杭州市ー2-
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前回は西湖畔に泊ったので西湖風景を見ましたが、今回は蕭山市に宿泊したので、
朝の散歩はホテルの周辺になりました。
そのあと、時間を利用して西湖近くの前回行かなかった場所へ行ってみました。

杭州市肅山区 蕭山区は蕭山市が2001年に杭州市
に統合され、区の人口は116万人です。
 2017年の新しい蕭山区は杭州市3でご覧いただけます。
朝靄に包まれた蕭山区の住宅街の一部です。
10数年前は畑でした。
工業区が開発され爆発的に人口が増えました。
蕭山区は元蕭山市で市長が経済犯で
逮捕されたこともあります。
上の写真の左下に見える公園です。
孫の面倒を見るお婆さんが多かった様です。
新興地区は保育所も少ないのかなぁ?
公園に面した住宅は窓が全て鉄格子で
囲われています。
日本の治安が良すぎるのか、
はたまた日本人の危機意識が低いのか。
比較的高級住宅では住宅区の入口には
門衛がいてもこの状態。
清河坊
杭州駅近くにある古い時代の街並みを再現した場所です。
宋代の都の時にはこの辺りが繁華街の中心となっていたようです。
日曜日で人出も多かったようです。
中国の各地に再建されている仿古街
(昔の様子を再現した街並み)と同様に
復古調の屋台なども沢山並んでいました。
招き猫(招財猫)を売っている屋台です。
猫以外にも色々あり、おさるの飾りを求めました。
その場で名前を彫り込んでくれます。
無料で名前を入れてくれます。
知人が日本の平仮名で頼んだら、
ちゃんと文字になっていました。
懐かしい飴やさんもありました。
希望通りの形に作ってくれるようです。
中国の人気者が並んでいました。
通りの真ん中に有る仏像に子供が沢山
登っていました。
良く見ると、この像の周りにも小さい子供の像が
遊んでいます。
子供が乗って遊ぶ様にしてあるのでしょうかね。

1874年開業の薬店「胡慶餘堂」です。
建物などはその時代のままで、
奥の深い建物になっています。
診察と調剤を行い、一部を博物館にしています。
胡慶餘堂は国家の重要文化財となっています。

博物館(下左)は入場料が必要です。
近くにもう一軒古い薬店があります。
「回春堂」です。
1649年開業の看板が掛っています。

下の庭園は診察室の横に有る庭です。
中に入るだけでも若返れそうな雰囲気です。
街中の古いお店です。
参茸(朝鮮人参)や鱶鰭、燕の巣、鹿の角
などを商っています。
六和塔
970年に銭塘江の逆流を鎮めるために建てられた塔です。
六和塔への入口です。
掲額は「六和聴濤」で六和で波の音を聞くと
言う意味でしょうか。
高さ59.89mで、外側は13層になっており、
この部分は清朝に改修されています。

内部は7階で南宋時代に作られています。
過去には何度か最上階まで上がりましたが、
今回も古希の記念にと登り切りました。
疲れた~。
左の掲額「淨宇江天」は清朝乾隆帝の書です。

塔は八角形で、現存する煉瓦と木造瓦葺の
代表的古塔です。
中心部は南宋時代の煉瓦造りが残っています。
外側は木造瓦葺で清朝に建設されました。

塔を貫いている柱です。
この柱は南宋時代の物だそうです。
6階以上で見られます。
ガスっていて、見通しが悪いですが、
最上階からの銭塘江と銭塘大橋の眺めです。
橋は二重で上は車が、下に鉄道が走ってます。
橋の向こうが蕭山区です。

例年8月の大潮の時、杭州湾から逆流する
津波で有名な河です。
七○四行程
林彪が1970年4月に秘密の別荘を建設したもので、
そのため七○四行程と呼ばれています。地下に4千㎡の
指揮所を作り、地上には2万1千㎡の別荘を作りました。
クーデーターの折には杭州市はその指揮部になる予定だったようです。
地下指揮部への入口です。


林彪:
中国共産軍の将軍で、文化革命の折、毛沢東から
次期トップに推薦されながら謀反を起こそうとし発覚、
ソ連へ逃亡途中、内蒙古で墜落死しました。

地下に作戦用の部屋が幾つも作られており、
空気の循環ポンプ、防火扉、なども完備しています。

右上 作戦指揮部
右下 武器庫
左下 通信室

国家主席の存続を巡り毛沢東と林彪の間に軋轢が
有ったとは言え、毛の後継者として憲法にまで
記載されているのに、なぜクーデターを起こそうとしたのか、
林彪の心境を歴史が解明出来るのでしょうかねぇ。
いずれにせよ、両者の権力欲への執着の強さを感じます。
地下通路と通風ポンプ室です
地上の別荘の一部です。
屋外にはなぜか当時の戦車が展示されていました。

毛沢東暗殺用に準備されたものなのでしょうか?
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