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京都市の西京区を中心とした西部の一帯には 苔寺、桂離宮などの名所旧跡があります。 桂川を挟んで北よりは右京区で、川の南西よりは西京区になっています。 桂川は渡月橋より上流は大堰川と呼ばれています。 ここでは、JR山陰線の南側を京都西部としています。 京都市内からは嵐電(京福電鉄)嵐山線と北野線及び 阪急電鉄が桂駅から嵐山線があり、路線バスも多数あります。 JR線は山陰線の嵯峨駅が最寄り駅です。 嵐山へ来る方は、嵯峨野の散策も併せて行う方が多いです。 京都西北部とは隣り合わせになりますので、きちんとした 区割りをするのは難しいです。 小学生の頃から此の辺りは何度も往来しており、高校の運動場が 車折神社の近くに有ったので、ほぼ、毎週のように来たものです。 2017年6月に姉の法事を利用して、昔歩いた場所を訪ねてみました。 |
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法事の合間に訪れたので、嵐山近辺を歩くのがやっとでした。松尾大社や苔寺など、有名な場所は 色々ありますが、今回は嵐電嵐山から阪急嵐山の間だけとなりました。 |
嵐山は桂川(大堰川)を挟んで右手は右京区、左手は西京区に なっています。渡月橋の上流が大堰川、下流が桂川です。 桂川はその後、鴨川、木津川、宇治川と合流して淀川となります。 今回は嵐電嵐山駅から、天龍寺を訪れた後、亀山公園に出て、 渡月橋を渡り、京都では十三参り(十三歳の時にお参りして、 勉学の能力向上を祈願する)で有名な法輪寺(虚空蔵さん)を お参りして阪急嵐山から市内へ戻りました。 周辺には車折神社、鹿王院、松尾大社、苔寺(西芳寺) などもあります。今回は残念ながら回れませんでしたが、 次の機会には訪れたいものです。 西京区には桂離宮もあります。参観には事前予約が必要です。 |
四条大宮にある嵐電・四条大宮駅です。 昔は駅舎でしたが、現在はビルの1階が 駅になっていました。 京福電鉄は京都と福井に路線を持つ 私鉄で、京都では嵐山線、北野線が あります。昔は八瀬、鞍馬への電車も 京福電鉄でしたが、現在は京阪電車が、 筆頭株主になっています。 |
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同じ四条大宮の嵐電の向かいには 阪急の大宮駅があります。 阪急は桂駅から嵐山線があり、 ここから嵐山へもいけます。 阪急は桂川の西側に嵐山駅があり、 嵐電は桂川の北側に駅があります。 |
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嵐電四条大宮駅の構内です。 |
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北野線との乗換駅・帷子ノ辻 (かたびらのつじ)を過ぎると 車内では日本人は一人で、後は 海外らからの旅客ばかりになりました。 |
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嵐電・嵐山駅構内です。 |
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嵐電・嵐山駅です。 昔は小さい駅でしたが、現在は 色々な店が入っている駅に 変っていました。 |
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嵐山駅から少し北へ向かった 左手に「天龍寺」があります。 天龍寺総門です。 掲版には「霊亀山と号する臨済宗 天龍寺派の大本山である」と 記されています。 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を 弔うために、1339年(暦応2)に 夢窓疎石を開山に迎え、創建した 寺院です。 庭園は夢窓疎石の作です。(下図) 建造物は度重なる火災により焼失し、 現存する建物は明治以降に再建 されています。 1994年(平成6)に世界文化遺産に 認定登録されています。 |
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天龍寺の庫裏です。 堂内拝観の入口になっています。 天龍寺の詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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川辺から眺める渡月橋の全景です。 836年(承和3)に弘法大師の弟子、 道昌が大堰川の修築を行った際に 架設されたのに始まると言われています。 当初は法輪寺橋と呼ばれていましたが、 亀山上皇が、東から西へ月が渡る 様子を見て、渡月橋と名付けたと 言われています。 |
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大堰川の上流方向を眺めています。 正面の小山は「岩田山」で モンキーセンターがあります。 生まれ育った京都の町内にあった 「岩田蒲団店」の持山が岩田山で、 京大の霊長類学者の研究に資する為に 提供され、モンキーセンターとして活用 されています。 子供の頃はまだおさるは餌付けされて いなくて、山登りを楽しんだ場所です。 |
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亀山公園の入り口付近から眺める 大堰川と渡月橋です。 |
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亀山公園に入った所に 「周恩来記念詩碑」があります。 詩文は下記です(原文は中文) 「 雨中嵐山 雨の中を二度嵐山に遊ぶ 両岸の青き松に いく株かの桜まじる 道の尽きるや ひときわ高き山見ゆ 流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす 雨濛々として霧深く 陽の光雲間より射して いよいよなまめかし 世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも 模糊の中に たまさかに一点の光明を見出せば 真(まこと)にいよいよなまめかし 日本京都 一九一九年四月五日」 (揮毫・寥承志、訳・蔡子民) 1979年4月16日、来日中であった ケ穎超女史(全国人民代表大会常務 委員会副委員長、故周総理未亡人)を 京都にお迎えして、除幕式及び 建立祝賀会が開催されました。 画面にポインターを置くと 「建立趣意」をご覧いただけます。 |
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更に、少し上に登ると 「角倉了以」の銅像があります。 了以は江戸幕府で「御朱印船貿易」 に力を注ぎ、その後、私財を基に 治水事業を起こし、京都では鴨川の 疎通を図り、高瀬川を開削しています。 京都の町衆が寄金し、太平洋戦争で こわされた銅像の再建を行いました。 |
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大堰川にいた鳥たちで 左はアオサギです。 中はチュウサギです。 右はカワウです。 画面にポインターを置くと求愛成功の画像をご覧頂けます。 | |
渡月橋を渡り南へ向かうと 「法輪寺」があります。 この寺院は京都では十三参りの お寺として有名で、13歳になると、 このお寺にお参りして学力向上を 祈願します。 お参りの際には自分で書いた好きな 一文字を持参し奉納します。 お参りの後、渡月橋を渡るまでに 振り返ると、頂いた知恵が無くなると 言われ、急いで橋を渡ったものです。 この道は裏参道になります。 |
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参道を上がると本堂に出ます。 本尊は虚空蔵菩薩です。 日本三大虚空蔵の一つです。 知恵、芸事の上達、針供養・漆の祖神 としても有名です。 境内には皇室から針供養のため下賜 されたお針を納める宝塔もあります。 713年(和同6)に行基が葛井寺(かど のいでら)として建立し、829年(天長6) 道昌が虚空蔵菩薩を安置し、868年 (貞観10)に法号を法輪寺にしたと 伝えられています。 |
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本堂横の展望台から 京都市街を遠望できます。 左手奥の山は衣笠山、双ヶ岡、船岡山、 正面奥は東山連峰になります。 |
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少し左手方向を見ると 嵐山・嵯峨野の街並が見えます。 正面には渡月橋が見えます。 右手上の方は比叡山が一部 見えています。 |
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法輪寺の多宝塔です。 宝塔の再建は閑院宮戴仁親王の 発議により、1934年(昭和9)に 着工され、1936年(昭和11)に竣工 しています。 高さは17.4mあります。 |
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表参道の階段です。 手前右手には「電電塔」が 立っています。 |
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電電塔です。 「法輪寺には電気電波の祖神・電電宮が 祭祀されています。 そのため、電電塔を建立し、 その発展の基礎を築かれた、 エジソン(右像)とヘルツ(左像)の 胸額を壁面に飾り、その功績を顕彰 するとともに、広く電気電波の発展、 隆盛に貢献された先覚功労者の 霊を慰めるものである」との看板が 立っています。 毎年5月23日には電電宮大祭が 行われ、電気、電波、電機、電子関連 企業が参加するそうです。 |
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法輪寺の正門(総門)です。 |
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参道入り口にある石橋と 宝筺印塔です。 本来はここから参道に入って 本堂へ向かうのですが、今回は 裏参道から入ったので、全くの 逆回りとなりました。 |
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