福島県会津地区
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福島県は「福島県の風景」での説明の如く、南から北へつらなる
阿武隈高地と奥羽山脈によって、中通り・会津・浜通りの
3つの地方に分けられます。
同じ福島県でも、この3つの地方では、気候が大変違います。
右側を浜通り、真ん中は中通り、左側を会津と称しています。
浜通りの中心地はいわき市です。中通りは福島市、会津は
会津若松市です。

2019年4月に桜見物に会津地方を日帰りで訪れました。
新幹線で郡山駅に出て、バスで喜多方市へ向かい、
日中線記念自転車道の枝垂桜を楽しみ、会津若松市の
会津武家屋敷(家老屋敷)で昼食後、南会津にある大内宿と
会津鉄道の湯野上温泉駅を訪れました。

東北も桜の開花が早いのではと、早めに訪れましたが、残念ながら
全てが満開とは行かず、一部では3〜5分咲きの状態でした。
2018年4月上旬には福島の三春滝桜や花の山は満開でしたが、
二連勝ならずでした。


湯野上温泉駅からは栃木県の那須塩原へと抜け、那須塩原駅から
新幹線で東京駅へと戻りました。


会津地方の地図です。

右寄りが郡山駅で、磐越自動車道を通り、喜多方市へ出て、
市内にある「日中線記念自転車道」の枝垂桜を見た後、
会津若松市内にある「会津家老屋敷」で昼食、家老屋敷は
入場料を支払って中に入ったものの、時間が制限され、
外回りを駆け足で抜けました。

その後、南会津地域へと向かい、会津下郷にある大内宿を見て、
会津鉄道の「湯野上温泉駅」に立ち寄り、栃木県の那須にある
ハニー牧場を訪れて、この日の旅が終わりました。

朝、我家の近くのバス停から6:15発東京駅行き高速バスに乗車、
帰路は19:35東京駅発高速バスで帰宅(20:40着)しました。
ほぼ14時間半の旅程でした。
東京駅から郡山へ
東北新幹線で郡山駅まで出ました。郡山駅は学生の頃、一人旅で
駅舎で2泊させてもらった駅です。ここから磐梯・吾妻を回りました。
そのころは東北で唯一24時間開いている駅でした。
 
東京駅東北新幹線22番ホームからの
出発です。

盛岡行きのやまびこ43号は大宮駅を
出た後は郡山駅までノンストップです。

画面にポインターを置くと
やまびこの行き先表示版を
ご覧頂けます。
那須塩原駅までは殆どシャッター
チャンスがなく、沿線の桜も
撮れませんでしたが、この辺りまで
来ると何とか風景になります。
東北本線を横切って行きます。
普段気の付かない所に桜が植わって
いるのをこの時期に知ることになります。
新白河駅近辺の車中からの眺望です。

正面左手の鉄塔はNTT東日本白河の
鉄塔で、その前の建物は白河文化
交流館「コミネス」です。

街中の桜も満開状態です。
郡山駅西口前です。

東北新幹線の拠点駅で、
他に、東北本線、磐越東線、磐越西線の
駅でもあります。
駅の東寄りには「三春の滝桜」も
あります。

今回は西側の猪苗代湖の北西部へ
向かいます。
郡山駅の駅前西口広場にある
噴水です。
休憩する人もいる心和ませる
場所のようです。
郡山駅前の通りは「うねめ通り」と
称されています。
この地に伝わる「采女伝説」から
採られているようです。
元は「軍用道路」と呼ばれていたそうで、
戦時中の軍隊居留地だったようです。

この通りを49号線で右折して
東北道に上がります。

画面にポインターを置くと
うねめ通りの脇道の桜もご覧頂けます。
郡山から喜多方へ
郡山駅から東北道経由磐越自動車道に入り、喜多方市へと向かいます。
郡山JCTから会津若松JCT経由、121号バイパスで喜多方市に出ます。
磐越道の走行中に眺められる
風景です。

桜並木は既に満開になっています。
同じく磐越自動車から見る桜並木
です。
ソメイヨシノはまさに満開です。
 
磐越自動車の会津若松ICには
桜の若木が並んでいます。

そのうち立派な並木になるでしょう。
喜多方市内に入ると土蔵造りの
建物が多く眺められます。

蔵の町喜多方を彷彿とさせます。
 
こちらはレンガ蔵の建物です。
若喜商店の北門です。


門の右手に蔵造りの建物が
建っており、内部も参観できるようです。
バスの中からでは外構を一寸
眺めるだけでした。
建物は樹木に遮られて奇麗には
撮影できませんでした。

画面にポインターを置くと
若喜商店のレンガ建ての店構えを
ご覧頂けます。

日中線記念自転車道の近くには
駐車場がないので、押切川公園の
体育館の駐車場が臨時の駐車場として
開放されています。

公園に併設の体育館で奇麗です。

右手の像は「王と王の王」と題した
彫像で男女の姿が作られており、
女性は男性の王たるものと言う
意味なのでしょうか。

画面にポインターを置くと彫像の
拡大画像をご覧いただけます。
駐車場から徒歩5分ほどのところに
かっての国鉄日中線の廃線跡が
自転車道になっています。
「日中線記念自転車道」です。
ここの枝垂桜が有名です。

日中線記念自転車道
日中線とは旧国鉄の喜多方駅と熱塩駅を結ぶ11.6kmのローカル鉄道で、
熱塩駅の近くにある日中温泉から日中線と名付けられたそうです。
現在は記念道路として一部に線路が残るほかは自転車道として利用されています。
日中線記念道路は1984年(昭和59)に
廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道とし、
約3qにわたって約1000本のしだれ桜が
植えられています。
道のり中間点付近には往時の蒸気機関車で
貴婦人との愛称を持つC11が展示されています。
枝垂桜はまだ3〜5分咲き程度ですが、
結構多くの見物客がそぞろ歩きをしています。

夜間にはライトアップもされるそうですが、
残念ながら見られませんでした。
枝垂桜に比べソメイヨシノはすっかり満開の
状態です。

奥に見えるのが蒸気機関車です。
この一部だけに線路が残されていて、
往時の様子を垣間見ることができます。

ソメイヨシノは満開ですが、枝垂桜が
まだ早いためか、かけっこ広場に設けられた
屋台の一部は準備中の所もあります。

あと一週間後くらいにはこの辺りも人で
一杯になるのでしょう。
桜見物の後は再び体育館に戻ります。

喜多方市内を流れる濁川です。
ここの川縁にも桜並木が続きます。
喜多方から会津若松へ向かう121号線から
「会津慈母大観音像」が遠望できます。

郡山から喜多方へ向かう磐越自動車道からも
眺められますが、反対の車窓だったので、
写真撮影はできませんでした。


道路が曲がっていて、観音像は右に左にと
移動してゆきます。
 
所謂武家屋敷ですが、ここではその地位から「会津家老屋敷」と呼ばれています。
会津若松市の東山温泉に近い場所にあり、邸内にはレストランもあるので、団体の昼食に
利用されることも多いようです。昼食時間内での邸内見学にはちょっと無理がありました。
家老屋敷は会津藩家老西郷頼母邸を復元したものです。
西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で代々家老職を務め、1700石取りの家柄でした。
けやき、ひのき、杉材を用いた和洋建築の壮大な屋敷は敷地面積2400坪、建築面積280坪に及び、38の部屋、畳の数は328枚となっています。
各室内には生活調度品がおかれ、厳粛な当時の生活様子を伺うことができます。
表門、表玄関、御成りの間、雪隠、茶室、槍の間、客待の間、表居間、次の間、風呂場、台所、女中部屋、裏玄関などの見どころが沢山あります。
西郷頼母は朝廷への恭順論、藩主の松平容保が京都守護職に任じられることに反対しましたが、意見は通らず、そして戊辰戦争で西軍が
会津に攻めてくると、西郷頼母の母や妻子など西郷家一族21人が屋敷で自刃するという悲劇を生みました。
入口の石碑や登りには会津武家屋敷と記されて
いますが、所謂歴史博物館と言えましょう。

会津武家屋敷は「家老屋敷」と「歴史建造物」の
グループに分かれ、総面積は7千坪あります。
そのうち、家老屋敷が2400坪となります。

正面の入口で階段の上には冠木門があり、
門の左手が家老屋敷、正面から右手が
歴史建造物の地区になります。

右手の方には出口近くにレストランと土産物店
が並びます。
昼食は「九曜亭」で摂りました。

正面から入ると受付があり、有料となります。
今回一人だけ有料入場し、家内はレストランから
歴史建造物の方へ回ったので、これは無料でした。
食事の時間を利用しての20分ほどでの見学は
無理があります。添乗員も有料入場は
避けるように指示していましたが、せっかくなので
駆け足見学しました。
レストランから正門への道です。

白壁と桜並木がなかなかの雰囲気です。
上図の門の外側からの眺めです。
正門から入ると奥に旧中畑陣屋が見えます。

家老屋敷は左手になります。
中畑陣屋です。
1873年(天保8)に建てられたもので、
東北に残った最後の代官所です。

中畑村など7つの村を支配した幕府5000石の旗本、
松平軍次郎の代官所です。
代々岡崎家が所有しましたが、同家の改築に伴い
現在の矢吹町から移築され、旧状に復元されました。

歴史建造物の一つで県指定の重文です。
家老屋敷入口の手前に
「西郷四郎」像が立っています。

四郎は頼母の養子で小説「姿三四郎」の
モデルになった人物です。

柔道の大技、山嵐を編み出した人です。
家老屋敷の表門です。
上級武士だけが通行を許されたとのことです。
表門を入ると式台玄関に出ます。

この玄関も上級武士だけが入ることのできる
玄関です。

画面にポインターを置くと
式台玄関の内部をご覧いただけます。

人を迎える人形が置かれています。
表玄関を右に行くと御成りの間がある
「御成御殿」です。

藩主や重役以外は通されなかった
格式高い一角です。
「書院壱の間」「次の間」「茶室」「鎖の間」のほか、
専用の厠(かわや)などがあります。
御成り御殿から眺める反対側の建物、
の側面です。

左手は表玄関の裏側になります。
家臣が執務する部屋が並びます。

右手は西郷家家族の使用する部屋です。




ここは普段家族が茶の間として使用していた
「次の間」ですが、1868年(慶応4)8月23日早朝
戊辰戦争の西軍が総攻撃に入るため、西郷家の
女家族が足手まといにならぬようにとこの部屋で
21名が自刃したのだそうです。

その他の部屋の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

 会津家老屋敷の部屋
会津歴史資料館です。

元は屋敷の土蔵だったものを
歴史館として使用しています。

毎年テーマに沿った資料が展示されるそうです。

時間の関係で外観のみの見学となりました。
奥玄関のある場所です。

右手が奥玄関、中央は女中頭の部屋に
なっています。
裏玄関の先にある井戸とその奥は
「片長屋」で家老屋敷の警護のために、
下級武士を住まわせた場所だそうです。

表門(左奥)の片側についているため、片長屋と
言われます。

現在は第二資料館となっています。
蝋人形で自刃の場などが展示されているそうですが、
見る時間はありませんでした。
裏門から出た場所に四角い窓が作られており、
そこからだけが、鶴ヶ城を望むことができます。

少し遠くて、望遠使用のため、少しボケていますが、
鶴ヶ城天守閣です。
この日の昼食です。
武家屋敷「春の膳」です。

左上が野菜のてんぷら、その下が筍わっぱめし、
真ん中上がデザートの三色団子と桜餅、
その右は団子汁、その下は菜の花の和え物です。

画面にポインターを置くと団子汁の様子が
ご覧頂けます。
大内宿
内宿は、会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区間)の
中で会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
1975年(昭和50)文化財保護法の改正を経て、1981年(昭和56)重要伝統的建造物群の指定を受けました。
会津若松から121号線で南下し、大内宿へ
向かいます。

途中で阿賀川沿いにある芦ノ牧温泉を
眺めながら走ります。
大川ダムにより形成された「若郷湖」です。

正面の橋は県道214号線の橋梁です。
ダム湖を抜けると間もなく大内宿です。

121号線を右へ入り、小野川沿いに延びる
県道329号線で大内宿へ向かいます。
あと6kmです。
大内宿の茅葺家屋です。

通りの両側にずらりと茅葺屋根の家屋が
並んでいます。

この家は三澤屋で、敷地内に、蕎麦屋、酒屋、
茶屋の3店舗あります。
高遠そば( ねぎそば)などが食べられる店ですが、
食事直後でもあり、何より自由時間が30分強で、
残念ながら名物の葱そばを味わう時間が
ありませんでした。

この店以外にも葱そばをやっている店が
軒並みに並んでいます。
そば処以外にこの様に工芸品や土産物を扱う
お店も多々あります。

国の指定があっても、トタン屋根に変えている
家屋も何軒かあります。
街中の火の見やぐらです。
両側にこの様に茅葺屋根の家屋が
ならび、似たような商いをしています。
街のほぼ中程に「大内宿本陣跡」があります。

大内宿の本陣は会津と奥州街道を結ぶ
会津西街道の拠点のひとつとして江戸時代の初期に
建てられ会津藩の初代藩主・保科正之、
二代藩主・正経が江戸参勤のためこの街道を
利用し、ここで昼食をとったという記録が
残っているそうです。この時の行列の総人数は
約六百人で、宿場内はたいへんなにぎわいであった
ということです。

現在は「大内宿町並み展示館」となっています。
街中にあった郵便箱です。

「書状集箱」で、明治4年の郵便創業時、東京市内に
設置されていたポストを、明治5年に大内郵便取扱所
(のちの大内郵便局)が開局されていたことの
記念としてこの地に移設されたものだそうです。
大内宿の突き当りにある「湯殿山」です。

山には「子安観音堂」が設けられています。

観音堂への階段の様子は画面にポインターを置くと
ご覧頂けます。
全部で80段の石段です。疲れました。

右手の家屋は「扇谷分家・浅沼食堂」で
やはり葱そばなどが食べられます。
建物の前にある石碑は「湯殿山」と記されて
います。
「子安観音堂」です。

安産や子供の成長を守護する観音堂です。
堂内には観音像が安置されています。

5月には観音様のお祭りがあるそうで、
この時にはお堂を開門し、赤飯などを持ち寄り
安産祈願をするとのことです。
湯殿山からの大内宿一望です。

一戸一戸が結構大きな家屋です。
昔の宿場町がそのまま残されていています。
観音堂の西寄りに「正法寺(浄土宗)」が
あります。「園城山若王子院」と称されます。

創建は室町時代後期の1576年(天正3)の古寺で、
長く大内宿住民の菩提寺として阿弥陀如来を
祀っています。戊辰戦争の際に官軍はここを
兵糧役場兼救護所として利用し、大内宿の
佐藤新八郎家住宅を本陣としたそうです。
大内宿を山側から入口方向を
眺めています。
宿場内にある「高倉神社」入口の鳥居です。

神社の本殿は奥の山の中腹にあり、時間的に
とてもお参りする余裕はありません。
ここから拝ませて頂きました。
大内宿から来た道を戻り、121号線へ出ます。

会津鉄道会津線の傍を走ります。
この湯野上橋の手前で右へ折れると大内宿、
直進すると「湯野上温泉駅」に出ます。

121号線から会津鉄道線路と湯野上温泉駅が
見えてきます。間もなく駅舎へ到着です。
湯野上温泉駅
湯野上温泉駅は日本でも珍しい茅葺屋根の駅舎です。春にはホーム沿いの桜並木が一斉に
花を咲かせます。駅には囲炉裏もあるなど、大内宿の玄関口として風情ある景観を有し、
2002年、東北の駅百選に選定されています。
会津鉄道湯野上温泉駅です。

茅葺の駅舎は全国でもここだけになったようです。
駅のホームから眺める線路沿いには
桜並木が続いています。
残念ながら満開にはまだ少し時間が掛かるようです。
駅舎の中には囲炉裏も切られており、
自由に休むことができます。
この向かいには売店があり、女性が応対していますが、
この女性3人がこの駅の駅長さんで、交代で
駅務をこなしているのだそうです。
駅舎の隣には足湯も備わっています。
列車待ちの人の気分転換にはもってこいでしょう。
丁度、会津若松行きの列車が到着しました。

あと一週間ほどすれば列車は桜のトンネルを
潜ることになるのでしょう。
駅を側面から見ています。
なかなか趣のある駅です。
湯之上温泉駅から踏切を渡って121号線(日光街道、
右手の道)に出て、那須塩原へと向かいます。

今回の会津の旅はここまでです。
日帰りながら盛りだくさんの見学で忙しくてゆっくり
楽しむと言う訳は行きませんでしたが、
早春の会津地方を堪能できました。
南会津から那須高原の「ハニー牧場」に出ました。

画面にポインターを置くと郡山駅から那須塩原駅まで
今日一日お付き合いしてくれたバスもご覧
頂けます。
那須塩原駅19:02の「なすの282号」(始発)で
東京駅へと向かいました。
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