世界のビザと出入国証
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世界の国々では出入国の管理が厳しい国、自由な国といろいろあります。また、それも時代によって変遷しています。
今までの旅(仕事も含め)の中で経験してきたビザと出入国証から世界の国を検証してみました。
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極東地区 東南アジア地区 中近東・アフリカ地区 欧州地区 米州地区 大洋州 日本
中国
仕事の関係もあり、1960年代後半の国交回復前から往来していた国です。ビザには苦労した経験もあります。
現在は比較的楽に長期ビザも取れるようになっていますが、知人の話では税金を払わない滞在期間が90日に
短縮され(以前は180日)、何度も出入国を繰り返すことになったようです。
1960年代から1970年代初めにかけ、
中国を訪問すると、国交がないため、
パスポートの役割がありません。
このため、中国の査証はパスポートには
印字されず、このように紙切れに捺印した
査証をクリップで挟みます。
従い、パスポートは中国滞在中の期間は
空白となり、入国前に立ち寄った香港の
往復の入出境印字のみが残されます。

更に、この時期は中国行きは全てシングル
パスポートでしたので、行くたびに
一次パスポートが必要でした。

パスポートには中国、香港、マカオでのみ
有効と明記されていました。


中国とは国交がない時代で、日本で
中国の査証は取れませんでした。
先ず、香港に渡り、そこでビザを取得し、
中国に入ります。必ず1泊する必要があり、
広州交易会参加の場合以外は更に1日
必要です。

中国の査証は登記査証と出境査証2枚が
添付されます(左の上下)。
基本30日ですので、それ以上滞在の必要が
ある時は招待単位による証明で延長が
可能ですが、短期間の繰り返しとなります。
中上は登記査証の延長で5月18日を22日に
中下は出境査証の延長。

右の裏側に5月26日までの延長許可があり、
最終5月29日までの滞在延長が認められ、
10日間の延長に3回も公安局に申請が
必要でした。ただ、この手続きは中国の
旅行社が代行してくれますので、費用を払えば
自分で公安局まで足を運ぶ必要はありません。
この査証は1972年(国交回復の年)に
北京へ行く為に香港で取得したものです。
深センから入境し、広州で一泊の上、飛行機で
北京へ向かいます。
日本を出発して北京まで最短でも3日掛かりです。

このビザで8月19日に入境し北京に向かい、
9月12日に出境しました。

9月25日には田中角栄総理大臣が訪中し
日中国交回復させました。

北京から帰国したばかりと言う事でNHKの
ニュースに出演し国交回復のコメントしました。
1973年になってやっとパスポートが有効と
なり、ビザが直接捺印されるようになりました。
ビザはまだ有効期間は1ヶ月です。
上記のビザで入境し5月17日に北京行きの
ビザを取得しました(左上)。
この頃は直接北京に行くのが難しく、
広州交易会で北上申請し、審査に合格すると
北京行きのビザが貰えます。

北京入りしても有効期間一ヶ月で、毎月、毎月、
ビザの延長申請し、一ヶ月づつ延ばして
もらいます。(左下から右下まで)
仕事の半分はビザ延長のための業務です。

この年8月に父親を亡くし、何とか再入国ビザを
取得しようと努めましたが、どうしても取れず、
招待単位が気を利かせて、9月9日まででビザを
打ち切ってきました。
北京から広州へ出て、香港経由で帰国する為、
父親の死に目どころか3週間後に戻るのが
やっとでした。

各社ともに北京に人を置くのが大変で、この年、
北京に滞在していた日本人商社員は全員で
僅か15名、小松の代表1名と計16名でした。
1976年になると北京へ直接入れる査証が
発行されました(左)。北京への直行便の定期
運行が計画されたためでしょう。
1975年の「日本工業展覧会」の際に、不定期の
北京乗り入れ便が運航されました。

ただし、ビザの滞在許可期間はわずか15日。

1978年には広州から北京行きのビザを取得、
やはり一か月間の有効ビザです(中)。
但し、ビザ延長は割と楽に延ばせるように
なりました。
この時は、4月に広州に入り、5月から8月まで
北京に滞在していました。
1979年になると企業の北京代表事務所
認可の噂も出て、広州から北京へのビザが
出易くなりました。
上記の査証で広州から北京に入り、
北京で居留査証が貰えるようになりました(右上)。
更に、ビザの延長期限も3ヶ月となり(右下)、
延長回数も3回までOKで、通算1年間の滞在が
可能となりました(左上下)。

更に、家族呼び寄せのビザが発行され、
1979年8月には日本航空北京直行便で
家族3名が初訪中しました。この頃の北京空港は
まだ国際化されておらず、タラップ下まで家族を
迎えに行け、帰国便も荷物検査場まで
同行することが出来ました。

この頃の日航乗務員は入国できず、そのまま、
別のクルーと交代して即日帰国していました。

希望すれば、家族の長期滞在も可能でしたが、
家族の方が「お父さんお一人でどうぞ」と
夏休みが終わる前に帰国してしましました。

駐在員によっては家族を滞在させる人が
出てきましたが、宿舎、就学問題など難問
山積みの状態でした。

また、1980年には企業の北京代表事務所が
認可され、当初は1社2名に限り在留1年間の
居留証も発行されることになりました。


左は1979年に家族に発行された査証です。
ビザの下段に「所持人は児童2名の帯同可能」
との但し書きがあり、家族一緒のパスポートで
入境しました。息子小学1年、娘幼稚園でした。
滞在許可期間は記載されていません。ビザの
有効期限内(1ヶ月)と言う事でしょう。

この頃のビザは中国の関係機関からの招待状
がないとビザ発行されません。
この時は中国の貿易公司が会社宛に家族の
インビテーションレターを発行してくれたので、
会社も驚いたようです。

右は1986年に中学2年の息子が一人で上海に
来た時の査証です。(L)ビザで観光用です。
この時は空港ビザカウンターに事前に
届けておくと、日本での査証取得は不要で
空港でこのビザが取得できました。
ビザは取りやすくなったものの、1980年代
前半までは中国国内の旅行は自由ではなく、
必ずこのような「外国人旅行証」を事前に
取得する必要がありました。

訪問地でも、ホテルでの登記と共に
現地公安局への届け出が必要でした。
ただ、ホテルによってはその手続きを代行
してくれるところもありました。
1981年5月に取得した旅行証(左)で
5月大連・上海、6月河北省石家庄、7月天津に
行ってます。

1981年8月に取得した旅行証(右)では
8月に無錫、9月に遼寧省瓦房店に行きました。

これらの旅行証はセミマルチで利用できる
種類のものです。
この3種の旅行証は地域限定の1次旅行証で、
5月に天津市塘沽区への旅行証(左)、
7月11日に南関嶺外貿倉庫への旅行証(中)、
7月16日に遼寧省瀋陽への旅行証(右)です。

夫々、外国人が行くことを制限されている
地域となります。

いずれにせよ半年で9回も旅行のための
許可を取らねばならず、仕事でも大変です。

当然のことながら観光だけの旅行証は
ありません。
1980年になると、それでも再入国ビザ
(出入境査証)が出るようになりました。

左は1979年末に日本へ正月休暇で
一時帰国する際に発行された再入国ビザです。

右は1981年8月に亡くなった母の生前に
一時帰国した際の再入国ビザです。
母はこの後8月12日に亡くなりましたが、
父の時とは異なり、生前に会う事が出来、
この時の母の眼はいまだに忘れられません。

母逝去の報と同時に、再び再入国ビザが
発行され、既に飛んでいた日本航空も便宜を
図ってくれ、通夜・葬儀には間に合いました。
8年間の変化を感じたものです。
1986年には数次ビザが発行されるように
なりました。
再入国ビザや国内旅行証も必要なくなりました。
従い、観光旅行も可能になり、多くの日本人
観光客が訪中するようになりました。

上海駐在中のビザですが、半年間有効の
数次ビザです。

この頃には家族にも数次ビザが発行され、
家族が行き来するのに便利になりました。
また、休暇に家族で国内旅行もできる様に
なり、1970年代には想像もできなかった
駐在生活となっています。
上海駐在時代に家族に発行された査証です

左は1987年発行のLビザ(観光用)で
この時は1次ビザです。
中学1年の娘が一人で来て空港で取得
しました。滞在許可期間は1ヶ月です。

中は家内が日本で取得した半年間有効の
2回入出境可能な観光ビザ(L)です。
1回の滞在許可期間は30日間です。

右は家内が空港で取得した親族訪問ビザ(F)
です。半年間有効の数次ビザです。

1980年後半から1990年代にかけては
ビザの取得方法も多様になり、随分便利に
なっています。
1994年からは数次ビザと併せて一般長期
滞在者にも外国人居留証が発行されるように
なりました。
外国人居留証です。

有効期限は延長可能で、帰国するまで
有効でした。
これにより、常時パスポートを携帯する必要が
なくなりました。
1999年からはビザの形式が捺印から
カードの貼付方式に変わりました。
有効期間も1年間になっています。

ビザの種類は(Z),(F),(L)、(X)などがあり
Zは就労ビザ、Fは親類縁者などの訪問、
交流、視察ビザ。
Lは観光ビザ(16日以上)。
Xは留学ビザになります。

勿論、15日以内の観光旅行はビザ不要と
なりました。
上記のビザに合わせて、居留証も発行され
中国滞在中はこれ一冊でOKとなります。

有効期間も申請により1年間延長されます。
4回延長しています。
この時は1999年4月に入国、10月に北京で
正式ビザ取得し、2003年9月に帰国しています。

40年間で中国の査証環境は大きく変わり、
毎月ビザ延長申請していた頃がむしろ懐かしい
感じがしました。
香港
香港は中国との国交回復前は、中国へ行くのに必ず香港でビザ取得が必要なため、1966年10月に初めて訪れて以来、毎年数回は
訪れています。多分、60回以上行ったと思います。ただし、観光込での訪問は数回程度になるでしょう。
初めて訪れた時から、空港でビザ取得が可能で、その後はまったくノービザで入出境が可能でした。
最初のパスポートが所在不明で、
1970年の香港のビザがこれです。
多分、1960年代も同じスタイルだったと
思います。


中国深センから列車で香港に入境した際に
発行されたビザです。

1973年には入境後の禁止事項などの
説明がなくなり、入出境の捺印のみに
なっています。
スタンプに下に滞在許可期間が印字
されています。1週間になっています。

上段は1973年10月11日に入境(左上)、
同10月12日に出境(右上)、10月28日に
再入境(左下)、10月30日に出境しています。

何れも、滞在許可期間は一週間です。
1977年からスタンプのスタイルが
変りました(左上下)。
左のように角型の入境印で許可滞在日数は
相変わらず1週間です。

出境証が楕円形のスタンプになっています。

このスタイルは1994年まで変わっていません。

インクの色は時により異なります。
1990年代初めまではスタンプに変更は
有りません。スタンプの色は時により
異なりますが、スタイルは同じです。

然しながら、香港の中国への返還交渉が
始まると、スタンプにも変化が出ます。

1994年4月のスタンプは入境証の下段に
まだ王冠が付いています。
1994年6月にはこの王冠がなくなり、
上部に漢字で香港と書かれるようになりました。

許可滞在期間は1ヶ月になっています。

左は1995年のスタンプです。

香港の中国への帰属が決まった
1997年7月1日以降のスタンプの変更はなく、
1994年以降のスタイルが継続されています。

右の1999年のスタンプではスタイルに
変化はありませんが、滞在許可期間が
3ヶ月に延びています。1997年以降に
変更されたものと思われます。

2000年初めまでは変化なかったと
思われますが、2000年〜2007年の間
香港に立ち寄る機会がありませんでした。
従い、スタンプの状態も不明です。
2008年11月に香港を再訪しました。
この時のスタンプはすっかり変わっており、
入境証には香港を象徴する「バウヒニア」が
描かれ、滞在許可期間も90日になって
います。
今まで英文のみであった文章が
中国語が主になっています。

出境証も円形にバウヒニア・ブラケアナの
花が描かれています。

バウヒニア・ブラケアナの花は香港の
地域の旗、地域の章に使われています。
(下図)






バウヒニア:マメ科の樹木で花がとても綺麗な
        樹木です。
        熱帯では庭木 や街路樹、庭園樹
        として利用されています。

バウヒニア属の花の一種がブラケアナです。
マカオ(Macau:澳門)
旧ポルトガル植民地で、現在は中国の特別行政区になっています。カジノで
有名な街で、香港からフェリーで渡れました。(この地域の風景写真はありません)
1974年当時はまだポルトガル領で
ポルトガルのビザです。
左側少し見難いですが、有効期間は
120日あります。

右側はマカオの入出境ビザで
滞在許可期間は20日間です。

香港からフェリーに乗ると船内で
ビザ発行をしてくれます。


現在は中国特別行政区なので
ビザ関係がどうなっているか不明ですが、
恐らく香港と同じ条件だと思われます。
台湾
台湾に始めて行ったのは1971年にタイへ向かう途中でワンストップした時です。この時は、台湾のイミグレーションを通ると、中国への
入境が難しくなるとの事で、機内で待機して、そのままタイに向かいました。2度目は仕事で1981年に訪れました。すでに、中国との国交が
回復しており、台湾のビザを取得していくことになりました。1990年代後半からはビザなしでの訪問が可能となっています。
中華民国(台湾)は日中国交回復により
国交は断絶されました。

従い、日台の窓口として「亞東関係協会」が
設立され、東京事務所でビザの発行を
行うようになりました。

左のビザは1次観光ビザで有効期間は六か月、
但し、滞在許可期間は一ヶ月です。
ビザの上に押されている丸い印は入境証です。

右の写真は出境時に押されたスタンプです。
高雄空港からの出国です。

一次ビザのため、出国時に「Used}のスタンプが
おされます。
左の写真は同じく「亞東関係協会」が発行した
ビザと入出境証スタンプです。
1981年と大差ありません。

右のビザは1994年発行のビザで、
「台北駐日経済文化代表処」により発行され、
数次ビザになっています。
有効期間は1年間ですが、一回の入国で
滞在は最長15日間です。
さらに、現地での就業などは禁止されています。
期間の延長も出来ません。

上記右のビザで台湾を訪れた時の
入出境証のスタンプも以前とは異なります。
1998年になると、観光など短期間の訪問は
ビザの必要がなくなり、到着空港で15日間の
滞在許可が受けられるようになりました。

2005年には滞在許可期間が30日に
延長されました。

入境証は少し変わりましたが、出境証は
従来と同じです。
2013年には滞在許可期間が更に90日まで
延ばされていました。

スタンプは入出境証共に変わっています。
韓国
韓国は一回しか訪れたことがありません。観光などはノービザで入国できました。
入出境証のみの表示です。
2006年に同級生が駐在しているので、
彼を訪ねて渡航した時のスタンプです。

滞在許可期間は三ヶ月です。
世界の風景 東南アジア地区 中近東・アフリカ地区 欧州地区 米州地区 大洋州 日本