北京の風景 北京の風景2 北京の風景3 北京の風景4 北京の風景5  中国の風景
頤和園

頤和園は北京市の西北部にあります。
明代以前より皇帝のための園林として存在していたようですが、庭園として造られたのは
1750年に乾隆帝が母親の還暦祝いにこの地を修復し、皇家の庭園としたものだそうです。
もともとは清漪園と呼ばれていました。元有った西湖を掘って昆明湖と称し、掘った土を盛って
山となし万寿山としました。
1860年には英仏連合軍に破壊されましたが、西大后の隠居後の住居とすべく光緒帝の名の下に
1886年、軍艦の製造予算を流用して修復され、頤和園と名付けられました。
1900年に八ヶ国連合軍に破壊された後、1902年に修復され、1924年には公園となり、
1954年には一般に開放されました。
1998年に世界遺産に指定されています。
公園の規模は290ヘクタール。
今回、北京駐在時代の俳句仲間と頤和園で吟行を行いました。
通常は東門から入場するのですが、今回は北京市内の北京展覧館から舟で頤和園南門から入りました。

北京十大建造物の一つ
北京展覧館です。
この建物の裏から
運河が頤和園まで続いて
います。
皇帝船という乗合船が
出ています。

上は船着き場入口です。
奥は左のように綺麗な
池になっています

皇帝船とは名ばかりの
乗合船です。
運河を西に行きます。
展覧館の隣は
動物園で写真の左手に
なります。

この橋は多分古いもの
ではなく、頤和園への
運航開始後観光用に
作られたのではないかと
思います。
頤和園南門が船の終点。
門の前にある綉橋です。
昆明湖と西湖を繋ぐ橋です。
橋の向こうは昆明湖で
向い側に見える堤が西堤
です。

西堤に有る同じような型の
玉帯橋が有名です。
南門から万寿山へ向かう
途中にある
十七孔橋です。
左手は南島で建物は
竜王廟です。

十七孔橋の対岸西堤に
ある景明楼です。
元の建物は英仏連合軍に
焼き払われ、1992年に
再建されています。
名前の由来は
「春和景明、波瀾不驚」
宋代の范仲淹作「岳陽
楼記」からの引用だそう
です。
十七孔橋の傍にある
「銅牛」です。
1755年の鋳造です。
この牛は洪水を鎮める
ために置かれているとの
説明が牛の背中に80字
の文字で彫られています。
同じく十七孔橋から
眺めた仏香閣と万寿山
です。
左手は聴麗館で、
現在はレストランですが、
かっては毛沢東の夫人
江青が住んだこともある
建物です。
西堤にある「練橋(絹橋)」
と香山公園の瑠璃塔です。
香山公園は1186年に
造られた金王朝の行宮
だったそうです。
頤和園の中心、万寿山を
背にした一群の建物。
中央が仏香閣、その奥に
衆香界、左手は宝雲閣と
銅亭、右は転輪蔵。
手前に排雲閣と排雲門。
見事な建造物と配置です。
園の東寄りにある建物群の
うち「玉瀾堂」です。
光緒帝が軟禁されていた
場所です。
一頃は宝物の展示場として
内部も開放されていましたが
今回は屋内に入れないよう
になっていました。
「楽壽堂」は西太后が
生活をしていた場所で、
ベッドや衣装箪笥が置かれ
西太后の肖像画も飾られ
ていました。
現在はやはり屋内には
入れなくなっています。

「長廊」への門です。
門の名前は
「邀月門」で月を招く門
と言ったところでしょうか。
ここから排雲門を経由して
反対側の門まで720m
ある廊下です。

「長廊」です。この日は
暑かったため、涼を取る
のに座り込んでいる人が
溢れていました。
延々と続く廊下の壁には
色々な絵が描かれて
います。
中国の有名な説話の場面
が描かれています。
三国志演義、西遊記、
紅楼夢など数々の話が
出てきます。場面を見て
その話のわかるのが
教養の深さを示すことに
なりますね。
西遊記の一場面です。
右は孫悟空、中に猪八戒、
左に沙悟淨です。
木の傍に立っているのは
三蔵法師です。
残念ながら小生には
どの場面かは判りません。
仏香閣への入り口に立つ
門牌です。
掲額は「雲輝玉宇」と
なっています。
排雲門です。
排雲殿です。
正面に玉座があり
誕生日に西太后が
祝意を受けた場所です。
ここも屋内に入れなく
なっていました。
排雲殿から仏香閣への
途中で左に出ると
「宝雲閣」に出ます。
ここには「銅亭」が建って
います。
1755年に鋳造された
重さ207トンの銅製の
楼閣です。
内部に有った仏像や銅製
のテーブルなどは全て
英仏連合軍に盗まれた
そうです。

*ポインターを画面に置くと
銅亭からの仏香閣が
眺められます。
仏香閣から昆明湖の
鳥瞰です。
左手の橋は十七孔橋で、
その向こうに薄らと見える
塔は北京テレビ塔です。

*ポインターを画面に置くと
遠景がご覧いただけます。
仏香閣の近景と
堂内に安置されている
銅製の千手観音菩薩です。
仏香閣は八面三層四重櫓
で、高さは36.44m。
菩薩像は明代の万暦年代
に鋳造され、高さは5m、
重さ5トン有ります。

仏香閣の掲額の言葉を
拝借して作句。
「仏閣に 
   秋の風あり
        天香る」
仏香閣の奥に有る
衆香界の中の「智慧海」
は瑠璃タイルで飾られて
います。この仏像の顔は
全て外国軍隊の射撃の
的にされて無残な姿に
なっていました。
いつの間にか殆どの顔が
修復されています。
欧米の残虐行為は黙って
見過ごすのでしょうかねぇ。

*ポインターを置くと
 顔のない仏像が
 ご覧頂けます。
北宮門に向って万寿山を
下っていくと「四大部洲」
という西蔵寺にでます。
この寺も1860年に焼かれ
ました。
現在修復を進めており
その内復元された姿が
見られるでしょう。
蘇州街です。
公園の北、北宮門の傍
にあります。
北京に居て蘇州に遊ぶ
雰囲気を出すために
作られたものですが、
やはり、連合軍に破壊され
1990年に修復して
一般開放されています。
池を巡るスタイルで店屋が
ずらりと並んでいます。
まあ、小型のテーマパーク
でしょうかね。
北宮門です。
東の東宮門が正門に
対し、ここは裏門になり
ます。
以前は寂しい場所でしたが、
今回行ったら様変わりで
その原因は地下鉄の
開通でしょう。
地下鉄の駅から徒歩数分
で着けるので、一般市民は
便利になりました。
                       中国トップ  北京トップ    トップへ