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ヤンゴン | バゴー | ミヤンマー | アジアの風景 |
ミヤンマーのバガンはカンボジアのアンコールワット、 インドネシアのポロプドールとともに、世界三大仏教遺跡 のひとつと称されており、エーナワディ川中流域の東岸の 平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立して います。バガンとは広くこの遺跡群の存在する地域を指し、 ミャンマー屈指の仏教聖地です。 左図のアーナンダ寺院やダビニュ寺院のあるあたりは オールドバガンと呼ばれ、考古学保護区に指定されて います。 左図の川沿いの下の方にニューバガンと呼ばれる 新しい街が有ります。遺跡の中に住んでいた人たちを 立ち退かせてこのニューバガンに移住させたそうです。 ニューバガンには商店街やホテルなどが集中しています。 地図に記載の番号は今回訪れた遺跡群で、以下の写真 にも付記しています。位置関係をご覧ください。 バガンが世界遺産に登録されなかった原因となった 高さ61mの「バガンタワー」はニャウン・ウ・マーケットの 近くにあります。今回は訪問できませんでした。 |
ヤンゴンからバガンへ向かう飛行機の 中から眺めるバガンの街です。 茶色い所は更地になっています。 元は人が住んでいたそうですが、 世界遺産登録の為に立ち退かせ 別の場所へ移住させたのだそうです。 緑の中の建物もほとんどが仏教由来の 建物か、商売人の家です。 |
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バガン空港(ニャンウー空港)です。 凝った屋根になっていました。 画面にポインターを置くと 別角度からの写真をご覧いただけます。 |
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さすが観光の都市で、空港には 大勢の案内人がそれぞれにお客の名前の 書いた札を持って並んでいました。 |
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バガン空港の出入り口です。 ここにも案内板を持った出迎え人が 大勢並んでいます。 バガン空港では市内に入るのに 入場料を払うようになっています。 観光客は到着するとこの費用を払ってから バガン市内に入ることが出来ます。 画面にポインターを置くと 外から見た空港の様子をご覧いただけます。 |
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空港の駐車場の入り口に立っていた 男性です。 顔に白いものを塗っていますが、 これはタナカと呼ばれる木を粉にして 水で溶かせて塗っているのだそうです。 化粧品で肌の保守や日焼け止めになります。 女性のみならず、男性や子供も殆どが タナカを塗っています。 |
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我々を案内してくれるバスは ツバメのマークのJRバスでした。 他にも日本の観光バスが列をなして いました。 日本から輸入された中古車のようです。 ミヤンマーではバスのみならず、トラックや 商業車、幼稚園の送迎バスまでが 元の日本企業の名前を付けたまま 走っています。 画面にポインターを置くと 別の日本のバスもご覧いただけます。 |
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@到着後すぐにニャンウーのマーケットへ 出掛けました。 市場と言うから建物があるのかなと 思っていたらお店屋さんが並んでいました。 道路は土のままで少し雨が降ると この有様です。 乾季でこれなら雨季の雨ではどんな状態に なるのかなぁと心配でした。 |
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果物屋さんにはいろいろな果物が 並んでいます。 やはり南の国なんだと思わせます。 顔にタナカを塗った母娘が買い物に 来ていました。 |
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柚子のような果実や朴葉のような 葉っぱを売っています。 |
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おさかな屋さんもあります。 見たところではほとんどが淡水魚の ようです。 |
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托鉢のお坊さんがいました。 朝の托鉢では食事を、午後の托鉢では 日用品の喜捨を受けるそうです。 バガンでは人口の20%が仏門の関係者 だそうです。 |
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尼さんはピンクの法衣を着ていました。 7歳で一度出家するので子供の尼さんも 沢山居ます。 |
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町中ではタクシー代わりの馬車が 走っています。客待ちの馬車です。 |
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Aバガンの遺跡観光の最初は シュエズィーゴォン・パゴダです。 入口には靴、短パン、靴下、 スパゲッティ・ショーツは禁止の看板が 立っています。この看板はイタリア語ガイドの 会の寄付と記されていました。 金持ちは寄付をするのが当たり前の 国のようです。数多くのパゴダや寺院も こうした金持ちの寄付で出来ているそうです。 |
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シュエズィーゴォン・パゴダは金色に 輝いていました。 11世紀ビルマ統一王朝初代アノヤーター王が 建立開始し、チャンシッター王の代で 完成したパゴダです。台座の上に黄金の 塔が立ち、ビルマ式仏塔の建築様式の 基礎となっています。 釈迦の遺骨と歯が納められていると 言われています。 広い敷地に色々な建物が建てられています。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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Bティ―ローミィンロー寺院です。 バガン仏教遺跡群の中で、最も大きな 寺院です。高さ45mの伽藍には、弓形の 切妻壁に石膏彫刻が施されています。 ティーローミンロー王(在位1211−1234) によって建設されました。その名の由来とも なった王位継承のエピソードが残っています。 彼は王子ではありましたが、王位継承順位で いえばけっして上位ではなかったのですが、 当時の国王(シトゥ2世?)は王子5人(彼と4人 の兄)を集め、白傘が向いた者を継承者とする と発表しました。白傘が彼のほうを向いたので、 彼は新たな王に選ばれ、名をティー(傘) ロー(好まれ)ミン(王)ロー(好まれ)としたと 言われています。 |
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寺院入口の両側にある仏像です。 | |
寺院内にある仏像です。 通常寺院の東西南北に門があり 夫々に仏像が祀られていますが、 ここでは2体のみ写真にとりました。 画面にポインターを置くと もう一体の仏像がご覧いただけます。 |
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入口には本殿へ向けてライトが 設置されていました。 夜間はライトアップされるようです。 |
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Cアーナンダ―寺院です。 1091年建立、バガンの中心的寺院です。 |
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63メートル四方の大伽藍の東西南北 それぞれに高さ20メートルほどの美しい 仏像が安置されます。その中でも 南北の仏像2体は、建立時のものと 伝えられる貴重なものです。 正面の尖塔は高さ51mあります。 アーナンダ寺院の詳細は下記から お入り頂けます。 |
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昼食は町中のエデンBBBレストラン と言う店で摂りました。 南洋風の洒落た建物です。 画面にポインターを置くと お店の中庭もご覧いただけます。 料理はミヤンマー料理で、カレーが主体です。 ミヤンマーの人はこのカレーにご飯を まぜて指でつまんで食べるそうです。 子供のころから教えられ、手のひらを 汚さないで食べられるように なるんだそうです。 これ以降のレストランの食事も 殆ど大同小異のメニューでした。 下、上段左から小麦粉のチップと 地場ビールです。スープは野菜スープ、 あっさり味で美味しいです。 その右はサラダで、その右の皿は ふりかけのようなもので、ごはんとカレーに かけると美味でした。 下段左からポークとジャガイモのカレー、 これとは別にもう一品チキンカレーもありました。 その右は野菜炒め。最後に硬めのプリン。 総じて薄めの味の料理です。 |
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レストランエデンBBBから昼休みで ホテルへ戻る途中の景観です。 至る所にパゴダがありますが、 白いパゴダはそれほど多くありません。 煉瓦に漆喰づくりのようです。 バガンはシルクロードの途中にあり、 商人が多く通ったところで、稼いだ人が ここにパゴダを作った為、多い時は 数万基のパゴダがあったそうです。 現在でも3千以上あるとの事です。 |
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これは下が方形で上部がロート状の パゴダです。 |
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D午後から訪れたマヌハー寺院です。 塔屋は工事中でした。 ミィンカバー村にあるパゴダ。 戦争に敗れて捕らえられたタトン国の マヌーハ王によって1059年に建てられた 寺院です。本堂いっぱいに作られた巨大な 仏像が印象的です。 内部には3体の座仏と1体の寝釈迦があり、 どれも建物内部の空間いっぱいに造られて います。そこには軟禁された王の気持ちが 表されているようです。 |
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この建物の中に寝仏が建物一杯に 作られています。 一説には囚われた王の気持ちが 部屋いっぱいの像を作らせたと言われて います。 |
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寝物の頭です。 狭い本堂に大きな仏像で全体を 写真には撮れません。 画面にポインターを置くと 下半身方向がご覧いただけます。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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マヌハー寺院の隣にある Eナンパヤー寺院です。 ナンパヤーというのは「王宮のパゴダ」と いう意味です。マヌーハ王が戦争に負けて 監禁された時、その王が王宮のように使った ためそう呼ばれました。 この寺院には何枚ものレリーフが 残されています。 |
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煉瓦と石を積み上げて造られています。 この寺院は仏教の建物ではなく ヒンドゥー教の建物と見られています。 中には石でバラモスの像が柱に彫って あります。 柱の周り、壁面にはレリーフがぎっしり 並んでいます。 真ん中には像があったと思われますが 今は何もありません。 バガンでは他の寺院とは違う寺院のひとつです。 |
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レリーフの一部です。 どことなくインド風な姿です。 |
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Jダビィニュ寺院です。 バガンで一番高い寺院で高さ65mあります。 1144年にバガン4代目のアラウンシートゥー王 が8年かけて建立しました。 「ダピィニュ」というのはパーリ語で「全知者」 という意味になるようです。 2階建ての寺院で上の階には大きな仏像が 納められているそうですが、現在は上がる ことが禁止されてます。 寺院内には足を広げて座っているミャンマーで 数少ない仏像の一つがあります。 また昔は壁画がありましたが、今は一部しか 残っていません。 画面にポインターを置くと 寺院の入り口をご覧いただけます。 |
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斜め方向から見た寺院です。 仏像は一部ガラス張りのケースに 入っており、写真撮影が困難です。 |
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寺院の傍に有ったパゴダです。 |
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寺院の回廊に設えてある水飲み場です。 ミヤンマーではどこへ行っても、水飲み場が 作られています。 寺院内部は勿論街中を歩いても 結構あります。 暑い気候の中の生活からでた知恵 なんでしょうが、民族の優しさでも あるのでしょう。 |
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バガンを取り巻いていた城壁の タラバー門の跡です。 手前がオールドバガンの市街に なります。 9世紀、ピンピャー王の時代に建てられた と言われています。バガンでは今現在 この門しか残っていません。 門の両側にはバガンの守護神である 兄妹の精霊マハーギリ・ナッが祀られて います。 門の両側にはかつての城壁を囲んでいた 堀の跡が残っています。 門の近くには宮殿の跡があります。 |
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門の外側には守護神の精霊が祀られて います。 門の両側にはバガンの守護神である兄妹の 精霊マハーギリ・ナッが祀られています。 これはマハーギリ神の像がある祠です。 |
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右手城壁が延びています。 祠には妹のナッツ神が祀られています。 下は守護神ナッツの精霊です。 左の画面にポインターを置くと 門の左手の遺構がご覧いただけます。 |
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門を通過する車です。 荷台に吊り輪があるので、 タクシーなのかもしれません。 若い子が沢山乗っています。 |
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Gジュエサンド―・パゴダです。 1057年にアノヤータ王により建立されました。 ここには仏陀の聖髪が安置してあると 言われています。 5層のテラスを持つ大変見事なパゴダです。 険しい階段を登って朝日、夕日の景色を 観賞することができます。 我々は当初は朝日鑑賞の予定でしたが、 夕陽に変更されました。 ただ、お天気が良くなくて、雲の切れ間から 夕陽のさすのを期待していましたが、 ここという時に、雲が厚くなり残念ながら 夕陽は見られませんでした。 しかし、5階からの眺望は素晴らしく、 バガンの街を360度眺められます。 下のパノラマ写真は西から北東までの 眺めです。 正面に見えるのはバガンで一番高い ダビィニュ寺院です。 |
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西側の眺めです。 遠くにエーヤワディー川が見えています。 林立するパゴダは他では例を見ない 景観ではないでしょうか。 |
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夕陽が雲の隙間から少し漏れて来ていました。 このまま夕陽が顔を出すかと思っていたら この隙間があっという間になくなって しまいました。 それでも幻想的な景色でした。 画面にポインターを置くと 光の筋をご覧いただけます。 |
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この日の夕食はやはりミヤンマー料理で 操り人形劇を見ながらの食事でした。 ここの食事は一人用の塗盆に盛り合わせの 料理でした。 下の写真は左から何時ものえびせんべいの ようなスナックとビール。スープ。 お盆の下に木の葉が敷いてあるところは ここにご飯を入れてカレーをまぜて少しずつ 食べるようになっています。 カレーは何時も通り、チキン、ポーク、野菜の カレーでした。 デザートはバナナの天ぷらで、ボーイさんが 火をつけると燃え上がりました。写真は炎が 出ているのですが、ちょっと見えませんねぇ。 |
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ミヤンマーの伝統芸術の操り人形劇です。 ストーリーは全くわかりません。 お坊さんのいることから宗教劇だと 思われます。 幾つかのプログラムがあるようですが、 何れも内容は不明のままでした。 画面にポインターを置くと 別の場面をご覧いただけます。 こんな風に人形を操っています。 |
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バガンで泊まったホテルです。 プールもあり、小奇麗なホテルでした。 |
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ホテルのロビーに幾つかの飾り物が 並べられています。 一番奥は食糧貯蔵用の壺、真ん中は ビルマの竪琴と漆器の壺、手前は タナカと言う木をこの石で磨り潰し粉にし、 水に溶かして化粧品にする道具です。 石の上にあるのがタナカと言う木です。 堅いです。 画面にポインターを置くと 竪琴とフクロウの形をした漆器の壺が 拡大してご覧いただけます。 |
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朝暗いうちにホテルを出て朝日鑑賞に 出掛けました。 Jオッキャオン・パゴダに登りました。 曇り空で朝日の昇るのは見られません でしたが、薄靄の中に浮かぶパゴダの 群れは幻想的な風景です。 |
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パゴダの上で日の出を待つ人々です。 待つ姿は様々です。 |
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手前の四角いパゴダが登った オッキャオン・パゴダです。 真四角と言うのも珍しいです。 パゴダの右手の階段から頂上まで 登ります。 奥に見えるパゴダはダマヤッズカ・パゴダで この後、見学に行きました。 |
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朝食の後、ニューバガン市街にある 漆工場を見学に行きました。 バガンは漆塗りが有名ですが、漆は ここではできず、他から購入している との事です。 器の母材には竹や馬の尾などが利用 されています。日本と異なり、柔らかい器も 作られています。 |
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Hスラマニ寺院です。 1183年にバガン6代目王ナラパティシートゥー王 によって建てられました。寺院は2階建で、 1階には東西南北を向く4体の仏像があり、 東側の入口には木造のお堂のような所に 1体の仏像が納められています。 |
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内部の壁画には仏像や船に乗る人々、象 などをモチーフにした11世紀のフレスコ画が 描かれています。この壁画によりバガン時代の 生活等が見られます。またこの寺院のレンガの 並べ方が有名で、ダマヤンジー寺院に次いで 大きい寺院とも言われています。 |
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Fダマヤンヂー寺院は12世紀、 アラウンシートゥー王の次男ナラトゥーが 寄進した寺院で未完成の寺院です。 この寺院はバガンで有名な4つの寺院の ひとつで一番大きい寺院と言われています。 ナラトゥー王は自分が王になるために父王と 兄の皇太子を暗殺しました。 その後王は罪滅ぼしのためにこの寺院を 1165年に建て始めました。 ところがナラトゥー王は在位して3年後に 暗殺されました。3年の間に現在の状態まで 完成させました。王が亡くなり工事をする人も 現れず、現在まで未完成のまま残っています 詳細は下記のボタンからお入り頂けます。 |
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グービャウッチー寺院です。 11世紀に建てられたレンガ造りの寺院です。 内部には座仏像と、550の美しい壁画が 残っています。 この寺院は院内の写真、ビデオ撮影を 禁止しています。 詳細は下記ボタンよりお入り頂けます。 |
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昼食は中華料理です。 サンセットガーデンと言うレストランです。 エーヤワディ―川沿いの美しい庭をもつ レストランでした。 |
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レストランのベランダから川が綺麗に 見えます。 左手に見えるのは夕日が美しいと 言われるローカナンダ・パゴダです。 |
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ローカナンダ・パゴダです。 別項で説明しています。 下は昼の料理です。 左からスープ(野菜)、野菜炒め、 鶏とナッツの炒め、魚のフライ、ポークと 通心菜の炒め物。 やっぱり、カレーと同じようにご飯を皿に 盛ってそれぞれの料理を食べました。 ミヤンマー流食べ方でしょうかね。 |
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遺跡と言わず、レストランと言わず、 あらゆる場所で子供が自分の描いた絵を 1ドルで買ってくれと付きまとってきます。 絵葉書を売っている子もいます。 一人から買ったら後の子はどうするのかと 思うと、迂闊に買えません。 物乞いにはガイドも金をやらないでと いうものの、この子らからもの買うなとは 言いません。 観光立国の宿命でしょうか。 |
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昼寝の時間を利用して、ニューバガンの 街中をうろついてみました。 この家はブーゲンビリアが素晴らしかった です。 街の様子は下記ボタンからお入りください。 |
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Kダマヤッズカ・パコダは朝日を見に行った パゴダの傍に有ります。 1198年にナラパティシートゥー王が建てた 寺院です。バガンの他のパゴダと違って 下部が五角形をしており、5つの門がある パゴダです。 シュエズィーゴンパゴダに似てどっしりとした 形をしています。 現在腹部は修理中で黄金色では 有りませんが、立派なパゴダです。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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Lベッレイ・パゴダはバガンで最も古い パゴダです。 ペッレイ・パゴダは東ペッレイと西ペッレイの 2基あります。これは西ベッレで東は現在 修理中です。 この仏塔を回る通路にはレリーフがあり、 仏陀の550の物語等が彫ってあります。 この部分は20世紀の始め頃に発見されました。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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Mローカナンダ・パゴダです。 レストランから見えていたパゴダです。 バガンで一番南方にあるパゴダで エヤワディ川の岸に位置しています。 この周辺は昔バガンの港として利用されて いました。 1059年にアノーヤター王が建てたパゴダです。 仏陀の聖歯が安置されていると言われています。 アノーヤター王の建てた4つの聖歯の仏塔の ひとつです。この4つの仏塔を午前中に全部 お参りすると願いが叶うと信じられています |
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パゴダから川を眺めながら 夕陽の落ちるのを待っています。 |
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落日の瞬間ですが、この箇所だけに雲が かかっています。 他には雲がないのになんという不運。 それでも川に光の筋が綺麗に出てくれました。 |
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夕食は洋食で、ミヤンマー伝統文化を 鑑賞しながらの食事です。 ミヤンマーダンスや操り人形ショー、 ぬいぐるみの象のショーなどが 有りました。 画面にポインターを置くと お店の内部がご覧いただけます。 |
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今日のメニューです。 左から野菜サラダ、スープ、魚の料理と デザートはシュークリーム様のお菓子でした。 まあ、食べられましたが、西洋食??と言う 感じでした。 |
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レストランでのミヤンマー舞踊ショーです。 | |
ここでも操り人形劇をやりました。 物語は同じような内容のものです。 |
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象の縫い包みに入っての演技です。 前後の人の息の合った演技でした。 出演前の準備の象さんです。足二人は 判りますが、頭の部分がどうなっているのか よく判らずじまいでした。 |
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翌朝バガン(ニャンウン・ウー)空港から 出発しました。 搭乗機は写真と同じ型の飛行機で YS11の中古機でしょうか。 ターボプロップで、2か所に立ちよりの為 ヤンゴン迄2時間強かかりました。 さらに、出発が1時間遅れ、結局 ヤンゴンには昼前の到着となりました。 |
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機上から眺めるニャンウン・ウーの街です。 エンジンの排気の為画面がボケてしまい ました。 中央の高い建物がバガンタワーです。 |
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途中で立ち寄ったマンダレー空港です。 ここは国際空港になっています。 マンダレーはミヤンマーではヤンゴンに次ぐ 第二の都市で人口も100万人近くいます。 |
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二番目の寄港地タウンジーにある ヘーホー空港です。 インレー湖へはここから行くようです。 バガンよりは大きめの空港です。 ここから約1時間程でヤンゴンに到着しました。 |
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