|
元のページへ戻る |
首里城公園は復元された首里城とその周辺の守礼門、円鑑池、龍潭、円覚寺などを含む区域を指定します。 首里城は、琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人です。 琉球の島々を治め、中国、 日本、朝鮮、東南アジアの国々と 外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間でした。 琉球王国は1429年から1879年までの450年間存在した王制の国でした。 1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は1992年に沖縄本土復帰を記念して、国営公園として復元されたものです。 |
首里城公園は左図のごとく、 結構広い公園で、県立芸大の キャンパスにもなっています。 今回は時間の制限で、首里城内部 のみの参観で終わりました。 首里城については沖縄の風景で 詳細に掲載していますので、 下記ボタンからお入り頂けます。 ここでは前回掲載していない個所を 中心にしています。 2014年の首里城へは下記ボタンから |
首里城への入口でもある「歓会門」です。 歓会とは中国からの使者を歓迎する との意味から名付けられています。 元の門は1500年頃に作られ、1945年 沖縄戦で焼失し、1974年に再建されました。 |
|
二つ目の門、「瑞泉門」です。 すぐ脇の「龍樋(りゅうひ)」にちなんで 「立派な、めでたい泉」という意味の 「瑞泉」と名付けられたようです。 |
|
城の飲料水に使用されていた 「龍樋」です。 龍の口から湧水が湧き出していることから そのように名付けられたようです。 石彫刻の龍頭は1523年に中国から もたらされたもので。沖縄戦で一部が 破壊されましたが、その後補修され 元のこの場所に設置されたとのことです。 |
|
首里城は戦後再建されていますが、 一部には 昔のままの物も残さ手ています。 この石垣も昔の物で、そのまま残されて います。 |
|
瑞泉門を抜けると、「漏刻門」に出ます。 櫓の中の水時計で時間を計ったことから この名が付いたようです。 |
|
漏刻門を抜けると場内への入口である 「広福門」に出ますが、その前庭から 眺める公園の一部と市街地です。 正面の建物は県立芸術大学の キャンパスです。 |
|
同じ場所から眺める手前「久慶門」と 奥に那覇市街と那覇港方面です |
|
漏刻門を抜け出たところの前庭です。 右手には広福門があります。 現在はここからが有料地区で、券売所が あります。 左手は首里城の一部で北楼になります。 木質の城です。 |
|
前回来た時には雨でしたが、今回は 快晴の首里城です。 |
|
左手奥は「西のアザナ」と称する 標高約130mの城郭の西側に築かれた 物見台で、ここからは那覇の町や那覇港の 様子、そして遠く水平線上に慶良間諸島 などが展望できます。 今回は時間の関係で登のは割愛しました。 |
|
出口の一つ「淑順門」(右)と 「右掖門」(左奥)です。 |
|
右掖門を抜けるとこの水槽があります。 「寒水川樋川(すんがーひーじゃ)」で 龍樋と並んで城内の重要な水源だった そうです。 |
|
「久慶門」です。 | |
城内に昔からある「アカギ」と言う木です。 沖縄戦で焼かれてしまい、枯れた幹だけが 残りましたが、アコウが寄生し、この様な 緑豊かな木になっています。 元のアカギは下の方の枯れた幹です。 |
|
元通りに復元された城壁は 十分貫禄のある石垣です。 |
|
上の通路をまっすぐ来ると この「守礼門」へと出てきます。 今回の首里城散策もここまでです。 |
|
元のページへ戻る |