青森県の風景
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りんごとねぶた祭りで有名な青森県は本州北端に
ある県で、県庁所在地は青森市です。
面積は日本で8番目の大きさ(965㎢)で、人口は
約132万人と少なめです(日本で31番目)。

元は津軽藩(西寄り)と南部藩(東)で形成され、
双方は仲が良くなかったとの事です。
現在でもその伝統?は引き継がれているそうです。
通り一つ隔てた津軽と南部の軋轢は大変なものだ
そうです。

50年前(1964年)に京都から急行「日本海号」で
青森に出て、青函連絡船で北海道に渡りました。

青森は三度ばかり訪れていますが、五能線には
乗ったことがありません。
今回はこれも目的の一つでした。

2014年8月に左図の行程で青森を回りました。
7月の台風の被害で五能線の一部が通行できず
バスで鰺ヶ沢まで出て、此処でJR五能線に乗車
深浦まで戻り、再びバスで同じルートを走るという、
無駄と言えば無駄、よく言えばしっかり観光しました。
白神山地付近の秋田県から
青森県に入った日本海側の風景です。
日本海も少し見えています。

五能線もこの傍を通っています。
道路が高い所を通った折の日本海の
眺望です。
深浦町大間越になります。
大間越の海岸風景です。
同じく大間越近辺です。
日本海特有の浸食された
岩が並んでいます。
中には柱状節理を持つ岩も
散見できます。
間もなく五能線十二湖駅です。

国道101と五能線がほぼ並列して
走っています。
バス走行中には五能線の列車は
通りませんでした。
国道101号線から280号線に入り
東へ向かうとこの標識の前を
通ります。

自然休養林になっていました。
自然休養林とは林を休養させるのでは
無くて、人が休養する為に開放された
国有林の事でした。

十二湖の一つ 王池です。

十二湖の入り口から八景湖、
二つ目湖、王池、王池東湖、越口の池、
中の池、落口の池、がま池を通り、
駐車場につきます。

駐車場の前には鶏頭場の池があり、
それを辿って行くと青池に出ます。

途中の池はバス車窓からの撮影で、
林が邪魔になり、ナイスショットは
ごく僅かだけでした。
中の池です。
崩れ山です。
名前通り、頂上付近が崩れています。
鶏頭場の池の南端から登山道が
ついています。

この近辺には全部で33か所の池が
有りますが、崩れ山から見える池は
12個所だそうです。従い、十二湖と
言う名前が付いたのだそうです。
鶏頭場の池です。
青池です。面積は975㎡と小さめです。
深さは9mありますが、底に沈んだ
樹木や泳ぐ魚なども見えます。

落ち葉が沢山湖面を覆っていますが、
水は確かに青色をしています。
また、透明度が高く、底まで見通す
事が出来ます。

北海道層雲峡の青池はアルミ分の
高い水のため、青色に見えましたが、
ここの青色の原因はよく判らない
そうです。

落ち葉がなければ綺麗な青色の
湖面がみられるでしょう。
青池のそばにあるブナの原生林です。
ブナのみならず、ミズナラ、トチ、カツラ
なども分布しています。

ゲンノショウコが可憐な花を
付けていました。

夏の終わりで他には余り花は咲いて
いませんでした。
日本キャニオンと呼ばれる
凝灰岩の浸食によりできた
断崖です。世界遺産地域には
入っていません。
グランドキャニオンからの命名だ
そうですが、ちょっとねぇ~

画面にポインターを置くと
遠景をご覧いただけます。
グランドキャニオンに似てますかねぇ?
十二湖から不老ふ死温泉へ向かう
途中の海岸線です。
(ちなみに不老不死温泉は現在
二つ目の不はひらがなになって
います。名前に二つ不が入るのは
好ましくないとの理由で改名されました)

快晴で男鹿半島まで見えますが、
めったにないことだそうです。
不老ふ死温泉の露天風呂です。
黄金崎にある一軒だけの温泉宿で
昼食もとれます。

日帰り浴として入浴してきました。
屋内の浴場もありますが、有名なのは
この露天風呂で、左は混浴、右は
女性専用です。

本館から100mくらい歩きます。

天候の悪い時はこの露天風呂は
閉鎖されることもあるそうです。
露天のひょうたん風呂です。
混浴の風呂です。
撮影は禁止になっていましたが、
お客さんが「男ばかりだから問題
無かろうよ」と撮らせてくれました。

海岸線が目の前で、荒れた日には
波が浴槽まで入ってくるそうです。
この日はとても穏やかな海です。

右手に女性専用露天風呂が
ありますが、少し石垣で高くなっていて、
波の入ることはないそうです。
天候の荒れた時にはこの浴槽は閉鎖
され、女性専用が混浴になるそうです。

海を見ながらの入浴は快適でした。
本館にある露天風呂です。
ここの眺めも素晴らしく、ここだけでも
十分楽しめます。

この隣には普通の内湯が有ります。
ガラス張りで海が一望できます。
黄金崎です。
岩と砂礫からなる岬でした。
昼食は不老ふ死温泉で
マグロくらべ丼でした。

マグロを両面焼いて、野菜もしっかり
焼いて長い皿の中央のたれをつけて
真中の丼に入れて食べるのと、
片面だけ焼いて右のたれを
付けて右の丼に盛って食べ、
生のまま左のたれをつけて左の丼に
盛って食べるという、3通りの食べ方で
丼を楽しむ食事でした。

なかなか美味しい昼食でした。
左は片面のみ焼いて丼にしたもの。
たれは胡麻系のたれでした。
その丼の左は食べ終えた両面焼きの
丼です。

右は生のマグロを載せてワサビと醤油で
食べます。

食事の時はついつい食べるほうに
気が行って、写真を撮るのを忘れる
ケースが多いです。
深浦港です。マグロの水揚げも
結構多いそうです。
左に見える茶色っぽい建物が
深浦町の庁舎です。
深浦港のそばにある公園です。
何かの銅像が立っていましたが、
ガイドさんの説明がなかったので、
大したものではなかったのでしょう。
でも、気になる銅像でした。

深浦の街を出てすぐに見える岩は
大岩です。
大岩海岸にあり、海岸から徒歩で
渡れ、展望台も付いています。
岩の左手にある洞窟から階段で
展望台に出られるそうです。

車中からの撮影でガラスの反射が
気になりますねぇ。

五能線沿線の景観は下記からお入り
頂けます。台風の影響で五能線の
一部不通で深浦~鯵ヶ沢間の列車
が1編成しかなく、乗車が鯵ヶ沢~
深浦となったため、一旦バスで鯵ヶ沢
まで出て、列車で深浦へ戻り、
再びバスで同じ道を五所川原へと
向いました。

五能線沿線の風景
JR鯵ヶ沢駅です。
鯵ヶ沢駅のホームの様子です。
停車中の列車は五所川原方面行き
普通列車でした。
我々は特急「リゾートしらかみ」
に乗車しました。
最後部にはラウンジ(と呼べるほどでは
ないけれど)が自由席として誰でも
座れるようになっていました。
女性の車掌が同乗し、
観光ポイントでは車内アナウンスを
していました。
列車は窓があかず、ガラス越しでの
写真撮影で、ガラスに色がついており
自然色での撮影は不可能でした。
その代わり、このような逆光でも
面白い写真が撮れました。
下車駅の深浦の駅表示です。
海岸と帆船、それと夕陽が描かれ
珍しい駅標示板でした。

右手に写っているバスは
我々の乗っているバスです。
鯵ヶ沢から回送してきました。

画面にポインターを置くと
深浦の駅がご覧いただけます。
小さな駅です。
鯵ヶ沢から五所川原へ向かう
車中からの津軽平野です。
五所川原市の市内を流れる
岩木川です。
岩木山の麓にある美山湖から流れて
来ています。弘前をとおり、この先
十三湖に流れ込んでいます。
津軽平野の日没です。

この日は浪岡ICから東北自動車道を
青森東ICまで出て、浅虫温泉に
宿泊しました。
秋田県男鹿市から青森県浅虫温泉
まで、結構長い道程ではありました。
浅虫温泉での夕食です。
東北青森らしい食材はこれと言って
なかったように思いますが、メニュー
では材料は殆どが青森県産との
事でした。

中央上はスモークサーモン、
その下夏の幸い盛と名付けられた
前菜、その下南部屋温泉卵、
刺身は県産の鮃がメインでした。

左から、県産鶏の香味焼き、県産赤魚の
はりはり潮なべ、帆立貝陶坂焼き、
お椀は県産長いもの冷製スープ、
その左ウニの炊き込みご飯、その下は
帆立貝の真丈です。
いずれもおいしかったです。
夕食の折に、津軽三味線の演奏を
サーヴィスでやってくれました。
ホテルのロビーでもアトラクションとして
津軽三味線と篠笛の演奏が
ありました。
浅虫温泉の前にある湯の島です。

鳥居と弁財天が有ります。
4月中旬には全島がカタクリの花で
埋まるそうです。

浅虫温泉の由来は平安時代に
円光大師(法然)がこの地を訪れた時
傷ついた鹿が湯浴みするところを見て、
村人に教えました。それまでは、
麻を蒸すためにだけに湯を使っていた
人々がその後温泉として利用するように
なったそうです。
麻蒸から転じて「浅虫」になったようです。

浅虫温泉から眺める白根崎方面です。
海は青森湾になりますが、手前は
陸奥湾となります。。
青森湾の向こうに青森市が
遠望できます。
中央の橋脚は青森ベイブリッジです。
1827年(文政10)に野辺地湊へ
夜間入港する船の目印として
建てられた常夜灯です。
下北半島の横浜町にある
下北名産センターに飾られていた
むつ市ねぶた(侫武他)の山車飾です。
青森市のねぶたより小型ですが、
なかなかの迫力です。

むつ市市議会議長賞を貰っていました。
下北半島のむつ市から大間町へ
向かう途中の道路で
両側は桜並木になっています。
この辺りの桜はまだ若いですが、
先へ行くと立派な桜のトンネルが
出来ていました。

画面にポインターを置くと
雨にぬれる桜のトンネルを
ご覧いただけます。
雨はこの時だけで、大間に近づくと
晴れてくれました。

今回の旅では予報が雨でも全く
傘の世話になることもなく、
添乗員が奇跡的な人ばかりと
驚いていました。
我々にとってはごく当たり前の事象
なんだけど…
マグロで有名な大間崎です。
マグロのモニュメントが有りました。
拳は大間の漁師を表わしているようです。
岬の先に弁天島があります。
島には弁天様を祀った祠があり、
島の名前の由来だそうです。

灯台がありますが、無人島です。
灯台は1921年に創設されています。
大間崎には「ここ本州最北端の地」
の石碑が立っています。

画面にポインターを置くと
石川啄木の詩碑もご覧いただけます。
大間崎から佐井村へ向かう途中の
景観です。
岬は大間崎になります。
佐井村は日露戦争の折に
従軍医として参戦した三上剛太郎の
故郷です。

三上は満州でロシア軍に囲まれましたが、
手製の赤十字旗を作り、負傷兵の
治療にあたったそうです。
この旗は国際赤十字博覧会で
評価されたそうです。
退役後は帰村して佐井村で僻地医療に
従事されました。

生家は佐井村にあり、村は赤十字旗を
村の象徴としているわけです。
佐井の港です。
岸壁に絵が描かれていました。

佐井村から仏ヶ浦へ遊覧船で
向かいました。
願掛け岩です。

海岸線の景観は下記のボタンから
お入りください。

仏ヶ浦
仏ヶ浦から戻り、佐井港にある
レストランで昼食を摂りました。

ホタテガイの産地だけに今日も
ホタテの紙焼きでした。
大間から同じ道を戻り恐山に
向かう途中で尻屋崎が綺麗に
見えました。写真では判りにくい
ですが、肉眼では突端に灯台も
見えました。
往きは曇っていて何も見えません
でしたが、午後はすっかり晴れました。

半島の中央部が白っぽくなっている
のは石灰石の採掘跡です。
海沿いに白い建物がありますが
三菱マテリアルの青森工場です。

尻屋崎灯台の付近には寒立馬の
牧場があります。一時は9頭まで
減った馬が現在30頭ほどに復活
したそうです。県の天然記念物に
指定されています。

大間から元の道を戻り、むつ市から
恐山に向かいました。
恐山と言う山はなく、恐山山地として
カルデラ湖の宇曽利湖を取り囲む
山の総称です。

恐山の詳細は下記のボタンから
お入りください。

恐 山
野辺地の馬門にあるまかど温泉に
宿泊しました。
スキー場近くにある一軒宿でした。

フロントロビーには「のへじ祇園まつり」
の山車飾りが展示してありました。
歌舞伎の娘道成寺の一場面です。
馬門から久慈へ向かう途中の
景観です。
元南部藩地区の平野です。
青森県の特産「長いも」の畑です。
柵に茎が掛けられ不思議な光景が
現出しています。

地下茎がまっすぐ伸びるための
方策なのかもしれません。
収穫は11月ごろだそうです。
青森県の南東部の市、八戸市の
新幹線八戸駅近辺です。
駅は茶色の建物と奥に見える
「東横イン」との間にあります。
右端に少し白い建物がありますが
これが駅でしょう。

八戸自動車道からのショットです。

ここで青森県とはお別れです。
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