山形県の風景
山形県2
東北地方
日本の風景


2010年4月に山形の西側庄内地方へ行ってきました。
鶴岡市、酒田市を中心に回ってきました。桜も満開でした。

2015年11月に庄内地方の由良温泉と最上地方の銀山温泉へ
行きました。途中で最上川下りをして、酒田に出て昼食、その後、
銀山温泉へ向かいました。紅葉には少し遅い季節でした。
この時の写真は山形2よりお入り頂けます。。


山形県はその形状があたかも人が笑っているような形をしています。
県は四つの地域に分かれ北寄りに最上地区、日本海に沿って庄内地区、
東寄りに山形市を含む村上地区、南寄りに置賜地区があり、
その85%が山岳地帯で、耕作地は15%です。
芭蕉の句で有名な最上川は米沢市の近くから発し、村上地方、最上地方、庄内地方を
通って日本海に注いでいます。山形県内のみを流れる川です。川の全長から見て、
この距離で一県のみを流れているのは最上川のみです。
人口は約120万人強で村上地区で60万人弱、庄内地区が
30万人程度です。
山形と言えば「さくらんぼ」と「将棋の駒」ですが、「本間様には
及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われた本間家が酒田市に
あります。また、山形には全ての行政地区に温泉があります。
東北地方で桜の有名なところが多いですが、鶴岡市の鶴岡公園の桜も
東北五指に入ると思います。城下町の佇まいは酒田とは一味違います。

藤沢周平の作品にはふるさと鶴岡市の風景が出ているところが多く、
ゆかりの場所18個所に案内板が立っています。

JR鶴岡駅から南に向かうと鶴岡公園があります。
鶴岡城跡が公園になっています。
市役所の近くにあり、この近辺に色々な史跡や
役所が集中しています。

4月末の桜です。
城跡のお堀端に咲き揃う桜は見事でした。
ここの桜は「日本さくら名所100選」に選ばれています。

下記をクリックすると公園の様子をご覧頂けます。
大寶館はお城の本丸中門跡に建設されている、
擬洋風建築物です。
大正天皇の即位を記念して1915年に建てられた
ものです。
現在は郷土の人物資料館として利用されています。
高山樗牛をはじめ多くの文学者の資料が展示されて
います。入館は無料です。
鶴岡城址本丸跡に荘内神社が有ります。
鶴岡藩主であった酒井忠次、家次、忠勝、忠徳の4人が
祀られています。
神社内にある宝物殿には酒井家ゆかりの品が
展示されています。
公園の傍にある鶴岡カトリック教会です。
1903年に武家屋敷の跡地にたてられた教会で
国指定の重要文化財に指定されています。

右のガラス窓はステンドグラスではなく、
二枚のガラスの間に紙に描いた絵を
張り付けたもので、貼り絵と呼ばれ、
日本ではここでしかみられないものです。
教会内にある黒い聖母マリア像は1903年に
フランスから贈られたもので、
黒い顔の聖母は日本ではここだけにしかないそうです。
武家屋敷の跡地のため教会の入り口には
黒門が残されています。

黒門には「天主堂」の掛札が掛けられていました。
なんとなくミスマッチな気がしますが、意外に違和感が
有りませんでした。
鶴岡市内を内川が流れています。
正面の山は金峯山です。
赤い橋は「三雪橋」と呼ばれ、この橋から金峯山、月山、
鳥海山の雪山が眺められたため名付けられたそうです。
内川は鶴岡城の堀の役割も有ったようです。
川沿いにはずっと桜が植えられていました。

画面にポインターを置くと内川の別の画面が
ご覧頂けます。
内川に沿って丙申堂と無量光苑・釈迦堂があります。
これは鶴岡の豪商風間家の旧宅と別宅で明治29年と
明治43年に建てられ、当時の豪商の居宅の面影を
今に残す建物として国指定の重要文化財に
指定されています。

母屋の屋根は杉皮葺の上に約4万個の石を並べています。
20年に一回葺き直しを行うそうです。
その際に石はすべて洗うとのことです。

画面にポインターを置くと母屋の佇まいが
ご覧いただけます。

小座敷の内部です。
本間家には規模では及ばないものの、
造りはむしろ銀行家であった風間家の方が
品良く作られているようです。
風間家旧居のワンブロック北に別邸の無量光苑・釈迦堂が
有ります。お座敷にお釈迦さまを飾っていることから
釈迦堂と呼ばれているようです。
旧居に比べ小さい作りです。

画面にポインターを置くと
お座敷の釈迦像をご覧いただけます。
市役所の傍にある致道館です。

庄内藩9代目藩主酒井忠徳が1805年に建てた藩校です。

画面にポインターを置くと内部がご覧いただけます。

正面が講堂、右手は御入りの間です。
講堂は講義が行われた場所で、御入りの間は
藩主が聴講した場所だそうです。
講堂の側面です。
手前に石の並んでいるのは元の藩校の有った場所を
示しています。

画面にポインターを置くと講堂の正面がご覧いただけます。

致道館の扁額が上がっています。
日本でも珍しく藩校の状態が残されていることから
国指定の重要文化財に指定されています。
鶴岡公園の傍にある致道博物館です。

入り口すぐに有るのは鶴岡警察署庁舎で1884年に
建てられたものです。
昭和32年に現在の場所に移築されています。
これも国指定の重要文化財に指定されています。
建築は鶴岡市の大工棟梁高橋兼吉の手になるものです。
同じく高橋兼吉の手になる旧西田川郡役所庁舎です。

1880年の建設です。昭和42年に同じ敷地内に
移設されています。
明治天皇が鶴岡市に来た際の行在所になっています。
現在は郷土の展示館です。
同じく致道博物館に移設された旧渋谷家住宅
(田麦俣多層民家)です。

田麦俣は湯殿山麓の部落で豪雪地帯の民家の典型として
国指定の文化財に指定されています。
三階部分は養蚕用のスペースだったそうです。
1822年に建てられたもので、現地でも数少なくなり、
博物館に移設されたそうです。

画面にポインターを置くと
正面からの眺めをご覧いただけます。
博物館の中には国指定名勝の
酒井氏庭園もあります。
東北地方では珍しい書院庭園となっています。
鶴岡と言えば出羽三山でしょう。
月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山を一つにした
出羽三山神社合祭殿は羽黒山頂にあります。
羽黒山は標高414m。
車で頂上まで行けます。

画面にポインターを置くと
裏参道もご覧いただけます。
麓の入り口から頂上までの参道は約1.7km(2,446段)
有ります。
樹齢数百年の杉並木で、ミシュランの3星の点く景観です。

今回時間なく頂上付近の参道しか歩けませんでした。
国宝の五重塔も残念ながら見ることができませんでした。

画面にポインターを置くと
裏参道の杉並木をご覧いただけます。
三神合祭殿です。

山頂広場から合祭殿を眺めています。
合祭殿の前には鏡池があり、広場には北白川房子の句碑
のほか虚子親子三代の句碑なども並んでいます。
この時期広場は雪解けでびちょびちょでした。

画面にポインターを置くと
合祭殿の正面をご覧頂けます。
扁額は右から羽黒神社、月山神社、湯殿山神社の
三つの額が掛っています。

合祭殿の奥にある参集殿です。

手前に見えるのは鐘楼です。
4月末でもまだ雪が沢山残っていました。
右に少し見えるのは霊祭殿です。

画面にポインターを置くと
霊祭殿をご覧いただけます。
昭和58年に改築されています。


手前の社は蜂子神社です。

崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が1400年前に
出羽三山を開いたと言われています。
この蜂子皇子が祀られています。

奥は厳島神社です。
鶴岡市からの月山(1,984m)の眺めです。
出羽三山の主峰です。
右寄りは湯殿山です。

鶴岡の温泉の一つ湯野浜温泉の海岸です。

朝にうっすらと鳥海山が見えています。
海岸は長い砂浜になっており良質な海水浴場のようです。
酒田市
最上川の河口に位置する酒田市は江戸時代から港町として栄え、廻船問屋が軒を並べる町となり、
西の堺、東の酒田ともいわれるようになったようです。
有名なのは「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われるほどの栄華を極めた日本一の地主
本間家が有ったことです。人口は12万人、市内には庄内空港があります。
酒田市内を流れる新井田川から眺めた鳥海山(2,236m)です。

鳥海山は山形県と秋田県の県境にあります。
市内のあちこちから眺められますが、ここからの山容が一番でした。
JR酒田駅から5分ほどのところに本間美術館があります。

ここは本間家の別荘を美術館として公開しています。
庭園は「鶴舞園」と称し、建物は「清遠閣」と呼ばれます。
いずれも1813年に藩主酒井公を迎えるために
造られたものだそうです。
現在美術館は入り口の新館にまとめられ、本館は本間家由来の品が
展示されています。

画面ポインターを置くと庭園をご覧いただけます。
庭の向こうに見える屋根が新館です。
本館に付属して造られた茶室「六明廬」です。
泉流寺です。

藤原秀衡の妹徳が遺臣36名に守られて酒田に落ちのび、
出家した時に建てられた寺だそうです。
そのため「徳尼公廟」と呼ばれています。
この時の遺臣36名が地侍となり、廻船業を営み
酒田の基礎を作ったそうです。

画面にポインターを置くと
36人衆の碑をご覧いただけます。
本間家旧本亭の間口です。
中程に見えるのが正門です。

画面にポインターを置くと玄関口をご覧いただけます。
内部は写真撮影が禁止されています。
一般参観の入り口です。
左手が母屋になっています。

画面にポインターを置くと
母屋の一番奥のお座敷をご覧いただけます。
旧鐙屋の母屋です。

本間家と同様廻船問屋でその繁栄ぶりは井原西鶴の
「日本永代蔵」にも出ています。
酒田三十六人衆の一人池田惣左衛門が興しました。
この鐙屋は国指定史跡となっています。
屋根は風間家同様杉皮葺に石を並べています。
江戸時代士農工商の最下層商人は瓦屋根が
認められていなかった為だそうです。

画面にポインターを置くと屋内がご覧いただけます。
屋内は京都の土間作りと同じような細長い通り道が
あり、其れに沿って部屋が並んでいます。
酒田港の傍にある日和山公園の六角灯台です。

日本最古の木造灯台です。
明治29年の建造です。

画面にポインターを置くと
全景と酒田港の遠望をご覧いただけます。
日和山にある常夜灯です。

灯台ができるまで、江戸時代の廻船問屋達が共同で
夜の入港に便利なように建てたものだそうです。
日和山公園の広場には千石船が展示されています。
酒田の日枝神社です。

官幣大社の東京赤坂の日枝神社と同様に△帽の
付いた鳥居と本殿のおさるの彫刻があります。
日枝神社の随身門です。
神仏混合の時代を象徴する門です。
扁額は「至誠通神」で東郷平八郎の書です。
日枝神社の本殿です。

画面にポインターを置くと
梁を支えるのはおさるの彫像をご覧いただけます。
日枝神社を出たところに旧割烹小幡があります。

この建物は映画「おくりびと」の葬儀社の事務所として
ロケが行われ、有名になりました。
現在一般公開されています。
日枝神社の傍にある海向寺です。

このお寺には即身仏が二体あることで有名です。
写真左手の建物中に祀られています。
撮影は禁止されています。
相馬楼です。

江戸時代から廻船問屋の旦那方の遊びの場で、舞妓茶屋です。
国の登録文化財建造物に指定されています。

現在は一般公開しており、酒田舞妓の芸を見たり、
食事をしたりできます。
入場料がお茶券付きで千円。ちょっと高いかなぁという感じ。
JR東日本の宣伝スチールで有名になった山居(さんきょ)倉庫と
ケヤキ並木です。

倉庫はもともとは米倉庫で、現在も農産品倉庫として使われています。
1893年高橋兼吉の設計により建設されました。
庄内地震の折にも損害軽微だったそうです。
新井田川から眺めた山居倉庫です。
右に見える橋は山居橋。
左手の白い建物は東宮行啓記念館です。
右端の倉庫は資料館になっています。
酒田市内と鳥海山です。
山形県2 東北地方
 
                        
日本の風景