中央ヨーロッパ |
ヨローッパの風景 |
中欧 | ハンガリー | スロバキア | チェコ | オーストリア |
|
スロバキアはハンガリーの支配下に入っていた期間が長かったのですが、 第一次大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併する形で 1918年独立しました。 その後、チェコスロバキアとして存在していましたが、共産党政権の崩壊に より、1990年にスロバキア共和国が成立。 1993年にチェコとの連邦制を解消し,実質的独立国となりました。 2004年にはEUに加盟し、2009年から通貨はユーロに切り替わっています。 スロバキアは農業主体の国ですが、共産国時代に工業にも力を入れてきました。 今回はブダペストからチェコ・プラハへ向かう途中にブラチスラヴァに立ち寄った だけで、ちょこっと足を入れた程度の訪問でした。 |
|
ブラチスラヴァはスロバキアの首都です。ドナウ川に面していてスロバキアの 政治、文化、経済の中心で、かつ、中欧の有数の世界都市でもあります。 1536年〜1784年までハンガリー王国の首都になっていました。 |
ブダペストからスロバキアに入ると、 街道沿いに社会主義時代に建設された 集合住宅が沢山残っていました。 |
|
ブラチスラヴァは街の中をドナウ川が 横切っており、川の上から 旧市街を眺めています。 |
|
ドナウ川に架かる「Novy most」新橋です。 タワー部分のトップにはレストランが あるそうです。 1972年の完成です。 橋の向こう側は新しい街です。 |
橋を渡って旧市街に入ると すぐそばにペスト記念碑が 建っていました。ヨーロッパでは よくみられるペストの早期終焉を願う 記念柱です。 左手はバルフィ宮殿ですが、 車中からの撮影で良いショットには なりませんでした。 この左手奥に下の聖マルティン大聖堂が あります。 |
|
走るバスからのジャストワンショットです。 聖マルティン大聖堂の姿です。 これ以降、大聖堂を撮る機会はありません でした。 この大聖堂は戴冠式が行われた教会で、塔の トップには十字架でなく王冠が載っています。 青い三角屋根の上の小さな黄色の玉状の ものが王冠だそうです。 |
|
ブラチスラヴァ城にたどり着く途中にあった 大統領府です。 白亜の建物で金色の門のある柵で 囲まれています。 元はグラサルコビッチ伯爵の宮殿で、 ハイドンは度々宮廷楽団の指揮をとった そうです。 塔屋に国旗が立っている時は 大統領は国内におられるとのことです。 これも欧州の国々と同じです。 車窓からで電柱が邪魔でしたがこれも ジャストワンチャンスでした。 |
|
ブラチスラヴァは塩の道の峠にあり、 陸上交通の中心地であったそうです。 その頃は街が城壁で取り巻かれており その形骸が残されていました。 |
|
スロベニアの国会議事堂です。 王宮の前にあります。 |
|
国会議事堂の向かいにある 城の門です。 Vienna Gateと呼ばれています。 |
|
門を入ると目の前に大きなブラチスラヴァ城 が見えます。 四つの尖塔をもった建物です。 その歴史は紀元前まで遡るそうです。 ケルト人、ローマ人によって建物が築かれ 16世紀に四翼を持つルネッサンスの宮殿が 作られ、それが現在のもとになっている ようです。 この城が最も栄えたのはマリア・テレジアの 時代で、彼女も一時この城に居住して いました。 1811年に城は出火により焼失し、 1945〜1968年に修復され、更に、 2008年から改修工事に入り現在の姿に なっています。 内部は博物館になっています。 手前は国家評議会の事務局などが 入っている建物です。 |
|
城内への入り口となる門です。 | |
お城の中庭です。 建物は殆どが修復されていて 元の建物は殆ど残っていないとの事です。 |
|
城の内部で左は昔の状態が唯一残されている入口です。 中は内庭で建物は博物館です。 右は中庭からの新市街の眺望です。 | |
市内のあちこちから城が眺められます。 戦略的にも高台に作られたのでしょう。 |
|
旧市街散策の途中にあった ホーリートリニティ教会です。 詳細は不明です |
|
旧市内は徒歩観光となります。 旧城塞都市の門であったミハエルの門 への入り口です。 彫像の並んだ陸橋を渡っていきました。 |
|
左:戴冠式への通路となった王冠の印です。 右:ここから各国首都までの距離表示の マークが道路に埋め込まれています。 円の左に「Tokyo 9142Km」の表示が ありました。 |
|
ミハエルの門です。 14〜15世紀には城内4か所にあった門のうち 3か所は18世紀にマリア・テレジアが 市街地を拡張するため取り払ったそうです。 この門だけが残されました 塔屋に大ミハエルの像があるのでミハエル門と なずけられたとの事です。 カーソルを画面に置くと塔の門の上に張られている プレートがご覧いただけます。 「Maria Theresia Avcvsta」と記されています。 残念ながら内容は理解できませんでした。 |
|
この辺りには15〜18世紀の頃の 建物が多数残されています。 クリスマスの飾りも派手派手しさがなく 落ち着いたものです。 カーソルを画面に置くと壁面中央の 飾り絵を拡大してご覧いただけます。 |
|
元国会議事堂であった建物です。 現在は大学になっています。 |
|
黄色い建物は現在は大学図書館として利用 されていますが、1820年リストが8歳の時 初演奏した場所です。 記念プレートが貼ってありました。 下はそのプレートです。 |
|
この建物は元パルフィー宮殿で 現在はオーストリア大使館です。 この日は旗が出ていませんでした。 1762年にモーツアルト(6歳)がここで コンサートを開きました。 その記念のプレートです。 |
|
中央広場です。正面は旧市庁舎です。 噴水はロランド噴水で、1572年に マクシミリアン2世の命により作られたもので、 噴水の上の像はマクシミリアン2世の像です。 右の白っぽい建物は日本大使館が入っています。 日の丸も見えます。 広場にはクリスマスマーケットが出ていました。 こじんまりしたマーケットです。 |
|
日本大使館の前もクリスマスマーケットが 並んでいます。 ホットワインに人気がありました。 |
|
すべてハート形の飾り物を売っていた お店です。 |
|
家族連れが結構多く出ていました。 | |
中央広場のそばにある チョコレートショップです。 ショーケース、後ろの棚すべて チョコレートです。 カーソルを画面に置くと お店のチョコレートタワーも ご覧になれます。 |
|
ブラチスラヴァの旧市内には 愉快な彫像が色々とあるそうです。 その一つはこの像で マンホールから覗いているので、 ガイドは「覗き男」と言ってましたが、 正式には「作業中の配管工」 だそうです。 |
|
旧市街のホテルのようですが、 素晴らしい建物です。 「Sheron]という名前が出ていました。 イルミネーションの飾りが沢山ありましたので、 夜は更に見栄えが良いのだろうと想像しました。 |
|
オペラ座です。 傍の広場にもクリスマスマーケットが 出ていました。 カーソルを画面に置くと 別角度からのオペラ座がご覧いただけます。 |
|
オペラ座からドナウ川沿いに 出る途中の街角です。 建物の向こうに聖マルティン大聖堂の 塔屋が見えていました。 プラハ同様路面電車が走っています。 |
|
ドナウ川沿いにある自然歴史博物館です。 |
|
ドナウ川の鉄橋です。460mあります。 この辺りでは最も古い橋になります。 Stary most(Old bridge)と呼ばれています。 手前は船着き場です。 ドナウ川観光船も出ているようです。 |
|
スロバキアでの唯一の食事は ドナウ川に面したレストランでの昼食。 サラダとポークの蒸したものでした。 |
|
ブラチスラヴァからチェコ・プラハへ向かう 途中のスロベニアの郊外の風景です。 この時はまだ晴れており、 プラハで雪に遭うとはこれっぽっちも 想像していなかったのですが・・・・ |
|
プラハへ向かう途中のガソリンスタンドで 夕日がみられました。 雪の積もった大地に夕焼け空が 綺麗でした。 中欧でもパーキングは殆ど ガソリンスタンドで、そこそこの売店や レストランが備わっていました。 |
|
ページトップ | 中欧トップ |