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沖縄県を南部、中部、北部に分けると正式には判りませんが、浦添市より南が南部地区、 宜野湾市から宜野座村辺りまでが中部地区、名護市より北が北部となるでしょう。 南部は一日目と二日目半日で回りました。 |
太平洋戦争の沖縄戦では最も激しい戦闘が行われたのが南部地区です。 旧海軍司令部跡は防空壕の中にあり、往時の姿を再現しています。 太田司令官が本部へ発信した「沖縄県民斯く戦えり」と言う電信原稿が 残されており、県民の犠牲の上に沖縄戦が継続できたことを示しています。 男性は勿論、女学生が看護師として戦線に引っ張り出され、多くの犠牲者を 出しました。南部地区にはそうした犠牲者を祀る慰霊碑があちこちに建てられています。 その中でも有名なのは「ひめゆりの塔」です。 ひめゆりの塔の近くには平和祈念公園があり、平和祈念堂や平和祈念資料館なども 有ります。 今回は空港から旧海軍司令部跡〜ひめゆりの塔〜平和祈念公園〜奥武島〜 斎場御嶽(せいふぁーうたき)〜知念岬〜那覇(沖縄ホテル)と回り、夕食を国際通り 近くのお店で摂りました。 南部海岸沿いを一回りしたことになります。 |
南部沖縄には天ぷら屋さんが けっこう沢山あります。 海産物の普通の天ぷらです。 ここは奥武島(おうじま)の 中本鮮魚店の営む天ぷら屋さんで 連日行列ができるそうです。 我々も天ぷらを買って食べました。 ポインターを画面に置くと お店の全景がご覧いただけます。 |
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奥武島の北側です。 右手は本島になります。 |
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砂浜が遊泳場になっています。 砂が細かく、水が綺麗でした。 |
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南城市知念にある がんじゅう駅・南城にいたシーサーです。 石造りですが愛嬌のある顔を しています。 ここに車を置いて斎場御嶽まで 歩いてゆきました。 |
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駐車場から徒歩8分位の場所に 斎場御嶽(セーファウタキ)が 有ります。 世界遺産に登録されています。 15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王 時代の御嶽であるとされています。 「せーふぁ」は「最高位」を意味し、 「斎場御嶽」は「最高の御嶽」との意味 となります。 御嶽とは、南西諸島に広く分布している 「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球開闢 伝説にもあらわれる、琉球王国最高の 聖地だそうです。 |
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御嶽の周辺部は沖縄戦でも 戦火を逃れ、自然の植物相が 残っている地域だそうです。 石灰石の岩が並んでおり、 何となく神聖さを感じさせます。 |
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鍾乳石(寄満:ユインチ)と もう一つの岩で三角の隙間が 作られています。 この三角の奥が三庫理(サングーイ) と呼ばれ、三つの拝所が 有ります。 |
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岩の間はご覧のように結構 広くなっています。 |
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鍾乳石からは今も水が滴り落ちて 下にある壺に溜まっています。 この水は聖水とされ左の壺は 「シキョダユルアマガヌピー」と称し、 右の壺は「アマダユルアシカヌピー」と 呼ぶそうです。詳しい意味は不詳です。 |
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御嶽(ウタキ)から眺めた 海岸です。 奥に見える島はクマカ島です。 斎場御嶽の詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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南東端にある知念岬公園です。 |
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石灰系の岩石が多いためか 海岸にある岩の下は波で 削られていました。 海岸線はサンゴ礁の様相を しています。 |
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公園内にある四阿とモニュメントです。 モニュメントには「宇宙軸より無限の 記憶」と記されていました。 ポインターを画面に置くと モニュメントの拡大図が ご覧いただけます。 |
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夕やみ迫る那覇市国際通りです。 沖縄随一の繁華街と言われます。 色々な店が並び、人通りも多いです。 ただ、車両の通行量は意外に少ない ようです。土曜日の為でしょうか。 |
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通りにはこんな大きなシーサーも 置かれています。 |
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テラスではイベントが行われる 様で、準備中でした。 |
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那覇市第一牧志公設市場です。 大きな公設市場で鮮魚、野菜、 果物、被服品、土産物などなど いろいろ販売していました。 この日はこの市場の中にある 食堂で夕食を摂りました。 |
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市場の中にある「次郎坊」という 沖縄料理の店で色々な沖縄料理を 食べました。どれも美味でした。 沖縄料理の数々は下のボタンから ご覧いただけます。 |
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翌朝はやや天候不良。 泊まったホテル「沖縄ホテル」の 入口ゲートです。 門の向こうが大通りです。 画面にポインターを置くと 門を入ってホテルの入り口までの 様子をご覧いただけます。 裏画面の左手が玄関です。 |
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那覇と言えば首里城跡でしょう。 50年前に訪れた時はまだ琉球大学の 校内で、この守礼門だけが残って いました。 その他の建物は殆どがその後 修復されたものです。 |
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この石門は琉球王府の時代から 残っているもので、世界遺産に 登録されています。 守礼門から本殿へ向かう途中に 有ります。 |
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本殿までには幾つかの門を 通り抜けてきますが、これが 最後から二つ目の門で 「漏刻門」と称します。 最後は広福門です。 石垣なども相当部分が修復 されたものです。 |
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本殿への入り口「奉神」門です。 開門は8時30分からで、開門に 先立ち開門の儀式が行われます。 右手に見えるのは首里森御嶽 (すいむいうたき)です。 礼拝所の一つですが、琉球最古の 歌謡集にも数多く読まれています。 神話では「神が作られて聖地である」 と記されているそうです。 |
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8時30分ちょうどにドラの音とともに 門が開かれます。 |
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奉神門を入ったところは前庭に なっています。 役人が整列するためでしょうか、 赤と白のラインが引かれたように なっています。 門への通りはなぜか少し斜めに なっています。直線ではありません。 |
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本堂内の玉座です。 | |
時間とともに人が増えてきます。 我々が見学を終えたころに中国人の 団体客が何グループも入ってきました。 この門は歓会門です。守礼門から 來るとこの門の前に出ます。 首里城の詳細は下記のボタンから お入り頂けます。 |
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首里城の後は「嘉数(かかず)高台 公園」を訪れ、高台から 普天間基地の状況を眺めました。 |
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生憎の雨で普天間米軍滑走路は 殆ど見通すことができませんでした。 滑走路の周辺はこのように多くの 民間人の建物が並んでいます。 以前に事故の有ったのもこの辺りの 様です。 ポインターを画面に置くと 公園にあった普天間基地の 航空写真をご覧いただけます。 |
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公園の周囲は立派なガジュマルで 取り囲まれていました。 |
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米軍嘉手納基地のそばを通り 読谷村から恩納村へ入ったところに 琉球村というテーマパークが有ります。 昔の沖縄の生活や文化の紹介を しています。 今回、沖縄を訪問して、50年前の 印象とはほとんど合致しない状態 でしたが、ここへきてやっと50年前の 沖縄を思い出すことが出来ました。 |
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島袋家の旧居を移築したものです。 がっちりした瓦屋根を木造の柱と 板壁が支えています。 風の通りはよく、台風などでも 倒壊しないように作られています。 奥に見えるのは高倉でコメなどの 貯蔵用です。 これと同じ倉を実家の工場の庭に 沖縄、奄美の人達が作ってくれました。 残念ながら吹替え用の藁がなく、 現在はありません。 琉球村の詳細は 下記ボタンからお入り頂けます。 |
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琉球村から辺野古方面へ向かう途中 恩納村にあった「水車屋」と言う店で 沖縄そばを食べました。これは野菜そば です。そーきと野菜、卵が一杯で ボリューム満点でした。 |
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お店はなんか面白いところで、 正面奥の両側に座敷が有り、 左手幕の奥はテーブル席で、 右手の奥にはテラス風?席も あります。 看板に「おんなのサカイ・・・?」と 有りますが、何のことかと問うと 「恩納と山田の境目に店があるから おんなのサカイ」なんだそうです。 亭主と雇のおばさん二人で 料理と配膳とショーをやってるので 少しこんだときはそばが出るまで 時間がかかります。 |
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水車屋の亭主です。 自分でバンジーブランコなるものを 作って、食事をした希望者に乗せて いるようです。 乗らない客には自分が乗って三線の 弾歌を披露してくれます。 このブランコをロープで10m位 引き上げて、ロープを解くと 一気にブランコが揺れると言う訳です。 チョット乗る気にはなれませんでした。 下図はブランコが揺れた状態です。 |
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辺野古の米軍基地です。 この辺の海は誠にきれいな海で 実際にここに立つと、この海を 埋め立てるんかと言う気になります。 政治とは別次元での気分です。 |
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米軍基地の横から辺野古湾を 眺めています。 前の建物は全て米軍の物です。 |
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基地の対岸から眺める辺野古湾です。 綺麗な砂浜が続いていました。 |
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