鳳凰古城
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昔ながらの街並みを今に残す、中国で最も美しいと言われる古城です。春秋戦国時代から清の時代まで政治の中心として繁栄した
当時の風景がほぼ完全な形で残っています。静かに流れる沱江(だこう)の川沿いに吊脚楼(ちょうきゃくろう)という独特な家屋が
建ち並び、より一層風情のある街並みをつくり出しています。
鳳凰古城へ向かう途中の張家界市内に
「土司城」が一瞬見えました。

土家族(トゥチャズ)の山寨(砦)跡を元に
1997年に修復し一般開放された
場所のようです。

内部には入っていませんが、資料から
拝借した砦の様子を画面にポインターを
おくと、ご覧いただけます。
雨の中、対向してきたトラックが
スリップしたのか、中央線を越えて
バスに接触事故を起こしました。

このため、事故検分や後処理で
1時間以上停車しました。

画面にポインターを置くと
警察の事故検分の様子を
ご覧いただけます。
我々のバスは側面全面に擦り傷が
発生しています。

エンジンはかかるので、目的地までは
走るのかと思ったら、代車が来ました。

大事故にならずに幸いでした。
日本の新聞記事にでもなれば、
大ごとになったことでしょう。
それでも急停車で顔面をぶつけた人も
居られたようです。

添乗員が事前にシートベルトをするように
指示していたのもけが人の出なかった
原因でしょう。
代車が来て、再び鳳凰への移動が
始まりました。

車窓から見た土家族の子供たちです。
現代風リュック姿です。
学校へのカバンなのでしょう。
途中から高速道に入り、
トイレ休憩のパーキング場へ
入りました。

中国では珍しく、綺麗なトイレでした。
建物も新しかったので、最近出来た
物でしょう。

画面にポインターを置くと
ずらりと並んだ洗面台をご覧
頂けます。
中国のパーキングでこれだけ
並ぶのは珍しいです。
勿論、トイレの中も清潔で便器も
沢山並んでいました。

中国の高速道でこのレベルのパーキングが
揃うのは何時頃になるのでしょうか。
高速道路から眺める眺望です。

山の上に白塔が建っていました。
寺院のようです。

画面にポインターを置くと
拡大した白塔がご覧いただけます。
予定より2時間ほど遅れて鳳凰へ
到着です。
予定では下の道路を走るのを、
事故のため、全線高速走行したようです。

思ったより早く到着しましたが、
20時前と言う事で、ホテルでは
そのまま夕食になりました。

夕食の内容は下記ボタンから
お入り頂けます。
鳳凰古城滞在中の全食事を
一括掲載しています。

鳳凰古城での食事
鳳凰古城は鳳凰県沱江鎮の一部です。
沱江が中心部を流れています。
この地域に鳳凰県政府、沱江鎮政府や
県政府の各部門や銀行などが集中
しています。

地図の各所の名称など見難いですが、
後出の鳳凰古城遊覧図で主なところを
確認頂けます。

色のついている部分が古城地区で
大型バス含め車両の進入は出来ません。
従い、古城内の観光は全て徒歩です。

鳳凰で泊まったホテルです。

鳳凰県では唯一の4星級のホテル
だそうです。

2連泊しました。
ホテルのロビーでは民族衣装姿の
お嬢さんが出迎えてくれます。
苗族の衣装のようです。

この地区は土家族・苗族の自治区に
なっています。
ホテルの前を通る「鳳凰路」です。

前方に鳳凰大橋が見えています。

左手はバス停で、地元民がバスを
まっています。

一番奥の建物は古城旅行案内所で
個人のツアー受付などを
やっています。
鳳凰大橋です。
アーチ型のコンクリート橋です。

下を流れるのは沱江です。
沱江は鳳凰鎮の北部にある
長譚崗ダムを水源として鳳凰県を
通って東方向へ流れています。
鳳凰大橋から東方向(古城方面)を
眺望しています。

川沿いの道を古城からここまで
歩いてくることも可能です。

画面にポインターを置くと
橋に近い景観をご覧頂けます。
鳳凰県政府の横にある
「政府賓館」です。

ここで昼食を摂るので、
駐車場が利用できます。

一般車はこの手前の駐車場
(大型バスで大変混雑している)
に入れることになります。
政府賓館から「和同街」へと
抜けてきます。

商店街のど真ん中にこの銅像が
立っています。
酒鬼と言う白酒メーカーの看板だそうです。
酒の壺を担いだ翁が闊歩している
様子を表わしています。
鳳凰古城街区の概念図です。

鳳凰県は土家族と苗族の自治区内に
あります。清朝の時代に鳳凰県廰が
設置され、中華民国の1913年に
鳳凰県が誕生しています。

古城内は有料参観の場所と、
無料参観の場所に分かれていました。
団体チケットの料金は133元/人。
団体割引料金でしょう。
団体の為、チケットは1枚でガイドが
所持しているため、自由時間には
そのチケットをカメラに写し、マーク部分を
入場券受像機におしあてることで、
単独でも各施設への入場が可能で
見学が出来ました。へぇ~でした。

ホテルから古城内まで距離があり、
自由時間と言えど、ここまで来るのが
大変で、実際の見学時間はほぼ半日強
でした。
それでも、主だった所は何とか見学
してきました。
古城の中心にある「従文広場」です。
当地由来の作家、沈従文の名前を
付けた広場です。

門は南側にある「阜城門」です。
広場の中心です。
鳳凰の銅像が置かれています。

奥の建物は「和堂街」の商店街が
入っている建物です。
広場から東方向へ進むと
昔のままの街並が続きます。

土産物屋、食品を売る店が多いです。

奥に見えるのは鳳凰城と書かれた
石塀で、団体などの集合場所に
利用されているようです。

鳳凰城の石塀です。
左手奥に「古城博物館」があり、
右手に行くと「沈従文故居」があります。

土家族の織物で、土家語で「西蘭卡普」
と呼ばれる織物だそうです。



当地で出生した沈従文氏の故居で
1866年に建てられた四合院スタイルの
家です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

沈従文故居
沈従文故居から東門城楼へ向かう
小路です。

各家の屋根が鳳凰の羽のように
跳ね上がっているのが特徴です。

多くの商店が並んでおり、
団体ではお店の中まで見て行くには
時間不足です。
東門城楼です。

画面にポインターを置くと
正面からの門をご覧いただけます。

内部の詳細は後出です。
老菜街と呼ばれる城壁に沿った
通りの中に、少数民族らしいお婆さんが
刺繍をしていました。

製品は販売しているようです。

この店の奥は「客桟」と呼ばれる
宿屋になっています。
老菜街と呼ばれる小路に沿った
城壁です。
右手に家が見えますが、昔は
沱江からの敵の侵入を防ぐ
城壁だったのだろうと思われます。
家は後世に建てられたもの?
上の通りを北へ向かうと
北門に出ます。

この門の横から沱江遊覧船が
出ています。
北門を通り抜けて振り返ると
この様な門になっていました。

表示は「璧輝門」になっており、
元の名前はこう呼ばれていたので
しょう。



北門の横から沱江遊覧船が出ています。

6~10人乗りの船で、船頭さんが棹差して
船を進めます。

この日の川の水は結構澄んでいました。
乗船場の北寄りにある飛石です。

1704年に造られたもので、
橋のないころには重要な通路と
なっていたようです。

画面にポインターを置くと
向かいの板橋から眺めた飛石が
ご覧いただけます。
我々はさすがに飛石は通らず、
その向こうにある板橋を渡りました。
船上から眺める沱江沿いの
家並みです。

基礎を石垣で作ったものと
木の柱で支えているものがあります。
川に突き出た家を柱が支えています。
これを「吊脚楼(ちょうきゃくろう)」と
呼びます。
柱で絶妙のバランスを保っています。
虹橋です。

石組みの上に風雨楼と呼ばれる2層の
廊下があります。
下は一般通路、2階は有料休憩所に
なっています。

詳細は後出です。
虹橋の先にある風橋です。

古城内の沱江には
北から、雨橋、雪橋、虹橋、風橋、霧橋
の5橋が架かっています。
これはその内の風橋です。

夫々似たような形ですが、
虹橋だけが全面二層の橋となって
います。
沱江の中に立つ「万名塔」です。

沱江の水害を防ぐ祈願のため
多くの住民から寄付を得て、
建てられた塔なので、「万名塔」と
称しているとの事です。

画面にポインターを置くと
別角度からの万名塔を
ご覧いただけます。
下船場の傍に有る「東関門」です。

その先の三重塔は何か聞き漏らしましが、
多分「万寿宮」でしょう。
東関門から虹橋に出たため、万寿宮には
立ち寄れませんでした。
船着き場近くで、遊覧船の船頭さんが
追い越しを掛けてきました。
下船場へ上がると目の前が
「東関門」です。

対岸にある唯一の楼門です。

虹橋へ来ました。
1階は店屋さんが並ぶ一般道路で
そのまま対岸へ渡れます。
2階は有料の休憩所になっており、
沱江の景観を上から楽しめます。

詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。

虹橋
虹橋を渡って元の街並へ出ます。

鳳縁楼と言うレストランのようです。
時代を感じさせる建物です。
一旦元の場所へと戻り、
昼食となります。
ここは「和堂街」で商店が入っている
建物です。従文広場の北寄りです。

昼食は最初に停まった政府賓館で
摂りました。

昼食のあと自由行動で
あらためて有料観光スポットを回りました。

ここは古城博物館です。

建物は130年前のもので、陳宝箴家代々
の家だそうです。


内部の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

古城博物館
博物館から次のスポット
崇徳堂へ向かう途中の
小路です。
なぜか傘が通り一杯に
飾られていました。

鳳凰古城の小路は殆どか
この様な石畳になっています。


「崇徳堂」です。

この堂を建てた斐守禄と言う人は元江西人で
進士(科挙試験の合格者)でした。
その後、商人に転身し、財を成したそうです。
堂内には彼が集めた古い掲額や
骨董などが展示されています。
詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


崇徳堂

東門城楼に登り、楼内を見ました。

詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

東門城楼

東門の近くにある
楊家祠堂に立ち寄りました。

1836年(道光16年)築の四合院で、
楊家の歴史が説明板にありましたが、
良く判りません。

内部は下記ボタンからお入り
頂けます。

楊家祠堂
通りに出ると、こんな食品を
売っている店がありました。

右の白いのは団子や餃子っぽい物、
その左は川蟹、川エビ、川魚が
並んでいます。
黒っぽいのは何だろ~。
下の籠の中は干したきのこ類です。

中華民国の総理となった熊希齢さんの
故居です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

熊希齢故居
熊希齢故居をでて、城壁沿いに
歩きました。
この辺りは城壁の外は沱江に
なっています。
沱江の傍に立つ城壁の様子です。

雨水を抜く為でしょうか、
龍の頭が出ていました。

画面にポインターを置くと
頭の部分が拡大して
ご覧いただけます。
雪橋に出ました。
この橋を渡って対岸に出ました。

画面にポインターを置くと
橋の正面の様子をご覧頂けます。
雪橋の上からの下流方向(虹橋方向)
の眺めです。

右手の大きな建物は北門です。

川に架かっている橋は飛石の傍に
作られている板橋です。
その向こうに黒い点々に見えるのが
飛石です。

画面にポインターを置くと
上流方向(南華大橋方向)を
ご覧いただけます。
同じく雪橋から眺める
下流側の城壁と家並みです。

画面にポインターを置くと
上流側の城壁と家並みも
ご覧いただけます。
川の傍で花嫁衣装の記念撮影
でしょうか。少数民族衣装での
記念撮影会でしょうか。
沱江沿いの喫茶店で一休み。

家内は西瓜ジュースを、私は
アイスクリーム。
西瓜ジュースは目の前で西瓜を
大量に絞ってくれました。
沈従文故居の近くにある
「天后宮」です。
内部はお寺になっていました。

画面にポインターを置くと
内部をご覧いただけます。
赤い花は造花でした。
街中で生姜糖を練ってるおじさんが
いました。
張家界や鳳凰では生姜糖が
有名だそうです。
有名な店が何軒か古城内にも
ありました。
最後「阜城門」から出て、
表通りでタクシーに乗り、
ホテルまで戻りました。
タクシー代は10元(約180円)。

夕食後、南華門まで夜景を見に
出掛けました。幻想的な景色です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。


鳳凰古城の夜景
翌朝、散歩がてらに夜景を見た
場所まで歩いて見ました。

南華門も上に上がれるので、
この階段を上りました。
思ったほどの景観は得られず、
一度に疲れが出てしまいました。

画面にポインターを置くと
門の拡大画面がご覧いただけます。
楼門の天井の様子です。

年代を感じさせる彫り物が
施されていました。

外の景色は大したことが
ありません。
南華大橋から見る南華門です。

昨夜はこの橋から夜景を見ています。
夜景と同じ場所です。
ホテルに戻ると、おおぜいの人が
集まっていました。
同じTシャツで音楽隊も付いています。

この日は第29回国際禁毒日とかで、
市民が集まってアッピール行進を
するようです。

看板には「健康同行・遠離毒品」と
書かれていました。

画面にポインターを置くと
音楽隊の女性陣がご覧いただけます。


鳳凰古城より車で30分ほどの
場所にある、南方長城を訪れました。

南方長城は、南が湖南省吉首市鳳凰県
と貴州省銅仁市の境にある亭子関から、
北が吉首市の喜鵲営まで総延長191キロ、
そのほとんどが鳳凰県域内にあり、
かつては「苗疆辺牆」と呼ばれていました。

長城の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

南方長城
鳳凰から張家界へ 南方長城から鳳凰古城へ戻り、鳳凰古城内で昼食の後、張家界へ向けて出発しました。
来るときは事故の関係で、高速利用でしたが、戻りは殆ど一般道229号線を走行しました。
沱江鎮街区にある「鳳天国際大酒店」
で昼食を摂りました。
食事内容は「鳳凰古城での食事」に
含まれています。
高速道路で鳳凰県を抜けると一般道に
入り吉首市を通ります。
吉首駅です。
大型バスが止まっていることから、
ここからも鳳凰古城へ行く人も
居るようです。
吉首市内の一部です。

建築中の高層住宅が数多く
見掛けられます。
発展途上の街なのでしょう。
吉首市谷韵民族小学校の
スクールバスです。
「湘西従文教育集団」とあるので、
私立の小学校でしょうか。
街道筋にあるバスストップです。
「招呼站」とあるので、
公共乗り物を呼び出す場所でしょうか。
待っている人もいます。
古丈鎮に入ると高速道路の工事現場が
見られます。一部出来上がっている
個所もあり、いずれは省道229号線沿い
にも高速道路が出来上がることでしょう。

画面にポインターを置くと
ほぼ出来上がっている部分を
ご覧いただけます。
古丈県内の道路沿いにある建物で、
パーキングエリアかと思ったら、
工場でした。
農副特産製品工場と書いて
ありました。
同じく古丈鎮中心部の商店・住宅街
です。「常徳街」の石碑がありますが、
日曜日なのに閑散とした様子です。
途中のトイレ休憩で利用した
場所です。
日曜日でバスが沢山集まって
来るので、集金のお婆さんは
にこにこ顔でした。
一回1元(18円)です。
なぜかコインは受け取りません。
紙幣のみです。

高速道路では無料で綺麗な
パーキングがありましたが、
一般道ではそうもいかないのでしょう。
ただ、ここでは車体の洗浄をするので
運転手さんにとっては良い場所
なのでしょう。


画面にポインターを置くと
トイレの様子をご覧いただけます。

古丈鎮を抜けると、映画のテーマにも
取り上げられた「芙蓉鎮」に入ります。

ここは芙蓉鎮王村で、ロケ地です。
王村の様子です。
映画で有名になり、多分街中も
大いに変化したことでしょう。

新しい住宅や商店が並んでいるようです。
張家界市に戻ってきました。

澧水(れいすい)です。
浮島が墨絵のような雰囲気を
出しています。

川の向こうは張家界市街地です。

今回の旅行の最後の立ち寄り地である
砂絵博物館です。
屋上には「張家界軍声画院」の
表示があります。

李軍声と言う人が新しい砂絵を開発し
その作品が展示されている場所です。
作品の販売も目的のようです。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

砂絵博物館
張家界での最後の食事は
駅に近い「ウェスタングランドホテル」
での四川料理になりました。

四川料理とは言うものの、ちょっと
本場とは異なる味付けで、日本人団体
向けの料理だったのでしょうか。
四川料理と称する
上段左から:茸スープ、青椒肉糸、豆腐と
肉の煮付け(麻婆豆腐ではない)。
中段左から:青菜の炒め、酢豚、
カリフラワーとニラの炒め、イカとニンニク
の芽の炒め。
下段左から:武昌魚の蒸し煮、トウモロコシ
の粉の蒸しパン。

四川料理ではなく地元の郷土料理に
日本人好みに合わせた酢豚と青椒肉糸
を加えたんじゃないかなぁ。
20時過ぎに張家界荷花空港に
到着。
一寸ボケてますが、空港の夜景です。
空港内はモダンな設計です。

壁には武陵源の写真が大きく
掲げられていました。
(画面にポインターを置くと
掲示されていた写真をご覧
頂けます)
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