鐘は太平洋戦争時の金属供出で失われ、
1954年(昭和29)に再鋳された物だそうです。
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京都市中京区は大まかに言えば、東は鴨川、西は千本通、北は丸太町通、 南は四条通で囲まれている地域です。 今回、中学校(城巽中学:中京区内の学校)の同期会で京都へ行った際、 同期会の会場(花かんざし)の近くを散策してみました。 中でも、六角堂は小学生時代の遊び場に使っていた場所で、懐かしい 想いで訪れました。 この地区は昔は繁華街であった新京極通や寺町通を除き、古い町屋の並ぶ 地域でしたが、現在は大きなビルや、町屋を改装した飲食店の立ち並ぶ街に 変っていました。 なお、城巽中学は二条城の東南に位置し、城の巽の方向なのでこの名前が 付いたものと思われます。すでに、中学は廃校となり、現在は堀川音楽学校の 校舎となっています。 学校は左図の烏丸御池から西方向へ5〜600mの場所にありました。 |
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六角堂は正式名を紫雲山頂法寺と称し、587年(用明2)に聖徳太子により建立されたと伝えられています。 本尊は如意輪観音で、聖徳太子の念持仏でした。本尊は思いのままに願い事をかなえてくれる「宝珠(如意宝珠)」と、 魔を打ち砕く「輪宝(法輪)」を持っています。本堂は六角の堂で、我々は「六角さん」と呼んでいました。 |
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実家(下京区)から六角堂へ至る途中の風景を入れてみました。 |
六角通りを隔てた飛地境内に「鐘楼」が 建っています。 戦国時代、京都に戦乱の危機が迫ると、 六角堂の鐘がつかれたという記録があります。 鐘は太平洋戦争時の金属供出で失われ、
1954年(昭和29)に再鋳された物だそうです。 |
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京都下京区の元悪王子町に建つ 悪王子社です。 元は祇園八坂神社の摂社で素戔嗚尊 (すさのおのみこと)をお祀りしています。 974年(天延2)に東洞院四条下がった所に 創建されたそうです。 平将門の乱や藤原純友の乱などの後遺症 で町が荒れたため、怨霊を鎮める為、 この悪王子社の近くで四方に注連縄を巡らし 祇園御霊会(ぎおんごれいえ)が行われ 巡行の列を作ったのが「祇園祭」の起源と されているそうです。 このお社が祇園祭の源で、現在八坂神社に 鎮座する悪王子社の分社としてこの地に お祀りされているとの事です。 |
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京都中京区東洞院蛸薬師角にある 「御射山公園(みさやまこうえん)」です。 此の辺りには昔、御射山諏訪神社が 有ったそうですが、現在は無いようです。 この地区で祇園祭の山車の「御射山」を 持っていたことも有ったそうですが、 現在はありません。 公園では観光旅行の途中なのでしょうか、 外国人の家族が休憩していました。 |
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六角通高倉に今回の中学同期会(巽会)の 会場があります。 「花かんざし」という料亭で松井旅館に あります。 建物の写真を撮り忘れたので、 PR写真を拝借したものです。 実際はお昼の会でした。 |
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当日の料理は京懐石でした。 お昼なので、わりに簡単な料理でしたが、 以下にご紹介しておきます。 これは「八寸」で 上は「うすい豆蛍烏賊ソース」、その下左は 細魚桜ゼリー、その右三色団子、その右は 甘鯛甘酒衣とタラの芽西京煮、 その下の福の字の入った器にはちらし寿司、 その左はささみ芹松の実和えと新じゃが浸し、 桜花芋ずし、の品々です。 |
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左の写真白い器は「炊合せ」で鯛の子卵締めと 筍の煮物に高野豆腐、小松菜浸し、木の芽が 付け合されています。 その横は「向付」のお造り三種(ぶり、鮪、イカ) です。 右の写真の白いお皿は「焼物」で、鰆味噌幽庵 焼きです。付け合せはパブリカの南蛮漬けと 蕗の薹しぼりです。 その下の器は「揚げ物」で、百合根饅十の生姜餡 仕立てです。 |
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左は「追い肴」のみやこ小鍋、白味噌仕立てです。 具材は金目鯛、白焼き穴子、人参、大根、水菜、 京豆腐、葛きり、牛蒡、たぐり湯葉、ちぎり麩、 丸餅です。画面にポインターを置くと、鍋に 入れる前の具材をご覧いただけます。 これらの料理の他に最後はご飯、吸い物、香の物 および右の「水物」としてレモンヨーグルトソースと 桜餅が供されました。 いずれの品も京都らしい上品な味付けでした。 |
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