山形県の風景2
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由良温泉
由良温泉は山形県日本海側の庄内浜にある夕日が綺麗なことで有名な温泉です。
山形県は全ての市町村に温泉が有ります。ただ、新幹線は新庄~山形~福島の山形新幹線しか
有りません。従い、どの温泉もどちらかと言えばひなびた温泉と言えるかもしれません。
庄内浜の概観図です。鶴岡市の日本海沿いの一帯が庄内浜と
呼ばれています。あつみ温泉、由良温泉、湯野浜温泉が
この一帯に有ります。

由良温泉は夕日の綺麗な温泉として有名です。ただ、冬場は太陽が
南方向へ移るため、夕日の見える個所が限定されます。
今回は11月中旬で落日は見られませんでした。

この辺りでは「だだちゃ豆」が有名ですが、だだちゃとはお父さんの意味で
えらい人がまず食べる豆として、名付けられたようです。
(一説には、殿さまが献上された枝豆を「どこのだだちゃが作った物か?」と
聴いたことに由来するとも言われています)

今回は由良温泉から最上川下りをして、酒田の街で昼食を摂り、
その後、銀山温泉へ向かいました。

東京発10:16発の上越新幹線MAXトキ315号
に乗車。新潟へ向かいます。

高崎駅手前で鍋川を渡ります。
鍋川から見た妙義山です。
高崎駅を出てすぐの高崎市街の眺めです。
ちょっと変わった形の山が有ります。
名前はチョットわかりません。榛名山は
もう少し右手かな。
新潟で上越新幹線を降りて白新線・羽越線の
特急いなほ5号に乗り換えます。

新潟を出てすぐに阿賀野川を渡ります。
見える鉄橋は国道3号線の泰平橋です。

飛行機雲が3本、空に曲線を描いてました。
お昼は車内で駅弁です。
家内と違う弁当を買い、新潟米と村上牛を
楽しみました。

牛弁当は東京駅構内地下街の「今半」のが
小生にとってはベストかな。
新潟県の村上から山形県境あたりにかけ
笹川流れという国の名勝天然記念物に
指定されている地域が有ります。
その海岸の向かいに見えるのが粟島です。

画面にポインターを置くと
笹川流れの一部である「君戻し岩」を
ご覧いただけます。

源義経が笹川流れの大きな景色に気がつかず、
何気なく通り過ぎてしまった際に、義経の家来が
景色を見せようと呼び戻したことが名前の由来と
なっているそうです。
新潟からあつみ温泉まで乗車した
特急いなほ5号の車両です。
最近のJR特急はいろんなスタイルが有り、
乗客を喜ばせてくれます(鉄ちゃんだけかな)。
由良温泉の海岸線です。
この砂浜は日本渚100選に
選ばれています。

手前は白岩神社のある白岩。
奥の島は白山神社のある白山島です。
画面にポインターを置くと朝の白山島の
様子をご覧いただけます。

春から晩夏にかけては白山島の右側に
落日が見られるそうです。
11月から2月頃までは左の岬に隠れて
落日は見られないとの事です。

夏なら、このホテルの屋上露天風呂から
素晴らしい夕日が眺められたのでしょうが、
今回はだめでした。

ホテル「八乙女」の前にある白岩です。

この岩そのものが御神体とかで、
鳥居には白岩神社の名が記されています。

夜間にはホテルのサービスで、この岩の面に
花火や花の投影が有ります。

画面にポインターを置くと
映し出された絵がご覧いただけます。
白山島の手前から眺める庄内海浜公園です。
正面の高い建物はこの日宿泊した「八乙女」
です。
海岸を歩いていると、何隻もの漁船が
屯しており、町の人に聞いて見たら、
サケ漁をする漁船で、刺し網漁なので、
時間を決めて一斉に出かけるとの事。

刺し網漁では鮭の身体が痛むので、商品的
価値が落ちるため、卵を採るのが目的との事。

この辺りは鮭が生簀状態で生息しているらしく、
3か所の漁場があるとの話。

何でも聞いてみるもんだ。
島へ渡る橋の手前に乙女の像と錨の
モニュメントが置かれています。

1400年前に出羽三山を開いた蜂子皇子が
都を追われ、丹後由良からこの地に辿り
着いた折、八乙女浦で乙女たちが笛の音に
舞いながら皇子を迎えたとの伝説が有ります。
出迎えた八乙女の内、恵姫、美鳳の二人の
像を記念に建立したとの事です。
この八乙女の像は由良温泉のあちこちで
見掛けられます。

錨は1978年に世界初の波力発電装置
「海明」と海洋人工島「ポセイドン」の実験に
使用されたもので、海洋科学技術センター
から寄贈されたものです。
白山島と白山橋です。
島の上の方に見える屋根が白山神社です。
白山神社の参道石段です。約330段あります。
結構急な階段で登るのに大変です。
登りきったところにある拝殿です。
白山島は一周することができる道が
作られていますが、北寄りの部分が
土砂崩れで、通行禁止となっていました。

洞窟らしいところは幾つかありますが、
羽黒山に繋がる洞窟がどれかは
判りません。
雲間から夕日が海へ光を投げかけています。
ちょっと雲が多すぎるかな。

当日の夕食です。
左上はアワビの踊り焼き、その下赤ズワイガニが
一杯、その右に鯛の兜煮とその下に甘エビ、
左下に貝柱と海老とはまちの海鮮サラダ、
右はモズクと蛸しゃぶ、
その下フグのから揚げです。

年寄には結構品数も多く、まずまずの夕食
でした。

下の三枚はホテルの浴室です。

左は大浴場に敷設の露天ぶろ。
中は大浴場、正面奥に乙女の像が立っています。
大きな窓から海が一望できます。

右は屋上露天風呂です。眺望的には大浴場の
露天と変わりません。いずれも結構なお湯でした。
最上川下り
最上川下りは京都の保津峡下りや長野県の天竜下りなどに比べると穏やかな川下りとなります。
戸沢村古口にある戸沢藩船番所跡から乗船し、草薙温泉近くのリバーポートまで約1時間の船下りです。
お酒やつまみを持ち込んでの乗船者もおられます。雨の後は滝の数が増えるそうです。
由良温泉から最上川下りの出発点である
戸沢村古口へ行く途中に見られる
庄内平野です。白鳥が来ています。

このほとんどが戦前は本間家の所有地でした。
後ろに見える山々も同様です。

本間家は戦後の農地開放で、そのすべての
田畑を小作に供出しました。
占領軍のマッカーサーも酒田市を訪れ、
本間家に農地の開放を依頼したのだそうです。

山形県内でも白鳥の渡来するのは
この庄内平野の田畑に限られているそうです。
白鳥には夫々のテリトリーが有り、毎年帰って
来るとの事です。

最上地区へ入るともう白鳥は見られません。
酒田から清河八郎の生家である清川へ
出ました。左に流れる川は最上川、
右を走る鉄道はJR陸羽西線(奥の細道
最上川ライン)です。

清河八郎は幕末の勤皇攘夷の志士として
活躍し、34歳で暗殺されます。
清川は幕府よりの庄内藩と新政府軍の
激戦の地となっています。
清川から更に新庄寄りの戸沢村古口に
遺されている、戸沢藩船番所跡に作られた
最上川下り船乗り場です。

江戸時代にはここに番所が有り、
芭蕉もここで船を乗り換えて酒田まで
下ったのだそうです。
川下り船の内部です。
12月からは炬燵船になるそうですが、
11月ではテーブルだけです。

秋冬は屋根も付いており、船内は暖房も
されています。

のんびりとした川下りで、一杯やりながら
下るのが良いそうです。
山形名酒は「初孫」とか言ってました。
秋の色付きを残す川縁は風情が有ります。

くつわの滝です。

雨の後はこのような滝があちこちで出来る
そうです。岩山のため、雨水がそのまま
集まって落ちる為で、名前のない滝が
幾つもあるそうです。
鴨が泳いでいました。

この鴨は12月になると人家の多い側の
川縁に集まるそうです。

下りの右手は殆ど人家がなく、狩猟期には
鴨猟が許可されます。ただし、人家の多い
左手は禁猟となります。

鴨もこのへんをよく知っていて左岸に
集まるのだそうです。へぇ~です。
最上峡の景観です。
左手には国道と鉄道が走っています。
右手は現在ずっと人家は有りません。
途中に売店が有ります。休憩所です。
陸にはふるさと村が有り、4月から10月まで
レジャー施設となっています。
バーベキューなどが楽しめるそうです。
この日は既にクローズされていました。

ここは乗船してほぼ半ばあたりで、
ワンカップのお酒を飲む人が、丁度飲み終わり、
お替りの酒と肴が欲しいと感じる場所なのだ
そうです。

土地のおばさんたちが頑張っていました

当方はまだお酒も半分以上残っているので、
アユの塩焼きを1本買いました。

画面にポインターを置くと
アユの塩焼きをご覧いただけます。
焼き過ぎと、少し時間の経っていることで
味はまあ我慢のできる範囲でした。
この滝は「駒形の滝」と名付けられています。

瀧の左右にある丸い形の杉の木は
神代杉とよばれ、古代からの自生杉で、
この辺りにしか見られない杉だそうです。
「七滝」です。上の方には神代杉が
何本も生えています。
この滝は「大滝」と名付けられています。
最上峡で2番目に大きい滝だそうです。
川下りの右岸側は現在人家は全くありませんが、
昔は幾つかの村落が有ったようです。

此処もその一つで、いまだに家が残っています。
こちらに住む人は船がないと往来が出来ません。
その代わり、船での漁も可能でした。

画面にポインターを置くと
廃屋となった人家の様子もご覧いただけます。
仙人堂です。

このお社は安産の神様だそうですが、
船でないと渡れません。
我々の船はこの渡船会社とは別で
立ち寄りも出来ないそうです。

画面にポインターを置くと
対向する遊覧船がご覧いただけます。
戻り船で人は運んでいません。
最上峡で最大の「白糸の滝」です。
この滝を見る往復遊覧船も就航している
ようです。
他の滝も含め、晩秋になると、木の葉が落ち
瀧が見やすくなるそうです。夏場は殆ど
瀧が見えないとの事です。

瀧は殆どが下りの右岸にあります。
下流側の終着桟橋「最上リバーポート」です。
お土産屋さんが入っています。
最上リバーポートから酒田市へ向かう
途中の鳥海山の眺めです。
酒田市
最上川の河口に位置する酒田市は江戸時代から港町として栄え、廻船問屋が軒を並べる町となり、西の堺、東の酒田とも
いわれるようになったようです。有名なのは「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われるほどの栄華を極めた
日本一の地主本間家が有ったことです。人口は12万人、市内には庄内空港があります。詳細は山形県の風景酒田市をご覧ください。
庄内平野は風が強いので
風力発電も盛んに行われています。
本間家の手によって長い間維持されてきた
庄内平野です。
庄内米の産地で2泊ともご飯がおいしかったです。
酒田市内にある「山居倉庫」です。
詳しくは山形の風景の酒田市でご覧
頂けます。

建物は鶴岡出身の棟梁・高橋兼吉が
設計したものです。
1893年(明治26)に米穀取引所の
付属倉庫として当時の酒井家により
建てられました。
1894年(明治27)に起こった庄内地震
(マグニチュード7)でも損害軽微だった
そうです。

現在も当時のまま12棟が残っており、
JA庄内の管轄下で運用されています。

ケヤキ並木は倉庫の西側にあたり、
夏の西日、冬の強風を避け、倉庫内の
温度管理をするために植えられたもので、
現在も41本残っています。

「おしん」のロケやJR東日本のテレビ広告
などに利用された場所です。
倉庫の屋根は断熱を考慮して二重屋根に
なっています。
土蔵と屋根の間に空間を作り、風通しを良くし、
土蔵内の温度が上がらないように工夫されています。

画面にポインターを置くと
屋根の空間部分をご覧いただけます。
倉庫敷地内にある「三居稲荷神社」です。

元酒井家の太郎稲荷、徳川家の禎祥稲荷
および、元々あった山居稲荷の三社を合祀し、
三居稲荷神社と改名し、倉庫鎮守の神と
しています。

「小鵜飼船」です。
山居倉庫の敷地内に展示されています。

最上川船運において物資輸送のために
作られた船です。
最上川本流の輸送船は「艜船(ひらたぶね)」
と呼ばれる250俵積の船でしたが、
この船は支流や船着き場周辺の配送用に
使われたそうです。
50俵積の船です。
酒田市内にある日吉神社の参道です。

奥右手にある鈴政と言う寿司屋で
昼食を摂りました。
酒田市内でも有名なすし屋だそうです。

画面にポインターを置くと
お店の正面をご覧いただけます。
お昼の寿司定食(特上寿司)です。
赤海老の味噌椀が付きます。

量的にはちょっと少ないですが、とても美味で
夫々の種も申し分なしです。
鈴政と同じ通りにある「相馬楼」です。

江戸時代より料亭として開業していた店で、
庄内大震災(1894年)の後、残った蔵を中心に
建て直し、その後も、廻船問屋の旦那方の遊び場
として利用されていたのだそうです。

現在は登録文化財に指定されています。
内部は一般開放されていて、入場料を
支払えば見ることが出来ます。撮影は禁止です。
時間により、酒田舞妓の踊りも見せてくれます。

画面にポインターを置くと
2階の座敷の様子をご覧いただけます。
この日、踊りを見せてくれた舞妓(ここでは舞娘と
よんでいます)とお姐さん達です。

希望者は一緒に写真も撮ってくれます。
銀山温泉
NHKの朝ドラ「おしん」の舞台となったことで一躍脚光を浴び、全国的にその名を知られることになった温泉です。
おしんの母親が働いていた温泉で、ドラマのロケなども行われたようです。元々は銀鉱山が有り、寛永年間に鉱夫達
によって発見されたのだそうです。1913年の洪水で壊滅し、その後現在のような形になったようです。
酒田から銀山温泉に向かう途中にある
道の駅とざわです。

戸沢村には、韓国人妻が多く居住している
ことから、彼女たちの寂しさを紛らわせるため、
この様な建物になっているそうです。
彼女達が作る「戸澤流キムチ」も販売されて
います。韓国の歴史や文化についての
紹介コーナー「民族資料館」も設けられています。
銀山に着いたのは夕方4時過ぎ、でも、
この季節の銀山温泉はもう暮れていました。

今回宿泊した宿は「銀山荘」で温泉の入口に
あり、温泉街までは徒歩5分ほど掛かります。

画面にポインターを置くと
朝のホテルの様子をご覧いただけます。
銀山温泉街です。
大正時代の建物が残されており、
木造の3~5階建ての宿が並んでおり、
大正時代の雰囲気を残している街です。
同じく、銀山川に沿って並ぶ温泉宿です。

画面にポインターを置くと
同じような場所からの朝の風景を
ご覧いただけます。
左奥の建物は「能登屋」でおしんの母親が
働いていた旅館です。
テレビではここのおかみさんがおしんに
こけしを渡して、それを母親と思い頑張れと
言ったとか…

画面にポインターを置くと昼間の建物が
ご覧いただけます。
この日の夕食は会席膳でした。
左写真の上右は山形牛のステーキ、
上中、前菜(旬菜として合鴨燻製、銀杏串、
鰹クルミ、丸十煮(甘藷)、みずこぶ(みずの実)、
が盛られています。紅葉の葉も食べられました)
「みずこぶ」はこの地方特産の山菜・みずの実で
秋にこぶ状になった実を食べます。
ー画面にポインターを置くと拡大されますー
上左、海鮮(海老、貝柱、ムール貝)とすいとんの
味噌酒粕鍋、
下右、牡丹エビ、はまち、鮪の刺身。
下中、ウニと胡麻豆腐
下左、柿きぬたと黄菊の酢の物
ハート形になった赤いのは紫蘇の食前酒。
右写真の上右は銀鰈のパイ包焼きと芋煮
下右は鱧のすまし汁、左、庄内米(つや姫)ごはん。
他にかぼちゃのスープとブルーペリーの杏仁豆腐
が出ました。
朝は珍しく定食膳でした。
蓋付きのお皿は野菜と豚肉の煮ものです。
ご飯は銀山らしく、大根飯です。
ホテルの裏庭には銀山川が流れ、
左手にダムもあります。
朝の散歩?がてら、雨の中、温泉街と
銀鉱跡を巡ってきました。

温泉街の南端にある「はいからさん」です。
ここのカレーパンが有名だそうです。
更に南に行くと川の傍にお堂が建っています。
延命地蔵です。
その向こうに白金の滝が見えています。
延命地蔵の前にある飛び石で対岸に渡ると、
白金の滝が見えます。

画面にポインターを置くと
瀧の全景がご覧いただけます。
瀧の上に「滝の不動尊」が
祀られています。
瀧の不動尊から更に上に登ると
儀賀市郎左衛門の像が有ります。

しんどい思いをして、やっと登ったら
この有様でした。
雪対策でこの時期はテントで像が
包まれるのだそうです。ガッカリ。
これを、「そがき」と言うんだよ、とホテルの
お兄さんが教えてくれました。

画面にポインターを置くと
像の資料画面をご覧いただけます。

儀賀市郎左衛門は1457年にここ延沢銀山を
発見しました。市郎左衛門が出羽三山詣でに
この地を訪れたところ、霊夢に山の神の化身と
思われる1人の老人が立ち銀山のある場所を
告げたそうです。この銀山は戦国時代から
江戸時代にかけて、日本でも有数の銀山として
有名になったようです。
銀坑洞の出入口です。
この坑洞が最も長く、山の上まで
繋がっています。

他にも小さな坑洞があります。

画面にポインターを置くと
坑道の梯などの様子をご覧いただけます。
坑洞の内部です。
照明の関係で黄色っぽく映ります。
銀鉱石を掘った後が残されています。

画面にポインターを置くと別の坑洞の
内部もご覧いただけます。
坑洞を出ると「おもかげ園」と
呼ばれる庭園が有ります。

左手に坑洞の出入り口が有ります。
下る途中にある坑洞の一つですが、
「夏知らず」と名前が付いています。

恐らく内部は夏涼しく、冬暖かいと
言う事なのでしょうが、現在は入洞
禁止となっています。
夏知らずを通り抜けて、渓谷に出ると
石橋が有ります。

「河鹿橋」です。昭和初期に造られたものだ
そうです。
河鹿橋の傍に「斎藤茂吉」の歌碑が
建っています。

「蝉のこゑ ひびかふ ころに文殊谷
          吾もわたりて 古へおもほゆ」

と刻まれています。
茂吉の歌碑を抜け、反対の川岸を歩きます。

「長蛇渓」と呼ばれる景勝地です。
洗心峡と籟音(らいおん)の滝です。
白金の滝の上にある「せことい橋」です。
画面の右手から瀧になって落ちています。

左手には「竜潜窟」と呼ばれる洞穴が
あります。
画面にポインターを置くと洞穴を
ご覧いただけます。
温泉街を北寄りに通り抜けると
川沿いに「正楽寺」が有ります。
浄土真宗大谷派の寺院で、安養山正楽寺の
創建は天正年間(1573~1592)に建立
されたのが始まりとされます。

銀山の栄えていた江戸時代には銀山には
48ケ寺有ったそうですが、現在残る唯一の
寺院です。

画面にポインターを置くと
この寺院で急カーブする銀山川を
ご覧いただけます。
銀山温泉への入口、山形ミニ新幹線の駅、
大石田駅です。

奥羽本線の駅としては明治時代に
開業した駅です。
1999年、山形ミニ新幹線開業とともに
駅舎も新しくなり、新幹線・在来線共用駅と
なっています。

駅舎の上にある階段状の場所は夏の花火の
観覧席になるのだそうです。

画面にポインターを置くと入線する
山形新幹線「つばさ号」がご覧いただけます。
時間待ちの間に大石田駅近辺にある
乗松寺へ行ってみました。
涅槃像があると駅の案内に有りましたが、
本堂へ上がるのに一回りしなくてはならず、
時間の関係で入り口だけで失礼しました。

お寺の案内には「本堂・千手観音御参拝の方は
客殿玄関にお回りください」と書かれており、
涅槃像には触れていませんが、本堂にあると
思われます。
大石田の街はやはり雪深いのでしょう、
高床式の建物で、既に庭木は雪囲いが
されていました。こちらでは「そがき」と
云うのだそうです。

画面にポインターを置くと
街路に積雪でも通り道を確認できるように
竹の棒が各所に立てられているのを
ご覧いただけます。
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