京都中央部・中京区
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京都市中京区は大まかに言えば、東は鴨川、西は千本通、北は丸太町通、
南は四条通で囲まれている地域です。

今回、中学校(城巽中学:中京区内の学校)の同期会で京都へ行った際、
同期会の会場(花かんざし)の近くを散策してみました。
中でも、六角堂は小学生時代の遊び場に使っていた場所で、懐かしい
想いで訪れました。

この地区は昔は繁華街であった新京極通や寺町通を除き、古い町屋の並ぶ
地域でしたが、現在は大きなビルや、町屋を改装した飲食店の立ち並ぶ街に
変っていました。

なお、城巽中学は二条城の東南に位置し、城の巽の方向なのでこの名前が
付いたものと思われます。すでに、中学は廃校となり、現在は堀川音楽学校の
校舎となっています。
学校は左図の烏丸御池から西方向へ5〜600mの場所にありました。
六角堂
六角堂は正式名を紫雲山頂法寺と称し、587年(用明2)に聖徳太子により建立されたと伝えられています。
本尊は如意輪観音で、聖徳太子の念持仏でした。本尊は思いのままに願い事をかなえてくれる「宝珠(如意宝珠)」と、
魔を打ち砕く「輪宝(法輪)」を持っています。本堂は六角の堂で、我々は「六角さん」と呼んでいました。
六角堂(紫雲山頂法寺)の入口と山門です。

六角通に面しています。

六角堂の本堂とそのそばに生える
六角柳です。

六角柳とは、「平安時代初期、妃になる
女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に
六角堂の如意輪観音が現れ、
『六角堂の柳の下を見てみなさい』とのお告げを
受けたため、人を遣わしてみると、柳の下には
一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに
妃として迎えました。この話から『六角堂の柳に
願をかけると良縁に恵まれる』という噂が広がり、
『縁結びの柳』と呼ばれるようになりました。
青々と茂った枝が地面すれすれまで伸びる
姿から『地ずり柳』とも呼ばれます」
との説明があります。
本堂の横にある「West18」というビルに
展望エレベーターがあります。
これに乗ると最上階からの六角堂の全体が
望めます。
別のエレベーターは3階までがガラス壁に
なっていて、外が見られるようです。
本堂傍の手水鉢です。
本堂の全景です。
六角形の本堂は1877年(明治10)の
再建で、正面に拝堂が付属しています。
画面では手前が拝堂となります。

画面にポインターを置くと
六角形の本堂をご覧いただけます。
拝堂から眺める本堂のご本尊です。

手前に金網が貼られているので、
内部の様子が綺麗に写りませんが、
正面に如意輪観音像が祀られていますが、
本尊は秘仏で厨子の中に安置され、その前に
御前立と称する観音坐像が置かれています。
脇侍は毘沙門天立像と地蔵菩薩立像です。

画面にポインターを置くと
拝殿の燭台に止まっているハトの姿を
ご覧いただけます。
子供のころに来ていた六角さんには沢山の
ハトがいて、よく追いかけたものです。
拝堂の東寄りにある「賓頭蘆尊者」です。

一般には「びんずるさん」と親しまれている仏像で、
お釈迦様のお弟子である十六羅漢 の筆頭で、
病気を治す力があるとされ、撫でるとその部位の
病気が治ると言われています。
境内北東の池の隅に浮かんでいる「太子堂」
です。
六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。
またの名を開山堂ともいいます。
堂内には聖徳太子の二歳像、十六歳像、騎馬像
が安置されています。
太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒は、
聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所です。
当時このあたりにあった池に太子が入り、
身を清めたと伝えられています。

池が修復され、現在は鯉や白鳥が泳いで
います。

井筒は上の写真の太子堂の後ろに
少し見えています。

境内西側に数多くの地蔵さんが
祀られています。
右手のお地蔵さんは京都御所を守るため
北を向いている「北向地蔵」です

その左横には、小さな子供を守ってくれる
「わらべ地蔵」があります。
さらに、その奥に「地蔵山」と呼ばれる
お地蔵さんの群像が続きます。
「わらべ地蔵」です。

幼いやさしい顔をしたお地蔵さまです。
地蔵群です。

この左手にもまだお地蔵さまが
並んでいます。

境内の西南隅に祀られている「石不動」です。

不動明王は、大日如来が一切の悪魔を
降伏させるために身を変じた存在で、
怒りの形相をとり、強い法力を持っています。
六角堂の境内には、不動明王の石像と木像を
それぞれ安置する堂が隣接して建っています。

画面にポインターを置くと
木造の不動明王の像をご覧いただけます。

枝垂れ桜の下に並ぶ十六羅漢さんです。

羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる
優れた僧侶に与えられた名前だそうです。
十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、
あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。
六角堂の十六羅漢は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしています。
いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように
心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという
教えなのだそうです。

手前の地蔵さまは、一つだけ願い事を
叶えてくれる「一言願い地蔵」です。

その奥には親鸞堂が建っています。
親鸞が鎌倉時代の初め、1201年(建仁元)
六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけを
得たことにちなみ、堂内に親鸞の像を二体
安置しています。
一体は草鞋を履いて比叡山から六角堂へ
向かう姿、もう一体は六角堂に籠もって
如意輪観音から夢の中でお告げを受けている
姿です。

画面にポインターを置くと
親鸞堂をご覧いただけます。
堂内の親鸞像は金網で良く見えませんが
下図の状態です。

親鸞上人の像です。
親鸞がここ六角堂に100日間籠り、
比叡山に戻る時の姿を銅像にしたものだ
そうです。
参籠95日目に聖徳太子の夢を見て、
浄土宗の法然に帰依し、その後、真宗を
開いています。
六角堂の周辺
実家(下京区)から六角堂へ至る途中の風景を入れてみました。
六角通りを隔てた飛地境内に「鐘楼」が
建っています。
戦国時代、京都に戦乱の危機が迫ると、
六角堂の鐘がつかれたという記録があります。

鐘は太平洋戦争時の金属供出で失われ、
1954年(昭和29)に再鋳された物だそうです。
京都下京区の元悪王子町に建つ
悪王子社です。

元は祇園八坂神社の摂社で素戔嗚尊
(すさのおのみこと)をお祀りしています。
974年(天延2)に東洞院四条下がった所に
創建されたそうです。

平将門の乱や藤原純友の乱などの後遺症
で町が荒れたため、怨霊を鎮める為、
この悪王子社の近くで四方に注連縄を巡らし
祇園御霊会(ぎおんごれいえ)が行われ
巡行の列を作ったのが「祇園祭」の起源と
されているそうです。

このお社が祇園祭の源で、現在八坂神社に
鎮座する悪王子社の分社としてこの地に
お祀りされているとの事です。
京都中京区東洞院蛸薬師角にある
「御射山公園(みさやまこうえん)」です。

此の辺りには昔、御射山諏訪神社が
有ったそうですが、現在は無いようです。

この地区で祇園祭の山車の「御射山」を
持っていたことも有ったそうですが、
現在はありません。

公園では観光旅行の途中なのでしょうか、
外国人の家族が休憩していました。
六角通高倉に今回の中学同期会(巽会)の
会場があります。
「花かんざし」という料亭で松井旅館に
あります。

建物の写真を撮り忘れたので、
PR写真を拝借したものです。
実際はお昼の会でした。
当日の料理は京懐石でした。

お昼なので、わりに簡単な料理でしたが、
以下にご紹介しておきます。

これは「八寸」で
上は「うすい豆蛍烏賊ソース」、その下左は
細魚桜ゼリー、その右三色団子、その右は
甘鯛甘酒衣とタラの芽西京煮、
その下の福の字の入った器にはちらし寿司、
その左はささみ芹松の実和えと新じゃが浸し、
桜花芋ずし、の品々です。
左の写真白い器は「炊合せ」で鯛の子卵締めと
筍の煮物に高野豆腐、小松菜浸し、木の芽が
付け合されています。
その横は「向付」のお造り三種(ぶり、鮪、イカ)
です。

右の写真の白いお皿は「焼物」で、鰆味噌幽庵
焼きです。付け合せはパブリカの南蛮漬けと
蕗の薹しぼりです。
その下の器は「揚げ物」で、百合根饅十の生姜餡
仕立てです。
左は「追い肴」のみやこ小鍋、白味噌仕立てです。
具材は金目鯛、白焼き穴子、人参、大根、水菜、
京豆腐、葛きり、牛蒡、たぐり湯葉、ちぎり麩、
丸餅です。画面にポインターを置くと、鍋に
入れる前の具材をご覧いただけます。

これらの料理の他に最後はご飯、吸い物、香の物
および右の「水物」としてレモンヨーグルトソースと
桜餅が供されました。

いずれの品も京都らしい上品な味付けでした。
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