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福島県の中通は白河市~郡山市~福島市に連なる
県の中央部です。右寄りは浜通り、左手は会津地方となります。
今回は黄色い場所、一部会津地方を通ってゆきましたが、
白河から入り、甲子高原(かしこうげん)を通り抜け、
雪割り渓谷から塔の岪(とうのへつり)を通り、猪苗代町へ出て
土津(はにつ)神社へむかい、そこから北上して檜原湖畔にある
猫魔温泉(星野リゾート)で宿泊し、翌日は五色沼を散策後、
中津川渓谷から吾妻山系の浄土平にでて、福島市から
二本松市へ出て霞ケ城に入り、そこから一路千葉へ戻りました。

何しに行ったかと言うと、「紅葉狩り」です。10月中旬は本来この
地域では紅葉の季節なのに、2013年は夏の暑さのせいか、紅葉が
少し遅れ気味で、低地ではほとんど紅葉は見られませんでした。
それでも中津川渓谷から浄土平にかけて標高1000m以上になると
さすがに山が色づき、何とか紅葉狩りの雰囲気を味わってきました。
東日本大震災の影響もこの地域では相当回復しているようで、
福島県産の食材をしっかり食してきました。

雪割り渓谷
白河市の西寄り西郷村に雪割り渓谷があります。この渓谷に架かる雪割り橋からの紅葉の眺めが
素晴らしいそうです。今回は時期が少し早いために色づきが足らず、眺望としては今一でした。
白河市を北西に抜けたところに
西郷村(西の郷)があります。
この村から流れ始める阿武隈川が
形成した渓谷が紅葉の名所になって
います。
渓谷は雪割り渓谷と呼ばれ、
これに架かる橋が雪割り橋です。
冬場の積雪時に雪を割って阿武隈川が
流れることから名付けられています。

正面に見える白いところは滝ではなく、
柱状の岩肌です。
上の写真の上流部分です。
岩肌がハッキリと見えます。
ところどころに紅葉、黄葉が
散見できます。
全山真っ赤と言うよりはむしろ
綺麗に見えます。
渓谷の崖は白い岩が露出しており、
色づいた木々のアクセントになっています。
この雪割り渓谷は約4km続きます。
雪割り橋の遠景です。
緑に赤が映えています。
かっては阿武隈川最上流の橋でしたが、
甲子道路の開通でこの橋の上流に
甲子大橋が出来、これが最上流の橋と
なっています。
橋全体はこんな感じのものです。
橋は車両が通行できますが、
橋の両端に信号機があり、片側通行に
なっていました。
橋の長さは80mあります。
紅葉が進めば、この道はおそらく車両が
走れないのではと思われます。
橋のたもとに熊の供養碑が建って
いました。104頭の霊を供養しており、
昭和46年4月に当時の福島県知事
木村守江氏の銘がありました。

熊注意の標識もあり、結構熊が出没
するようです。
塔のへつり
塔のへつり(岪:へつりとはこの地方の方言で崖、絶壁、危険な場所を云う)は南会津郡下郷町にある
河蝕地形で、その特異さから昭和18年に国の天然記念物に指定されています。
全長200mにわたり奇岩が並んでおり、現地の案内では昔はここが海であったことの証明と説明していました。
南会津東部を流れる大川が形成した
渓谷で、大川ラインと呼ばれる
大川羽鳥県立自然公園の一部です。

疑灰岩、頁岩などが積み重なり、
浸蝕されてできた柱状の岩です。

つり橋の架かる正面の岩は舞台岩です。
左手の川の上の岩は屏風岩、
右手の下、空間のある部分は
土俵岩と呼ばれています。

上の写真の中央部の拡大です。
左は烏帽子岩、中は護摩塔岩、
右は象塔岩と呼ばれています。

護摩塔岩の下の方に虚空蔵さんが
祀られています。
右端は九輪塔岩、その左尾形塔岩と
名付けられています。
上の写真の一部を拡大しています。
右の岩は九輪塔岩です。
大川の上流方向を眺めています。
まだ紅葉には早く、染まれば
川の青と絶妙の景観を作り出すでしょう。
舞台岩の下は空間になっています。
奥に並んでいる白いものは
人々が積み上げた石積です。

画面にポインターを置くと
対岸から見たこの空間をご覧いただけます。
舞台岩を登ると虚空蔵があります。
昭和45年高松宮殿下御参拝の看板が
掛かっていました。
また、この虚空蔵は坂上田村麻呂の
建立と記されていました。
舞台岩の下は浸蝕で二段に
なっています。

画面にポインターを置くと
前方部分の拡大写真を
ご覧いただけます。
上の写真の反対側の眺めです。
大川の下流方向になります。
これより先には進めません。
対岸から見た上の部分です。
此処は立ち入りが禁止されています。
土津神社
磐梯山の南東の麓にある土津(はにつ)神社は徳川家光の異母弟で会津藩松平家の初代保科正之を
祀った神社です。1675年の創建です。造営当時は日光東照宮にも匹敵する絢爛豪華な神社だったそうですが、
戊辰戦争の折に焼失しています。ここは国指定史跡となっています。
土津(はにつ)神社はカエデの紅葉で
有名だそうですが、残念ながら
紅葉には早すぎたようです。
ほんのりと染まり始めてはいます。

戊辰戦争で焼失後、1880年(明治13)に
村民により再興されています。

画面にポインターを置くと別角度からの
鳥居をご覧いただけます。
参道と拝殿です。質素な感じの神社です。

右手の建物は神楽殿です。
拝殿です。
徳川家ゆかりと言うことで、
屋根の上の紋章、拝殿内の提灯、
賽銭箱の紋章は全て三つ葉葵に
なっています。
本殿です。
内部には入れません。
本殿の周囲にある分社です。
会津藩ゆかりの人達が祀られて
いるようです。

こちらは本殿に向かって右側にある
分社で、一番奥は保科正之の嫡子
長門守正頼を祀っている岩彦神社。
その手前は城代家老田中三郎兵衛正玄
を祀った信彦霊社、その手前は
家老井深茂衛門重光を祀った久彦霊社、
左手前は家老築瀬三左衛門正真を
祀った幸彦霊社です。
土津神社霊神の碑です。
保科正之の履歴を刻んだ碑で
高さ5.45m、幅1.83m、厚み1.51m
神社の石碑としては日本最大です。
彫られた碑文は1,934文字あります。

下の石は亀石で、当初南向きに置かれた
ところ、亀が猪苗代湖まで這い出したため
北向きに置いたところおとなしくなったと
言う伝説があるそうです。

なお、碑の下の亀は中国では贔屓(ひいき)
と呼ばれ、碑の下に置くのは亀跌(きふ)といい、
伝説上の動物で龍の子供と言われています。
境内は少し色づいています。
猫魔温泉星野リゾート
裏磐梯ホテル(旧裏磐梯猫魔ホテル)が7月にリニューアルオープンし、
バスツアーでここに宿泊しました。広々としたホテルで部屋も結構広く、
語り部のお話(猫魔物語)も聞くことが出来ました。
ホテルの建物です。
正面が入り口になっています。
大浴場からの檜原湖を望んでいます。

下の茶色いのは露天風呂です。
源泉かけ流しです。
眺望抜群の露天風呂です。
夜は満天の星が眺められます。
露天風呂から檜原湖を眺めています。
五色沼湖沼群
磐梯山の明治の大噴火により形成された数多くの湖沼群が裏磐梯一帯に広がっています。
その中で檜原湖と秋元湖の間に点在する幾つかの湖沼を五色沼と称しています。
最も大きな毘沙門沼から赤沼、深泥沼、竜沼、弁天沼、青沼、瑠璃沼、柳沼、母沼、
弥六沼までの約4kmに点在する湖沼群です。
朝食後柳沼から入り、竜沼まで歩き、
深泥沼まで行きたかったが、出発時間の
関係で竜沼から折り返し、檜原湖を少し
眺めて朝の散策を終えました。
約1時間20分でした。
最初の柳沼です。
色づいた木々が水彩画のような
雰囲気を醸し出しています。
柳湖の反対にある母沼です。
なぜ母沼と呼ばれるのかは
確認できませんでした。
この沼の水は柳沼に流れ込んでいます。

弥六沼と母沼の間に父沼もあり、
父沼の水がこの母沼に流れ込んで
いるようです。

沼の中に温泉が湧きだしているそうです。
柳沼の中ほどの眺望です。
柳沼を過ぎるとこんな看板があります。
熊が出るようです。

先の看板は「ここから植物保護地区です」
との表示があり、自然に近い状態を
保つ為道が悪いので注意するようにと
記されていました。
青沼です。
五色沼の水は総じて酸性度が高く、
火山性のアルミ、鉄、マンガンなどの
イオンが溶けており、更に多量の
カルシウムと硫酸イオンが含まれるために
プランクトンが育成できず、
湖面が青くなるそうです。
林の中を歩いていると
あたかもステンドグラスのような
景色に出会います。
色づきが遅いとは言え
やはり秋の山です。
弁天沼です。
青沼よりさらにコバルトブルーの
色合いが強まります。
弁天沼の先に竜沼があります。
歩道より離れている為沼の全景が
見えませんが、この葉越しに
望遠レンズでとらえてみました。
沼を繋ぐ流れがあちこちにあります。
流れている水は色がありません。
溜まると光の加減で色が出るのでしょう。
小さな滝が散見できます。
竜沼から戻る途中の弁天沼の景観です。
五色沼では毘沙門沼(今回は行けず)に
次いで大きい沼です。
弁天沼は場所と光の加減でか
こんな水の色の所もあります。
沼が左右で二色になっているそうです。
往路では見なかったるり沼です。

磐梯山の銅沼から裏磐梯スキー場を回って
流れ込む水が酸性度を下げており、
透明度が一番高い沼です。

探勝路に看板はありますが、看板より手前で
少し入り込むので、うっかりすると
行き過ぎそうです。

柳沼の別の顔です。
同じく柳沼を西から眺めた景観です。
探勝路は右側の岸を歩きます。
檜原湖です。
太陽があるかないかで本当に景色が
変わります。
曇天では水の色も灰色です。
山の色は茶色です。
猫魔温泉から中津川渓谷へ向かう
途中のバス車窓から見た
三湖を望める地点です。
車窓からの一瞬の撮影で見難いですが、
手前正面縦長の湖は秋元湖です。
真ん中辺りに細く左右に延びているのは
小野川湖です。
一番奥に長く延びているのは檜原湖です。

この地点のみが三湖を一望できる
地点です。
中津川渓谷
中津川渓谷は秋元湖に流れ込む中津川により形成された渓谷です。
中津川は吾妻山系に水源をもち秋元湖まで福島県内を流れる川です。
丁度北塩原村と猪苗代町の境界がこの川になっています。。
磐梯吾妻レークラインの中津川橋から
眺める中津川渓谷の紅葉が有名です。

川の左手は北塩原村、右手は猪苗代町と
なります。

標高800m~1千mレベルになると
このように色づいています。
今回の旅行の中では最高の紅葉狩り
でした。
磐梯吾妻レークラインで中津川に架かる
中津川橋です。
この橋の上からの眺めが最高なのです。
近くにパーキングエリアがありました。

画面にポインターを置くと
橋そのものをご覧いただけます。
橋の上から見た中津川です。
溶岩をくり抜きながら流れています。

川の右側には散策用の道路も
設けられています。
今回は時間の関係で散策路まで
下りられませんでした。
渓谷の遊歩道へ降りる途中から見た
中津川です。
岩があちこち浸蝕されています。
散策路の紅葉です。
中津川の流れと遊歩道です。
浄土平
浄土平(1600m)は吾妻小富士(1707m)の麓に広がり、東吾妻山(1975m)、一切経山(1949m)などの
山に囲まれた平坦な湿原です。今回の旅では最も期待していた場所でしたが、残念ながら到着前から
降り始めた雨のため、ゆっくりすることができませんでした。
吾妻小富士は学生の頃に一人旅で
東北地方を一周した際に土湯温泉から
登りに来ましたが、50kgの荷物を背負って
いたので、途中でダウンしてしまい、
登頂をあきらめた山です。
今回こそその時のリベンジをと考えて
いたのですが、無情の雨で、見通しも悪く、
今回も途中で登るのをあきらめました。
尤も、時間の制限が有ったこともありますが・・・・

こちらからでは見えませんが、頂上には
大きな噴火口があり、富士山の頂上を
思わせる眺めだそうです。それで吾妻小富士と
名付けられています。本来の名前は
摺鉢山です。

晴れていれば浄土平から頂上往復で
30分程度で行けるようです。

吾妻小富士ビジターセンターの写真から
吾妻小富士をあきらめて浄土平湿原へ
向いました。
雨に煙る一切経山が見えます。
この湿原は一切経山の噴火により
堆積した火山灰が風化し水を通しにくく、
表面に水がたまってできたものだ
そうです。


浄土平の湿原は尾瀬ヶ原湿原とは
その形成が異なるそうです。
従い植生も少し違うようです。
ここではワタスゲ、イソツツジ、イワカガミ、
モウセンゴケなどの湿原植物が
見られるそうです。

尾瀬は燧ヶ岳の噴火でできた湖に
周辺の土砂が流れ込み、浅くなったため
出来た湿原だそうです。植生も
ミズバショウ、ミズゴケなどが主となります。
湿原の中には木道が設置されており、
一周できるようになっています。
吾妻小富士の麓もパッチワークのように
色づいていました。
吾妻小富士の噴火による火山礫の中に
張り付いた植物たちも四季を感じて
いるのでしょう。
ビジターセンターにあった
吾妻小富士と一切経山のパネルです。
位置関係がよく判ります。

上の方にある五色沼は裏磐梯の五色沼とは
全く関係のない五色沼です。
日光にも五色沼があります。
お昼は浄土平のレストランで
わっぱめしでした。
二本松霞ヶ城
霞ヶ城は二本松以外に福井県丸岡城、山形県山形城も夫々霞ヶ城と呼ばれています。
二本松城は日本100名城の一つで、1341年畠山高國がこの地に居を定め、1414年
7代当主二本松満泰が二本松城を築いたのが始まりで、以降伊達家の支配下になったり
しました。1643年からは丹羽氏の居城となり戊辰戦争で一部を焼失、明治維新後は
1872年廃城令より全ての建物が棄却されました。1982年に箕輪門と附楼が再建され、
1995年に本丸跡や天守跡が整備され、霞ヶ城公園として公開されています。
二本松城(霞ヶ城)の入り口です。
1982年に復元された箕輪門と附楼です。
正面に見えるのは附楼です。
その向こうに箕輪門があります。
戊辰戦争の折、少年兵が大勢犠牲に
なりました。
これを顕彰するために作られた像です。
1996年に建てられました。
箕輪門への階段です。

画面にポインターを置くと
箕輪門(後ろ側から)が
ご覧いただけます。
城内に入り三の丸跡を通り抜けると
霞ヶ池に出ます。

霞ヶ城は紅葉のみならず、桜も有名で
日本桜百選にも選ばれています。
霞ヶ池のそばに智恵子が生まれた家に
有った藤が移植されています。
智恵子は二本松の出身です。

この池から流れ出る水が七段の滝に
なっています。
霞ヶ池の上段にるり池があります。
正面に布袋滝があります。
霞ヶ池の上の方に笠松があります。
樹齢300年の赤松(八千代の松)で
東西に14mの傘状に広がっています。


右は城内の広場です。
城跡の西上にある見晴らし台からの
眺望です。
お天気なれば、安達太良山(1699m)、
鉄山(1709m)、箕輪山(1718m)を
前方に見ることができるようです。
曇り空で見えませんでした。
見晴らし台の横に土井晩翠の歌碑が
建っていました。

晩翠が昭和24年に来た折に

「花ふぶき 霞ヶ城のしろあとに 
         仰ぐあたたら 峯の白雪」

と詠んだ歌が彫られています。
洗心亭です。
洗心亭から見た霞ヶ池と三の丸跡です。
三の丸跡では菊人形展が開催されて
いました。



箕輪門の横に展示されていた
菊人形展の案内です。


旧二本松藩戒石銘です。国史跡です。
城址から少し離れた場所に建っています。

七代藩主・丹羽高寛公が、家臣の儒学者・
岩井田希夷(昨非)の献策によって、
藩庁前の自然石に藩政改革と綱紀粛正の
指針とし、一夜のうちに刻ませたものであると
云われています。


こんな姿を期待してきたのですが・・・・・

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