表紙裏のデザインの
変遷です。
最初の数次旅券は
1973年の如く
数字旅券と赤丸で
付記されていました。

左の写真をクリック
すると画面を拡大して
ご覧いただけます。
日本のパスポートと出入国証
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世界のビザ・出入国証を見て行く中で、日本の旅券や出入境証はどのような変化をしてきたのか、併せて見てみました。
全体像が全て掴めているわけではありませんが、自らの経験で検証できる範囲での具体例を列記しました。
手元に現存する旅券は1970年発行の1次旅券から、1972年発行までの1次旅券5冊と2016年発行も含めての数次旅券7冊の計12冊。
実際に発券を受けた冊数は1966年から2016年までで総数18冊になります。1966年〜1969年の5冊と1986年の1冊が
今現在手元にありません。

当初は国交未回復の中国への出張が全てでしたので、数次旅券は使えず、全て1次旅券を利用しました。
1971年に夫婦で東南アジアへ行った際も、当然ながら1次旅券しか取れませんでした。
1次旅券の場合は発券ごとに渡航先が規定されました。
1973年に国交回復とともに、中国へ行くのも数次旅券の発券が可能となり、当初は有効期間5年でした。
それも1990年代末から5年と10年2種になり、随分便利になりました。

日本国内のみならず、海外での旅券発券も経験しました。丁度、1997年上海駐在中に旅券の期限到来となり、上海総領事館領事部で
10年旅券を発券してもらいました。この時の旅券は機械での読み取りができず、米国への入国が出来ませんでした。

現在、日本人で旅券を所有している人は約4人に1人で、総人口の30%足らずだそうです。一般旅券の有効期間内の総発行数は
2015年度でおおよそ3千万冊です。因みに、2015年の旅券発行数は330万冊弱でした。
また、日本の旅券でビザなし渡航できる国は173か国(2016年現在)で日本国が国と認めている世界の国は195か国です。
世界の殆どの国がビザなしで訪問できることになります。

極東地区 東南アジア地区 中近東・アフリカ地区 欧州地区 米州地区 大洋州 日本
日本のパスポート
日本のパスポートは基本的に一次有効と5年有効、10年有効の3種ありますが、一次は現在
特別な理由がない限り、発券されないようです。国交のない時代の中国へ行くときは一次旅券を
取得していました。下記にも記しましたが、日本のパスポートの力は世界でも有数の地位にあります。
初めて旅券を受領したのは1966年8月です。
この時の旅券は他の書類とどこかにおいてある
筈ですか、手元にありません。
左端は1970年発行の一次旅券、その右は
1973年発行の数次旅券、以下すべて数次旅券で
1982年、1992年、1997年、2006年発行の
旅券です。1987年発行分が迷子です。
旅券が小型になった時から有効期間が10年に
なっています。それまでの数次旅券は有効期間
5年でした。現在の5年旅券の表紙はブルーです。
1970年発行
右頁下段に旅券番号と国籍の明記
1971年発行
右頁下段の国籍が
削除(以降同じ)
1973年発行
右上に数次の
丸印あり
1977年発行
枠の色を変更
1982年発行
枠のデザイン変更
1997年発行
横長のスタイルに
変更、2頁目に移動
2006年発行
再度縦長に変更
1970年発券(左)と1971年発券(右)の
旅券の3,4ページ目です。

左は上段に所持者の詳細、下段に写真です。

右は上段は同じですが、下段は渡航先が明記
されています。
渡航先は「Republic of China,Honkong,
Phiippines,Indonesia,Thailand,Malaysia,
And Singapore」となっています。
夫婦で東南アジアへ行った際の旅券です。
1970年、1971年発券の旅券の4,5ページです。

左は1970年の旅券で上段は帰国まで有効と
記され、発行地の表記があります。
下段は渡航先になっており、「Hongkong,macao。
This passport is also valid for Pepls’s
Repavlic of China for Single」と
記載されています。

右は1971年の旅券で上段は同じ、
下段は写真と漢字、英文でのサインです。

1年で内容が変わっています。
1973年と1977年発券の数次旅券の
3,4ページ目です。

内容は同じですが、下段の渡航先が
左はThe passport is valid forが
印刷されています。

更に、左には除外国としてNorth Korea,
North viet−nam and East Germany」
が記載されています。

1977年発券の数次旅券ではNorth Korea
のみとなっています。
1982年発券の旅券では渡航先に除外国が
まだNorth Koreaと記載されています。

1992年発券では渡航先の除外国が記載
されなくなり、発行年月日と有効期間満了日が
併記されるようになりました。
左は1997年に上海で発券された旅券の
1(表紙裏),2ページ目です。
1ページ目に所持人の写真と詳細、発行日
有効期間満了日が記載されます。
上海での発券のため、機械での読み取り不可の
文言が下段に記されています。
このため米国への入境が出来ません。

右は2006年発券の旅券3,4ページです。
この時からICチップが綴じ込まれました。
また、4ページ目に富士山と桜が刷り込まれ、
光が当たると浮き上がるようになっています。
また、顔写真にも光で桜の花が浮き上がるように
処理されています。偽造を難しくするためと
思われます。


こうして見てくると、旅券のデザインはこまめに
変更されているのが判ります。
また、時代と共にその内容にも変化が
出ています。
アメリカで作成された世界の国のパスポート力のランキングです。
これによると日本は4番目のグループに属しています。
因みに1番目のグループは「フィンランド、スウェーデン、
英国」、2番目のグループは「アメリカ、ドイツ、デンマーク、
ルクセンブルク」、3番目は「オランダ、ベルギー、イタリア」です。
4番目のグループには日本の他、「フランス、カナダ、
スペイン、ポルトガル」などが属しています。

最下位はジンバブエ、その次のグループはベラルーシ、
キューバ、ガーナ、カザフスタンの各国が並んでいます。
要するに、世界中で入国時に制限を受けない国の数での順に
並んでいます。

現在日本はビザなしで渡航できるか、空港でビザ取得
できる国は世界で173か国あります。日本が国と認めて
いるのは世界で195か国です。

日本のパスポートのありがたさは日本人には実感できない
かも知れません。
日本の入出境証
日本からの入出国に際しイミグレーションで押されるスタンプにも時代ごとの変化があります。
税関吏が一目見て判り易くしているのでしょう。
左、1972年以前のスタンプは四角でした。
羽田での発着です。

右、1974年は1972年と同じスタイルですが、
右下段のように、1975年には出国が丸印、
帰国が角印に変更されています。
1978年上半期はまだ出国、帰国共に羽田空港でした。

1978年の5月20日に成田国際空港が開港し、
1978年5月2日に羽田から出国しましたが、
帰国は成田新空港となりました。
1985年の大阪も1986年の東京も同じスタイルの
スタンプが使われています。
1988年になると、出国が四角に、帰国が丸に
変更されています。

左、2016年の現在もスタンプのスタイルは全く
変りません。

NARITの後に(1)、(2)の数字がありますが、これは
成田空港第一ターミナル、と第二の意味でしょう。
海外への携行外貨の変遷
現在は海外へ行くのに、携行する外貨の制限は全くありませんが、以前は厳しい制限がありました。
1960年代初は一般の海外観光旅行は認められず、1964年4月に初めて認められました。
その際の持ち出し外貨も年間1回500ドルに制限されていました。業務渡航も1977年まで持ち出しには
銀行認証が必要でした。下記の写真は殆どが中国への渡航の際の携行外貨購入認証です。
1970年10月に中国へ渡航する際に携行許可
された外貨Stg£830.−です。
パスポートの最終ページにはこのように
「渡航費用に関する証明」欄があり、
外為銀行の承認番号と銀行名が必要でした。

この頃の中国はドルが通用せず、外貨は
英国ポンドが主要通貨でした。これ以外には
フランスフランと香港ドルが通用しました。

外貨の携行はトラベラーズチェックでした。
この頃の中国国内での兌換は銀行または
銀行の出先機関でのみ可能で、ホテルなど
での兌換は出来ませんでした。
従い、ホテルには中国銀行の出張所が
設けられているケースが多かったです。
1971年2月に北京へ行く際の外貨認証
です。なぜかスリップ式の証明書です。
備考欄の名前は自分の名前ではなく、
別人の名前になっていました。
なぜだか不明ですが、税関で何も
言われませんでした。

この時もまだStg£を携行していました。
中国の銀行で人民元に交換します。

業務旅行でも500ドル枠はありましたが、
年間に何回でも許可されるようになって
います。

この時代のドルレートは360円/ドル
でした。
1971年に家内とタイ、シンガポールなどへ
行った際の携行外貨認証です。

一人1回500ドルまで持ち出し可能で、
海外への観光旅行は1966年以降可能に
なっていました。
観光には外貨現金の方が便利な時代でした。

この時は個人旅行のため、自分で旅券持参で
銀行へ出向き、外貨への交換を行いました。

スミソニアン体制により円ドルは変動相場制に
移行し、中値は308円となっていました。
1972年4月は中国との国交回復前で、
まだ、Stg£を携行していました。

1972年11月には海外への携行外貨の枠が
無制限となりましたが、貿易赤字の拡大で
1973年に再度制限されています。

日中国交回復前の最後の認証です。

やはり携行外貨はStg£です。

ここでも旅券に記載せずにスリップが添付
されています。会社が旅券なしで外貨の
購入を行ったのでしょう。
備考欄の名前は自分の名前になっていました。
日中国交回復後は数次パスポートの利用が
可能となりましたが、外貨交換は相変わらず
銀行認証が必要で、渡航の度に外貨購入を
行っていました。

勿論、会社の関係部門がすべてやって
くれるので、いちいち銀行まで行くことは
有りませんでした。

1973年には北京に長期滞在しましたが、
この際には北京で銀行口座が開け、
会社が北京の口座へ外貨送金することが
可能になりました。

1974年からは携行外貨は全てドルT/Cに
なっています。

1976年からはフリー円として日本円の
T/Cを持参していました。
日本円〜ドル〜中国元の2度の兌換を
1回で済ませる為ですが、中国元が
ドルにリンクしているので、交換レートは
ドルレート経由での換算になっていました。
上と同じパスポートの増補部分に
記載されている携行外貨認証です。

この期間は全てフリー円での携行です。

1977年4月まで記載があります。

1977年11月に旅券を更新しました。
この旅券には外貨認証欄が
なくなっていました。
従い、会社が外貨を購入し出張者に
携行させることができるようになりました。

海外への携行外貨は自由化されたと
言う事になります。

1980年代には日本の急成長と
貿易拡大で外貨バランスは黒字に転換し、
海外投資を含め、為替の自由化が進んだ
時代でした。

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