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函館市の玄関口、函館駅です。 開業は1902年(明治35)です。 現在の駅舎は2003年(平成15)から 供用されています。 1Fは本屋やカフェ、土産店が入り、 2Fはレストランとギャラリー、いるか文庫などが あります。 |
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函館山の麓にある元町にはレトロな建物が数多く残されており、函館観光の中心となっています。 また、元町に続く函館ベイエリアと組み合わせた観光ルートも色々とあります。 函館を訪れた人の殆どが来る場所と言えましょう。 |
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以前は世界三大夜景と謳われていましたが、2012年12月に長崎で行われた世界夜景コンベンション では、モナコ、香港、長崎が三大夜景に選定され、函館はその座を譲ることになりました。 ただ、三大夜景には色々なものがあり、現在でもナポリ、香港、函館を三大夜景とする説もあります。 |
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函館ベイエリアは函館港西波止場を中心とした赤レンガ倉庫街を指すようですが、 ここでは函館港を取り巻く街並みを総称しています。 元町から函館駅方面への見どころを集めてみました。 |
上の写真はホテルの部屋から眺めた倉庫街と 函館山です。 手前の煉瓦の建物は倉庫街です。 左手に太く延びる道路が二十間坂に通じる 道路です。 左の写真は同じくホテルから撮った 函館市街の南方向です。 右手の茂みは豊川稲荷です。 |
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赤レンガ街の倉庫です。 函館四天王のひとり渡邊熊四郎が明治時代に 開業した金森洋物館の建物です。 現在はどの建物もレストラン、ビヤホール、 観光客相手の土産店などが入っており、 ショッピングモールとして賑わっています。 写真の2棟は「金森洋物館」と称しています。 内部は洋風小物類の販売店になっています。 重要伝統的建造物群保存地区に指定 されており、街並みは北海道遺産にも 指定されています。 画面にポインターを置くと 建物の内部がご覧いただけます。 |
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港から入り込んでいる運河と 赤レンガ倉庫(現在はオルゴール館)です。 奥に見える高い建物は今回宿泊した 「ラビスタ函館ベイ」と言うホテルです。 このホテルも1階部分は元備蓄倉庫で 現在も一部を残した形でホテル建設が 行われています。 |
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上記のホテルの1階部分に残されている 赤レンガ備蓄倉庫部分です。 開拓使の食糧備蓄倉庫であった為 ここの煉瓦も明治時代の「茂辺地煉瓦石製造所」 で製造された明治7年製造の刻印のある 煉瓦です。 |
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旧函館郵便局です。 1911年(明治44)に完成しています。 その後、50年ほど使用されて1962年(昭和37) に民間に払い下げされています。 現在は「はこだて明治館」として ショッピングモールになっています。 画面にポインターを置くと 後ろから見た建物をご覧いただけます。 |
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二十間坂の道路沿いにある「旧茶屋亭」です。 旧茶屋亭の建物は明治末期の海産商の 店舗兼居宅の店舗部分で、当時の港町箱館の 隆盛を伝える典型的な和洋折衷建築物として 重要伝統建造物に指定されています。 |
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函館西波止場の傍に立つ新島襄の銅像です。 1864年(元治1)箱館から密出国すべく、 1艘の小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を 再現しているのだそうです。 像の正式な名称は「記念撮影 未来への始まり‐ 海原‐」です。像の制作者は彫刻家の峯田敏郎で、 2002年(平成14)に建立されました。 |
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新島襄像の西にある東浜桟橋です。 この桟橋は北海道にわたってきた人が 最初に足を踏み入れた桟橋です。 青函航路が開かれた時、船はこの桟橋の 沖に停泊し、乗客は艀でこの桟橋から 上陸したのだそうです。 すなわち、「北海道第一歩の地」でした。 |
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北海道第一歩の地碑です。 画面にポインターを置くと この右隣に立つ碑もご覧いただけます。 |
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緑の島の入り口近くに立つ 「新島襄海外渡航の碑」です。 新島襄は1864年(元治1)7月にここから 上海経由米国へ渡航したようです。 1874年(明治7)に帰国し、翌年京都で 同志社英学校を創立しています。 下の写真は石碑にある銘板です。 |
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石碑の近くにある「成田商会」の建物です。 成田商会は当時、上海・大連の航路を 持っていた唯一の回漕点です。 この会社の伝手により新島襄は上海へ 渡航できたと言われています。 この建物も「景観形成指定建築物」に指定 されています。 |
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成田商会から山側へ登って行くと 「小林写真館」へ出ます。 道内に現存する写真館で最古の建築物です。 1902年(明治35)に写真師小林健蔵が 開業しました。開業当時の建物は明治の大火で 焼失し、この建物は1907年(明治40)に 再建された建物です。 1962年(昭和37)まで営業していたそうです。 石川啄木も訪れています。 |
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末広町にある「中華会館」です。 釘が一本も使われていない日本唯一の 純中国風レンガ造りの建物です。 1910年(明治43)に華僑が故国から職人を 呼んで建てたといわれています。 内部には「三国志」の武将・関羽を祭っています。 関羽は華僑にとって商売の神様とされています。 画面にポインターを置くと 側面からの建物もご覧いただけます。 |
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不動産や倉庫業で財をなした相馬哲平氏の 社屋として1916年(大正5)に建てられた 和洋折衷の建物です。 函館市伝統建造物に指定されています。 |
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函館市電は1913年に道内で最初の 路面電車として運行されています。 現在も市民の足として利用されています。 |
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基坂通りにある手前の塔は 「明治天皇御上陸碑 」です。 1878年(明治9)の明治天皇東北・北海道巡幸で 来函の際、旧税関桟橋への上陸を記念した ものです。 正面奥の建物は旧函館区公会堂です。 |
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東浜桟橋の前にある はこだて西波止場美術館です。 テディベア専門の美術館でしたが 2011年に閉館しています。 壁面のテディベアはまだそのままです。 現在は明治館の中にあります。 |
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金森ホールの隣にある建物と その前を走るモーモータクシーです。 モーモ―タクシーは車体が牛の模様になって います。カラ―はいろいろあります。 金森ホールも倉庫跡ですが、劇場に改装し、 イベントに利用されているようです。 |
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運河を跨ぐ「七財橋」です。 橋は石畳になっています。 倉庫街が一望です。函館山も遠望できます。 画面にポインターを置くと 下から眺めた橋もご覧いただけます。 |
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函館駅と倉庫街の中ほどに 朝市が有ります。 殆どが店舗を持った朝市です。 結構規模は大きいです。 鮮魚、野菜、果物等々威勢よく売ってます。 画面にポインターを置くと 朝市を訪れている鴎もご覧いただけます。 |
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朝市から五稜郭へ向かう際に 車窓から眺めた函館市役所(正面)です。 並木に隠れて建物が良く見えませんが、 市役所は砂州の津軽海峡と太平洋の間の 1km程の間にあります。 |
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