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中国へ 蘇州ー2- |
今回は蘇州~無錫を巡りました。 |
江蘇省は上海市の西北寄りに 広がる沿海の省で中国でも富裕な 地域です。 |
江蘇省は今までにも何度も訪れた場所ですが、今回のホンの僅かな地区を訪れただけで、
その変化の激しさに目をみはるばかりでした。まるで全く新しい場所に立ったような気がします。
その中で、多くの庭園は何とか昔の姿を留めていましたが・・・。
最初にこの地を訪れたのは1968年。
前回訪れたのは1998年。この30年間の変化はさほど感じませんでした。
今回は2011年6月に団体ツアーで訪れました。
2000年からの10年余の時間は中国江南の地を様変わりさせたようです。
まず、最大の変化は農村地区にもビル群が林立していること。車が増加していること。そして、
訪問者の大半が現地人であること。その服装が洒落たものに変わっていること。
その行動も落ち着いてきていること。我先に突進する姿は少なくなりました。ただ、声の大きさは
何年たっても変わらないのでしょうかねぇ。
我々の今回の旅費は6泊7日で29,900円でした(もちろん往復の航空運賃もコミです)。
中国人より貧乏旅行しているようです。でも、ホテルは5★、全食付きも決してひどい食事では
なかったし、観光ルートもそれなりに満足でした。どんな計算になってるのかなぁ。
2019年9月に大学の同級生5名で、再び蘇州を訪れました。時間の関係で寒山寺と留園のみを
周ってきました。
蘇州は古い都、庭園と古刹の街です。ここも工業区が 進出して、旧市街と新市街を構成していました。 |
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蘇州と言えば寒山寺。 寒山とは山ではなく人の名前です。 寒山拾得の兄弟が開祖となった お寺です。 記念撮影の現地人も小ざっぱりした格好を しています。 |
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寒山寺の山門です。 出入りしているのは殆どが現地の人達でした。 |
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本堂(大雄寶殿)は昔のままの姿でした。 色は綺麗になっていました。 |
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左は寒山と拾得の彫り込まれた石碑です。 右は大雄寶殿の本尊、釈迦牟尼仏です。 蘇州に多い楠の一刀彫になっています。 寒山寺の建物は何度も火災で焼失し、 現在の一番古い建物は清朝末期の1906年に 再建されたものです。 |
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左は鐘楼と聴鐘石です。 「夜半の鐘声客船に至る」で有名な寒山寺の鐘は この中にあります。 鐘を打つには15元が必要です。 聴鐘石は耳の形をしています。 右は普明寶塔です。 1995年に建造されています。 |
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石碑の並んだ廊下が新設されていました。 多くの有名な書家の碑がありました。 寒山寺で有名なのは「月落烏啼霜萬天」の 張継の碑ですが、これはとっくに無くなり、 手直しした兪越の碑すらボロボロになっており、 その代わりに新しい石碑が色々並んでいます。 ちなみに兪越の碑の拓本は持ってます。 |
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蘇州の四名庭園の一つ、留園です。 世界遺産にも登録されています。 この石は留園の庭にある太湖石の「冠雲峰」。 留園は蘇州の庭園で2番目に大きく面積約2ha あります。 その広さを更に大きく見せるための方策が 色々と取られています。 ちなみに蘇州四名園は拙政園、留園、獅子林、滄浪亭の 4園です。 また、中国4名園は北京頤和園、承徳避暑山荘、 拙政園と留園です。 |
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廊下を曲りくねって作り、 その角ごとに中庭を作っています。 |
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太湖石を組み合わせて作った石庭です。 蘇州でも大きな石庭に入りますが、 最大は「獅子林」の石庭です。 |
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廊下には飾りのついた窓が埋められています。 この模様は全て異なった模様になっています。 |
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観光客用に古代衣装を着けた女性が船上で 琵琶を奏でていました。 昔の中国のお金持ちはこうした遊びをしていた のでしょうね。 |
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室内には往時の家具が並べてあります。 黒壇、紫檀、花梨などの家具が沢山あります。 贅沢な作りになっています。 屋内の調度品が多いのは「拙政園」などですが、 留園も負けてはいません。 |
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奥行きを感じさせる手法が採られています。 手前右にも中庭があり、明るさと暗さを上手く 調和させています。 |
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園の中央部には明瑟楼と涵碧山房が 立っています。 |
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その手前にあるのは濠濮亭です。 右中央にある印月でいつも池の面に月が 出ているように見えるそうです。 |
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子供連れの家族が来ていました。 昔はこうした場所で子供を見かけることは 有りませんでした。 |
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留園の前の通りは昔ながらの楠の並木道で 蘇州らしい街並みでした。 |
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夕闇せまる蘇州郊外からの虎丘雲崗寺斜塔の眺め。 塔は961年の建立。 右に傾いており、塔屋の部分は後からバランスを 取るために修理されてこの部分のみはまっすぐに なっています。 |
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蘇州平江歴史地区と銘打った通りが2007年に 観光化されていました。 昔は何の変哲もない田舎の街通りが 洒落たお店もある街に変貌していました。 経済発展とともにまちづくり的な感覚での 観光客呼び込みのための施策がなされている ようです。 |
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石畳の通りは1km以上も続いているようです。 京都の古家の再開発を思わせます。 |
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川と楠の並木と白壁の古家のバランスが とても素晴らしい町並みです。 |
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観光客が来ようが来よまいが、地元の住人にとっては 大したことではなさそう。 木陰でのおしゃべりが尽きそうにないようです。 画面にポインターを置くと最初に居た男どもが ご覧頂けます。男どもは女性軍に追い払われて しまったようです。 |
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多分観光船なのでしょう。 お客は乗っていませんが、水郷の雰囲気を味わう 人達もいるのでしょう。 蘇州は運河の街で街中に運河が張り巡らされていて 昔は船が重要な交通手段であったと思われます。 |
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蘇州市内の山塘街と呼ばれるところで 夜市が開かれています。 屋台ではなくお店が並んでおり、 色々な出し物や、舟での運河クルーズなどが 行われています。 この夜の街に入るのには入場料が必要なのです。 |
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夜の街は人通りが少ないですが、 ひとたび観光団が入ると この通りは人で溢れます。 我々はたまたま料金も支払うこと無く街中に もぐりこみましたが、旗を先頭にしたグループは 必ずチケットを買わされるとのことでした。 |
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観光客用に舞台も設えてあります。 | |
長江にダムを作って発電している江南地区では 節電は必要ないのでしょう。 昔に比べると夜が格段に明るくなりました。 |
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蘇州料理です。 特に珍しい料理はありませんが、 楕円形の皿は蘇州名物の「松鼠桂魚」です。 お椀のような器に入っているのは「紅焼肉」。 この後にも3品程の追加料理も出ました。 旅行費用から考えると十分すぎる夕食です。 |
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「無錫旅情」で一躍有名になった無錫です。 元の名前は有錫。掘りつくして錫が無くなったので無錫になりました。 太湖の畔にあり、石灰質の太湖石の産出で有名です。 大運河が街を流れ、過っては物資の集積場所としても栄えました。 |
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無錫の街です。 昔はさほど大きくもない地方都市でしたが、 海外企業の進出が増え大都市的様相も出て来ました。 住む人にとっては今の状態が望ましいのでしょうが 旅人にとっては昔の佇まいが懐かしいです。 |
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太湖の大きさは琵琶湖の3.3倍。 それでも中国では三番目の大きさです。 その北よりのすっぽんの頭状に突き出た部分を 黿頭渚(げんとうしょ)とよび、公園になっています。 元は金持ちの別荘でここからの太湖の眺めは 最高なのだそうです。 |
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黿頭渚からの太湖の眺めです。 島は仙島です。 無錫旅情の歌詞の中で「三山」と呼ばれています。 少し見難いですが、島には塔が建っています。 うす曇りの風景は晴れの景観より優れていると 云われていますが、写真にすると「ちょっと・・」です。 画面にポインターを置くと別の景観をご覧頂けます。 目線を広げると眺めも少し変ります。 |
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黿頭渚公園の入口の門です。 右は入ってすぐのところにある太湖別荘への入口です。 一般客が入れるかどうかは判りませんでした。 |
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黿頭渚への入口には新中国建国時の副総理郭沫若の 書が掲額として掛っていました。 「太湖佳絶處」と書かれています。 太湖その絶景なる場所と言ったところでしょうか。 |
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太湖の中に池を作り堤を歩くように出来ています。 太湖は元は海でした。 長い年月で淡水化しましたが未だに海の魚が生息 しています。 白魚は無錫の名物料理になっています。 最近は上海ガニも太湖で養殖されています。 |
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蓮池です。 |
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太湖石を使った庭作りがなされています。 この石はなんとなく男女二人が語り合っているようにも 見えませんか… |
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太湖石はこの近辺で産出される石灰石を 長年にわたり湖の中に沈めておき、自然の流れで 作り上げるものだそうです。 この石は「古雲石」と名付けられています。 |
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無錫「三国城」は太湖畔に作られた映画のセットを そのまま残し観光用に開放した場所です。 このセットは「レッドクリフ」に利用され、 赤壁の戦いの場面はここで撮影されました。 実際に燃やされた船は70艙にものぼり、数隻は 残されたそうです。 |
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劉備に味方した孫権の基地です。 呉の旗が翻る簸っています。 この船と同じ様な船を70隻戦闘場面で実際に燃やした そうです。 |
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呉軍(孫権、周瑜)の拠点で周瑜と諸葛亮が智慧を 巡らせたと言われます。 |
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船から眺めた「鹿頂山」と頂上にある舒天閣です。 鹿頂山は黿頭渚の東にある標高95mの山です。 |
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三国城の隣にある「統一嘉園」の遠景です。 この風景区は台湾の統一集団が両岸(大陸と台湾)の 平和と統一を願って造営したものだそうです。 |
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統一嘉園の内部です。 | |
三国城の母屋「呉王宮」です。 現在は内部でショーを見せたり、中国四大美女の 姿をした女性との合影をさせる場所になっています。 画面にポインターを置くと映画でもしばしば出た 王宮へのアプローチをご覧頂けます。 |
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無錫料理の幾つかです。 左は豆腐(湯葉)料理。 中は無錫排骨(アバラ肉の甘辛煮)。 右は太湖のえびのから揚げと甘煮豆腐です。 無錫料理は砂糖を大量に使うため、甘い味です。 |
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