臼井・千代田地区 佐倉の風景 志津地区 佐倉旧市街 弥冨地区 根郷地区 和田地区
臼井・千代田地区
京成臼井駅を中心に広がる臼井地区とそれに隣接する
千代田地区は住宅街として開発されつつある地区で、
住宅地と農地がまだ混在しています。
まずは、私の住んでいる地域をご紹介します。
開発されて20年未満の新しい地区です。
自然に恵まれた素晴らしい環境だと思っています。
染井野は京成臼井駅からバスで5~7分、
歩いて15~20分の距離にあります。
この地域のクリスマス時期のイルミネーションは地域の
あちこちで行われ、毎年TVでも放映されています。
一見の価値はあります。
染井野のX’masをクリックしてみてください
京成臼井駅近辺には大きな住宅街が
幾つか有ります。
青い線で囲んだ部分は染井野地区です。
駅の東北部には鳳翔団地があります。
結構早くに開発された地区です。
駅の南側には王子台地区があります。
一部は北側にも延びており、この辺では
一番広い住宅街です。
駅の北側には稲荷台地区があり、
更にその北側には八幡台と呼ばれる
住宅団地があります。
この地区の団地は殆どが戸建てで、
成田空港に近いことから、空港関係、
航空会社関係の人が沢山居られます。
中央右手のスペースも現在一部開発が
進められています(2013年現在)。
地図の中ほど
右側の運動広場から
染井野2丁目方面を
眺めています。
春には広場周囲の桜が
満開になります。
朝夕は犬連れの人達が
ドッグランを楽しんでいます。
染井野の中心部に
七井戸公園が有ります。
季節により色々な花木が
満開になります。
桜は少なめです。
草花もいろいろと植えられ、
四季を彩っています。
洋風あずまやからの眺めです。
左手の高い木はメタセコイアで
秋になると綺麗な黄色に染まり
ます。
北寄りの高台からは
印旛沼も遠望できます。
夏の花火も見ることが
できます。
染井野小学校の東側から
田圃が一望できます。
奥の高台の右手の茶色の建物は
歴史民俗博物館です。
染井野の和風街区は
国土交通省の表彰を
受けています。
洋風街区も家並みがそろい、
植栽も統一されています。
弊宅の庭の様子です。
染井野散歩
2005年まで愛犬がいた時には毎朝夕彼と一緒に染井野の近辺を
散歩していました。彼の死後、殆ど歩かなくなりましたが、前立腺癌の
手術の後、家内に曳かれて体重増加を防ぐため再び歩き始めました。
脊柱管狭窄症患者にとっての歩きは結構厳しいものがありますが、
一日最低4千歩を目途に続けています。

染井野居住区は1990年代から開発された地区ですが、周辺部にはまだ多くの自然が残され、田園風景も広がっています。
毎朝、40分~1時間程度歩きます。毎日の風景が自然条件で変わります。カメラを持参しないときに限って素晴らしい景観が
出現します。その景色を追って最近は毎日カメラ持参で歩いています。
ここ数年残念ながら散歩は殆どやらなくなりました。ゴルフはカートで座るとプレー継続できますが、散歩は殆ど歩き続けるので、
腰から下が痺れるようになりました。脊柱管狭窄症は朝のストレッチ体操のお蔭で進行がゆっくりですが、やはり歩行はつらいです。。

我が家からの散歩のスタート地点。
住宅街のブロックをつなぐように
このような小路があちこちに
作られています。
小路を抜けると表通りに出ます。
朝まだ早い時間は閑散としています。
と言っても、日中でもそれほどの
車の流れはありません。
住宅街を抜けると広々とした
田圃の眺望があります。
この辺りは兼業農家が多いので、
春秋の連休期間が作業のピークに
なります。
8月下旬はもう稲の色が黄金に
変わります。
時には雲が空を覆います。
朝日がこの雲に入り込む瞬間を
狙っていましたが、数秒で
チャンスが逃げました。
中央の少し白っぽいところに
朝日が隠れています。
雲に入る瞬間は丸い太陽が
綺麗に見えたのですが・・・・
時には雲が空を半分に区切ります。
小学校のすぐ外が桜並木と
黄金色の稲穂の波で埋まります。
丘の上には国立歴史民俗博物館が
望めます。丘全体が佐倉城址に
なります。
右手一杯の辺りに元の天守閣が
あったようです。
先日はこの丘と田圃の間に霧が靡き、
丘が中空に浮かんでいました。

画面にポインターを置くと
博物館の上に出る朝日をご覧いただけます。
冬向けの園芸用苗が並びました。
数日後には花が付き始めました。

ポインターを画面に置くと
花の咲き始めたポットが
ご覧いただけます。
朝日を正面からとらえましたが、
日輪は丸ではなく三角形に
なってしまいました。

画面にポインターを置くと
朝日の出る瞬間の同じ場面が
ご覧いただけます。
散歩道には田圃だけではなく、
畑もあります。
畑のそばにスイレンも咲いていました。
飾柚子と言う実だそうです。
食用にはならないそうですが、
大きく立派な実になっています。
フェンスに瓢箪もぶら下がっています。
色づいた田圃の中は格好の
散歩道になります。

8月下旬にはすでに稲刈りの終わった
田圃もあります。
画面にポインターを置くと刈入後をご覧いただけます。
あぜ道だけではなく、こうした
古い小道をたどるのも
結構楽しいです。
オシロイバナが咲き乱れています。
かと思うと、キウイが鈴なりになっています。
傍にはイチジクも色づき始めています。
勿論、カキの木も実をたわわにつけています。

色づいた果実類は誰も盗っていきません。
自然がいっぱいの小路を抜けて行きます。
お花も四季折々に色々と植えられています。
ひまわりも夏の終わりを告げています。

画面にポインターを置くと夏の終わりのひまわりを
ご覧いただけます。
坂の途中にペンチがあります。
丁度一休みするのにもってこいの場所です。
設置は社会福祉協議会の方々によるものです。
疲れた年寄りに丁度良い場所にあります。
木々の茂った小路は気持ちをリフレッシュ
させてくれます。
色の異なる百日紅が花を一杯つけています。
左手は園芸農家の温室で季節ごとの草花で
何時も埋まっています。
通りに面して小さな祠があります。
常に飾りつけや献花がされています。
どなたがされているのでしょうかね。
通りに面した畑には冬瓜がなっています。
七井戸公園の入り口です。
多くの人がこの公園で散歩されています。
以前、愛犬のハスキーが健在の折には
この公園が遊び場になっていました。
七井戸公園の東側にある運動公園です。
増水時の貯水池を公園にしています。
時にはカワセミも姿を見せます。
休日には少年フットボールチームの競技場に
なっています。
平日には高齢者のグランドゴルフ場でもあります。
勿論、ドッグランをさせている人も多いです。
更には、ドクターヘリのポートにもなります。
池には鴨が遊んでいます。
染井野住宅街には町内ごとに公園があります。
1丁目から7丁目までそれぞれ一か所、更に
ところどころに小公園も設けられています。
この公園は散歩の途中に通る1丁目の
つきのき公園です。
此処が斜面の一番上で、奥の方向に下がって
いきます。
画面にポインターを置くと下からの眺めも
ご覧いただけます。


ここ以外の公園は全て平坦地にあります。
七井戸公園から我が家へ向かう街並みの中に
このような小路が色々とあります。
この道の奥はロータリー状になっており
同じような小路が四方から集まりその中心は
小さな公園になっています。
街中に咲いていた芙蓉です。
木槿の花はあちこちに咲いていますが、
芙蓉は珍しいです。
椿の実が沢山なっていました。
すでにはじけた実もあります。
はじけた実は工芸品の材料になるようです。

ポインターを画面に置くとはじけた実を
ご覧いただけます。
家の周りに花を植えているところが多いです。
通る人を楽しませる為でしょうかね。
散歩のルートも最終地点。
我が家への道です。












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臼井地区は臼井城址を中心に広がる下総台地にあります。
臼井城は1479年の太田道灌の息子大田図書助との戦い、
1556年上杉謙信の侵攻が有名です。
また、雷電為衛門の顕彰碑も臼井地区にあります。

臼井は印旛沼を背にした自然の要塞として12世紀頃に千葉氏一門の臼井氏の居留地として発展しました。
14世紀には臼井興胤により臼井城の城閣の基礎が作り上げられたようです。以後、盛衰を繰り返し
1593年に焼失。1604年に酒井三次の転封以降廃城となり、以降、城の再興はなりませんでした。
雷電為衛門は晩年を奥さんの生家のある臼井で過ごしました。浄行寺には彼の墓もあります。
また、中国の瀟湘八景にならって臼井秀胤と円応寺の住職により臼井城址周辺から眺められる
印旛沼の情景を臼井八景として選定されました。

臼井八景 臼井八景は上記の如く円応寺の住職玄海僧と
臼井秀胤の漢詩・和歌をベースに選定されています。

「唐には瀟湘八景といって、洞庭湖の近くを流れる
瀟水と湘水の辺りの美しい景色を歌った漢詩が
残されてござる。無論でかけて見たものは少なかろうが、
訪ねなくても歌によってその見事な景色を、人は見ている
如くに思い馳せる事ができ申す」(「臼井城物語」小畑良夫著)
として、印旛沼の美しさを読み上げたのが下の漢詩と和歌です。

写真と詩歌から八景の美しさを思い浮かべて下さい。

地図は佐倉ハイキングクラブの物を拝借しています。
画面をクリックすると拡大出来ます。

臼井八景の一
船戸夜雨

夜雨瀟瀟たり船戸の天
深泥路を封じて平田に接す
青灯耿耿たり漁窓の外
幾許の浴鳧か水辺に喧しき
(宗的)

漁する船戸の浪の夜の雨
濡れてや網の縄手くるしき
(信斎)

*宗的は円応寺住職
 玄海の、信斎は秀胤
 それぞれの号です。
 

臼井八景の二
遠部の落雁

行を乱す飛雁田疇に落つ
蘆葉半ば凋む遠部の秋
稲梁を貧了して饉を
充たさんと欲す
沙頭に倦翼し且つ踟?す
(宗的)

手を折りてひとつふたつと
かぞうれば
みちてとおべに落つる雁がね
(信斎)
臼井八景の三
飯野暮雪

一丘突兀として気宿肅森
冬嶺の青松半ば陰を落とす
瓊屑粉にたり衰日の暮
玉龍忽ち見る波心偃するを
(宗的)

ふり積もる雪の夕べを見ぬ人に
かくといひののことの葉もなし
(信斎)

臼井八景の四
師戸の帰帆

布帆一幅清湾に浮かぶ
万頃の煙波往きて亦還る
潭面風休んで鏡を鋳るが如し
影は翠黛を分かちて前山を清す
(宗的)

もろ人の諸戸の渡り行く舟の
ほのかに見えてかへる夕くれ
(信斎)
臼井八景の五
瀬戸の秋月

清湖影を漂わして月流るるが如し
残漏光を惜しんで人楼に倚す
瀬戸の清風令夜の景
吹いて我をして洞庭の秋を嘯ぶかしむ
(宗的)

もろこしの西の湖もかくやらん
には照る浪の瀬戸の月かけ
(信斎)
臼井八景の六
城嶺夕照

空しく見る平湖と攅峰
昔年の層閣総て蹤なし
孤城の返照紅葉に斂まらん
近市の浮烟翌且つ重
(宗的)

いくべ入日を峰に送るらん
むかしの遠くなれる古跡
(信斎)


*臼井城址は臼井台にあります。
 ポインターを画面に置くと
 城址公園がご覧いただけます。
臼井八景の七
光勝晩鐘

一遍の宗風己に厳然たり
星霜五百有余年
鐘声遙かに響く孤雲の外
知んぬ是称名落月の前
(宗的)

けふも暮れぬあはれ幾世をふる寺の
鐘やむかしの音に響くらん
(信斎)


*光勝寺は京成臼井駅の東の
 台地の上に建っています。
 ポインターを画面に置くと
 お寺の現状がご覧いただけます。

臼井八景の八
洲崎の青嵐

江山を掃尽くして嵐靄を絶つ
朝来子細に洲崎を見る
翅を曝す?鷺平沙の上
葉を交へる蒹葭浅水の濱
(宗的)

ふき払ひ雲も嵐もなかりけり
洲崎によする波も静かに
(信斎)

*現在洲崎は八幡台の住宅地で
 公園になっています。残念ながら
 ここから印旛沼は見えません。
 
臼井散策
京成臼井駅から千代田出張所(観光案内資料をもらえます)、
音楽ホールを経て京成本線を渡り、稲荷台へ入りました。
以下歩いた順に写真をご覧ください。
佐倉市民音楽ホールです。
中々立派なホールで、結構
有名人のコンサートも開催されます。

市民は会場を賃借できるので、
各種市民団体の発表会や幼稚園
小中学校の発表会にも利用されて
います。

ホールには立派なストリートオルガンが
置かれており、催もののある時に演奏
されることがあります。

音楽ホールの西に神明社があります。
祭神は天照大神です。
創建は慶長年間のようです。
神明社の隣は御伊勢公園です。御伊勢山と呼ばれていた場所にある公園です。右の写真は市民カレッジ生が
ボランティアで4年間管理している花壇です。中の写真は臼井駅前再開発の記念碑です。
宿内(しゅくうち)公園です。
ここは元臼井城の砦跡です。
小高い丘になっており、
臼井地区が鳥瞰できます。

この公園がbump of chickin
の「グロリアスレボリューション」
の撮影現場となっています。
メンバーの一人が臼井出身で
彼らの「くだらない唄」に出る
タンポポの丘はこの公園だとの
説もあるようです。
宿内公園を下ると
途中に道誉上人の墓があります。
上人は近くにある長源寺を創建した
方で、同じく上人によって開基された
千葉の大巖寺に対し、臼井の長源寺を
新大巖寺とも呼んでいます。
上人は芝増上寺の第九世法席を
勤めた高僧です。
浄土宗長源寺です。

この地は臼井小学校発祥の地で、
明治6年に開校されています。
明治11年からは臼井村役場が
ここに設置されました。
長源寺から妙伝寺へ抜ける途中に
稲荷神社と雷電公園があります。
稲荷神社の敷石は雷電為衛門が
寄贈したと記録されています。
また、稲荷神社の境内にある
椎の木(写真右より)は佐倉市の
保存樹となっています。

正面の祠は右は子安神社、
中央が稲荷神社
左は三峰古峯神社です。

稲荷神社の石段下から
国道296号を渡り、少し行くと
雷電為衛門のお墓があります。
雷電の夫人おはんの実家が
臼井にあり、雷電は後世を
臼井で過ごしたとのこと。

雷電の墓は全国で4か所あり
夫人と息女が一緒の墓は
臼井のみとなっています。

右端の墓が雷電一家の墓です。
ポインターを画面に置くと
墓石が拡大できます。
雷電墓から妙伝寺の前を通り、
暫く行くと妙覚寺があります。
この境内に雷電の顕彰碑が
あります。
等身大の雷電像と佐久間象山の
「天下第一流力士雷電の碑」
の十一文字が彫られています。

ポインターを画面に置くと
左にある雷電の手形が
拡大できます。
妙覚寺から少し北寄りに
実蔵院があります。
真言宗豊山派の寺で、
江戸時代には佐倉藩臼井領の
祈願寺であったようです。

境内には牡丹が沢山植えられ
ており花の季節には素晴らしい
景観となります。

ポインターを画面に置くと
境内の状況をご覧になれます。
実蔵院から臼井城址への
道筋に星神社があります。
この神社は臼井城築城の折
鬼門封じに建てられたと
言われていますが、縁起に
ついては不詳です。

境内には樹齢250年のむくの
木があります。
(ポインターでご覧ください)
室町中期に大田道灌の
弟大田図書は古河公方と
管領上杉の抗争で、
臼井城攻めの折に
城は落城させたものの、
この地で一命を落とすことと
なりました。


臼井城址です。
臼井城址から西方向の眺めです。

ポインターを画面に置くと
印旛沼の方面の画像を
ご覧いただけます。

臼井八景の一つです。
臼井八景を作った僧玄海が
住職をしていた円応寺です。

円応寺から印旛沼へ抜ける
途中に「阿辰(おたつ)の墓」
があります。
阿辰は臼井城主祐胤の子
竹若丸の乳母です。
1314年祐胤より竹若丸の
後見を頼まれた祐胤の
弟で志津城主の胤氏が
竹若丸を殺害せんとする
事を知った阿辰は竹若丸を
鎌倉へ逃しました。
これを知った胤氏に
追われて印旛沼の芦原に
隠れましたが咳をしたため
見つかり殺害されて
しまいました。
これを憐れんだ村人が
祠を建てました。この祠に
お茶と煎り麦を供えると
咳が治ると言い伝えられて
います。
旧街道の道しるべです。
臼井駅東よりの国道296号
踏切の近くに残っています。

左は「西 江戸道、
東 成田道」と書かれた
石標で1806年に建てられた
ものです。
真ん中は「さくら道」の道標
です。
臼井八景で「光勝晩鐘」と
歌われている光勝寺です。
時宗のお寺です。
本尊は阿弥陀如来ですが、
印旛沼に流れ着いた首に
胴を着けたと言われる
「閻魔大王」の像が祀られて
います。

ポインターを画面に置くと
閻魔大王がご覧いただけます。
光勝寺の近くに
印旛姫の宮があります。
この宮の由緒はよく
分かりませんが、
境内に男根が置かれて
いるので、おそらく
子授かりの宮だと
思われます。
周囲が新開地になって
いるので探しずらい
お宮さんです。
光勝寺・印旛姫の宮
のある臼井台から
印旛沼を眺めた
光景です。

昨年から佐倉国際
花火大会が再開され
ていますが、
かっては印旛姫花火
大会と銘打っていた
そうです。

印旛姫を慰労する
花火大会だったようです。
                      佐倉へ