ヤンゴン  Yangon 
 バガン   バゴー  ミヤンマー   アジアの風景 

ミャンマーの最大都市ヤンゴン。「ヤンゴン」とはミャンマー語で「戦いの終わり」
を意味します。アラウンパヤー王が1755年にダゴンからヤンゴンに改称しました。
2600年以上前から交易の町として栄え、19世紀の3回に及ぶ英緬戦争の後、
1885年に完全にイギリスの植民地となり、イギリスの支配下で急速に発展しました。
旧名の「ラングーン」は英国統治時代に英国人がヤンゴンを誤読したため、
そう呼ばれていたそうです。1989年にヤンゴンと改称されています。

ヤンゴンは2006年にネーピード―に遷都されるまでのミヤンマーの首都でした。
ミヤンマーでは最大の都市で経済の中心地でもあります。
ダウンタウンは英国統治時代の名残で碁盤の目の様に作られており、
古い建物も沢山残されています。
また、ミヤンマー仏教の総本山でもあるシュエダゴン・パゴダがあり、
夜のライトアップには沢山の信者が集まってきます。

地図上の数字は下記のそれぞれの建物の所在場所です。
@ラ・メイゾン20(レストラン)、Aチャウット・ジー・パゴダ、Bシュエダゴォン・パゴダ
Cボージョー・アウサン・マーケット、Dスーレー・パゴダ、E市庁舎、Fイマニエル・
バブテスト教会、G最高裁判所、Hマハーバンドウーラ公園と独立記念塔、
I税関ビル、J旧税関、Kボートオーソリティ、L中央郵便局、
Mカラウェイ・パレス

何れも以下の写真に含まれています。詳細は写真で説明しています。

ミヤンマーの地方都市では乗用車、バス、トラックは日本の中古車が主体に
走り回っていますが、さすがにヤンゴンでは日本車でも新車が多く走って
います。市内中心部はオートバイ、じでん車の走行は禁止されています。
ヤンゴンからバゴーへ向かう道路では日本の名前の入った車が
多種多様に走っていて、これを見ているのも楽しいです。

現在ヤンゴン市街には植民地時代の建物も多く残っています。
また黄金のパゴダや緑豊かな公園、湖などがあります。
現在人口は急増加して600万人を越え、市街では高層ビルの建築、渋滞も
見られるようになりました。
街では高層ビルの建築、渋滞も見られるようになりました。
 
ヤンゴン国際空港です。
思っていたより綺麗なビルに
なっています。
到着が夕刻で、そのまま夕食に
行きました。
グリーンエレファントと言う店で、
南洋風の作りになっていました。

食べたのはミヤンマー面。
ちょっとベトナムの麺、ホーに似ていますが、
具材など違うようです。





下の写真は
左から、ミヤンマー麺、野菜炒めとビール
お店の中にこんな人形が飾れれて
いました。ドラを打つようになっています。
お客が来たら鳴らすのでしょうかね。

人形の腕にイモリかヤモリノ刺青が
有ります。どんな意味があるのかは
判りません。
店のすぐ外の露天で食事を
していました。

バナナやスカーフなど小物を売る
店が出ています。
宿泊するホテルの従業員です。
にこにこと愛想はいいです。
足元はサンダルか、素足です。

これからの旅を予想させるスタイルです。
ホテルの洗面所の下に
浄水器がセットされています。
それだけ水質に問題があるのか、
或いはホテルのサービスなのか??
ヤンゴンの国内線チェックイン
カウンターです。

その作りの素晴らしいこと。
柱を始め殆どが木製。
それに彫刻が施されています。

画面にポインターを置くと
柱の彫り物をご覧いただけます。
ヤンゴン近郊の住宅街です。

日本の住宅団地のような風景です。
ヤンゴンでは市内はオートバイ、自転車の
走行が禁じられているそうです。
当然ながら公共乗り物を利用することに
なります。
バス停には荷物を持った人が待っています。
バス以外にはこの様な乗り物もあります。
お坊さんはひたすら歩くのでしょうか。
市内の道路です。
なかなか綺麗な大通りです。
が、こうした建物も多いです。

6階建てのアパートですが、
当然エレベータなどないようです。
@この日の昼はバガンからの到着が
遅れたので、そのまま昼食です。

ラ・メイソン20と云うお店で、
普通の住宅をレストランにしている
ようです。
周りも屋内もなかなか綺麗でした。

画面にポインターを置くと
食事の場所がご覧いただけます。


この日のメニューはミヤンマー料理で
最初に天ぷらが出てスープとサラダと
鶏と豚のカレーです。
果物は白蘭瓜とスイカとバナナでした。

街の中にこんな建物が有りました。
慶福楼と書いた看板があり、
中華料理屋さんかと思ったら
福山寺と電光掲示板に出ました。
お寺のようですが普通のお寺では
なさそうです。
Aこれは正真正銘のミヤンマー寺院で
チャウト・ジ―・パゴダの入り口です。

今回の旅ではバス利用なので
お寺の正門から入ることはほとんどなく
この入口も車窓からの撮影です。
チャウト・ジー寺院の横からの入り口です。
長い本堂が有ります。
1907年に建立され、その後1960年代に
作り直されました。全長70m、高さ17mの
巨大な仏像で、ミャンマーにある寝釈迦仏の
中ではバゴーの有名なシュエターリャウンパゴダ
の寝仏よりも大きいです。
このパゴダの天井と柱には日本人寄進者の
名前が見られます。
108の煩悩が書かれた仏足跡も見学できます。
ここではり1000人近くの僧侶が勉強している
そうです。

本堂内には馬鹿でかい寝仏が納まっています

枠は鉄骨で造られています。

寺院の詳細は下記のボタンから
お入り頂けます。

チャウット・ジー・パゴダ
市内のロータリーはこの様に
綺麗にされています。

ロータリーの左側はガン・ドー・ジー湖
で、その先には動物園もあります。
E英国統治時代に作られた街並みの
中心にある市庁舎です。
白亜のどっしりした建物です。
H市庁舎の反対側はマーハバンドゥーラ公園と
中心にある塔は独立記念塔です。
市民の憩いの場所になっているようです。
F市庁舎の東側にある手前が
イマニエル・バブティスト教会です。
その向こうにあるのは元は百貨店で
現在は銀行になっている建物です。
G公園の東側には最高裁判所があります。
レンガ建ての重厚な建物で英国の力を
示しています。

画面にポインターを置くと
正面から見た最高裁判所が
ご覧いただけます。
公園で語り合う若い二人を
失礼して撮らせてもらいました。
あちこちにこうした二人連が
結構いました。

D旧市街区の中心にあるのが
スーレー・パゴダです。
高さは48m、八角形の黄金の仏塔です。
街の中にあるので、地元の人が気楽に
訪れることのできるパゴダだそうです。
仏陀の聖髪が納められていると言われて
います。イギリス植民地時代にこのパゴダを
中心にヤンゴンの町が建設されたと
いうことです。

詳細は下記のボタンからお入り頂けます。


スーレー・パゴダ
Cパゴダの近くにあるアウンサンマーケット
です。大きな市場になっています。
市場の中のメインストリートは
全て宝石店です。

でも、端の方ではこんな店も
出ています。
市場の周りの隙間には
こんな場所もあります。
お茶を飲みながらの商談なのでしょう。
買い物客には見えません。

画面にポインターを置くと
宝石の商談をやっている人たちが
ご覧いただけます。
店内ではなく店外でも駆け引きが
行われているそうです。
Iヤンゴン川沿いには英国統治時代の
古い建物が沢山残されています。

これは元の米国大使館で現在は
税関ビルになっています。
Jその隣にあるのは旧税関ビルです。

ガイドさんは旧最高裁判所と
教えてくれたのですが、調べてみたら
これが昔の税関のようです。
Kこのビルはポートオーソリティのビルです。
画面の右側がヤンゴン港になります。
L中央郵便局です。
M港の傍に有るボウタタウン・パゴダです。
ヤンゴン川沿いにあり高さは40mあります。
中には仏陀の聖髪と数多くの仏像が安置
されているそうです。
第二次世界戦争の時期に一部破壊されましたが
その後修復されています。
聖髪をこの地で1000人の兵士が出迎えた
ことからボウタタウン(1000人の兵士の意)
と名付けられました。
ヤンゴン中央駅につながる
ボージョーアウンサン通です。
大変賑やかな大通りです。
市内の自転車はだめと聞いていますが、
人を乗せる輪タクはいいのでしょうかね。
ガン・ドー・ジー湖です。

正面遠くに見えるパゴダは
シュエダゴン・パゴダです。
右手に見える船様の建物は
カラウェイ・パレスと呼ばれる
水上レストランです。
金綺羅金の建物です。

Nカラウェイ・パレスは船の形をした
レストランで、ショーを見ながらの
ビュッフェスタイルでの食事になります。

色々と凝った場所ですが、料理は今一で
食よりショーを楽しむ場所のようです。

詳細は下記のボタンからお入り頂けます。

カラウェイ・パレス

シェエダゴォン・パゴダはミヤンマー仏教の
総本山です。約55mほどの丘の上にある
境内へはエレベーターで上がれるように
なっています。
パゴダの高さは99.36mあります。
パゴダの一番上には8万個以上の様々な
宝石で装飾した傘が差してあります。
パゴダ境内には伝統的な建築物、見所が
たくさんあります。

ここのライトアップは大勢の参拝客を
引き寄せているようです。

シュエダゴン・パゴダ

ヤンゴンのホテルの傍に工場があり、
朝には大勢の女工さんが出勤してきます。
工場は7時半に始まるようで、皆さん
駆けこんできます。
露天商も女工さん相手が多いです。
詳細は下記のボタンからお入り頂けます


ヤンゴンの出勤風景
ミヤンマーでの最後の食事は
ヤンゴン市内にある「House of Memories」
というレストランでした。

アウサン将軍が一時隠れ住んだ場所だ
そうです。
屋内には「Office of General Aung San」
という部屋があり、将軍が執務した状態の
ままで部屋が残されていました。

画面にポインターを置くと
将軍の執務室の状況を
ご覧いただけます。
最後のメニューもほぼいつも通りの
ミヤンマー料理でした。
左端は芋の天ぷらです。
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