千葉の初詣
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毎年初詣は、元日に墓参りの後に麻賀多神社へ詣で、家の近くの住吉神社へお参りして甘酒の振る舞いを頂いてきます。
2日は比較的人出の少なそうな神社仏閣を選んで参拝方々、ドライブを楽しみます。
その後は完全休息日を入れて、6日ごろまでやはり人出の少なそうな、今までに行ったことのない神社仏閣を
地図を頼りに回ることにしています。
2012年は2日に柏市にある布施弁天とあけぼの公園へ、2013年は2日に八街神社、千葉厄除け不動尊、
3日に八千代市にある高綱神社へ、2014年は2日に茂原市にある橘樹神社から九十九里浜へ、3日は鎌ヶ谷の
道野辺神社から二宮神社と回りました。いずこの神社仏閣も有名ではないけれど結構な人出があります。

今年の2015年は2日に印西市にある火皇子神社から多聞院、瀧水寺、龍湖寺と回り、5日には少し足を延ばして茨城県
稲敷市の大杉神社と縫善寺にお参りしてきました。8日には千葉市の東光院と飯香岡神社などを回りました。
印西市
1996年に市制が引かれ、印西町が印西市となりました。2010年には印旛町と本埜村が編入されています。
現在は人口約9万人で京成電鉄の北総線の開通により都心よりも通勤がしやすくなり、千葉ニュータウンの発展と
ともに、東京のベッドタウンになっています。住みよい都市の総合ランキングでは全国で1位にランクされています。
ハクチョウが越冬することでも有名になりました。
印西市西南部の総武カントリークラブの
近くにある「火皇子神社」です。

火皇子神社は建立年月がはっきりしない
程古くから地域を見守る火を司る神様です。
この神社の社殿に奉納されている御神輿は、
ひとたび社殿の外に出すと印旛沼は氾濫し、
大火などを巻き起こすと言い伝えられています。
10月9日に祭礼がおこなわれ、土地の人達が
大勢集まるそうです。

畑の中にポツンと建つ神社で土地の氏子以外に
お参りに来る人はなさそうです。
神社の本殿です。
火皇子神社の近くに「多門院」があります。
天台宗のお寺で普光山長安寺と称します。
1288年〜1293年の間に建立されています。
本尊は毘沙門天で、千葉県指定の文化財と
なっています。

この日はお堂内部で初講が開かれており、
地元の人たちが多数集まっていて、
お堂内部には入れませんでした。

下の写真は拝借したもので、県文化財の
木造毘沙門天と両脇侍立像(1289年作)。

お堂の傍には女人講の子育て観音像が
沢山建っていました。
女人講は女性のみが集まり情報交換の
場になっていたようです。
日頃の愚痴の吐き所だったのでしょう。
お堂の傍には札所の表記があり
第50番と第67番になっています。
50番は四国伊予繁多寺で
67番は讃岐小松山不動院ですので、
四国まで行かずとも、印西市でお参り
出来るようです。
印西市船穂にある宗像神社です。

ここは人出はそれ程ありませんが
社内に巫女さんが二人いて、
お守りなども売っていました。

宗像神社の創建年代は不詳です。
祭神は、市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命を
祀っています。三女神で、航海治水の神です。

鳥居を建立しようとすると、水害に襲われる
ため、鳥居の建立はされず、現在も鳥居は
ありません。
印西市の北部、小林の近くにある
瀧水寺の山門です。
仁王像は鎌倉期の作と言われています。
県の文化財に指定されています。

開基年代は明らかではありませんが、
元薬師寺といい、一時廃寺となっていたものを
中世に再興したと言われているそうです。

瀧水寺の本堂はこの左手の道路の向こうに
建っています。
ここは仁王門と薬師堂医王院及び鐘楼が
あります。
境内に白山神社(右手)もあります。
薬師堂医王院です。
仁明天皇の勅願により承和元年(834)に
草創されたといわれています。

内部には薬師如来蔵(印西市指定文化財)
が安置されています。

画面にポインターを置くと内部を
ご覧いただけますが、厨子は閉ざされていて
薬師如来は見えません。
天井には天女の絵が一対描かれていました。
瀧水寺より更にJR成田線小林駅寄りに
龍湖寺があります。

ここの山門は少し変わった形をしていました。
本堂です。夕方で光線が弱く、青みをおびた
本堂となりました。
「龍湖護国禅寺」の扁額が有りました。
本堂内部には入れませんでしたが、
写真だけは撮れました。
茨城県稲敷市
2015年1月5日に稲敷市にある大杉神社と神宮寺、および縫善寺を訪れました。
大杉神社は年末に初詣の広告が入っており、混み合ってそうなので、5日のお参りと
なりました。稲敷市内には結構神社仏閣があり、そのうちの3か所を回りました
大杉神社の入り口です。
まだ新しそうな石造りの参道が
延びていました。

左手は鐘楼、その右神輿蔵、その奥に
麒麟門が見えます。

左手鳥居の奥に社殿が見えています。

画面にポインターを置くと
手前にある大鳥居もご覧いただけます。

鳥居の下には天狗の彫り物が
置かれていました。
中門です。
門の両側には狛犬が座っています。
門があり、狛犬がその門の中に
囲われているのも珍しい造りです。

日本で唯一という夢結びの神社。地元では、あんば様とも呼ばれている。 767(神護景雲元)年、勝道上人が下野国(栃木県)を目指す途中、この地を通りかかった時、当時この地方で流行っていた疫病退散を大杉に祈願したところ、 三輪明神(奈良県桜井市、大神神社)が現れ、病魔を退散したとの伝説がある。そこで祠を祀り、大杉大明神と呼ばれるようになったという。
麒麟門です。
ここが本来の正門になるのでしょう。

画面にポインターを置くと
表側からの門をご覧いただけます。
なかなか立派な門になっています。
麒麟門上部の欄間に彫り絵が
掛けられています。
正面に5枚、裏面に4枚、側面に2枚ずつ
計11枚の額が掛けられていて、それぞれが
物語になっています。

大杉神社の建物には麒麟門以外にも
沢山の彫り絵の額が掲げられていて
一つ一つ見ていると一日がかりに
なりそうです。
神輿蔵と鐘楼です。
鐘楼には鐘が有りません。
麒麟門の左手方向には
神楽殿と分社棟が並んでいます。

分社棟には大国神社、五十瀬神社、
白山神社、四柱神社、天満宮がそれぞれ
小社で祀られています。
大杉神社社殿です。

現在の社殿は1816(文化12)年の再建、
平成の大修理が行われ彩色されました。
社殿前にある青銅製の立派な灯篭は、
江戸時代、4代将軍徳川家綱が寄進した
ものです。
社殿の左手にある分社棟です。

色々な神社が分社されています。

画面にポインターを置くと分社の
様子がご覧いただけます。

社殿の傍にある「撫桃(なでもも)」です。

桃には悪疫を退散させる効果があると
されています。
そのため、厄除・八方除・星除などに
ご利益があるとされる大杉神社では
厄難を退散せしめるための儀式の多くに
桃が使われるそうです。

この桃の形をした石を撫でると
厄難が解消されるといわれています。
社殿から延び本殿を囲む
玉垣(瑞垣)の欄間には全て彫絵が
嵌められています。
平成の大修理で極彩色の絵に
復元されています。
大杉神社の傍にある安穏寺です。

龍華山慈尊院安隠寺と称します。
大杉神社の別当寺として、805(延暦24)年、
僧快賢が建立。天台宗の寺です。
明治時代まで大杉神社と安穏寺は
神仏混合で祀られていました。
桜の名所としても知られています。

画面にポインターを置くと
本堂の欄間部分を拡大してご覧
頂けます。
大杉神社の名前の由来でもある大杉は
太郎杉、次郎杉、三郎杉と3本ありましたが、
江戸時代に太郎杉が失われ、現在は次郎杉と
三郎杉の2本になっています。

鳥居の前にあるのが三郎杉です。
幹回り7m、高さ28mあります。

二郎杉は奥の院にあるそうですが、
今回見ずじまいでした。
二郎杉は高さ40mとの事です。
神社には、文治年間(1185〜89年)のころ、
源義経の家来、常陸坊海存(海尊)が
大杉大明神の御神徳で数々の奇跡を起こした
という伝説が残っています。 常陸坊海存は、
容貌が巨体で、紫髭、碧眼、鼻高と、天狗に
似ていたとされ、そこから大杉大明神の
眷属(けんぞく)は天狗という信仰へと発展
したようです。 現在は、鼻高天狗、烏天狗の
両天狗が眷属として祀られています。
鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は
「かない天狗」と呼ばれ、今では神社の
シンボルになっています。

鳥居の傍にある左ねがい天狗、右かない天狗
の石像です。

左は勝馬神社で、競馬関係者や競馬ファンの
参拝が多いそうです。
社内には蹄鉄が奉納されています。

右は相生神社で、子授けに御利益ありとして
広く信仰を集めているようです。
社内の左は女陰で、右は男根になっています。
子授け祈願は、男根像に願い事を書いた
願い紐を掛け、子供が無事授かったら、
女陰像に叶い紐を掛けるのだそうです。
境内には最勝出世稲荷が祀られており、
その御利益から、多くの鳥居や幟が奉納
されています。
左は旧護摩堂で1804年(文化元年)の
創建です。1798年焼失した社殿の仮社殿
として使われていたそうです。

右は境内にある1階が菓子舗、
2階は蕎麦屋。昼過ぎで、此処で食事の
予定が、40分待っても注文品(開運そば)は
出てこず、10分もあとから来た客の品が2組分
先に出たところでブチ切れ。
「注文が通ってないようだから帰る」と言ったら
「XXさんでしょ。もうできます」って、
こちらの名前も伝えてないのに、どなたの
注文品なんでしょう??
失運そばになってしまいました。

稲敷市神宮寺町にある神宮寺です。

寺伝によると、806年(大同元年)満願上人が
開山したと伝えられています。庫裡の裏に
弘仁二年(811)開山の板碑があるようです。
また勝道上人の開山とも言われています。

平成十一年に改修した客殿には、
室町時代作の唐様の厨子(県指定文化財)が
置かれ、その中に善光寺式一光三尊如来像が
安置されています。
また、平安時代作の木造聖観音菩薩立像
(県指定文化財)が安置されています。
観音堂には、秘仏である
本尊十一面観世音菩薩が安置され、
また賓頭盧の木像は満願上人の作と
伝えられています。
「逢善寺」は小野の観音様として古くから
親しまれており、茨城景観百選の一つにも
数えられ県の有形文化財にも指定されて
いる江戸後期の代表的仏閣建築です。
平安時代の828年(天長3)、逢善道人が
千手観音を本尊として寺院を創立。
淳和天皇の勅願寺として発展しました。
1713年(正徳3年)には天台宗の
関東八檀林の一つに定められ、
僧侶養成のための学問所として栄えました。

県文化財の仁王門は修理中でした。
現在の本堂は1842年(天保13年)に
再建されたものです。
1981年(昭和56年)から7年かけての
修復工事が行われました。
銅板葺きの重厚なつくりに当時の
繁栄ぶりが感じられます。
本堂の天井には地元出身の日本画家、
松本楓湖による天女が華麗に舞う絵
「飛天の図」を見ることが出来ます。

今回入り口が閉まっており、中に入れず、
賽銭投入口の狭い隙間らか内部を
撮影したため天井画は一部しか
写すことができませんでした。

画面にポインターを置くと
天井画の一部がご覧いただけます。
仁王門前からの寺院全体です。
千葉市東光院
東光院は千葉市緑区平山町にある真言宗豊山派の寺院で、千年以上の歴史があります。
東光院のご本尊さまは七仏薬師如来 (千葉県指定有形文化財)で、大医王といわれ医薬
の守り仏として伝えられています。
寺伝によると古くは広徳寺といい、平将門の
叔父、千葉氏の祖である平良文の孫、平忠常
(975-1031年)が人々の病気平癒を願って
建立したと伝えられています。

1707年、社寺奉行の命によって東照大権現と
重なる東照院から東光院に改めさせられた
といわれています。また数回の火災のため
記録および寺宝を多く焼失したとも伝えられて
います。
 
鐘楼にはお正月の大きな絵馬が
飾られていました。
法要殿です。
大日如来が祀られており、旧本堂です。
ご神木(かやのき)の傍に「身代わり癌封じ」の
碑があり、前立腺癌患者として
しっかりお賽銭を入れてきました。
木の周りに願掛けの絵馬が数多く
かかっていました。

赤いポストが賽銭入れとなっています。
境内西寄りにある平山神社です。
大師堂にはぴんぴんころり大師さまと
親しまれている、弘法大師(空海聖人)が
おまつりされています。
「ぴんぴん」と健康に生きて、人生の最期には
寝込むことなく、「ころり」と大往生、
静かな旅立ちにご利益があるそうです。
縁結びのお地蔵さんです。
お参りは三拍子三礼するようです。
お賽銭は「始終御縁ができるように」と
45円(しじゅうごえん)を入れるようです。
丁度本堂での法要が終わった僧侶が
引き上げてくるところでした。
5名の僧侶がそれぞれに異なる色の
法衣をまとい歩く姿は左のおばさんの様に
自然と頭が下がるものです。
境内では平山囃子連の幟の下、
おはやしが演じられていました。
正月も8日となると参詣人も少なく、
立ち止まる人も数えるほどでした。
市原市飯香岡八幡宮
飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)として鎮座する以前は六所御影神社
と称したといわれ、675年、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源をもつと
言われています。

市原市八幡にある「飯香岡八幡宮
(いいがおかはちまんぐう)」です。

1158年、山城国石清水八幡宮の
『諸国荘園官符』に「上総の国市原別宮」と
記載され、石清水八幡宮別宮の市原八幡宮
として中世以降、源氏・千葉氏・足利氏・
徳川氏の崇敬を集めてきました。

表参道になります。
拝殿です。
日本武尊東征の時、六所御影神社で
休息したという。その際、社人が日本武尊に
食事を捧げたところ、飯の香りを賞した
故事により、御影山を「飯香岡(いいがおか)」
と呼ぶことになったという。
八幡宮の東寄りに通っている
24号線に面した参道です。
左手は拝殿、右手が本殿になります。
本殿は室町時代中期の建立で
国指定の重文です。
拝殿は1691年建立で県指定の文化財
です。

左は夫婦銀杏で県指定の天然記念物です。
根本から2つに分かれており、
子育て八幡とも言われています。

下の写真は源頼朝が1180年房総へ逃れて
きた際に、源氏再興を念じて銀杏を逆さにして
植えたと伝えられている銀杏です。
「さかさ銀杏」と称されています。


境内にはいくつもの分社が
祀られています。
神楽殿です。
境内にある神龍泉です。
龍の頭部から水が流れ出ます。
龍の顔の下の支柱には「御神水」と
記されています。
南隣にある浅間神社です。

左手に富士山を模した山があり、
1合目から頂上まで道があり、
頂上には小さい社が造られています。
下りには砂すべりもあります。

画面にポインターを置くと
お社の様子をご覧いただけます。
八幡宮の北側には白山神社があります。

元は八幡宮の境内であったと思われます。
八幡宿から濱野へ抜ける途中に
諏訪神社がありましたので、此処も
お参りしました。
祭神は武神、風雷の神様のようです。

画面にポインターを置くと
神社の全景をご覧いただけます。
町中の小さな神社ですが、創建は
1521年室町後期だそうです。
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