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バゴー(ベクーと呼ばれていた時期もあります)は 西暦573年に創設されたと言われています。 仏陀は、海より突き出た狭い土地に、2羽の黄金の ツクシガモがおり、メスがオスの上に乗りとまっている 不思議な現象を目撃して、繁栄国家が広大な海の 地域にいつか出現すると弟子に予言したそうです。 現在もツクシガモの雄の背中に乗った雌の姿が バゴーの象徴として、街中でもその像が見られます。 13世紀から16世紀にかけて、モン族のバゴー王朝の 首都として栄えた古代都市です。 しかし1757年に時のビルマ王アラウンパヤーがバゴーの 町を破壊し尽くしてしまったとのことです。 その後、再興されましたが、1862年に英国の統治下に おかれ、英領ビルマが設立され、首都もヤンゴンに 移されました。 ヤンゴンから80km、バスで2時間半ほどです。 |
ヤンゴンからバゴ―へ向かう ヤンゴン・マンダレーハイウェイ沿いにある 連合国共同墓地です。 この墓地は、第二次世界大戦中ビルマにて 命を落とした2万7000人の連合軍兵士の 名誉を記念して建てられました。 左下に石碑が有り、車窓からの撮影で 良く見えませんが、 「Rangoon War Cemetery 1939− 1945」の表記が有ります。 |
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共同墓地の近くにある街の風景で 緑のロンジーは学生さんだそうです。 |
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ヤンゴンを出てすぐのところにある 寺院ですが、結婚前の二人がお参りすると 必ず破談になるという伝説が あるそうです。 結婚後にお参りするのだとの事です。 寺院の名前は失念しました。 |
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ハイウェイ沿いにあるマーケットです。 ハイウェイと言っても高速道路ではなく インドなどと同様にオープンなメイン道路 です。有料部分もありますが入り口と出口に 料金所があり、その区間にはフェンスもなく、 普通の街中を走ります。 従い、こうした露天のマーケットの前も 通り抜けます。 |
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バゴーへ入った所の市街の様子です。 古い建物は独特の建て方になっています。 |
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バゴーの街中を歩いていた若い女性です。 三人とも携帯電話を持って歩いています。 服装はミヤンマーの伝統衣装です。 |
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バゴー駅です。 小さな駅です。 線路に架かる陸橋には列車の絵が 描かれています。 車窓からで絵が少しボケました。 |
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街中にある時計塔です。 ミヤンマーでは交差点の信号は少なく、 殆どはロータリー方式になっています。 ロータリーの中にはいろいろな形態の モニュメントが飾られているケースが 多いです。 この塔の右手に見える像は 黄金のツクシガモのつがいで オスの上にメスが乗っかっています。 |
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上の像の部分を拡大しています。 この様な鳥の像がバゴー市内の 所々で見受けられます。 バゴーの象徴です。 |
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バゴーで最初に訪れた シュエターリャウン・パゴダです。 本堂は長い建物になっています。 参道は別にあると思いますが、 バスの駐車場の関係でここから 入ります。 |
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全長55m、高さ16mの寝釈迦像です。 994年、モン族のミガディバ王によって 建てられたと言われています。 バゴー王朝滅亡後はイギリス植民地時代に 発見されるまで密林に覆われていたそうです。 カンボジアのアンコールワットを思い出させる 歴史です。 |
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境内には何か所か入り口が有りますが、 どの入り口もこのようなショップになって います。 仏教に関した商品が多く並べられていました。 シュエターリャウン・パゴダの詳細は 下記のボタンからお入り頂けます。 |
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バゴーで2番目に訪れた チャカワイン僧院です。 通りに面した入り口はこの様に 雑然としています。 僧院の中へ車も入って行きます。 |
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托鉢をする僧の行列像が有りました。 この寺院は常に千人以上の僧侶が修行に 励んでいる大規模な僧院です。 |
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僧院の回廊部分です。 人のみならず、車も通っています。 修行僧が行き来する通路でもあります。 |
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食事時間になると僧侶が托鉢をして 食堂へ向かいます。数百人の僧侶の 托鉢行列は見ものです。 参拝者が色々と鉢の中へ喜捨します。 チャッカワイン僧院の詳細は 下記のボタンからお入り頂けます。 |
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シュエモード・パゴダの入り口です。 ミヤンマーの寺院の入り口には概ね この様な獅子の像が建っていますが、 バスでの観光の場合、参道入り口には 駐車できないので、横口、裏口から 入るケースが多いです。 この入口も車窓からの撮影です。 日本の狛犬に比べると馬鹿でかい 狛犬です。 |
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観光客の入る参道の中ほどの入り口です。 ここからは靴、靴下、などの履物は全て 脱がなければなりません。 ミヤンマーの寺院、パゴダではどこでも 同じです。 |
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参道からパゴダのテラスへ出たところです。 | |
このパゴダは1000年以上前に 釈迦の遺髪2本を納めるために 高さ23mの塔が建てられたのが 始まりだそうです。 そのご、改築と地震による崩壊などで、 現在は114mのパゴダになっています。 手前に見える岩は1917年の大地震で 塔が崩れてしまったものです。 これが下まで落ちてしまったら大惨事だった ところ、途中で止まったということでした。 途中で止まってくれたのは仏舎利と聖髪の おかげと信じられていて、それを伝えるために そのまま祀って今に至るということでした。 この岩にお線香をU字にして上手くとめられると 願いがかなうようです。 勿論、しっかりとU字に差し込んできました。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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昼食を摂ったレストランです。 ハンタワディと云う店です。 ハンタワディとはバゴーの旧名のようです。 メニューは何時もと似たようなものです。 下の写真左から定番のミヤンマービール、 揚げ春巻き、豚肉のカレー(他に野菜と鶏肉)、 茄子のサラダ、厚揚げ様のものともやしの 炒め物、酸っぱい野菜スープ。 スープは日本人の口に合わなかったのか 殆どの人が残していました。 こちらは勿論完食でした。 |
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朝に通った露天市場です。 同じ場所ですが、朝と午後で殆ど 変化が有りません。 多分一日中お客が絶えないのでしょう。 |
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街中に「(株)立花工務店」の 表示をした車が止まっていました。 この会社の人はまさか自分の車が ミヤンマーで走っているとは 思ってもいないのではないでしょうか。 バス、トラック、バンタイプの車のほとんどは 日本からの中古車です。 それも名前を一切消すことなく、そのまま 利用されています。 幼稚園の通園バスも数多く走って います。 他には韓国の中古車を時々見ます。 |
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ヤンゴン市内に戻ってくると 軍の医療関連施設が有りました。 |
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