ジェラシュ ヨルダン北部へ
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ジェラシュはアンマンより少し北、シリアより
の場所にあります。ここは新石器時代
から人が住んでいた形跡が残され、
特に、アレキサンダー大王が訪れた
紀元前332年頃から急速に発展した
と言われています。しかし、紀元前63年
にはローマ帝国のポンペイウスによって
征服されています。紀元129年ローマの
ハドリアヌス帝がここを訪れたことにより
有名となり、紀元3世紀ごろまで繁栄
していたそうです。
右の図はジェラシュの遺跡配置図です。 
図をクリックすると拡大できます。

 ハドリアヌス帝の来訪を記念して建造された
 ハドリアヌス凱旋門 現在修復工事中です。
 以前は頭部の三角屋根はありませんでした。
 凱旋門を入ってすぐ左手に競馬場が
 あります。 ローマ時代のものですが、
 現在も催しに使われています。
 上記配置図7にある南門です。  ゼウス神殿 修復中で中には入れません
 でした。
 南劇場(図10)紀元1世紀頃の建造で、3000人
 収容できます。
 劇場の椅子にはマークが彫りこまれ指定席に
 なっていたことを表しています。
 楕円広場(フォーラム;図8)の石畳と装飾柱 楕円広場の遠景 長さ90m、幅80mあります。
 南十字路(図14)への列柱通り  左の柱列と右の柱列が交差しています。
 アルテミス神殿側面からの遠景
 手前はセオドア教会跡(図16)
  アルテミス神殿 紀元2世紀頃の建設で
  正面はコリント式石柱で飾られています。 
 アルテミス神殿の内部状態
 正面が神殿
 ニンファエム(図23) 泉から引かれた水が
 ライオン像の口(現在はない)から溢れていた
 そうです。
クセイル・アムラ
クセイルアムラはアンマンから東へ80`ほど行ったところにある、ウマイヤ王朝期に砂漠の
休養地として建てられたお城です。
城と言ってもこじんまりしたもので、浴室(熱い湯の部屋、いい加減の湯の部屋、ぬるい湯の部屋などが
あります)と休憩室から成り立っています。この小さい城が世界遺産に指定されているのは、その浴室や
休憩室の壁面にあるフレスコ画によるものです。日本人にはいささか理解に苦しむ世界遺産指定ですが、
欧米人にとってはそれなりの価値を見出しているのでしょう。
 外見はほんとにかわいいお城です。(正面)  裏側から見たところです。左の矢車は水汲み用
 休憩室の壁面には楽しい時間を過ごす
 人たちが描かれています。(ちょっと見難いかな)
 浴室にはなぜか豊満な女性の絵が多いです。
 男性が集まる場所に美しい女性の絵です。  天井にもいろいろのフレスコ画が描かれています。
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