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1353年,ランサーン王国(100万頭の象の意)として統一されましたが、 18世紀には3国に分裂し、戦乱が続きました。以降、タイの支配下に置かれることが 多くなりましたが、19世紀半ばにフランスがインドシナ半島に進出したのを機会に、 ラオスはフランスの力を借りて1893年に面泰戦争を起こし、結果、フランスの保護国となり、 1899年にフランスのインドシナ連邦に編入されました。 その後も日本の占領下で独立を果たしますが、戦後は1949年にフランス連合の枠内で ラオス王国として独立しました。 1953年10月22日仏・ラオス条約により完全独立を果たしますが、その後内戦が繰返され、 1973年2月に「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立します。 以後、右派、中道派、左派による抗争が激化しますが、1974年インドシナ情勢急変に伴って, 三派連合が成立し、1975年12月に王政を廃止し、ラオス人民民主共和国が成立しました。 共和国はラオス人民革命党により支配されています。 国家機関や、一般家庭でも国旗と党旗の両方が上がっているケースが多いです。 ラオスは東南アジアで唯一の内陸国で、メコン川は国内を縦断しており、 ミヤンマー・タイとの国境はメコン川になっています。 人口は約650万人(外務省資料)で、首都ビエンチャンの人口は約70万人です。 国土の80%が山地で耕作面積は20%以下なのだそうです。もち米の生産が主力で、 ラオス料理の主食は「おこわ」です。 公用語はラオ語で、主民族はラーオ族ですが民族に関わらず、すべてラオス国民とされているそうです。 ラオスの世界遺産は2か所あります。2017年2月に訪問し、いずれも見学してきました。 ラオスの通貨はKIP(キープ)でおおよそ1ドルが8千キープ位です。 パクセーへは2017年2月14日にルアンプラバンから航空機で向かいました。 |
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パクセーはチャンバ―サック県(元チャンバ―サック王国)の県都でラオス南部に位置し、 人口は10万人ほどの街です(ラオスで2番目の大きさ)。1946年にラオス王国の生誕により、 チャンバ―サック王国はなくなり、宮殿もなくなっています。現在はシーバンドンへの玄関となっています。 |
ルアン・プラバン国際空港から ラオス南端のパクセーへ向かいます。 今日もお天気です。 |
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ルアン・ブラバンからパクセーへ向かう 飛行機の窓から眺める飛び立って間もない ラオス・バンビエンの近くの眺めです。 中央の道路は多分13号線だと思われます。 |
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ビエンチャンを過ぎて、間もなく見える メコン川とヒンボン(Hinboun)村です。 このあたりではメコン川の写真上は タイです。 |
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メコン川と川に架かる「第3タイ・ラオス 友好橋」です。 上の部分はタイになります。 手前がラオスです。 橋へのインターチェンジの手前を通る 道路は13号線です。 インターチェンジには立派な休憩所が 建てられています。 ビエンチャンとパクセーの中間くらいに なります。 |
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パクセー空港の手前で機内から見られる メコン川と川に広がる島々です。 乾季で水量が少なく、島が多いです。 此の辺りは対岸もラオスになります。 |
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パクセー国際空港です。 |
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パクセー市内の街並です。 新しい建物と古い建物が混在しています。 |
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キリスト教教会がありました。 今回ラオスでは最初で最後の教会 でした。 他の都市では車窓からも教会は 見られませんでした、 |
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日本の協力でメコン川にかけられた 日本橋です。 画面にポインターを置くと 橋を渡っている画像をご覧頂けます。 |
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メコン川西岸側の風景です。 北に比べると田圃の緑が濃いです。 水も結構流れています。 |
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メコン川西岸にあるチャン・バ―サックの 町並です。左手は寺院で白い塔は墓です。 |
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チャン・バーサックにある メコン川に沿ったレストランです。 「Dok Champa Restaurant」の 看板が上がっていました。 川ベリで眺望抜群のレストランです。 ここで昼食を摂り、ワット・プーへ 向かいます。 |
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レストランから眺めるメコン川の景観です。 対岸は中の島です。 |
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レストランの南西にある「ワット・プー遺跡」 です。 ここは博物館になっています。 |
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ワット・プー遺跡の神殿跡です。 ワット・プーの詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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ワット・プーを去る頃には既に日が 沈んでいました。 |
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スケジュールではこの近辺の寺院群を 見て回る予定でしたが、時間が 遅くなったため、道路沿いにある この寺院跡のみの参観となりました。 この寺院は「ワット・シスマン(Wat Sisumang)]と呼ばれています。 メコン川の堤にある場所、シスマンに 有った寺院です。2本の聖なる木の間に カラフルな仏像が鎮座しています。 元々の寺院はヒンズー教、ジャイナ教、 仏教の影響を受けた寺院だったようです。 |
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元は寺院の中に有った仏像は 現在建物が無くなり、仏像だけが 残されているようです。 台座が木の根になっていますが、 長い時間で形成された物でしょう。 |
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仏像の前に有ったお供えです。 左はお線香とマリーゴルドの花。 右はバナナの葉で作られたお供えです。 お供えはマークベンと称し、バナナの葉を 重ねマリーゴールドの花を挿して作る、 ラオス独特のお供え物ですが、 ここではマリーゴルドが省略されて、 白い花だけが挿してありました。 。 画面にポインターを置くと 右のお供えの拡大画面が ご覧いただけます。 |
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寺院跡の前ではサッカーの練習をする 人達がいました。学生のようです。 その前を牛がゆったりと歩んでいます。 |
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この日の夕食は船上レストランで 摂りました。 メコン川に浮かぶレストランです。 レストランの様子とメニューは下記ボタンから お入り頂けます。 |
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この日は十五夜、パクセーの街を 満月が照らしていました。 |
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宿泊した「チャンバサック グランドホテル (Champasak Grand Hotel)」です。 |
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ホテルのルームから眺める パクセーを流れるメコンの夜明けです。 |
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パクセー市街からシーパンドン (Siphandon)へ向かいます。 メコン川の東岸をバスで走行します。 沿道の建物は概ね、高床式の建物が 多いです。 |
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途中休憩したところの店先に有った おこわの籠です。 荷物になりそうなので、購入は 諦めました。蓋つきの籠で色々と 用途がありそうです。 |
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休憩所のトイレは有料で、 ラオスの有料トイレはどこでも 概ね1,000Kipが標準です。 ここではタイ通貨の5パーツでも OKのようです。 ラオスではどの店もタイバーツの利用が 出来るそうです。 トイレは左側にあります。 |
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交通警官が休憩していました。 我々のバスの運転手は旅客運送の 許可書の期限延長が出来ていなくて、 お巡りさんに罰金を払いました。 概ね、心付けで収まるそうで、お米や 魚などでも対応してくれるそうです。 |
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シ―パンドン(Si Phan Don)は メコン川に広がる中州群を指し、 4千の島々と言う意味だそうです。 今回はシーパンドン南部のコーンパペンの 滝から、ナーカサン桟橋から船でデット島へ 向かい、デッド島の埠頭からトラックで コーン島に橋で渡り、ソムパミッとの滝を 見た後、コーン島のレストランで昼食を摂り、 船で戻った後、パクセー空港へと向かいました。 メコン川の滝で船が通れないことを知った フランス植民地管理者が島に鉄道を敷き、 これで船を輸送し、また、貨物の移動にも 利用したそうです。 現在鉄路は道路となって利用されています。 ラオスの南端、シーパンドンの辺りでは メコン川の対岸はカンボジアになります。 |
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コーンパペンの滝の入口です。 奥にある寺院はメコン川の中州に 生えていた神木が倒れたので、 これを祀る寺院です。 |
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過ってはメコン川の中州に生えていた 神木が倒れ、これを引き上げてここに お祀りしています。 神木の一部が神体として飾られています。 |
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神木の一部です。 画面にポインターを置くと 正面から眺める神木をご覧頂けます。 |
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神木の祠から先へ進むとメコンの流れと コーンパペンの滝が見えてきます。 滝の詳細は下のボタンからお入り頂けます。 |
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此の辺りの民家です。 比較的新しく、高床式にはなっていませんが、 風通しの良さそうな住宅です。 画面にポインターを置くと 古い高床式の住宅もご覧いただけます。 |
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コーンパペンの滝からデッド島へは ここナーカサン桟橋から渡し船で渡ります。 ここは乗船場です。 板を敷いただけの桟橋から乗船します。 |
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ナーカサン乗船場にあるお店の一つです。 七輪の販売店です。火炉の四角い穴は 空気穴です。日本などの七輪とは形状が 少し違っています。 販売員のお嬢さんたちはカラフルな服装を しています。 |
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同じ乗船場付近にあるお店の一つです。 投網やタイヤ、大工道具、ロープ類、 バトミントンラケットまで売っています。 |
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船から見たナーカサン(Nakasong) 乗船場の様子です。 |
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メコン川を横切る形で航行します。 向かいを走る船と同じような船に乗船 しています。 |
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シーパンドン(4千の島)と称されるだけに、 川の中に無数の島が散在しています。 無人の島や有人の島など色々です。 |
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デット島の到着点は 過ってのフランスの積出港跡です。 1864年頃からフランスが視察に入り、 デット島の港は1914年フランス人によって 作られました。 これはフランス時代に荷物の積み下ろしに 使われた埠頭跡です。 |
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デット島の港からはこのようなトラックで 島内を巡ります。 デット島の様子は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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デット島とコーン島を結ぶ橋を渡り コーン島に入ります。 この道路は元の鉄道跡です。 |
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コーン島の西にあるソムパミットの滝です。 乾季ながらそれなりの迫力をもつ滝です。 滝の様子は下のボタンからお入り頂けます。 |
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昼食はコーン島とデット島を結ぶ橋の 袂にあるレストランで摂りました。 食事内容は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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コーン島からデット島へ向かう途中に 眺められるメコン川の様子です。 |
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デット島の農地です。 | |
デット島の港の傍に有る中学校です。 行くときは授業中でしたが、帰途に 立ち寄ると放課後になっていました。 生徒さんたちは楽しそうに遊んでいました。 |
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デット島の港から眺める川の風景です。 寺院が川の傍に建っています。 ここにもフランス時代の水高計が 立っています。 |
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メコン川東岸の桟橋近くの風景です。 |
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桟橋の近くにあった藁葺の家です。 壁はバナナの葉で織ったボードです。 |
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「私運転するの〜」と言ってるようですが、 残念ながら足が届かないので、運転は 無理なようです。 ハンドルにはおこわの籠が掛かっています。 お弁当代わりなのでしょうか。 |
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夕刻にはパクセ―国際空港から ビエンチャンへ向かいました。 |
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