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1948年2月4日に英国から英連邦王国の自治領セイロンとして独立。 1972年にはスリランカ共和国に改称し、1978年から現在の国名となっています。 首都はスリ・ジャヤフルダナブラ・コッテです。てっきりコロンボかと思っていました。 北海道よりやや小さい国土に約2千万人の人口を持っています。 スリランカと改称したバンダラナイケ首相は世界初の女性の首相でした。 彼女の名前はネコンボにあるコロンボ国際空港の名前として残されています。 公用語はシンハラ語とタミル語ですが、文字は丸文字の美しい形状をしています。 ශ්රී ලංකා ප්රජාතාන්ත්රික සමාජවාදී ජනරජය (シンハラ語)、 இலங்கை சனநாயக சோஷலிசக் குடியரசு(タミル語)での国名です。 こんな文字をよく覚えられるものだと思いますが、スリランカの識字率は92.5%で教育レベルの 高さを感じます。高校までが義務教育で大学は入学が非常に難しいそうです(入学率5%)。 教育は全て無償で行われています。医療も基本的に無料です。 宗教は仏教徒(上座部仏教:旧小乗仏教と称していましたが大乗に対する比較語と なるため上座部と改称されています)が70%強を占めており、ヒンズー教徒は13%弱、 イスラム教徒は9.7%、キリスト教徒は7%強となっています。 海沿いの漁民は不殺生戒の仏教の教えでは漁が出来ず、キリスト教徒が多いようです。 ネコンボからブッタラマへの国道沿いには数多くのキリスト像やマリア像が祀られていましたが、 こういう理由があったようです。 。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
ホテルの夜明けです。 ヤシの木の間から 朝日が昇ります。 12月でも気温は27度と 夏の気候です。 |
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ホテルの中庭です。 大きな木の実が出来ていました。 何の実かは不明でした。 飾柚子のような実でした。 |
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ホテルの裏はプライベートビーチに なっていました。 「ウニがあるけどどう」と 物売り風の人が寄ってきました。 初日でもあり敬遠しました。 でも、花の名前や建物の名前を 教えてくれました。日本語の達者な 人でした。 |
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ホテルの庭からコロンボの街が 見えました。 朝霧で見通しはよくありません。 コロンボはスリランカで最も大きな 都市です。 |
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ホテルの前の通りを散歩中に この家族から写真撮ってと 言われ、ホイホイと撮影したら、 「タバコない?、お金くれる」と 言われて初めて彼らの目的が 判りました。 「散歩中で何も持ってないの」と タダ撮りさせてもらいました。 ごめんなさい。 この男性のスタイルがスリランカの 衣装サロン、あるいはルンギーです。 奥さんは正式にはサリーとなります。 |
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ネコンボからブッタラマまでの 道路は幹線路として利用されて いますが、それほど渋滞もなく 走れます。 海岸沿いにあるキリスト教徒の墓地 です。 この地域は圧倒的にクリスチャンが 多いとの事です。 |
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学校の運動会が海べりの広場で 行われていました。 生徒さんの制服はスリランカ国内 どこもほぼ同じでした。 |
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ネコンボラグーンにある 漁港です。 小さい漁船が集結しています。 |
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漁港の傍にある市場です。 お魚をさばくところもありました。 画面にポインターを置くと さばいているところがご覧 頂けます。 |
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このようなマリアの像やキリスト像が 街道のあちこちに建てられいます。 ネコンボ州には漁師が多く、 キリスト教信者が一番多い地区だ そうです。 教会も沢山あります。 勿論仏教寺院やイスラム寺院、 ヒンズー寺院も散見されます。 |
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ブッタラマラグーンで漁をする 帆船です。幾艘も出ています。 投網の漁のようです。 |
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スリランカの乗り合いバスです。 インドに比べるとバスは綺麗です。 行き先は3つの言語で表記されて います。 台湾の地下鉄と同様です。 |
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アヌラーダプラに近づいてきました。 街の主たる交通手段は乗り合いバスと この三輪タクシーです。 この辺りでも時々右手のような マリア像が見受けられます。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
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アヌラーダプラは紀元前5世紀から紀元11世紀にわたりシンハラ人を主体とした 王朝の王都となっていました。1017年にインドタミールのチョーラ朝の侵入により 王朝が崩壊し、王都はボロンナルワに移り、チョーラ朝撃退後再び戻っています。 この地は仏教伝来地で仏教遺跡が多々残されています。 アヌラーダプラ、ボロンナルワ、キャンディの3都市を結ぶ三角地帯が 1982年に世界遺産登録されています。 |
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アヌラーダプラの遺跡の中で最も古いと言われるイスルムニア精舎は 紀元前3世紀に当時のテッサ王が仏教保護のために建立されたものだそうです。 御堂は岩をくりぬいて作られています。建立時から残されているものもありますが、 修復された個所も多いようです。 |
創設は仏教伝来時の紀元前3世紀です。 スリランカには岩山と結びついた寺院が 沢山ありますが、ここが発祥と言える ようです。 平坦な場所にある岩、あるいは岩山を 利用して聖域とするのが伝統と なっているのかもしれません。 岩や岩山の外観に極端な加工を施さず、 岩の自然さを残しています。 右の建物が最も古く、中央の建物から 岩の内部へ入れます。 右手には池が、左手には博物館が あります。 |
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岩の中の寺院には岩から彫り起こした 仏像などが並んでいます。 この涅槃像も岩から彫り出されています。 この涅槃は足の指がずれていて入滅を 表わす寝相だそうです。 足指が揃っている場合は寝釈迦と 呼ばれるようです。 画面にポインターを置くと 足指の部分をご覧いただけます。 |
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仏像の頭から出ている三色の 炎は「智慧」を表わしているそうです。 仏像の色鮮やかなのは塗り直しが 施されている為で、この塗り直しには 東京浅草寺が協力しているとの事でした。 |
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左は涅槃の反対側の壁に描かれた生活 と信仰の壁画群です。 右は岩窟の一番奥の情景です。釈迦の 説法場面でしょうか。 |
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本堂横から岩山へ登れます。 中ほどに涅槃像があり、 その横から正面の展望台まで 登れるようになっています。 |
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岩の上には涅槃像が置かれていました。 その前には佛足石が作られていました。 網の目に見えるのはこの上に金網が 架けられおり、その影です。石積では ありません。 |
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下から見た岩の頂上付近です。 |
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展望台にあがると寺院の西側には シッサウェア湖が広がっていました。 これは人造湖でスリランカ国内には 数多くの人造湖、人造池があります。 これらは灌漑用であり、年一回の 雨季の水を確保するためのものです。 これにより農業が盛んになっています。 湖畔に広がる緑地は王宮跡だそうです。 人造湖の多くにはその時代の王の 名前が付けられているそうです。 |
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アヌラーダプラ地区の眺望です。 奥の方にお堂の屋根も見えています。 市街地は画面遥か奥の方になります。 右手は精舎の入り口の門です。 門に至る道路の両側は池になって います。 手前の池はイスラムニア池と 呼ばれています。 いずれも人造池です。 |
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これは寺院内の博物館です。 展示物は下段のものです。 この周辺には王宮跡もあり、 色々な彫像が発掘されて いるようです。 |
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寺院周辺から発掘された石像類です。左:小人(6~8世紀)、中:同じく(6~8世紀)、右:中央に王の家族、左に水の精、右に祭神(いずれも6~8世紀) | |
左:石の王座(6~8世紀)、中:石のライオン(8~10世紀)、右:恋人たち(4~6世紀;グプタ様式の彫刻で男性はグプタ朝の王子らしいです) | |
寺院の中のイスルムニア池を北側から 眺めています。 正面のお堂が最も古いもので、 左手の白壁の建物が岩屋寺院への 入り口部です。 |
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池の傍に菩提樹が聳えていました。 この菩提樹も相当の年数が 経過しているようです。 |
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スリランカの寺院の入り口階段は 殆どこの形式です。 基盤に半月石板(ムーンストン)があり その周囲には動物などが彫られています。 階段の両脇にはガードストーンが 立っており、入り口を守っています。 丁度、仁王像が門を守るのと 同じ構図です。 石段にも達磨さんのような彫り物が 為されています。 どこの寺院でも構図は大同小異で 似たような階段があります。 参拝者がすべて素足又は靴下で 登壇しています。スリランカの寺院は どこも土足では入れません。 寺院の入り口で靴を脱ぎ、靴を預ける 場合は費用が掛かります。 |
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紀元前3世紀設立時代の 石枠のようです。 |
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岩にも彫刻がなされており、 これは最も古い彫刻のようです。 |
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池の傍の岩には象が彫られています。 2300年前の象の姿です。 画面にポインターを置くと 象の姿を拡大してご覧いただけます。 |
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アヌラーダプラにある スリー・マハー菩提樹です。 紀元前3世紀にアショーカ王の王妃 サンガミッタがブッダの菩提樹の 苗木をこの地に運び紀元前288年に 植樹されたと伝えられ、在世の最古の 樹木と言われています。 石門の向こうに見える木が菩提樹です。 |
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菩提樹の前に作られているお堂内部 です。 祈願のために供された仏像などが 並べられています。 ランの花が色々と献じられています。 |
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菩提樹です。 木の保護のため近くまでは 行くことができません。 土塀と柵で二重に囲われていました。 |
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菩提樹の前で祈りをささげる人たちが いました。 左は門扉に架かっているのは絵馬と 同じ意味合いの祈願用の布です。 右は法師が座り続けていました。 |
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左:御堂内の様子です。 右:出入り口から前方の眺めです。 |
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こちらの階段にもムーンストンと ガードストーンが有りました。 |
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菩提樹の近くにある遺跡で、 ブラゼンパレス(Brazen Palace) 真鍮精舎と呼ばれている寺院遺跡です。 建っている石柱は40本ⅹ40本の 1600本あります。 この石柱の上に堂が建てられており 高床式建築物になっていたようです。 僧坊は1千室以上あったらしいです。 建造は紀元前3~2世紀の頃で 仏像信仰以前の時代で仏像はなかった 様です。 |
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上の写真の右手方向です。 よくまあ、これだけの石柱を集めて 建てたものだと感心します。 |
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この遺跡地区の中に聳えるダーガバ (仏塔)がルワンウェリ・サーヤ大塔です。 紀元前2世紀にドゥッタガーマニー王 (King Dutugemunu)によって建設がスタート。世界に残る三大煉瓦建築のひとつに 数えられ、その中では最も小さく、 最も古いといわれていて、 塔の高さは100メートル、幅77メートル、 直径90メートルとなっています。 (スリランカ観光局資料) |
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大塔の周辺にも幾つもの石組みが 遺跡として保存されています。 |
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大塔には白衣の多くの参拝者が 見受けられます。 石畳にひれ伏す姿も見られます。 |
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尼僧がランの花を奉げていると その花を食べにおさるが集まって きます。 ハヌマンラングールと呼ばれる 木の葉や花を主食にするおさるです。 スリランカ灰色尾長ざるとも呼ばれて いるようです |
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おさるはランの花が大好きなようで、 献花された蘭の花を次から次へ 頬張っています。 画面にポインターを置くと 壁には別の種類のさるも来ているのが ご覧頂けます。 これは多分トクザルでしょう。 |
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横にあるお堂の外廊には 仏像が並んでおり、内部には 仏教的ではない飾りつけが 色々ありました。 |
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内部は仏教というよりヒンズー的 色彩の濃い飾りつけが されていました。 |
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廊下には仏像が並んでいます。 壁面は彩色された壁画で 飾られています。 |
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お昼はアヌラーダプラの市街地にある ホテルのレストランで摂りました。 今回は昼夜ともにホテルでの食事でした。 左:市街地にあるライオンの顔の門です。 テーマパークではなさそうでした。 右:街中にはいろいろな屋台が出ています。 |
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お昼はスリランカ料理のバイキング。 基本はカレーですが、それほど 辛いものではありません。 左:左からサラダ、ジャガイモ、ダルカレー 魚のフレーク風、茸のようなものの いためもの。 右:スチームライス、チキンの照り焼き、 チキンカレー、野菜のてんぷら風。 |
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アヌラーダプラの街中には 多くの学校がありました。 下校時間には生徒の波ができます。 スリランカでも親が校門まで迎えに 来ている姿が散見できます。 |
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遺跡群と街中の間にある アヌラーダプラ駅です。 街中には新アヌラーダプラ駅も あります。 |
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至る所に人造湖が作られています。 農民の生活の源になっています。 道路沿いには動物の生息地域も 含まれており、動物横断の標識が よく出てきます。 これは象の横断注意ですが、 他にワニなどもありました。 |
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シギリヤのホテルはリゾートホテルで 小屋が並んでいて、1戸が一部屋に なっていました。自然を感じるように 作られています。 |
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夕食はやはりバイキング。 昼よりは種類と肉類が多かったかな。 基本はカレーとナン。 カレーは鶏、マトン、ジャガイモ、豆。 いずれも味はまずまずかな。 ビールは地場のライオンビール。 それにスリランカのみにある? ジンジャービール(EGB)、アルコール分は ゼロでややジンジャーエールに近い飲物。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
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5世紀のシンハラ王朝カッサパ1世により建造された王宮跡を持つシギリヤロックで有名な街です。 カッサパ1世は477年に父親から王位を奪い、弟に王位を奪われることを恐れてアヌラーダプラを離れ、 シギリヤに遷都しました。王宮は484年岩山の頂上に5階建てで作られ、10年間居城となりましたが、 795年に弟軍に攻められ、カッサパ王は自害し、城は仏教僧に寄進されました。13~14世紀に 修道院として機能したものの、その後は森林に埋もれ、1875年にイギリス人により中腹の岩穴の フレスコ画(シギリヤ・レディ)が発見され、都市遺構の全容が再現されました。 シギリヤロックは岩の高さ195m(標高370m)で周囲が切り立った崖になっています。 |
シギリヤのホテルの中庭から眺める シギリアロックです。朝もやで ハッキリしませんが、ホテルでは この部分の立木を切り取ってロックが 見えるようにしていました。 |
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ホテルの朝です。 | |
シギリヤロックとシギリヤ水庫です。 シギリヤロックの頂上までは1,200段の 階段を上ることになります。 |
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遺構を巡る水路です。 ワニが住んでいました。 |
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遺構の内部です。 市街を形成していたようです。 建物の基礎が残されています。 |
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王の沐浴場です。 これ以外にも多くの池が 作られています。 沐浴以外の用途もあったのでしょう。 |
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象岩と八角池です。 沐浴用の池で八角形はゲンの良い 形なのだそうです。 |
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岩がアーチになった入り口です。 |
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こうした岩にはフレスコ画が 残っています。 ところどころに彩色の跡が 残されています。 美女画が多かったそうですが、 僧侶の中には修行に合わぬと 自ら消した者も居たそうです。 |
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岩肌の途中にある兵舎跡です。 2階建ての建物があったようです。 |
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更に岩肌を登ると螺旋階段があり、 岩穴に入れます。 まさにロッククライミングの感覚です。 穴は金網でふさがれています。 もともとは壁画は外に向かって 描かれていたのでしょうが、 保護のために遮蔽されています。 右下の壁は頂上への通路ですが、 卵白と蜂蜜で石灰石を練ったものを 塗り込んであり、日があたると光るので ミラーウオールと呼ばれています。 画面にポインターを置くと 通路の様子をご覧いただけます。 下の写真はその壁に書き込まれた シンハラ文字の詩600首の一部です。 大きな文字は落書きです。 |
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穴の中にフレスコ画が残されていました。 「シギリヤ・レディ」と呼ばれるものです。 色彩もまだ鮮やかに残されており、18体 が残されています。元は500体あったと 言われています。 下図もレディたちです。 一部ピントボケもありますが、 壁画の様子をご覧頂けると思います。 |
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シギリヤレディの岩屋から眺める 昔の街址(ancient city)です。 手前の岩は象岩です。 |
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シギリヤレディの場所から更に登ると ライオンテラスに出ます。 ライオンの足が彫られていて ここからが頂上へののぼりとなります。 現在は鉄製の階段がついていますが、 当初はどのようにして登ったのか、 資機材はどうして頂上へ上げたのか、 不思議に感じます。 画面にポインターを置くと 階段の状況がご覧いただけます。 |
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ロックの頂上からの眺望です。 正面に見えるのはシギリヤ水庫です。 |
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頂上にある沐浴場跡です。 現在も水があります。 |
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異母弟に追い詰められ、父を殺したことを 悔い、自ら死を求めた カッサバ1世の最後の場所です。 自死を認めない仏教ながら 寺院となっていたようです。 |
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シギリヤロックの見学後 ろーけつ染め工場も見学しました。 若いお嬢さんの工員が多いです。 |
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その作品の一部です。 展示販売していました。 |
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中華ランチと銘打った昼食は やっぱりスリランカ風ランチで魚のフライ とラムの煮込みともやし炒めが 中華と言えば中華かな。 アイスクリームは美味しかった。 バナナは10cm程の小さいものながら 味は良好。パパイヤとマンゴー、スイカは ほぼ毎食付いていました。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
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1017年にインド系のチョーラ王朝の支配拡大により、シンハラ王朝は王都をアヌラーダプラ からポロンナルワに遷都しました。1070年にはシンハラ王朝がチョーラ王朝を追放し、 バーフ一世がこの地帯の発展に努めたことにより、黄金時代を迎えます。然しながらその後 スリランカの王朝の衰退により、1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄しています。 ポロンナルワは現在北中部の第二の都市として清潔で美しい街とされています。 また、スリランカ随一の考古学史跡として維持されています。 |
シバ・デ-ワーラヤです。 内部にシバリンガ(シバ神の男根) が祀られていました。 シバ神を祀るヒンドゥ―教寺院が 残されているのは珍しいようです。 画面にポインターを置くと シバリンガをご覧いただけます。 |
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その向かいにあるワタダーゲです。 円形の四方に仏像が安置され、 元はドームの屋根の有った寺院です。 階段にはやはりガードストーンが あり、ムーンストーンが綺麗な寺院です。 |
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ワタダーゲの反対側には トゥーパーラーマ寺院があります。 建造物としてはこの地帯では最も 古い建物に属するようですが 比較的保存はよくされています。 |
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入口を入ると古い仏像が並んで います。係の人が明かりを消すと 僅かに残る金箔の跡が見え、 この仏像群がすべて金箔で包まれ、 宝石で飾られていたことを 表しています。 仏堂はこの明かり窓が2つのみ 作られており、堂内の神秘性を 考えたものでしょう。 |
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この地域にはこのような仏堂跡が 幾つも残っています。 其々に謂れがあるのですが、 ここは菩提寺跡のようです。 |
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ラター・マンタバヤ 一本一本の柱に彫刻が施され 他の石柱とは異なっています。 ニッサンカ・マーラ王の建てた 寺院跡です |
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アタダーゲ(Atadage:八宝の家)と 呼ばれています。仏歯を祀るため たった8日間で完成させた寺院で、 最初に仏歯を祀った寺院です。 |
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アタダーゲの真向かいにある ハタダーゲ(Hatadage:仏歯寺) です。こちらは60日間で 完成させました。 正面の立像は反対側の釈迦像と 正対しています。 画面にポインターを置くと 寺院の内部がご覧いただけます。 |
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サトゥマハル・プラサーダは 7段のピラミッド式の寺院です。 タイ人の手で建てられたもののようです。 現在入場はできません。 |
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ガルポタ(Gal-Pota)と呼ばれる 大理石で作られた石碑です。 幅1.5m、長さ9mあります。 スリランカの最初の頃の歴史が 書かれているようです。 |
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ランコトゥ・ヴィハーラです。 黄金仏塔と呼ばれていることから 判るように、表面は現在茶色ですが、 元は金箔で蔽われていたそうです。 黄金尖塔とも言われ、尖塔のみが 金色だと言う説もありますが、 よく判りません。 高さ55m、ボロンナルワでは最大の ダガーヴァです。スリランカでも4番目だ そうです。 |
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こうした宝塔もあちこちにあります。 僧侶の墓地となっていたようです。 |
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ランカティラカです。 ランカティラカは13世紀にパラークラマ・ バーフ3世によって建てられた寺院です。 この寺院の特徴は巨大さ。寺院の奥には 巨大な仏像があります。 頭は取れているにも関わらず、高さ13m という巨大さ。巨大な仏像を収める寺院は 高さ17.5m、幅18m、奥行きは52m という大きさです。 画面にポインターを置くと側面からの 建物がご覧いただけます。 側面には精緻な彫刻が施されています。 |
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仏像の頭部は落ちていますが、 その偉大さは十分伝わります。 建物全体が煉瓦で作られ、壁面も 分厚く作られています。 画面にポインターを置くと 側面の状況もご覧いただけます。 |
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キリ・ヴィハーラです。 キリとは乳白色の意味で 乳白色の寺院と言う訳です。 この漆喰は700年前の状態で 維持されているそうです。 |
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ガル・ヴィハーラです。 大きな一枚岩に彫られた三体の 仏陀(立像はアーナンダ)が 見られます。 中央部には深く掘られた岩穴に 二体の仏像が彫られてます。 右端が中央部ですがここが黒ずんで いるのは雨風の為で、 屋根のある部分は白い岩肌が 出ています。 |
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上の写真の右寄りです。 立像と涅槃像が彫られています。 ここも寺院と同じく靴のままでは 入場できません。 |
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左側の立像はアーナンダです。 高さが7mあります。 右側に釈迦の涅槃像があります。 いずれも岩目が綺麗に出た彫像です。 |
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中央部の岩穴に掘られている 仏像です。 |
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ホテルへの帰り道、湖の傍に 石仏像が建てられていました。 これは陸軍からの寄進だそうです。 |
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湖畔に野生の象が現れました。 夕食に出てきたようです。 草を食んでいました。他にも2~3頭 いました。 |
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チョット大きさが感じられませんが、 オオトカゲでした。6~70cmくらい ありました。 |
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ホテルでは民族楽器の演奏を していました。 |
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夜の食事はバイキングで 同じホテルなので、出来るだけ 前日とは異なる食材を 探してみました。 でも、基本はスリランカカレーです。 左:スチームライスとペンネに野菜カレー 茄子カレー、マトンカレー、串鶏カレー 右:小鯵の空揚げ、フルーツサラダ、 ダルカレーとナン、などなど。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
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ダンブッラはアヌラーダプラ、ポロンナルワとともに文化三角地帯と呼ばれる遺跡の多い地帯と なっています。ここには黄金寺院とも称される石窟寺院が遺されています。紀元前から近代まで 5つの部屋に分かれて作られています。1991年に世界遺産に登録されています。 |
シギリヤを出てA9道路をキャンディに 向って走るとA6道路との交差する 近くにこんな岩山が現れます。 どう見ても一枚岩の山に見えます。 |
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その山裾に現れるのが 金綺羅金の大仏様です。 黄金寺(Golden temple)の 表示がありました。 え~、こんなお寺?と思わせる 雰囲気です。 この仏像は台湾?から寄進された ものだそうです。30mの高さです。 中国本土からとの説もありますが 確認し忘れました。 建物は博物館になっています。 口をあけているのは龍で地獄を 表すそうです。 実はこのお寺の左側より 岩山に向かう道がついています。 博物館には石窟寺院の入場券で 無料で入れますが、今回は時間なく 外観だけ見ることになりました。 |
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傍にはやはり金綺羅金の塔があります。 |
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博物館の左側にある石窟寺院への 入口です。 |
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参道を登ると眼前の山はシギリヤとは 異なる雰囲気の岩山になっています。 さすが南国、1月でも色々な花が 咲いています。 この辺りまで10分ほど掛かります。 岩山の頂上は高さ150mほどで、 その中腹100mあたりに寺院があります。 途中から二股に分かれ、男坂、女坂と なります。 |
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岩山の中腹にお寺の入り口が ありました。 |
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門をくぐると岩の下部に伸びる 建物があります。 |
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まさに岩の中に入り込むように 建物が延びています。 建物は奥から第一窟→第五窟に なっており、第一窟が最も古い 時代のものです。 オーバーハングの岩の下に 造られている回廊は18世紀後半に キャンティ様式で作られています。 それまでは各寺院はそのまま 外部に向かっていたようです。 従い、回廊が作られる際に、 相当の修復が各寺院内で 行われたと推測されています。 |
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其々の寺院は独立していますが、 廊下で繋がっていたり、一旦外へ でないと次にいけないものが あります。 画面にポインターを置くと 回廊の様子がご覧いただけます。 |
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出入り口と言うか 各寺院の門と言うか。 其々に形状が違っています。 |
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内部の像は彩色されています。 カメラのフラッシュ能力が悪く、 余り綺麗に写っていません。 良いカメラが欲しいなんて思う時です。 第二窟の寝釈迦像です。 この涅槃像の足指はそろっています。 入滅でなく休息されているのです。 第一窟は涅槃像です。 |
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第二窟は5寺のうち最大で 幅52m、奥行き25m、高さ5mほど あります。 16体の立像と40体の坐像があります。 天井画も立派です。 周辺には地獄極楽図が描かれています。 |
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この像にはカーテンが付いています。 右掌が赤く塗られています。 この理由は幾つかあるそうですが、 シンハラ王朝のウイジャヤ王が スリランカに上陸した際、赤土でその手が 赤かったからとの事です。 涅槃の足裏の色も同じ理由のようです。 第一窟から第五窟までの内部の 様子は下記ラベルをクリックすると ご覧いただけます。 |
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石窟寺院前庭からの 下界の眺めです。 100mの高さからの眺望とは思えぬ 広々とした眺めです。 おさるは「トクサル」と呼ばれる スリランカ固有種のさるです。 サーヤ大塔にいたサルとは異種です。 こちらの方がスリランカでは一般に みられるさるです。 |
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博物館の右手には僧衣の仏陀の弟子 63人が行列を作っています。 |
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山裾の景観です。花一杯です。 金のライオンが横たわっています。 |
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紫のランのような花木です。 リステーニアと言う名だと教えてくれました。 画面にポインターを置くと 花の拡大写真がご覧いただけます。 |
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道路沿いの屋台で売っている 赤バナナと黄金ヤシです。 ヤシの汁を飲みましたが、 まあまあの味でした。一人で一個は とても飲みきれません。 一個50ルピー(約45円)でした。 スリランカにはヤシとバナナだけでも 何十種類もあるそうです。 |
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途中でハーブ園に立ち寄り、 昼食を摂りました。 ハーブ園では薬用ハーブの紹介が ありましたが、ふんふんと聞くだけで 失礼しました。 食事はバイキングでやや薄味でした。 手前左にナン、奥にタンドリーチキン、 その手前はスチームライス。一番手前は 野菜カレー。飲物はジンジャービール。 |
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キャンディへ向かう道路で 婦人警官に遇いました。 なかなかの美形の警官でした。 以前、シリアで遇った婦人警官も 非常な美形でしたが、発展途上の 国々では婦人警官は高級官僚なのかも しれません。 |
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街道筋のお店屋さんです。 おじさんがミシンで縫物を していました。 |
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雑貨店の前で女学生や小学生が 何かを待っていました。 スクールバスでも来るのでしょうか。 |
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街道筋にあったお寺です。 壁には象の絵が並び、 門の上には龍(多分)の顔が 飾られています。 入口の遥か奥に(門の真上)に 本堂が見えます。 |
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キャンディ市内に入る手前で 宝石店によりました。 宝石には興味がないので、 店の周りをうろうろしました。 店の前に1834年創設の教会 Church of St.John が建っていました。 コロンボに近ずくと教会も散見される 様になりました。 ブッタラマ以降はあまりキリスト教会には お目に掛かれず、街道筋には 仏教寺院かヒンズー寺院のみでした。 |
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スリランカにはほとんど信号機が ありません。英国流と言うのか ロータリー方式が主流で、中には こんな立派な時計台がある ローターりもあります。 |
ネコンボ | アヌラーダプラ | シギリア | ボロンナルワ | タンブラ | キャンディ |
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キャンディはシンハラ人のキャンディ王国(1469~1815年)最後の都だったところで、シンハラ語の 「カンダ」から来ているようです。英国人がこの地に来た際、シンハラ語の地名が発音しにくく 英語読みの「キャンディ」としたそうです。元の意味は山を意味しており、標高465mの山間の町と なっています。1983年に世界遺産に登録されています。 メインは仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)と王宮建造物及びキャンディ湖が遺産に含まれています。 市の人口は約12万人でコロンボに次ぐ都市となっています。 |
キャンディの市街地です。 | |
キャンディ湖です。 19世紀初めに造られた人造湖です。 真ん中に中之島があり、 宮殿からこの島まで地下道が 繋がっていて、この島は 王のハーレムになっていたとの 事です。 |
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湖畔の駐車場から 仏歯寺に向かいます。 参道沿いには 国立博物館や、文化センターなどが 並んでいます。 |
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仏歯寺です。 左手の茶色い屋根の下が 本堂になります。 正面は新聖堂です。 創建は1603年ですが、以降 何度も増築、改築されているそうです。 見た目にはごく新しい寺院に見えます。 |
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1803年に造られた八角堂です。 元は王の休憩所だったそうですが、 現在は経典の図書館になっています。 八角形はシンハラの特徴だそうです。 |
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本堂の正面です。 この部分は1階にあり、毎日の礼拝 (プージャ)時には(朝、昼、夕の3回) この前で導師が笛と太鼓で 礼拝を知らせるそうです。 我々は時間外で見ること叶わずでした。 仏歯寺の内部は下記のボタンから お入り頂けます。 |
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仏歯寺の裏手には王宮跡があります。 現在は一般公開されていますが、 我々は入場機会なしでした。 茶色い屋根の部分が王宮跡です。 白い部分は世界仏教博物館です。 |
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国際仏教博物館(The Museum of World Buddhism)です。 日本からは本願寺が代表して ここに日本館を開設しています。 |
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東本願寺から寄贈された 鐘楼と鐘です。 |
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仏歯寺の周囲には掘割があります。 寺院の入口はこの濠を渡って行きます。 |
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寺院周辺には供養の用品が 売られています。 従業員は全て白衣着用です。 |
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キャンディ湖の眺めです。 カワウがとまっていました。 |
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キャンディ湖畔にある キャンディ文化センターで キャンディダンスを見ました。 観光客専用の劇場のようです。 |
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男も女もどちらかと言えば ぽっちゃり型のスタイルで お腹がぷっくりと言うひとたちの 踊りです。 |
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ここの売りはダンス終了後に 火炎ショーをやることのようです。 火の上を歩いたり、口から火炎を 噴き出したりとまあありきたりの ショーですが、観客をじっくり 観察できるのが面白かったです。 殆どが欧米系と中国系の観光客でした。 |
キャンディのホテルは山の上にある 「アマヤヒルズ」でした。高地で更に 高い場所でさすが寒かったです。 ここもバイキングですが、オードブルの 種類が多く、左は全てオードブルです。 スープは濃いポタージュでこれも美味。 |
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ホテルの朝まだ7時前なのに、 結婚式に参加する人たちが 集まってきていました。 この日は日曜日で更に日柄が良いのか 街中でも多くの結婚式らしいグループを 見掛けました。 男性の衣装はスリランカの王様の 衣装で正装だそうです。 大人も子供も皆同じ服装でした。 |
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新郎と新婦、残念ながら少し ピンボケとなりましたが、 新郎の正装の中でも帽子の色が 一般の人とは異なります。 女性はこれが正装なのでしょう。 なかなかのカップルでした。 |
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下の階でも花嫁と家族が 写真撮影していました。 画面にポインターを置くと 母親と子供たちの姿が ご覧いただけます。 |
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左手はホテルのロビー部分です。 右手奥にレストランがあります。 ここからの眺めが良いので 朝食前の人が集まってきます。 |
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ホテルからの眺望です。 ほんとに山の中の街です。 |
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フロントに王様が立っていました。 | |
空港への途中でお茶の工場へ 立ち寄りました。 1903年創設の会社でした。 高級茶の試飲も出来ました。 画面にポインターを置くと この工場のお茶畑をご覧いただけます。 |
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スリランカではヤシのプランテーション、 バナナのプランテーションなど、 個人が所有するプランテーションが 多いそうです。 |
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バンダラナイケ国際空港です。 |
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