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パルミラは本来は中部地区に入りますが、今回北部に写真を掲載しています。

アレッポ

アレッポはローマ時代から近世まで商業の中心地として栄えたシリア二番目の都市です。街が世界遺産になっています。

アレッポ城

紀元前10世紀
にヒッタイト人に
より神殿として
建てられた。

12世紀に
十字軍侵攻
を防ぐために
城塞にされた。

深さ20mの堀
周囲2.5km
もある城塞


城門には厚い
石の扉があり、
表面は模様が
彫られている。
アレッポ城
 上の入口の反対側  橋から堀の眺め  城塞内部のモスク

アレッポ城
城内に形成
された街


城門を入ったところ
には敵が侵入した場合
に備え上から攻撃でき
る窓がある

アレッポ
考古学博物館

古代シリアの
発掘品が
数多く展示され
ています。


 
 蛇の彫像
 この時代には蛇は
 永遠の生命をもつ
 典型とされていた。 
 博物館正門と周辺の彫像群  中庭の石像
アレッポの
キャラバンサテイ
(隊商宿)
現在もホテル
として使われ
いる

右は
アレッポ市内の
レストランの
内部
石造である。
アレッポ
グランドモスク


8世紀ごろの
建築、元は
キリスト教会

このモスクが
あとのモスク
の手本に
なっていると
言われている


 モスクの象徴
 ミナレット



 モスク内部 

アレッポの
スーク
(商店街)
長さ1.2km
と言われる
パルミラ

シリア砂漠のオアシスであったパルミラはシルクロードの拠点として
栄えたそうです。
アラム人が住み始めたのは紀元前12世紀頃からとのことです。
紀元前1世紀からパルミラの発展がはじまり、ローマ時代には
ぜノビア女王がローマ帝国に対抗し、272年にローマの侵攻を
受け、街は破壊されたとのことです。
これ以降パルミラは歴史からその姿を消すことになりました。
パルミラ遺跡の概観図は右のとおりです。
東南にベル神殿があり、その前に記念門があります。
記念門から北西に向かって柱列道路がのびており、その中央に
四面門があります。四面門の手前左に円形劇場があり、
その東側奥にバールシャミン神殿があります。

パルミラ

世界一美し
い遺跡と
言われる
ベル神殿
本殿と柱列


ベル神殿の入口


壁面のフラスコ画
ちょっと見難いですが
ベル神殿

正面入口
(逆光)と
横からの
眺め
ベル神殿
周囲の壁と柱列
記念門
から市街地へ
  記念門の内側から

 四本の柱の色が違う
パルミラ市街  
 ローマ時代に作られた野外円形劇場  市街の中心道路と柱列
 市街中心の交叉点に設けられた四面門  市街地からアラブ城塞を眺める(標高150m)
 バールジャミン神殿 ローマ様式の神殿  同左 広大な敷地を有し、5世紀に教会として
 利用され保存状態は良い
アラブ
城塞


市街の西の岩山の
上にある
 17世紀に造られた城塞 150mの岩山の上にある。ここから眺める日没は美しい 
墓の谷
 墓の谷に立つ墳墓 金持ちや高官の墓である  神殿造営に多額の寄進をしたエラベル家の
 墓とその内部 5階になっている。
 





パルミラ
博物館
 パルミラ博物館正面入り口 大理石の棺の彫刻 絹衣を着けていたことがわかる





ベトウィンの生活
    ベトウィンは砂漠のなかのテントで自然のままの生活をしている。最近は町中に住居を持つ人が多いらしい。 
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