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善光寺は一光三尊阿弥陀如来を本尊として祀る、創建以来約1400年、 法灯を護持してきた古刹です。特定の宗派に属さず、あらゆる人々が参拝できる 無宗派の寺院として古くから知られています。 阿弥陀如来像は552年(欽明13)、仏教伝来の折りに百済から日本へ 伝えられた日本最古の仏像といわれています。本田善光が信濃の国へとお連れし 644年(皇極3)に勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って 「善光寺」と名付けられました。 現在の善光寺本堂は、1707年(宝永4)に再建されたもので、江戸時代中期を 代表する寺院建築として国宝に指定されています。 日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、 宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられています。 また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済が行われました。 数え年で7年に一回前立本尊が御開帳される機会でもあり、2015年4月に 上越市高田よりの帰途に善光寺へ立ち寄りました。 左図の中央に「回向柱」の位置が示されています。普段はありません。 大勢の参拝客で長蛇の列を予想していましたが、お参りした日は時間も早めで 思ったほどには並ぶことなく回向柱に触れることが出来ました。 |
妙高高原駅からしなの鉄道に乗車し 長野市へ向かいました。 途中に「黒姫」駅があり、西側に黒姫山(2053m) が聳えています。 |
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車中から見る「黒姫山」です。 その右手に見えるのは御巣鷹山です。 |
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途中駅の「牟礼」には天狗の大きな人形が 置かれています。 昔、近くにある飯綱山には天狗がいたとの伝説で この駅には天狗が置かれています。 上り線のホームの天狗は雪で倒壊し、現在は 下り線のこの天狗のみが残っています。 |
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長野駅です。 駅前には灯籠が置かれていて、 善光寺の入り口になっています。 今回、我々は右手に停まっているバスで 善光寺大門前まで行きました。 距離は2キロ未満ですので、歩いても 可能な距離で、帰りは歩いて駅まで戻りました。 |
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中央通りの眺めです。 中央通りは善光寺参道になっています。 |
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中央通りの突き当りに善光寺が有ります。 ここは大門交差点で、この辺りは大門町に なっています。 大門と言う門があるのかと思っていましたが、 石垣だけでした。 |
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大門から仁王門へと向かいます。 この時間まだ人はまばらで、思ったより 混んでいませんでした。 仁王門は1752年(宝暦2)に建立されましたが、 善光寺大地震などにより二度焼失し、現在の門は 1918年(大正7)に再建されました。 仁王像は高村光雲、米原雲海の作です。 画面にポインターを置くと 仁王門の拡大写真がご覧いただけます。 |
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仁王門から山門への参道は仲見世通りに なっていて、両側に色々お店が並んで います。 |
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山門です。 1750年に建てられた二層式入母屋造りの 門です。 門の二階に上がれますが、内部の撮影は 禁止されていて、門から外の眺めは撮影が 可能です。 |
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本殿の前に建てられた「回向柱」に触れる為 行列が出来ています。 回向柱には前立本尊に繋がる紐が結ばれ、 この柱に触れることで本尊に触れるのと同じ 功徳があると言われています。 四面の内一面に触れればよいと整理人が 呼びかけていますが、皆さん2面以上に 触れようとしていました。 勿論、こちらも4面に触れてきましたが・・・・ 画面にポインターを置くと御柱に触れる 様子がご覧いただけます。 |
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本堂内に入るのは前立本尊を参拝する 内陣参拝と本尊の真下にある極楽への鍵に 触れるお戒壇巡りの2路が有ります。 本堂手前右側から進んで内陣参拝を行い、 参拝が終わると本堂を一回りして、 本堂の右手から再入場してお戒壇巡りをします。 戒壇巡りは真っ暗な地下を歩いて本尊の 下にある鍵を探します。「極楽の錠前」に 触れると極楽往生が約束されるとの事です。 腰のあたりにある錠前をしっかり触れてきました。 時間のない人が内陣には入らず、外側から お参りするだけなら中央部から入り、すぐの所で Uターンします。殆どならぶ必要がありません。 左はご朱印を頂く人が入る通路です。 画面にポインターを置くと回向柱と ご本尊を結ぶ紐をご覧いただけます。 |
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本堂裏手の道です。 奥に見える塔は「日本忠霊殿」です。 1階は史料館になっています。 4月中旬で桜が満開です。 |
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本堂裏庭の桜が満開の下で結婚記念写真を 撮っている若者たちがいました。 |
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本堂の東側です。 左手は休憩所、その奥中央茅葺屋根は鐘楼、 その左手は事務棟です。 |
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お戒壇巡りの入場を待つ人たちです。 我々も30分ほど待ちましたが、最後尾の 看板では60分待ちとなっていたので、 半分ほどの時間で入場できました。 建物は本堂東側部分です。本堂内は 全て撮影禁止となっています。 |
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鐘楼です。重要美術品に指定されています。 建物は1853年(嘉永6)の再建で 6本の柱を持つ珍しい形になっています。 これは南無阿弥陀仏の6字を表わすのだ そうです。 梵鐘は1667年(寛文7)の鋳造で、 10〜16時の毎正時に時を告げる鐘と なっています。 また、2008年の長野オリンピックの開会を 告げた鐘としても有名です。 |
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たまたま、お導師様のお下りに遭遇し、 お数珠を頂きました。 手に持った数珠で頭部を撫でてくれます。 数珠の届く位置にいない限り頂けません。 また、導師の左手に並ばない限りだめです。 我々はちょうどその条件下にいました。 |
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山門にも上がってきました。 本堂側は開口部がなく、見ることができないように なっています。 左は参道から仁王門方面を眺めています。 右は大勧進でここの住職は比叡山延暦寺より 推挙されます。善光寺の住職も兼ねており、 善光寺本堂でのお勤めには出仕されます。 |
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山門から眺める仲見世と仁王門です。 奥に見えるビル街は長野市の中心街です。 この時間帯には結構な人出となっています。 |
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山門の下で大本願の尼さんに遭遇しました。 今回は条件はずれでお数珠は頂けません でした。 大本願の住職は代々皇室関係の方が務める ことになっているようです。 |
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善光寺大勧進です。 山門の横から入った所です。 大聖不動明王の回向柱が立っています。 ここは人が少なくてゆっくり柱に触れます。 |
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本堂西側にある経蔵です。 1759年に建てられています。 国の重文に指定されています。 |
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日本忠霊殿です。 1906年(明治39)に創建され、1970年(昭和 45)に現在の建物に建替えられています。 戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに 亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国 唯一の仏式による霊廟です。 御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。 (高村光雲門下 関野聖雲作) 一階は史料館になっています。 |
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本堂北側にある徳川家大奥供養塔です。 徳川三代家光の奥方本理院や春日局など 家光ゆかりの大奥の女性の供養塔です。 善光寺境内にはこの供養塔以外にも 善光寺の外護職を務めた真田家の供養塔や 千人塚と呼ばれる慶長年間の百姓一揆犠牲者 の供養塔なども建っています。 |
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本堂北東部にある庭園です。 | |
山門を出たところにある 大勧進の正面入り口です。 画面にポインターを置くと 本堂もご覧いただけます。 |
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釈迦堂です。 釈迦堂の御本尊は、鎌倉時代の作とされる 我が国唯一の等身大(1.66メートル)の 銅造釈迦涅槃像です 国の重文に指定されています。 |
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中央通りに面した場所にある「栽松院」です。 現在曹洞宗のお寺ですが、元は名主で造り酒屋の 菊屋(山嵜家)が戦国時代に創設した観音堂 だったそうです。 南と北に川が流れていたので嶋の寮(しまんりょ) と呼ばれ、境内には「嶋の天神」があり、 寺の南の通りはしまんりょ小路と呼ばれています。 画面にポインターを置くと 嶋の天神がご覧いただけます。 |
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