京都東山2
 京都東山  京都東山3  京都東山4  京都の風景
2016年5月に中学校(京都市立城巽中学)の同期会に参加の折に、会場が祇園だったこともあり、
再び東山界隈を歩いてみました。
前日の夕刻に京都着、四条烏丸の東横インに一泊し、翌朝、墓参に大谷本廟を訪れ、その後、五条坂から
三年坂(産寧坂)、弐年坂(二寧坂)を経由して、豊臣秀吉の正室寧々ゆかりの高台寺近辺を散策しました。
修学旅行生と中国人を主体とする海外からの観光客でこの界隈は溢れていました。
何時もは前を通り過ぎていた、寧々の終焉の場所でもある「圓徳院」を訪れ、桃山時代の庭の原型をとどめる
庭園を楽しんできました。
我家は浄土真宗本願寺派(お西)で墓地は大谷本廟内にあります。
京都へ戻った際は必ず訪れています。

墓地からは清水寺が望め、以前は清水寺にそのまま行けたのですが、
(茶色の点線の道)崖崩れで現在通行不能となっています。
従い、現在清水寺へは五条坂か茶わん坂を通ってゆくことになります。

今回は五条坂から茶わん坂との分岐を清水寺には向かわず、左に折れて
歩いてみました(緑の点線)。

住宅街を抜け日體寺に出て、清水坂から産寧坂、二寧坂を通り、
一旦維新の道(高台寺参道)へでて、八坂の塔へ回り、
再び二寧坂に出て、「ねねの道」へと向かいました。

「圓徳院」の内部を見て、大雲院経由八坂神社南門(現在修理中)に
出ました。

清水寺、護国神社、霊山観音、高台寺は「京都東山」のページで
ご覧いただけます。

八坂神社から同窓会の会場である祇園「京新山」へ向かい、二次会の
河原町通りのカラオケで級友と時間を過ごし、佐倉へと戻りました。
前日の夜に歩いた錦通りの様子も本ページに加えました。

小学校、中学校の同期会が隔年に行われていたのが、2014年から
毎年春秋に行われるようになり、年最低2回の京都行きが恒例となりました。
春秋の京都はホテルが常に満杯で、探すのに往生しますが、あと数年は
参加できるだろうと考えています。

五条坂を東山通りから東山方向へ
行くと「茶わん坂」との分岐にでます。

右へ行くと清水寺へ、左真っ直ぐ行くと
清水道へ出て、産寧坂の入口を経由して、
やはり清水寺へと出ます。
更に左への道もあります。

左側の石柱には「茶わん坂」と
「右・清水ちかみち」と記されています。

今まで通ったことのない左の道を行きました。
五条坂から北に入るとこんな家が
ありました。木彫りの面を作っている
家のようです。
能面などを作っているのでしょう。
北へ向かうと清水道(松原通)にでます。
清水道に沿って「日體寺」があります。
「清水の鎮宅妙見宮」ともよばれ、
元は浄土宗のお寺で、現在は日蓮宗の
寺院となっています。

この妙見は「洛陽十二支妙見」の一つで、
御所を中心に十二の方向にそれぞれ
妙見宮が置かれました。
ここは巳の妙見と言われています。

画面にポインターを置くと
日體寺の門をご覧いただけます。

清水道から「産寧坂」に入ります。
産寧坂(三年坂)の石段です。

修学旅行生が大勢います。
グループ単位でタクシーで廻って
いる組もいる様で、運転手さんらしき人が
ガイド役をしています。
産寧坂から二寧坂へと向かう
石畳の通りです。

この辺りは古い京風の建物が
沢山残っており、京都らしい場所です。

修学旅行生に交じって外国人の
観光客が結構歩いています。

画面にポインターを置くと
二寧坂の様子をご覧いただけます。
二寧坂を散策する中国人観光客の群れ。
中国人グループはとても賑やかです。
京都神社(護国神社)の参道で出会った
結婚式の記念撮影をするお二人。

二寧坂へと向かってゆきました。
高台寺の入口の傍に有る
竹内栖鳳邸の跡です。

竹内栖鳳は京都生まれの明治から
昭和にかけての京都画壇の近代化の
推進者です。

画面にポインターを置くと
邸内の様子もご覧いただけます。
屋敷は現在レストランになっています。
東山の象徴、「法観禅寺の八坂の塔」
です。
春光院の入口です。
茅葺門になっています。
内部には勝利摩利支天尊や
レストランの一休庵などもあります。

季節柄鯉のぼりが上がっていました。
「ねねの道」です。
秀吉の正室「寧々」の終息の場所、
「圓徳院」です。
寧々の建立した高台寺の塔頭の一つです。

寧々は58歳でここへ移り住み、77歳で
没するまで、余生を過ごした場所です。

圓徳院は木下家初代以降の木下の
屋敷となっていたため、正門は
長屋門の形態がとられています。

建物内部の撮影は禁止されていますが、
驚いたことに、グーグルマップの
ストリートビューで建物内部に入れることを
発見しました。
ご興味のある方はグーグルマップから
ご覧ください。


屋敷への門です。
唐門となっています。
南庭です。
白砂が敷かれ、小振りながら品のある
庭になっています。
方丈の南寄りに有るので南庭と称されて
います。


下の写真は北庭です。
元々の伏見城北政所化粧御殿の前庭を
移したもので、当時tの原型をほぼそのままに
留める桃山時代の代表的庭園の一つです。

北書院の東にあり、国の名勝に指定
されています。

池泉回遊式ながら枯山水となっています。
賢庭作で後に小堀遠州が手を加えている
そうです。

豊臣秀吉が念持仏としていたと言われる
大黒天で、秀吉の出世守本尊です。
御堂は京都御苑から移築されています。

圓徳院内部は前述のグーグルマップから
ご覧いただけますが、一部は下記ボタン
からもお入り頂けます。

画面にポインターを置くと大黒天の右にある
「歌仙堂」をご覧いただけます。このお堂は
多くの歌人がお参りするそうです。

圓徳院
ねねの道の北の端あたりです。
和服姿の御嬢さんは全て中国人です。
和装レンタルがあちこちにあり、数千円で
借りられるので、中国人や色の黒い人も
和服姿で歩いています。
ねねの道の突き当りに有る大雲院
(非公開)の境内にある銅閣です。

金閣、銀閣があって、銅閣がないのは
おかしいと、大倉財閥の初代大倉喜八郎が
1928年に作った建物で、祇園閣と
よばれています。
国の重要文化財に指定されていますが、
現在非公開です。
大雲院の正門です。
1587年(天正15)正親町天皇の勅命により
織田信長・信忠の菩提を弔うため、創建された
寺院です。
元は寺町に有ったものを、現在地に移し、
1973年(昭和48)に本堂が完成しました。

境内には祇園閣がありますが、もともと祇園閣の
有った場所に移転して来たもので、銅閣の方が
先住だったという訳です。

画面にポインターを置くと
本堂正面に置かれている石の涅槃像が
ご覧いただけます。
1909年(明治42)に迎賓館として
建てられた「長楽館」です。
京都の実業家村井吉兵衛によって
建てられました。

現在はカフェ、レストラン、6室のみの
ホテルとして利用されています。

京都市の有形文化財です。

写っている和服姿のご婦人方は
日本の方でした。
八坂神社の西楼です。
こちらが正門に思われがちですが、
正門は現在修理中の南楼になります。

南楼の前に立つ大鳥居は日本三大鳥居の
一つで、国の重要文化財に指定されています。
四条大橋からの鴨川の眺めです。
3月末には桜満開の並木になります。

奥に見える橋は三条大橋です。
四条大橋南西に立つ古い洋館は
「東華菜館」です。
1926年(大正15)に牡蠣料理の店矢尾政の
新店舗として建てられました。
登録有形文化財です。
現在の北京料理の店・東華菜館になったのは
1945年(昭和20)のことです。

ここに有るオーティス製のエレベーターは
1924年製のもので日本最古のエレベーター
となっています。
懐かしい鉄格子の扉です。

建物の屋上に有る塔はエレベーターの
動力格納庫だそうです。

結婚前に家内と会って初めて食事をした場所でも
あります。
四条通から先斗町へ入りました。
狭い路地が花街の雰囲気を醸しています。
昼まで人通りはほとんどありません。
夜になると賑やかな街になります。
木屋町通りに沿って流れる高瀬川です。
角倉了以の手によって1611年(慶長16)に
着工され、1614年(同19)に伏見までつながった
物流用運河です。
水深が浅く、「高瀬舟」と呼ばれるそこの平らな
船を利用したことから、高瀬川と呼ばれるように
なったそうです。

この場所は荷物の積み下ろしや、船の方向転換を
行った場所で、「高瀬川七之舟入跡」です。
二条から四条まで九か所の舟入が作られ、
現在そのいずれもが埋め立てられています。

桜の季節には川沿いの桜並木が見事です。
木屋町から河原町通りへ抜ける通りに
「土佐稲荷・岬神社」があります。
この辺りは元土佐藩の屋敷の有ったあたりで、
鴨川の中州の岬に有った神社を土佐藩屋敷内に
移し、土佐藩のみならず、周辺の地域住民の
信仰を集め、屋敷内の神社へ自由に往来できる
道が作られたそうです。

明治維新後は神社も移転を余儀なくされ、
各地を転々とした後、1913年(大正2)に
この地に現在のお社が建てられました。

元の神社には坂本竜馬や中岡慎太郎も
お参りしていたようです。
前日夜に到着後、錦市場を散策しました。
開いている店は極僅かで、中国人むけの
土産物屋さん(中国人スタッフがいた)が
開いている程度です。

さすが、伊藤若冲を輩出した京都錦の街らしく、
若冲生誕300年の垂れ幕がずらりと並んで
いました。
若冲はこの錦市場の青物問屋の長男として
生まれています。

画面にポインターを置くと
別の錦通りの様子もご覧いただけます。
錦通りの突き当りには「錦天満宮」が鎮座
しています。
外国人を含めて、夜間でも結構な参拝客が
訪れていました。

この天満宮は菅原公の生地に創建された
天満宮です。

鳥居の端が両側の家の中に突き込んでいます。
繁華街ど真ん中の神社らしい風景です。


画面にポインターを置くと
社殿がご覧いただけます。
錦天満宮の前の通り、寺町通です。

昔はこの通りにお寺が集中していたことで
寺町通と名付けられていますが、
現在は商店街として賑やかな通りになっています。

このひとつ東側に有るのが「新京極」で
有名な繁華街となっています。現在は
観光客用の土産物店やブティックが並んでいます。
歩き疲れて、一休みしたカフェショップです。
抹茶のソフトクリームを頂きました。
店内が瀟洒でつい、写真に撮ってしまいました。


画面にポインターを置くと
お店の前の様子をご覧いただけます。
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