中央ヨーロッパ

 ヨローッパの風景
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チェコ共和国
チェコの地域に最初に国を作ったのは古代ケルト人です。
10世紀にはボヘミア王国が作られ、14世紀にはルクセンブルグ王朝の
カレル1世が神聖ローマ皇帝に即位し、ボヘミア王国の全盛期を
迎えています。首都プラハは中央ヨーロッパの主要学芸都市となり、
1348年にはプラハ大学が創設されています。
その後16世紀前半にはハプスブルグ家の支配を受けています。
その後種々の変遷を経て、第一次世界大戦後にチェコスロバキア共和国の
独立が宣言されています。しかし、ドイツの支配が強まり、第二次大戦後まで
チェコスロバキアは一旦消えました。
復活は第二次大戦後で、共産党支配のもとチェコスロバキア社会主義共和国と
なりましたが、1989年に共産党支配が崩壊し、1993年にはスロバキアと分離
して、チェコ共和国が誕生しました。
チェコは工業力に秀で、1930年代には世界で7番目の工業国となっています。
ボヘミアングラスなどは大変有名ですし、チェッカと言えば機関銃です。
日本の戦艦「三笠」のスクリューはチェコ製です。
ビールの生産量と消費量は世界一だそうです。チェコビールおいしかった。
1995年にはOECDに2004年にはEUにも加盟しています。ただし、通貨は
ユーロ―ではなくコルナが流通しています。

今回はブラチスラヴァから夜にプラハへ入り、チェスキークルムロフ経由オーストリアに
向かいました。

プラハ
プラハはヨーロッパで最も中世の雰囲気が感じられる街と言われています。人口は約120万人。
1933年にチェコ共和国が成立すると、プラハは首都となりました。
市の中心部をモルドウ川が流れています。街中には尖塔をもった建物が多くみられます。
プラハへ向かう途中から雪が降り始め、プラハはまさにホワイトクリスマスの様相でした。
ブラチスラヴァからプラハへ入ったのは
18時少し前でした。
途中から降り出した雪は本格的な雪になり、
プラハの街は完全な雪景色でした。
夕食のために立ち寄ったストラホフ修道院です。
ここはビールの醸造所のある修道院で、
院内にはレストラン・ビヤホールがあります。
食事だけで、院内の見学はできませんでした。
ここの図書館は立派だということです。
到着時にはまだ雪が降っていました。
レストランの内部です。
夕食はスープ(左)、ソーセージの盛り合わせ、デザートでした。 チェコで最初のビールは黒を飲みました。いけますよ。
レストランを出た時には雪はやんでいました。
修道院は幻想的なライトアップがなされています。
プラハの朝は雪景色です。
屋根の色が白一色ですが、
建物の色が結構カラフルなので、
綺麗な雪景色になっています。
市内にはトラムが縦横に走っています。
地下鉄もありますが、今回乗車の機会が
ありませんでした。
プラハ城へ向かう途中の建物に
だまし絵がありました。
壁面に凹凸があるように見えますが、
平面に彩色されたものです。
プラハ城の入り口です。
正門があるのですが、今回なぜか西側にある
横の門から入場しました。
朝が早かったためかもしれません。
正面の建物はスパニッシュホールです。

門の手前の陸橋からの眺望です。
手前黄色い建物はお城のパウダータワー、
後ろの尖がり屋根は聖ヴィート大聖堂です。
入り口には衛兵が立っています。
衛兵は身長177〜187cm、体重は70kg
年齢は18〜26歳の青年から選ばれるそうです。
傍に立って記念撮影する人が多いです。
衛兵と並ぶのは良いが、触れるなとガイドが
言ってました。

ポインターを画面に置くと
正面からの衛兵がご覧いただけます。
プラハ城の内部です。
ここは城の南にある場所です。
プラハ城の基礎は880年代に遡ります。
現在は大統領府になっています。
プラハ城は世界でも有数の規模を持つ城で、
ボヘミア国王、神聖ローマ皇帝の居城と
なっていました。
この右手の建物の外に城の正門があります。


ポインターを画面に置くと
右手の建物にちょうど高官が到着した
場面がご覧いただけます。
聖ヴィート大聖堂です。ゴシック様式です。
創建は10世紀の前半です。
大きな聖堂で一枚の写真に収めるのに
苦労します。

聖堂の詳細は下記からご覧いただけます。

大聖堂
大聖堂を囲むように建てられた
プラハ城(大統領府)です。
右手の建物は旧宮殿の本館です。
この建物の表側が宮殿入り口です。
今回旧宮殿の外側は見られませんでした。

ポインタを画面に置くと
本館左手からの眺めをご覧いただけます。
クリスマスシーズンということで、
大聖堂の前には藁で編んだ人形が
飾られていました。
正面は聖イジー教会です。
920年創建で1142年再建された
城内で残る最も古い建物です。
ファサード(手前の門)は17世紀のものです。
左手にはイジー修道院があります。

クリスマスツリーの前に
なぜか衛兵詰所がありました。

カーソルを画面に置くと
教会の正面をご覧いただけます。
プラハ城の東門から出て坂道を下っていく
途中の景観が素晴らしかったです。
おそらく普段は赤い屋根が並んでいるのでしょうが、
この日は雪のおかげで真っ白な
景観です。
右手に見える橋はマーネス橋、その奥にある
二本の尖塔はティーン聖堂、その左に火薬塔と
聖ミクラーシュ教会、一番奥の塔はテレビ塔です。

カーソルを画面に置くと
上記の建物が拡大してご覧いただけます。
上の画面の南寄りの景観です。
右端はカレル橋です。
上の画面より更に南西の方向です。
マラーストラナ地区で、昔は貴族が大勢
住んでいた場所だそうです。
貴族の宮殿が結構あります。
「百の塔の街」と呼ばれるだけに
プラハ市内には尖塔をもった建物が
非常に多いです。
プラハで目に付くのは路面電車。
現在4種類のトラムカーが走っているそうです。
これは比較的新しいトラム。
最新式のトラムと最も古いトラムが
並んでいます。
古いトラムは100年前のものも利用
されているとの事です。
道路は敷石の道路です。
この駅から我々もトラムに乗車しました。
行く先が沢山ありますが、我々が乗ったのは
たった一駅区間でした。
トラム車内です。
寒いところから乗り込んだので、
しっかりレンズが曇ってしまいました。

ポインターを画面に置くと
ご覧いただけるのは検札機です。
切符をここに入れると時間が印字されます。
切符によって、印字後1時間有効とか24時間
有効など何種類かあるようです。
一駅のせいか、検札に来る人もなく、
乗降時にチェックする人もなく、切符を買う
必要があるのかなぁなどと考えてしまいました。
トラムは乗車前に切符を購入します。
トラムを降りた付近の街並みです。
右手の建物は聖ニコラス教会です。
街中で見かけた少女たち。
多分地元の人達でしょう。
カレル橋の楼門とマラーストラナ側の
橋の先端です。
橋は1357年に着工して1402年に
完成しています。
橋を守るための楼門は3つあり、
これはマラーストラナ側の2本です。
1本はカレル橋の前身の橋の橋塔で、
右手の高い方がカレル橋の橋塔です。
橋の欄干には片側15基、全部で30基の
像が建てられています。
橋の景観です。
奥の塔は旧市街側の3本目の楼門です。

橋の詳細(像も含め)は下記からご覧
頂けます。

カレル橋
橋からの北側の眺めです。

ポインターを画面に置くと
反対側の風景をご覧いただけます。
プラハ市内はバスが通れない、止められない
場所が多いので、旧市街の観光は
徒歩観光となります。

カレル橋から歩いて間もなしに
旧市街広場に出ます。

左手の建物は塔屋を含めて旧市庁舎です。
正面はティーン聖堂です。
広場はクリスマスマーケットが開かれていました。
旧市庁舎の天文時計です。
毎正時に上部の窓があき聖人が
覗いてゆきます。また、金の鶏が
時を告げます。
写真は丁度人形が姿を見せた瞬間です。

ポインターを画面に置くと
人形を拡大してご覧いただけます。
広場の全景です。
右手は聖ミクラーシュ教会です。
広場から数分のところにある
火薬塔です。
15世紀末ごろに旧市街への入り口として
建てられたものです。
ゴシック様式にルネッサンス様式も
加味された建物になっています。
17世紀に火薬置き場に利用されたことから
火薬塔と呼ばれるそうです。
火薬塔のそばにある
多分音楽堂です。
バレー「白鳥の湖」の広告が
出ていました。
新市街と旧市街の境界の通りです。
左手は新市街に入ります。
右手は旧市街です。
新市街と言ってもカレル四世時代に
市街を広げるために拡張した地区で
1348年に新市街が作られています。
マーネス橋の近くにあった建物です。
音楽堂かと思いましたが、
確認できませんでした。
チェコ交響楽団がここにあるようです。
フリータイムにうろついた際に出会った
建物です。
プラハにはユダヤ人街があります。
シナゴーグ(ユダヤ教教会)が結構立っています。
ここもその一部です。
シナゴーグの一つです。

カーソルを画面に置くと
イスラム語?の標識がご覧いただけます。
シナゴーグへの入場料は高いです。
二人で600コルナ(約3千円)で、いくつかの
施設に入場可能ですが、時間的に1〜2か所
回るのが精いっぱい。
場所も分かりにくかったです。

ユダヤ人墓地を一周できます。有名な人の
墓地もあるようでしたが、知識のないものには
単なる墓地でした。
15〜18世紀の間にわたってユダヤ人がここに
埋葬されています。

ポインターを画面に置くと
ユダヤ人墓地がご覧いただけます。
シナゴーグの内部で資料館になっています。
ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害などの
歴史的事実を知っている人には
興味深い場所だろうと思います。
新旧シナゴーグです。
シナゴーグの中で最も古いシナゴーグで
13世紀半ばには作られていました。
創設当時に新シナゴーグと呼ばれていましたが、
その後、この近辺に幾つかのシナゴーグが
出来たため古い新シナゴーグの意味で
新旧シナゴーグと呼ばれています。

ここはシナゴーグとして使われているためか、
観光客には開放していませんでした。
入り口を入るとそのまま地下へ降りるように
なっていました。
ユダヤ人街の一部です。
その中にある
マイセルシナゴーグです。
1592年にユダヤ地区の市長マイセルにより
創建されましたが、1689年には火災で焼失。
現在の建造物は19世紀にルネッサンスの名残
を維持しつつゴシックの影響のもとに再建された
ものです。
シナゴーグとしてよりも記念館として利用された
期間のほうが長いそうです。

内部の撮影は禁止でした。
別のシナゴーグ、スバニッシュシナゴーグの
内部です。1868年に作られています。
撮影禁止でしたが、少しだけ撮らせて
もらいました。
シナゴーグにしては華やかで美しい
聖堂でした。ヨーロッパで最も美しいと
案内されていました。
ここでは週に3度(日、月、火、時により水、木)
コンサートが開かれています。
ちなみに、12月のプログラムは
日、月はラベルの「ボレロ」、それ以外は
ガーシュウィンのウェストサイドストーリー、
ラプソディーインブルー、サマータイム、サウンド
オブミュージックでした。
ちょっと意外な感じ。
我々は時間なくて参加できませんでしたが・・・・
旧市街広場の夜景です。
クリスマスツリーとマーケットが
素晴らしい眺めを作っています。
旧市庁舎の前のイルミネーションです。
プラハでの昼食は魚のグリルでした。
サラダのドレッシングが皿にくっついて
全く用をなしませんでした。
夜はサラダとキャベツロール、デザートでした。
チェコらしい食べ物なのでしょう。
食事のレストランもある
市民会館は1912年完成で、
アールヌーボー様式で建てられています。
内部にはスメタナホールなどもあり、
文化芸術のセンターとなっているようです。

ポインターを画面に置くと
会館の入り口部分がご覧いただけます。
食事の後にプラハ城の夜景の見えるところまで
出かけました。
寒かったけど、良い眺めでした。
旧市内の建物です。
あたかも宮殿の如き雰囲気を持っています。
何のビルかわ確認できませんでした。
チェスキー・クルムロフ
チェコの南端、オーストリアとの国境沿いにある小さな町ですが、旧市街は
中世の姿をそのまま残しており、1992年に世界遺産にも登録されています。
町は曲がりくねったボルドウ川を堀のようにして作られています。
チェスキー・クルムロフ城は13世紀に作られ、ボヘミア地方では
プラハ城に次ぐ規模の城です。
当地では鉛筆の生産が多いとの事です。
朝プラハを出て、約180`南のチェスキークルムロフへ
向かいました


案内板にあった町の全景です。
図の上方にバスの駐車場があり、
右上大きな建物と高い塔がチェスキー
クルムロフ城です。
その真下に旧ヨシュット教会の塔が見えます。
橋を渡ると出くわす広場は街の中心でもある
スボルノスティ広場です。広場には市庁舎があります。
広場の東南方向へ行くと聖ヴィート教会やホテルなどが
あります。
市内は13〜16世紀の建物が並んでいました。
街の雰囲気はスペインのトレドの街をスケールダウン
したような感じです。
観光バスは街中に入れないので、
徒歩で街の見物をしました。
短時間でのあわただしい観光となりました。
バス駐車場を出たところからの眺めです。
正面はチェスキークルムロフ城です。
右寄りに空中廊下が見えています。
城に向かう道です。
城への入り口となります。
西寄りの門から入りました。
この城は岩山の上に建てられています。
従い、眺望が大変すばらしいです。

門から本館へ向かう道です。
入って左手に日時計がかかっています。
ただし、これはだまし絵でした。
ちょっと見にはほとんど気が付きません。

下の写真はそのだまし絵です。


上の写真で左寄りに見えている4階建ての
通路の一階部分です。

ポインターを画面に置くと
下から見上げた橋の景観を
ご覧いただけます。
その通路からの街の眺望です。
雪を冠った白い屋根もなかなか綺麗です。
茶色の瓦屋根もおそらく街を落ち着いた
雰囲気にするだろうと想像できます。

左の塔は城の塔、その下にある塔は
旧聖ヨシュット教会、右寄りの塔は
聖ヴィート教会のものです。

右下の黄色い建物は川の水を管理している
管理棟です。
上の写真の少し右寄りの景観です。

川は右から左へと流れています。
城の中庭です。
建物の壁面は一面にだまし絵が
描かれています。
石造りかと思ったらすべて絵でした。

ポインターを画面に置くと
別の角度からの壁面もご覧いただけます。
城の中庭からの市街地の眺めです。
城の見学の後、中央にある橋を渡って
右手の街中へ入りました。
城内から見た塔です。
この中庭の右手は馬屋、
左手に銃器庫があります。

ポインターを画面に置くと
銃器庫の画面をご覧いただけます。
この城ではクマを飼っているそうです。
冬場でクマは見られませんでした。
中庭から出たところからの塔の眺めです。
ここからの眺めが一番綺麗だとの事でした。
壁面はやはり絵が描かれており、
一部の窓はだまし絵となっています。
中門です。
ここから城の内部に入る門です。
この門の手前にビール工場があります。
チェコの城や修道院にはビール醸造の
工場を持っているところが多いようです。
これは城の外門です。
石組みの内側に鉄柵が
作られており、上部には紋章が
付いていました。
ローゼンベルグ家の紋だそうです。
城を出たところの市街地です。

城門から川方向へ向かう道路です。
色々な建物が並んでしました。
殆どが16〜17世紀のものらしいです。

下の建物はここでは最も古く13世紀に
建てられたものだそうです。

川の近くにある教会風の建物は
元は聖ヨシュット教会という教会でしたが、
現在は一般人の所有で
マリオット博物館も入っています。
門と門の上部のマリア像が
教会の名残でしょうか。
門の右には右写真の看板が
出ていました。
川に出たところの橋から眺めた
お城の塔とヨシュット教会の塔です。
橋は「床屋橋」と呼ばれているそうです。
橋のそばに床屋が有ったらしい。
16世紀に架けられました。
橋を渡って直進すると広場に出ます。
スポルノスティ広場です。
旧市街の中心となります。
欧州のギルドハウスのような雰囲気です。
手前に建っているのはマリア紀念柱で
ペスト終息を祈念する塔だそうです。



広場には市庁舎もあります。
クリスマスマーケットの舞台が
市庁舎の前に設営されていました。

壁の紋章は市章です。
ポインターを画面に置くと拡大して
ご覧いただけます。
左は聖ヴィート教会です。
右は旧市街の通りから眺めた城の塔です。
聖ヴィート教会の礼拝堂です。
三翼型の大聖堂です。
祭壇は前期バロック、
アーチはゴッシック様式となっています。
床屋橋よりから見た
聖ヴィート教会と旧市街の建物です。
橋の上流の眺めです。
右手は宮殿です。
街中にCasinoと読める店がありました。
カジノかな?
水車の作りが非常にかわいかったです。

ポインターを画面に置くと
水車とそばの女の子の像が
拡大してご覧いただけます。
旧市街のホルニー通りからの
城の眺めです。
どこから見ても絵になりますねぇ。
床屋橋の一つ上流に架かる
橋からの眺望です。
同じ橋から旧市街を見ています。
城と同様ヴィート教会も街のどこからでも
見えます。
この日の昼食は洞窟のようなレストランで
スープと肉のシチュー風にポテトフライ添え
でした。お店の中に右端の写真の飾りが
ありました。
画面をクリックすると画像を拡大できます。
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