北海道の旅
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1963年7月29日から大学の同級生2人とリュックに寝袋
食料品に飯盒、ホエーブス持参で北海道を回りました。
京都から特急「白鳥」で青森に出て、青函連絡船で函館に
渡り、そこから西南北海道〜中央北海道〜東北海道と
貧乏旅行を続けました。
宿泊はキャンプ地が有ればテント、学生寮が有れば寮、
公的施設が有ればそこに泊るという旅です。ウトロでは
知床半島遊覧船に乗るため唯一旅館に泊まりました。
ただ、大雪山で雷雨に遭い、やむなく天人峡温泉に降りて
温泉で一泊しました。足元を雷が走るという貴重な経験を
しました。

切符は東北と同様、道内周遊券で有効期間は22日間。
列車、国鉄バス、国鉄系航路は全てこの券一枚でOKです。
準急、急行、特急には夫々の切符が必要となります。
現在ではすでに廃線となっている路線も多く、当時は国鉄で
結構回れたものです。

左図の緑丸はこの時に立ち寄った場所です。
当時はこのような周遊券でした。
22日間のフリー切符です。

右の路線図では帯広〜広尾、美幌〜
北見相生、標茶〜標津〜根室標津、
標津〜厚床(厚岸)の路線が明記されて
います。いずれも現在廃線となって
います。
友人の日記に基くと周遊ルートは
京都〜青森〜函館〜旭川〜勇駒別〜
上川〜層雲峡〜網走〜美幌〜和琴〜
摩周〜阿寒〜網走〜斜里〜ウトロ〜標茶
〜厚岸〜根室〜納沙布〜根室〜帯広〜
然別〜帯広〜広尾〜襟裳〜様似
〜苫小牧〜支笏〜千歳〜室蘭〜有珠〜
洞爺〜長万部〜余市〜余別(積丹半島)〜
日司〜札幌〜大沼〜函館〜青森〜
盛岡〜平泉〜仙台〜京都を22日間で
回っています。

その間でテントでの野営は層雲峡、網走、
和琴(屈斜路湖)、阿寒湖、然別、
様似、支笏、洞爺、日司(積丹半島)の
9日間でした。
函館から層雲峡までの間の写真が
見当たりません。
旭岳に登って雷雨に遭い、天人峡温泉
で宿泊後、上川から層雲峡へ入り
ました。

左は流星の滝。
右は銀河の滝です。

層雲峡は、北海道上川町にある峡谷
です。大雪山国立公園に位置し、
石狩川を挟み約24kmの断崖絶壁が
続いています。
層雲峡はこのような絶壁の続く
渓谷です。

層雲峡でもテントでの野営でした。
左は層雲峡を流れる石狩川です。

層雲峡から上川に出て、北見経由
網走駅に出ました。

右は網走駅に到着した時の
格好です。テントに食料を合わせ
約60キロの重さで、この後、
降ろした荷物を担ぐため、椅子に
キスリングを置いて担いだところ、
背負い紐を止めている鉄のリング
の溶接が外れてリングが壊れて
しまいました。
網走では公園の中でテントを張り
一泊しました。

網走から美幌経由屈斜路湖の和琴半島へ
でて、和琴でテント野営しました。

写真は屈斜路湖です。

8月5日の和琴半島から川湯温泉
までのバスの切符です。
140円でした。

このバスの路線は美幌〜和琴〜川湯〜
弟子屈〜阿寒湖です。
現在は北見〜釧路を「特急釧北号」が
走っています。
屈斜路湖から摩周湖へ向かう途中で
川湯硫黄山に寄りました。

この後バスで、摩周湖に出ました。
摩周湖は到着時は霧で全く
見通しがなく、真っ白な眺め
でしたが、数分後には霧が流れ
摩周湖が完全に見えました。

摩周湖からは阿寒湖へと向かいました。
弟子屈から阿寒湖へ向かう途中、
国道241号線沿いの双湖台から眺める
ペンケートです。
その向こうに少しだけパンケートも
見えています。

この後、阿寒湖畔でテントで野営しました。
阿寒湖から北見相生へ向う旧国道420号
にある釧北(せんぽく)峠から見る阿寒湖です。

現在はこの国道は廃止され、別ルートに
改修されており、この眺望は見られない
ようです。

釧北峠から北見相生駅(現在廃線)に
出て国鉄で美幌から網走経由、斜里に
出ました。

斜里駅からバスで知床半島のウトロへと
向いました。


ウトロの宿の領収書です。
1人700円でしたが、これでも
この頃は奮発した宿代です。

斜里経由知床半島のウトロまで
行きましたが、此処では船の時間の
関係で朝が早いので、旅館に
宿泊しました。

翌朝、遊覧船に乗り知床半島の
知床岬まで行きました。
途中で見えるカムイワッカの滝です。
オホーツクの荒波に洗われた
洞窟も並んでいます。
オホーツク海と知床半島の
眺めです。
ウトロから斜里に戻り、標茶では憲徳寺に
泊めてもらい、標茶から厚岸経由根室へ出て
花崎半島へ向かいました。

納沙布岬の標識です。
奥に見える岬が納沙布岬です。
根室から納沙布までのバスの
切符です。

鋏は国鉄根室駅と納沙布に入って
いますが、日付や上り下りには
鋏が入っておらず、往路か帰りかは
不明です。
納沙布埼灯台です。
納沙布から根室に戻り、根室の労働会館で
お世話になりました。

翌日、根室から一路帯広まで出て、バスで
然別湖に向かいました。
然別湖湖畔でのキャンプです。
ちょっと疲れが出てるかな。
然別湖から帯広に戻り、広尾線(廃線)で
広尾に出て、襟裳岬へ向いました。

襟裳岬は「何もない」夏でした。
この時にはまだ森進一の「襟裳岬」の歌も
有りません。
襟裳岬の西寄りにある様似海岸で
テントを張りました。

近くの子供たちが遊びに来てくれました。
髭のお兄さん、のっぽのお兄さん、
綺麗なお兄さんの三人組を訪ねてきて
呉れました。
撮影しているのが綺麗なお兄さん。
様似から苫小牧に出て、支笏湖へ向かい、
支笏湖でテント野営の後、千歳から室蘭経由
有珠山に登りました。

これは有珠山からの昭和新山の眺めです。
有珠山から眺める洞爺湖です。
洞爺湖でもテント野営しました。
薄らと羊蹄山が眺められます。
8月12日に洞爺湖温泉から
西湖畔までのバスの切符です。

西湖畔は有珠山の登り口にも
なりますので、この後に有珠山、
昭和新山へ登ったのかもしれません。

洞爺湖から長万部経由余市へ出ました。
余市から積丹半島へ向かう時のバス券です。

洞爺湖から長万部、倶知安経由、
余市に出て、友人の親戚に泊めて
貰いました。

翌日は上の切符の通り、余市の沢町から
余別にでて、神威岬に向かいました。

トンネルを抜けると神威岬が見えました。
右は拡大写真で、神威岬のカムイ岩が
見えています。

神威岬から積丹半島の日司(ひづか)へ
出てテントで野営後、日司から余市に戻り、
そのまま札幌へ出ました。
神威岬です。
ニセコ積丹小樽国定公園に属しています。
後ろの岩は神威岩です。





現在(2011年)の神威岩です。
1963年とほぼ変わりません。

札幌では北大の学生寮にお世話になり、
札幌市内も観光しました。
その時の写真が残っていません。

札幌から函館へ向かう途中に
大沼駅で途中下車して、大沼公園に
足を運びました。
後ろの山は駒ヶ岳です。





大沼から函館に向かいました。

函館のトラピスチヌ修道院を訪れました。
この頃は道路も舗装されておらず、
徒歩で修道院に向かいました。
正面に見えるのが修道院です。
左は修道院への道です。

右は修道院の建物です。






昼間と夜の函館山にも登りました。
下図上は函館山からの眺望です。
下図下は函館山からの夜景です。


函館からは青函連絡船で青森に出て、
盛岡で途中下車、岩手山を眺め、
平泉で一泊し、中尊寺にも立ち寄り、
仙台経由東京〜京都へ戻りました。

盛岡市内の公園から眺める岩手山です。
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