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「布団着て寝たる姿や東山」と詠まれているように京都東山は北から東へと
比叡山、大文字山を波にしてなだらかな傾斜を作っています。
まさに、布団着て寝ているがごとき様子です。
「東山三十六峰草木も眠る丑三つ時」と言われる三十六峰は峰が三十六あると
言うわけではなく、言葉の音の良さだろうと思います。
その東山の麓を五条から四条までを歩いてきました。
この間には沢山の寺社仏閣、遺跡がありますが、今回は時間の関係もあり、
ご先祖の眠っておられる大谷廟から清水寺、護国神社、高台寺、大谷祖廟、
八坂神社へと回りました。
京都東山五条に有り、親鸞の荼毘所の近くです。 |
大谷本廟は親鸞の墓所で 親鸞の「御荼毘所」が近くにあります。 ここは真宗本願寺派(西本願寺)の系列で 東本願寺大谷派の霊所は八坂神社の傍に 大谷祖廟があります。 左は総門です。 上は明著堂で納骨堂です。 我がご先祖様はここの墓地に埋葬されています。 本廟の側道を上がると清水寺に出ます。 |
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鳥辺山妙見宮で掲額は 妙見大菩薩となっています。 大谷廟から清水寺への途中に有ります。 |
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大谷廟から清水寺境内に 入るとすぐに三重塔が 現れます。 まだ薄紅葉の状態でしたが、 秋も深まると紅葉が見事です。 桜の時期も中々のものです。 東山2へ戻る |
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清水寺は舞台作りの本堂が有名です。778年の開創で音羽の滝の清水から音羽山清水寺と称しているとのことです。 |
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清水寺の入り口「仁王門」 室町時代の再建後2003年 解体修理されています。 右奥の門は1631年再建の 「西門(さいもん)」八脚門です。 その奥に三重塔が見えます。 これらいずれも重要文化財に 指定されています。 仁王門の後方から京都市内が 一望できます。 |
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西門(さいもん)の裏側の 状態です。 下は正面からの門の威容です。 寛永8年(1631)の再建です。 重要文化財に指定されています。 |
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左は「三重塔」平安初期の創建と伝えられています。 現在の塔は1632年再建。 右上は「経堂」と三重塔で経堂は1633年再建。 清水寺の全ての経典を納めています。 右下は泰産寺(現在修理中)から眺めた三重塔。 秋が深まるとこの眺めは錦織に変わります。 三重塔、西門、経堂ともに昭和末から平成始めにかけ 解体修理されています。 |
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清水寺本堂と舞台です。 寛永10年(1633)再建されています。国宝となっています。 本堂には千手観音像が祀られ、ケヤキの柱で支えられた舞台が 張り出しています。両袖の翼廊は楽舎です。 左手には錦雲渓が広がり、春は桜、秋は紅葉が色を添える 風景となります。 下は錦雲渓からの眺めです。 |
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奥の院から音羽の滝へ抜ける道筋に記念碑が立っています。 野々村仁清と尾形乾山を記念し1920年に建てられたものです。 野々村仁清は京焼色陶器を完成させた人物です。 尾形乾山は尾形光琳の弟で仁清に学び清滝窯を作り、光琳の絵付け による合作で京焼色陶器の発展に貢献した人物です。 清水焼に興味のある人でもここを素通りする人が多いようです。 |
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清水寺の名前の由来ともなった音羽の滝です。滾々と流れ出す 清水をその名に取ったと言われます。 この水は延命水とも呼ばれ、多くの参拝者が列をなして この水を口に含んでいます。 異邦人も見まねで飲んでいるのも微笑ましい景色です。 滝の奥に不動明王像が祀られていました。 |
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清水寺から祇園まで結構坂道が多いです。 | ||
東山通りの五条から清水寺門前までは清水坂と呼ばれています。 道の両側には土産物屋さんや陶器店、漬物店などが 軒を並べています。 春秋のシーズン中は歩くのも大変なくらいの人出となります。 |
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清水坂を途中で右に入ると産寧坂に入ります。 三年坂とも呼ばれています。 昔、この左手に陶器のおさるを並べている店が有ったのですが、 今回はおさるを焼く窯がなくなったとかで、手に入れられませんでした。 古いお店が幾つかなくなってました。 産寧坂の謂れは幾つかあるようですが、一般には清水寺の 子安の塔に繋がる坂で、安産の坂ということから名付けられたと 言われています。 |
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産寧坂を下りて高台寺へ向かう道が二年坂です。 二寧坂ともいい、大同2年に出来たからという説と 産寧坂の下だから二寧坂と言う説が有るようです。 この辺りは古い町並みが残り、京の町屋を彷彿とさせて くれる場所です。 |
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産寧坂を下り、二年坂に入る手前を興正寺の方へ右折し、 お寺を過ぎたところに推理作家山村美沙さんの住居が有ります。 現在は山村紅葉が使っているようです。 流石流行作家の自宅だけに豪奢なものです。 |
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山村邸を突きあたると西村京太郎さんの住居に出ます。 山村邸とは隣同士です。 表札は「西村京太郎」なっていますが、玄関に空室ありとの 看板があり、本人が実際に利用しているのかどうかは不明です。 東山の閑静な住宅街で時刻表を眺めながら推理の構成を やっていたのでしょうかね。 |
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江戸末期、幕末の志士たちが祀られています。 | ||
西村邸の前の通りを北に進み、 長い坂を登りきると護国寺の鳥居にでます。 正面が護国神社、右手は幕末の志士達の墓所です。 |
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京都霊山(りょうぜん)護国神社は明治元年明治天皇の命により、 幕末に倒幕に関わった志士たちを祀るために建てられたものです。 また、鳥羽伏見の戦いで戦死した武士たちもここに葬られています。 |
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当然のことながら、ここには坂本竜馬と中岡慎太郎の墓もあります。 墓の傍には二人の銅像が建っています。 (画面にポインターを置くとご覧になれます) NHKのドラマのお陰か、供花が絶えないようです。 昔は何もなかったのに・・・・・ 下は高杉晋作の墓です(右端)。ここもなぜか高杉晋作のみ 供花されていました。 |
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さすが、明治政府に重用された桂小五郎(木戸孝允)の墓は 立派です。 この左隣には夫人となった祇園芸者の幾松(木戸松子)の 墓も有ります(ポインターを画面に置くとご覧いただけます)。 |
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墓所からは京都市内を一望できます。 正面の五重塔は八坂の塔です。 奥の山は京都西山です。 *ポインターを画面に置くと京都の北寄りをご覧いただけます。 その右手の緑の部分は京都御所です。 |
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護国神社から西に下り、霊山観音の入口脇からの 八坂の塔の眺めです。 この塔は法観寺の五重塔で祇園の塔として良く写真などで 出てきます。 間口の狭い京風住宅が並ぶ街並みと八坂の塔は京都らしい 風景を醸し出しています。 |
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戦場で亡くなった兵士と大戦での犠牲者を弔うために 昭和30年に建立された観音像で高さ24mあります。 鉄骨にコンクリート打ちの像で、東山界隈ではちょっと違和感も 有りますが、東山を背にして座る姿はそれなりの雰囲気を 出しています。 |
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高台寺は豊臣秀吉の菩提寺です。 | ||
高台寺は秀吉の夫人ねねが秀吉の菩提を弔うため1606年 開創した寺で、1624年建仁寺の三江和尚を開山として迎え、 高台寺と称するようになりました。 ねねの出家名高台院湖月尼から取られています。 写真は庫裏の入口です。 拝観はこの左手から入り庭内を一周する形になります。 家康が財政援助したことから、当時は壮大な寺観となったそうです。 |
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遺芳庵です。 灰屋紹益と吉野太夫が好んだ茶席で、高台寺を代表する茶席です。 |
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高台寺の方丈です。 |
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方丈の前庭と勅使門です。 遠景に霊山観音象が眺められます。 前庭はライトアップのために通常の状態とは異なり、 演出用の土盛りがされていました。 |
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右の庭園は小堀遠州作で国の史跡・名勝となっています。 左手廊下の茅葺屋根は堰月池に掛る観月台(重文)で その向こうは開山堂(重文)です。 一番奥の茅葺屋根は秀吉と寧々を祀る霊屋(おたまや・重文)です。 画面にぽいんたーを置くと庭園の中心に有る臥龍池をご覧頂けます。 幾らか紅葉をはじめたところです。 |
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霊屋です。重文です。 屋内の厨子には下の写真の秀吉とねねの像が祀られており、 ねねの像の下にはねねの遺骸が埋葬されています。 |
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茶室「傘亭」です。 伏見城から移築されたともいわれ千利休の作で秀吉が好んだ 茶室だそうです。重文に指定されています。 屋内の天井が唐傘状のため傘亭と呼ばれています。 隣には茶室「時雨亭」(下の写真)があります。 茶室には珍しい二階建てです。同じく重文に指定されています。 |
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高台寺から八坂神社の方向を眺めると祇園祭の鉾のような 建物が見られます。 これはホテルオークラなどを持つ大倉財閥の初代大倉喜八郎が 金閣、銀閣に対する銅閣として1928年に作った建物で、 祇園閣とよばれ、大雲院の中に有ります。 現在は一般には公開されていません。 国の有形文化財に指定されています。 |
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ここは東本願寺の廟です。 | ||
五条の「大谷さん」にたいして「東大谷」と呼ばれています。 浄土真宗大谷派の廟です。 表唐門(総門)です。 右手に有るのは太鼓堂です。 |
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本堂です。 本尊は阿弥陀如来の立像です。 |
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元は祇園社で京都での通称は「祇園さん」 | ||
八坂神社南鳥居と南楼門です。 ここからお参りする人はそれほど多くありませんが、こちらが正門です。 この鳥居は日本三大鳥居の一つで国指定の重要文化財です。 因みに他の二つは日光東照宮と鶴岡八幡の大鳥居です。 殆どの人は西楼からお参りします。 八坂神社の創祀は656年と云われます。 スサノオノミコト、櫛稲田姫の命、ヤハシラノミコガミが祀られています。 |
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本殿です。 「祇園さん」は丸山公園を背後にもち、春の桜の季節には 歩くのも大儀なほどの人出となります。 12月31日には「おけら参り」と言って、夜中にお参りし、 古式にのっとって灯された篝火から火縄(おけら火)に種火を移し この火でお雑煮を炊けば一年間無病息災で過ごせると 言われています。 大晦日深夜の四条通は火縄をくるくる回しながら歩く人で 埋まりました。 |
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八坂神社西楼門です。 四条通りの突き当りで、東山通りに面しているので、こちらからお参りする 人が殆どです。 画面にポインターを置くと西楼門から四条通の眺めをご覧頂けます。 |
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