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ヨルダンは西側がずっとイスラエルに接しており、パレスチナからの
流入人口が年々増え続けているそうです。特にアンマンが多く、
パレスチナ人の集落がどんどん増え続けているようです。
ヨルダン人は彼らが税金を納めるなら大目に見ようとしているようです。
異民族との国境を持たない日本人には理解のできない現象です。
アンマンはヨルダンの首都で人口は200万人。
標高850mの高さにある街で、7つの丘に跨った街となっています。
最近はパレスチナからの流入人口が増え、新たに8つ目の丘が
住宅街に開発されているようです。
アンマンでは石灰系の白い石が建設に使われ、街全体が白色で、
建物などもモダンなものが増え、美しい佇まいになっています。
そうした中にもローマ、ビザンチン、イスラムと各時代に破壊と再建が
繰り返された痕跡があちこちに残されています。
ヘラクレス 神殿 |
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市内の丘の上に残るヘラクレス神殿のコリント式 円柱の一部 |
ヘラクレス神殿の跡地からアンマン市内を眺望。 |
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神殿の丘 から眺めた アンマン 市内 |
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アンマン市内 右にはローマ劇場 左にはハシェミテ公園が見える。 |
アンマンの新市街区 パレスチナからの移住民 の家屋が主体とのこと |
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アンマン城 |
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ビザンツ教会跡 | ウマイヤド王宮跡(シダテル) | ||||
王宮への石敷き道路 | 左は王宮内部 右上は王宮から市内方向 右下はイスラム寺院跡 |
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ローマ劇場 | |||||
ローマ時代に建設された6000人収容の 野外劇場 169〜177年に建設されています。 |
野外劇場への入口 | ||||
下から眺めた野外劇場 | これも2世紀頃に建設された野外劇場オデオン 500人の収容と小型だが、現在も使われている。 |
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国立考古学 博物館 |
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国立考古学博物館の入口 | ヘラクレスの像の手の部分と言う | ||||
この博物館で有名な死海文書 | アインカザルの双頭の胸像と人物像 | ||||
街で | |||||
ツーリストボリスボックスにいた美人女性警官 | 王宮への入口 左奥が王宮 |
ハドリアヌス帝の来訪を記念して建造された ハドリアヌス凱旋門 現在修復工事中です。 以前は頭部の三角屋根はありませんでした。 |
凱旋門を入ってすぐ左手に競馬場が あります。 ローマ時代のものですが、 現在も催しに使われています。 |
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上記配置図7にある南門です。 | ゼウス神殿 修復中で中には入れません でした。 |
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南劇場(図10)紀元1世紀頃の建造で、3000人 収容できます。 |
劇場の椅子にはマークが彫りこまれ指定席に なっていたことを表しています。 |
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楕円広場(フォーラム;図8)の石畳と装飾柱 | 楕円広場の遠景 長さ90m、幅80mあります。 | ||||
南十字路(図14)への列柱通り | 左の柱列と右の柱列が交差しています。 | ||||
アルテミス神殿側面からの遠景 手前はセオドア教会跡(図16) |
アルテミス神殿 紀元2世紀頃の建設で 正面はコリント式石柱で飾られています。 |
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アルテミス神殿の内部状態 正面が神殿 |
ニンファエム(図23) 泉から引かれた水が ライオン像の口(現在はない)から溢れていた そうです。 |
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クセイルアムラはアンマンから東へ80`ほど行ったところにある、ウマイヤ王朝期に砂漠の 休養地として建てられたお城です。 城と言ってもこじんまりしたもので、浴室(熱い湯の部屋、いい加減の湯の部屋、ぬるい湯の部屋などが あります)と休憩室から成り立っています。この小さい城が世界遺産に指定されているのは、その浴室や 休憩室の壁面にあるフレスコ画によるものです。日本人にはいささか理解に苦しむ世界遺産指定ですが、 欧米人にとってはそれなりの価値を見出しているのでしょう。 |
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外見はほんとにかわいいお城です。(正面) | 裏側から見たところです。左の矢車は水汲み用 | ||||
休憩室の壁面には楽しい時間を過ごす 人たちが描かれています。(ちょっと見難いかな) |
浴室にはなぜか豊満な女性の絵が多いです。 | ||||
男性が集まる場所に美しい女性の絵です。 | 天井にもいろいろのフレスコ画が描かれています。 | ||||