大多喜は戦国時代からの城下町でした。
1544年から里見氏の支配を受けましたが、1590年から
本田忠勝が10万石を与えられて11年間城主となりました。
その後は松平氏の支配があったものの、どちらかと言えば旗本
知行地となっていたようです。現在の大多喜町は1954年に
町村合併で設立されました。
本田忠勝の時代の石高をベースに現在も10万石城下町として
観光行政を進めています。
大多喜城は本田忠勝によって築城されたが、その後火災などで
焼失。1975年に再建されました。現在は博物館分館として
利用されています。
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大多喜城の正面です。内部は展示室となっています。 |
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大多喜城址への入り口付近です。l |
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昇り口から進んできたところです。 |
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天守閣の全景です。 |
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麻綿原(まめんばら)高原は大多喜町にありますが、天津小湊から内浦山県民の森
を通り抜けるか、清澄寺から入るほうが分かりやすいようです。
それでも天津小湊駅周辺で迷いました。
清澄寺からハイキングで来ている方に会いましたが、約4kmの行程だそうです。
標高340mの高原に7月下旬からアジサイが満開となります。
妙法生寺の裏山一帯がアジサイ畑になっていて「天拝園」と名づけられています。
全体では20万本と言われていますが、このあたりは数万本の規模ではないでしょうか。
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妙法生寺の本堂下観音像の周辺に広がるアジサイ |
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麻綿原の案内板 |
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天拝園への入口になる六即門 六即門から頂上への途中のアジサイ |
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左は山頂から妙法生寺を望んでいます。右の角柱には「麻綿原天拝園」と夷隅郡教育委員会
により記されています。 |
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左は妙法生寺本堂 中は水掛水神妙神像 右は西向天竺観音菩薩 |
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