出ています。
洞窟の入口にある標記です。
「走湯温泉湧出口」と書かれ、
銘は東郷平八郎となっています。
洞窟です。
通路の右側は湯の通り道と
なっています。
洞窟の一番奥です。
この手前にプールが有り
温泉が湧き出しています。
走り湯神社です。
洞窟の上にあります。
伊豆山神社の末社と
なっています。
この神社の手前にある
階段を上って行くと
伊豆山神社に出ます。
走り湯の傍に足湯が
作られています。
二階にあるので、通り過ぎて
しまう人が多いのではと
思われます。
足湯に足を浸しながら
眺める初島も乙なものです。
相模湾と初島の眺めです。
曇っていたので
海の色がくすんでいたのが
残念でした。
起雲閣
1919年に造られた「熱海の三大別荘」の一つです。海運王と呼ばれた内田信也により建造されました。
その後、鉄道王と称された根津嘉一郎がこれを引き継ぎ、洋館や庭園の増改築を行い、1947年からは
旅館として利用されました。多くの文豪たちも此処を利用していました。2000年からは熱海市が管理し、
一般公開しています。

正門です。薬医門と呼ばれる
造りになっています。
1919年建造です。
左の建物が最初に造られた
別荘本館です。
正面は根津嘉一郎が
建てた洋館で左手は
玉姫、右手の建物は
玉渓と呼ばれています。
本館の麒麟の間です。
大正のロマンが色濃く
残っています。
壁の色は鮮やかな
紺色です。
1919年の完成です。
当初は内田信也の母親のための
別荘として建てられたものです。
玉姫の間です。
1932年に建てられました。
アールデコに彩られ、
様式ながら日本的神社仏閣の
建築様式を導入し、中国風
装飾も施しています。
左の欄間は螺鈿造りで、
貝殻がガラス代わりと
なっています。


玉渓の間です。
英国の中世チューダー様式を
用いています。
暖炉の上の彫刻は元の作品を
複製したものだそうです。




旅館の時代に増設された棟で
多くの文豪が宿泊し、作品を
書きあげた部屋です。
そのひとつ尾崎紅葉が
良く利用した部屋だそうです。
他にも志賀直哉、太宰治、
谷崎潤一郎、山本有三などの
利用した部屋が展示されて
いました。
根津嘉一郎が1929年に建てた
洋館の部屋「金剛」です。
玉姫、玉渓とは別棟です。
この部屋につながって
下のローマ風浴室があります。
ローマ風浴室です。
1989年の改装により
殆どが現代の材料に
代えられていますが、
造りは元通りに復元
されているようです。
表玄関の前にある土蔵と
内庭です。
来宮神社
社伝によると創建は710年。木の根を神体としたことから「木の宮」と称したのが起源
とのこと。最初のお供えが麦焦がしだったことから、現在もこがし祭が行われています。
境内には天然記念物の大楠(くすのき)があります。
来宮神社の入口です。
本殿です。
天然記念物の大楠です。
樹齢は2千年と言われています。
幹回り24m、高さ20m
あります。
国内第二位の巨木に
認定されています。
大楠の幹回りです。
こぶが色々な形に見えます。
パワースポットだそうです。
神社境内を流れる清流で
小さな滝にもなっています。
境内のお休み処には
此処だけにしかないと
書かれている
桜えび天うどんが有りました。
500円でした。
湯前神社と大湯間欠泉
温泉の神である少彦名神を祀る神社です。境内には温泉が湧出しています。
近くには大湯間欠泉跡があり、現在は人工で温泉を噴出させています。
湯前神社(ゆぜんじんじゃ)の
創祀は749年。
間欠泉の前にある神社で
湯前と称するとのこと。
鳥居は1780年に久留米藩主が
寄進したものです。
本殿はこじんまりしています。
入口右手にある
手水鉢には温泉が
注がれています。
湯前神社の50m程先に
大湯間欠泉跡が有ります。
右手前に井戸の跡があり、
正面の岩組はのちに造られた
物のようです。
大湯間欠泉は関東大震災の
影響で1924年に噴出が
完全に止りました。

現在は4分間隔で3分間
温泉が噴出するように
仕掛けられています。
画像は噴出の状態です。
手前の岩組が元の間欠泉跡で
大湯間欠泉は世界三大間欠泉の
一つとされていました。
(あとの二つは北アメリカイエロー
ストン公園内間欠泉、アイスランド
グレートカイザー間欠泉)

岩組には二つの碑があり、
一つはこの間欠泉に触れ
熱傷により死亡した英国大使の
愛犬の墓とその英国大使が
富士登山の後外国人として
初めて熱海に立ち寄った事を
記念して建てた碑です。
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