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現在、小笠原諸島の有人島は父島と母島の2島です。 いずれも東京都小笠原村に所属しています。東京から約1千キロあります。 戦後米軍に占領されていましたが、1968年に返還され、今年が50周年です。 |
東京都小笠原村とは聟島列島、父島列島、母島列島の3列島からなる小笠原諸島、 火山列島(北硫黄島、硫黄島、南硫黄島)のうち北硫黄島、南硫黄島、それと、 孤立島の西之島及び沖ノ鳥島、南鳥島からなり、面積は79km2 (陸域64km2、海域16km2)あります。 有人島は父島と母島のみで、外は無人島です。 硫黄島は行政区分上は東京都小笠原村に属すと記されていますが、父島の ビジネスセンターのDVDでは所轄未定と言ってました。 硫黄島は自衛隊隊員が生活していますが、一般人の上陸は禁止されており、 小笠原在の遺族の一部が年一度上陸できるのと、小笠原村の住民の子供たちが 修学旅行で行けるようです。 ただし、島の周囲を巡るツアーがあり、外からは島々を見ることが出来ます。 小笠原諸島は大陸と一度も陸続きになったことがない海洋島であり、 動植物が独自の進化を遂げたことから、小笠原諸島でしか見られない .固有種が数多く生息・生育しています。 ただ、外来種の進出で固有種が絶滅に追い詰められているケースもあるようです。 これらの外来種の殲滅の為に色々な方法が採られているようですが、なかなか 根絶やしにまでは行かないとの事です。 小笠原村の人口は父島の2,140人、母島の491人の2,631人(2018年4月)です。 平均年齢は40歳弱で東京都では最も若い自治体となっています。これは、島の魅力に 惹かれた若い人の移住者が多いことや、子供の数が多い事(父島には高等学校もあります)、 病院が無いので、老人が都内へ移住するケースも多いためと言われています。 小笠原へは週に1度来航する「おがさわら丸」か、臨時で来航するツアー船以外 交通の便はありません。小笠原住民で重症患者はヘリコプターで硫黄島に運び、 硫黄島から飛行機で東京の広尾病院に搬送されるとの事で、収容までには 最低9時間かかるそうです。 船中でお会いした住民のご夫婦は診察の為東京まで出て、船待ちの間に温泉旅行 して帰島するそうで、一回50万円はかかるとぼやいていました。 今年が返還50周年ということでもあり、2018年6月22日に竹芝桟橋発「おがさわら丸」に 乗船し、23~26日で父島、南島、母島を巡り、26日午後発の「おがさわら丸」で戻りました。 |
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東京竹芝桟橋と父島二見港を往復する定期船です。基本的には片道24時間かけ、二見港で 3~4泊して東京へ戻るスケジュールですが、夏休み期間は二見港で折返しとなり、3日に1便となります。 本船の詳細は別項をご覧ください。総トン数11,035トンの3代目の定期航路船舶です。 |
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東京竹芝桟橋を出航したおがさわら丸は東京湾を通って、八丈島へと向かいます。 普段は小笠原二見港へ直航が今回1時間早く出航して八丈島に寄港します。 |
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小笠原諸島は聟島列島、父島列島、火山列島(硫黄島)、西之島がその範疇に入ります。 何れも東京都小笠原村になります。おがさわら丸は聟島列島を通り過ぎて、父島へと向かいます。 |
父島列島は北から弟島、兄島、西島、東島、父島、南島と数多くの小島嶼から形成されています。 小笠原世界自然遺産21件の内、7件が父島列島内にあります。 弟島、兄島、西島、東島、南島は島の全土が世界遺産に登録されています。 父島は人の住んでいる大村地区や南部西海岸(旧飛行場を含む)は世界遺産からは除外されています。 これにより、旧飛行場の有った洲崎地区が現在新飛行場建設の候補地とされています。 父島の周辺海域も世界遺産に登録されています。 このため、飛行場の為の海域の埋め立ては不可能なので、1,000mの陸地部分の滑走路として、 小型旅客機の離着陸が検討されているようです。 列島の内の有人島は父島のみで、外の島は全て無人島です。 弟島は面積5.2㎢で、最高峰は天海岳(229m)です。 兄島は面積7.87㎢で、最高峰は見返山(254m)です。 西島は面積0.49㎢で、島の標高は100mです。 東島は面積0.28㎢で、島の標高は92mです。 南島は南北に細長い島で、面積0.34㎢、標高は60mです。 父島は列島最大の島で、面積24㎢、最高峰は中央山(320m)です。 |
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先にも説明していますように、父島が小笠原諸島では最大の島となります。殆どが無人島の小笠原諸島の中で 母島とともに有人の島です。小笠原諸島は戦後米軍に接収され米軍統治となりましたが、1968年6月に日本に返還され 今年が50周年になります。ただ、現地では思ったほどのイベントなどはありませんでした。 |
小笠原諸島は1593年(文禄2)に信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫、 小笠原貞頼が発見したと伝えられています。貞頼を祀る神社もあります。 ただ、これは寓話で眉唾とも言われています。元は捕鯨船の基地として欧米人がこの地に 立ち寄ったことが伝えられています。 父島への最初の移住者は1830年(天保1)ハワイオアフ島からの白人5人と ハワイ人15人の20名と言われています。従い、現在でも白人やハワイ系の末裔も 居住しており、日本人離れした顔つきの人も見掛けます。 1876年(明治9)に大日本帝国が小笠原統治を世界に通告し、日本の領有権が 確定しています。これにより日本人37名が定住しました。 1927年(昭和2)には昭和天皇・皇后が父島・母島を行幸し、その記念碑が遺されています。 1994年(平成6)には今上天皇・皇后が父島を訪れ、行幸啓記念碑が建てられています。 1944年(昭和19)に父島を攻撃中の米軍機に搭乗していたジョージ・ブッシュ(元大統領) が撃ち落され、米国潜水艦に救助された史実が有名です。 2002年(平成14)ブッシュが当時行方不明になった同僚の追悼のために訪れています。 2011年(平成23)に小笠原諸島が世界自然遺産に登録されました。 現在島内大村地区には都営住宅が建設されており、公務員を主体に2,140人の人達が 生活しています。お年寄りを街中で見ることは殆どなく、若い世代の街です。 平均年齢は40歳未満だそうです。 今回おがさわら丸で訪れ、父島で3泊して父島、南島、母島を周りました。 |
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南島は父島の南西にある無人島です。島全体は世界自然遺産に登録されています。島には資格のあるガイドが 同行しないと上陸できません。また、11月~2月までは上陸が禁止されています。 島内も指定されたルート以外には歩行することが許されません。 島への上陸は南の上陸ポイントからか海から泳いで扇池に入る方法のみです。 |
南島は南北に細長い島で、面積0.34㎢、標高は60mです。 南島へは父島の観光業者の船で行くことになります。 国立公園特別保護地区に指定されているため2003年(平成15)からは自然保護の 観点により観光客の入島に際して、東京都認定の自然ガイドの同行、 定められたルート以外は立ち入り禁止、1日あたりの入島人数は100人まで、 上陸時間は2時間以内、等の自主ルールが設けられています。 船は上陸ポイントの鮫池か扇池からのみ入島できます。扇池の場合は船での接岸は 出来ないので、岩のアーチを泳いで抜ける事に成ります。 我々は鮫池の上陸場から上陸しました。 島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や 「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られます。 南島に近いジニービーチの沖合にはイルカの群れが常時屯しているので、上陸前に イルカウォッチングを楽しむことが出来ます。ここのイルカは「ハシナガイルカ」です。 |
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南島を訪問後、父島の西側を航海して兄島の南海岸へと向かいます。 三日月山のウェザーステーションの展望台から見た風景を今度は海の上から見ます。 |
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母島は、母島列島の最大の島で有人島で、父島から南へ約50km、南北に細長く、山には亜熱帯の高木林が繁る 緑濃い静かな島です。地球上で母島でしか見られないメグロが生息し、父島二見港から定期船ははじま丸で約2時間です。 母島は人の住む集落を除いた地域と周辺海域は世界自然遺産に登録されています。 |
母島は向島、姉島、妹島、姪島などからなる母島列島の最大島です。 島内は南北に縦貫する都道241号線が通っていますが、公共交通機関はありません。 人口は491人(2018年4月現在)で元地地区、静沢地区に集中しています。 母島の最高峰は乳房山(ちぶさやま;462.6m)で、父島からの船で島に近づくと、 正面にポッコリと乳房山を遠望できます。 戦前(1940年)には北に北村、南に沖村がありましたが、北村は現在は無人となっています。 北港跡が残っています。また、北村小学校跡もあります。沖村は現在小笠原村靜沢集落、 元地集落となっています。人が住んでいるのはこの二つの集落のみす。 戦争中は最大2千人の兵隊がいたそうですが、現在はわずか491人(470人とも)です。 今回の母島訪問は朝7時30分出航のははじま丸で9時20分に到着し、午後14時出航の 便までの滞在約4時間足らずとなり、島を縦断しただけとなりました。 色々と見るべきものはあるのでしょうが、残念ながら簡単に表面をたどるに止まりました。 お天気は快晴ながら、北村ではスコールに出遭い、1時間ほどの雨宿りで時間の浪費が ありました。沖村では全く雨の降った様子はありません。これが島の天気なのでしょう。 列島の内、鰹鳥島、丸島、二子島は母島の属島となりますが、外の5島は下記の大きさです。 平島は面積0,48㎢、最高点は62mです。向島は面積1,38㎢、最高点は137mです。 姉島は面積1.43㎢で母島列島では2番目に大きな島で最高点は117mです。 妹島は面積1.22㎢、最高点は216mあります。姪島は面積1.11㎢、最高点は113mです。 これらの5島は全て世界遺産に登録されています。 |
いよいよ最終日。おがさわら丸の二見港出航の時です。 二見港では船での見送りがすごいと聞いていましたので、楽しみにしていました。 |
二見港・船客待合所の内部です。 どちらかと言えば個人か小グループの 船客が多いようです。 我々のツアーは添乗員を入れて 14名のグループで、大きいグループ に入ります。 父島のガイドの経営するツアー会社 を利用する人も多いようです。 |
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14時45分に乗船開始です。 デッキの順番に乗船します。 7デッキ(特別室)から始まり、 6デッキ(特一等、一等)、5デッキ (一等、特2等)、4デッキ(2等と和室) 3デッキ(和室)の順に乗り込みます。 画面にポインターを置くと 乗船客の行列もご覧頂けます。 |
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小笠原太鼓での見送りです。 さすが、ははじま丸の見送りとは スケールが違います。 宿舎やレストラン、ツアー会社の 人達が見送りに来ています。 |
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島へ遊びに来ていたのか、撮影で 来ていたのか、宍戸開が乗船 しました。撮影隊付です。 画面にポインターを置くと拡大 画像をご覧いただけます。 因みに、宍戸開は宍戸錠の息子です。 |
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15時30分に離岸したおがさわら丸を 地元の船が追いかけてきます。 一番手前の船は我々を二日間 アテンドしてくれたガイドさんたちです。 もっちーこと望月さん、金ちゃん、 たいぺいさんです。舳先の女性は モッチ―の奥さんでしょう。 他の船も概ね、旅行客のレジャーに 付き合った船だと思われます。 |
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見送る際の船の順番もほぼ決まって いるようです。 我々のガイドさんたちの船は 一番前に出ると添乗員さんが 言ってました。 |
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一定場所まで来ると、夫々の船に 乗っていた人たちが、次々と 海に飛び込んでゆきます。 一種感動の一瞬です。 |
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この船が最後まで見送ってくれました。 但し、海への飛び込みはやりません でした。 |
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船がいなくなると、カツオドリが 船を追いかけて来て、海中に 飛び込んでゆきます。 餌を取っているのでしょうが、 今までの光景とのラップで、 あたかも我々を見送ってくれて いる様な気がします。 薄らと奥に見えているのは聟島列島の 島々です。右は嫁島、左は聟島です。 画面にポインターを置くと 悠然と大空を滑空するカツオドリを ご覧頂けます。 |
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2018年6月26日、小笠原諸島 返還50周年の当日の日没です。 |
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夕食は父島の「島寿司」で握って 貰った島寿司と展望ラウンジで 購入した野菜サラダ、小笠原ビール で済ませました。 翌朝の朝食は自販機で買える 焼きおにぎりと展望ラウンジで 購入したパンとワッフルです。 飲物はアイスコーヒーと アップルジュースです。 |
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翌朝7時過ぎに八丈島到着。 すぐに、ここまでの乗客を下船させ、 7時40分には出航しました。 八丈島寄港の場合、1時間余分の 時間がかかりますが、この時は 風の吹き具合か、波の静かな所為か、 ほぼ、直航便と同じタイムスケジュール での航海となりました。 往路で乗船された八丈島の船客 150名がそのまま下船されたようです。 八丈島寄港の場合、往路では乗船客、 復路では下船客しか取り扱いません。 画面にポインターを置くと 八丈太鼓で送ってくれる人を ご覧いただけます。 |
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八丈島底土港をおがさわら丸が 出航した時に、丁度、東京からの 全日空機(ANN便)が着陸しました。 |
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東京湾に入る直前に 東海汽船のさるびあ丸(客船)と すれ違いました。 同じ竹芝桟橋から伊豆大島各島へ 定期運航されています。 |
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三浦半島が見えてきました。 東京湾に入ります。 |
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こちらは房総半島が見えます。 いよいよ小笠原旅行の終着です。 |
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