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琉球村は沖縄の文化、陶芸、自然を 凝縮した体験型テーマパークで 100〜200年前の古民家を沖縄各地 から移設し、昔の沖縄の村落の様子を 作り上げています。 現在ではほとんど見られなくなった沖縄 作りの民家が各種見られます。 ハブとマングース館ではハブの展示のみで 昔はハブとマングースの戦いを 見せてくれたのですが、現在ではハブを ガラスケースから出すことが許されず、 毒のない蛇で説明するのみとなっています。 ハブから作った薬や美容用品をPRする 場所でした。 村には8軒の古民家があり、いずれも 国の有形文化財に指定されています。 案内図の番号は古民家の名称です。 案内図下段をご覧ください。 |
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@仲宗根家旧居、 A国場家旧居(園内の案内板にはこの家は明示されていませんでした)、B玉那覇家旧居、 C花城家旧居 D西石垣家旧居、 E島袋家旧居、 F比嘉家旧居、 G大城家旧居 |
琉球村の入り口です。 建物内に入場券り場があり、 村への入り口が有ります。 入場料は1200円します。 その所為かどうか判りませんが、 土産物の購入や食事を摂るには 入場料はいりません。 |
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建物に入ったところにある シーサーと売店小屋です。 村に入らずとも、沖縄の雰囲気を 味わうだけなら十分でしょう。 |
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土産物屋さんもこんな屋台で 並んでいます。 沖縄の衣装を貸し出す店も あります。 |
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琉球村への入り口です。 建物は多分高床式倉で 倉庫でしょう。風通りの良い 作りになっています。 |
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沖縄の祭りの一つ、沖縄大綱引きで 使われる綱が展示されています。 |
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仲宗根家旧居の入り口です。 門を入ると目隠し用の石壁があります。 概ね沖縄の家の場合この方式が 多いようです。 この家は約180年前に建てられた もので、読谷村座喜味から移設 されています。 |
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母屋です。 台風が多いので、家は風通しが 良いように木の柱に木の板壁で 作られ、屋根は瓦が一枚一枚 漆喰で止められ、重量のある 屋根が木質の家を上から押さえて います。 |
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高床式の倉です。 |
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沖縄のT字路の突き当りや、 通りの曲がっている壁などに この様な「石敢當」と記した 石碑が立っています。 この石碑はシーサーなどと同様に 魔よけとされています。 沖縄の魔物「マジムン」は直進する 性質があり、突き当りのある家では マジムンが入ってきてしまうと 信じられています。 そのため、突き当りに「石敢當」の 石碑を立てて、マジムンの侵入を 防いでいます。 マジムンが石碑に当たると砕け散る とされています。 |
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シーサーは伝説の獣で 悪霊を追い払うと言われています。 そのため、沖縄では屋根の上や 門柱の上などにこのシーサーを 置く家が多いです。 エジプトのスフインクス、日本の狛犬、 中国の石獅子なども同じで 古代オリエントのライオン或いは犬と 考えられています。 沖縄でもこのように自宅の屋根に 置くようになったのは明治以降で それまでは村の入り口などに 置いたそうです。 |
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玉那覇家旧居です。 石垣が家に近く造られています。 防風などの意味もあるのでしょう。 |
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西石垣家住宅は国の無形文化財 ですが、イベント会場として 利用されています。 この日は歌謡ショーが行われて いました。 |
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沖縄らしく、三線(さんしん)と太鼓で 沖縄の民謡を歌っていました。 聴いているのは圧倒的に 中国人が多いでした。 |
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島袋家旧居です。豪農の家で 1861年羽地村源河(現名護市羽地) に建てられた家です。 1982年にここへ移築されました。 ここには高倉が有ります。 高倉は穀物の貯蔵倉で屋根は 茅葺になっています。高床式 倉とは少し異なります。 左手にやはり目隠し用の石版が 置かれていました。 |
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島袋家の居間で三線を練習 していました。拍手したら にっこりとしてくれました。 |
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敷地の外から見た高倉です。 ネズミが入らないように ネズミ返しも付いています。 穀物倉として利用されて いたようです。 画面にポインターを置くと 敷地内から見た高倉も ご覧いただけます。 |
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琉球村の中央広場にある池です。 多分、伝統的沖縄庭園の造りに なっているのでしょう。 この左手奥にハブセンターが あります。 |
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花城家旧居です。 久米島の仲里から移築された 家で、1897年に建てられ、 1983年に琉球村に移設された そうです。 昔は藍染を仕事にしていた家の ようです。 |
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沖縄陶芸の登り窯です。 | |
製糖工場です。 牛が回転することで中央の 絞り器がサトウキビを絞って 砂糖汁を作り、集めています。 これを加熱して黒糖を作って いたようです。 昔ながらの工法を演じています。 画面にポインターを置くと 絞っている全体をご覧いただけます。 |
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製糖工場の横にあった水車小屋です。 水をくみ上げるのではなく、 落ちる水で水車を回し、水車小屋で 臼と杵で穀物を潰していたのでしょう。 |
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