安房鴨川周辺
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鴨川市は町を流れる川が京都の加茂川に似ていたことから加茂川と称し、その後
鴨川に改名、05年には天津小湊を合併し、鴨川市となっています。人口37,000人。

鴨川には個人病院では日本有数の「亀田病院」があります。2008年夏にひょんなことから
この病院のお世話になることがあり、以来、年に何回かは鴨川を訪れることになりました。
環境が良いことから、退職後この地に移り、釣りやゴルフ三昧の方もおられるとのことです。
都内からは電車で来るのはちょっと不便ですが、浜松町から病院へ直通のバスが何本か
あり、千葉駅からも鴨川駅経由のバスが一日5本(鴨川駅止まりが別に5本)あります。
観光地としても有名で、温泉と新鮮な魚介類は魅力的です.
2012年の6月には佐倉市民カレッジの仲間と鴨川市内をガイドさんに案内してもらいました。
それぞれの場所は今までにも行ってましたが、ガイドさんの説明で改めて理解することも多かったです。
先達はあらま欲しきものなり、です。

誕生寺
1276年に佐久間重貞により建立され、日蓮を開祖にしました。
日蓮55歳の時です。
日蓮の誕生の折には庭に湧水が出、蓮の花が咲き、
沢山の鯛が現れたそうで、これを三奇瑞と呼んでいます。
寺の傍から鯛の浦への観光船も出ています。
誕生寺の総門です。
総門から仁王門への
参道です。
新しい燈籠が
並んでいました。
全て寄進によるものです。
仁王門です。
1706年の建立ですが、
平成3年に修復されて
います。
現在の誕生寺では
もっとも古い建造物です。
日蓮が生まれた時に
噴出したと言う泉です。
誕生泉と呼ばれています。
いくら汲んでも尽きないと
と言われる井戸です。
泉の前に建てられている
誕生堂の掲額です。
誕生堂の全景です。
日蓮上人御幼像です。
12歳で生家を離れて
清澄寺へ学びに行く際の
姿とされています。
祖師堂です。
1842年の建立です。
部材は江戸城用に伊達藩が
運ぶ途中で遭難し、
この地で譲り受けたものを
利用しているそうです。
日蓮上人の像を安置
しています。
祖師堂の鬼がわらです。
妙日山妙青寺
日蓮の両親の法名をお寺の名前にしています。別称両親閣と
呼ばれています。誕生寺末寺の筆頭格で、江戸時代には誕生寺の
代理で江戸城登城していました。1344年の開基です。
国道128号線の小湊へ
入ってすぐの日蓮交叉点
間近に妙蓮寺が有ります。
妙蓮寺の本堂です。
この左手に
両親閣があります。
鏡忍寺
1264年にこの地で起こった小松原法難で殉死した天津城主工藤吉隆と鏡忍房
日焼聖人を供養するために日蓮の命を受けて、1281年に建立されました。
境内には正岡子規などの句碑があり、祖師堂正面の欄間には波の伊八の手になる、
七福神の彫刻が飾られています。
鏡忍寺山門です。

境内にある降神の槇です。
日蓮法難の折、
この木の上に鬼子母神が
現れて、急場を逃れた
と言われています。
槇は市の天然記念物に
指定されています。
御法難堂です。
日蓮は境内に戦死した
鏡忍房を埋め、そこに
松の木を植えたそうです。
この松の木は明治時代に
台風で倒れ、この木で
三体の日蓮像が作られ、
その一体がこの堂に
祀られています。
初代伊八の作品です。
欄間左側
眠る大黒に酒を勧める
毘沙門天の図です。
同じく初代伊八の作品です。
欄間中央部
右側で琵琶を奏でる弁天と
左で踊る恵比寿さん。
中央に福禄寿です。
欄間右側です。
布袋さんに酒を勧める
寿老人です。
鏡忍房が松の木を手に
奮戦している図が
祖師堂内に掲げられて
います。
これ以外にも
法難の折の状況を
絵にして欄間に
数多く飾られています。
金剛山大日寺
平安時代初期に弘法大師ゆかりの大日如来を安置するために
建てられたお堂だそうです。この大日堂は1932年に再建された
ものです。
正式には金剛山大日寺ですが、通称は金乗院と呼ばれています。
大日堂正面の欄間には波の伊八作の酒仙の図が有ります。
寺院に酒盛りの図柄は珍しいそうです。
金乗院入口です。
鴨川駅から西北に向かった、
大日交叉点にあります。
山門です。
この門の彫刻に
初代伊八と四代伊八の
作品が並んでいます。
こうした例は他には
ないそうです。
大日堂の向拝の龍です。
初代伊八の作品です。
龍の下には酒仙の図が
有ります。
飲めや歌えの大宴会
拡大部分です。
仁衛門島
安房鴨川駅から少し南の太海(ふとみ)に
平野仁右衛門さん個人所有の島があります。
約3万uあり、現在39代目の方が宝永元年に
建てられた住まいに住んでおられます。
島内には幾つもの句碑が立っています。
現天皇が皇太子の時、また常陸宮、三笠宮
などもここを訪れています。
 島へは手漕ぎの渡し船で渡ります。     
 入場料が1,350円と結構高いです。
 島の案内板は順路が示され、ざっと見るなら、 
 40分程度で回れます。
 石垣に囲まれた表門には
 「平野仁右衛門」
 と書かれた表札が掛かっています。
宝永年間に建てられたと言う住宅と庭園      
樹齢600年の蘇鉄が左側にあります。       
 カンナ越しに見える外房の海は
 きれいです。   
 日蓮が旭を拝したと言われる神楽岩です。    
正一位稲荷大明神が祭られている
洞穴は1180年源頼朝が石橋山の
戦に敗れ、安房へ逃れてきた際に
身を隠したと言われています。
洞穴の内部は結構広くなっています。
奥にはお稲荷さんが祭られています。
幾つかの句碑の内、これは芭蕉塚で
「海暮れて 鴨の声ほの可尓(かに)
白し」 と刻まれています。
 これは秋桜子の句碑で、「巌毎に 怒涛を
 あけぬ 春の海」他4句が刻まれています。
鴨川松島
 国道128に沿ったところに標識が
 立っています
鴨川漁港の傍に松の茂った小島が幾つか浮か
んでいます。松島に似て鴨川松島と言います
水田家住宅
 水田家は水田三喜男元大蔵大臣の生家で、長屋門と茅葺の母屋を今に残す房総民家の典型で
 江戸後期の建築と推測されています。おでこにコブ様の突起があった大臣が思い出されます。

 この水田家のある地域は酪農の発祥地でもあります。
 村の指導的立場にあった水田家の
 入口石段と長屋門です。
 母屋は茅葺で有形文化財になっています。
邸内には美しい庭も残されてます。  芭蕉の句碑が邸内にあります
魚見塚展望台
 魚見塚展望台はかっては漁師が沖合に来る魚の見張りをした場所です。千葉の彫刻家長谷川ミが
 作った「仏の化身(乙女)」が立っています。仏への誓いをたてることから「誓いの丘」とも言われて
 います。誓いを立てると鍵を掛けて残していくようです。
 乙女の像の下部にカギ用の金網が張ってあります。     塔からの眺めです。
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