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空港から街中に入った
風景です。
奥に見える鉄塔はテレビ塔です。 |
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街中のロータリーに立つ塔です。
飾の上部にはCCCPの文字があり、
ソ連時代のもののようです。 |
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ウラジオストク駅です。
夕闇の中に立つ駅舎はなかなかの
雰囲気のある建物です。
駅の詳細は別項で説明しています。 |
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空港からレストラン「ホーホロマ」へ
直行しました。
極東ロシアでの最初の食事です。
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ウラジオストクでの宿泊ホテルです。
韓国との合弁の「ヒュンダイホテル」
です。
ウラジオストクで最初に5星を獲得
したホテルだそうです。
ホテルとその周辺の朝の風景は
下記ボタンからお入り頂けます。
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朝のアレウツカヤ通りです。
南北に通じるメイン通りの一つです。
ウラジオストク駅に向かっています。 |
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ウラジオストック駅の前にある
レーニン像です。
元々はモスクワに向かって
指をさすように作られましたが、
モスクワを指差すと駅の反対側になり、
大衆にお尻を向けることとなり、
この方向に修正されたそうです。
その結果レーニンは日本を指差す
事に成りました。 |
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レーニン像の南側にある
中央郵便局です。 |
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中央郵便局の向かいにある
「ウラジオストク駅」です。
1893年の開業で、駅舎は1894年に
完成しましたが、1912年に現在の
ネオ・ロシア様式に改修されています。
シベリア鉄道の起点駅です。
駅内部は下記ボタンから
お入り頂けます。
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駅の隣の海岸沿いに立つ
マリンターミナルです。
フェリーの乗船場になっています。
付近の光景は下記ボタンから
お入り頂けます。
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海岸沿いに通るスヴェトランスカヤ通
には、ウラジオストクの中央広場
「革命戦士広場」があります。
ここでは、1917年〜1922年に
極東のソビエト政権樹立のために
活躍した戦士の像が並んでいます。
モスクワの彫刻家アレクセイ・テネタが
制作した像で、1961年に
除幕されています。
正面の白いビルは州政府庁舎です。
「ホワイトハウス」と呼ばれています。
広場の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。
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「ウラジオストクGUM」と言う
国立の百貨店です。
スヴェトランスカヤ通りに面しています。
1884年ドイツ商人のグスタフ・
クンストとグスタフ・アルベルスに
よって建てられました。
現在も百貨店で、店内には
博物館もあるそうです。 |
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「カラベーリナヤ海岸通り」。
ウラジオストクの港に沿って
歩道がずっと伸びています。
軍艦などウラジオストクの軍事施設
があります。
ここでは毎朝、号砲の儀式が
あります。基地内には入れませんが、
通りから良く見えます。
今回号砲の儀式を見ることが出来ました。
画面にポインターを置くと
基地の様子もご覧いただけます。 |
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「金角湾海上大橋(黄金橋)」です。
2012年に完成しています。
斜張橋で長さは1,388m、
主塔の高さは226m、海面の高さ
64mあります。
橋脚のスパン長さは737mあります。
大型船の通り抜けが可能な橋です。 |
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市中心部の中央広場近く、
カラベーリナヤ海岸通りに沿って
潜水艦C−56博物館、ニコライ2世
凱旋門、アンドレイ教会等が
立ち並んでいます。
潜水艦C-56博物館は、ソ連時代に
活躍した潜水艦が陸に揚げられた
もので、内部が博物館として一般公開
されています。
この潜水艦はドイツ製で潜水時間
32時間だったそうです。
1975年に第二次世界大戦の
勝利を記念して設置されました。
第二次大戦時代にはソ連の潜水艦の
なかで一番実績を収め、ソ連の歴史で
初めて世界一周航海を成功させた
潜水艦です。
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「アンドレイ教会」は、ロシア正教会の
建物です。華やかで美しい教会です。
内部は金と白を基調としたエレガントな
造りで、壁にはたくさんのイコン
(聖像)が置かれており、厳かな空気が
流れています。
内部の撮影は出来ません。
画面にポインターを置くと
聖アンドレイ教会の前にある
戦没者記念碑に灯されている
「永遠の炎」をご覧いただけます。 |
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1891年、ニコライ皇太子
(後のニコライ2世)が日本からの
帰路にウラジオストクに立ち寄りました。
それを記念し建設された門です。
元の門は1927年に帝国時代を
思い出させるとして破壊されました。
現在の門は2003年に復元された
凱旋門です。 |
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聖アンドレイ教会の前に立つ
アンドレイ像です。 |
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沿海地方行政府の建物です。
市の中心広場の真ん中に立つ、
高い建物は、「ホワイトハウス」とも
呼ばれています。
20階建ての建物でウラジオの人は
これを「差し歯」と呼ぶそうです。 |
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昼食のレストランです。
「ポルト・フランコ(Porto−Franco)」は
1919年に開業したレストランです。
詳細は下記ボタンからお入り頂けます。
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ベランダのある正面奥の建物は
労働者のアパートでした。
バム鉄道建設労働者が里心を
起こさないように、出来るだけ
立派な宿舎にしたのだそうです。
その左は高官や警察官用の
アパートだったそうです。
屋上に彫像が立っています。
更にその左手に、車窓からの写真が
撮れませんでしたが、3階建ての
家があり、元ブリンナー家の住宅で、
ユル・ブリンナーが生まれた家だ
そうです。
家の前にはブリンナーの像が
立っています。
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アレウツカヤ通にある
チョコレートのお店です。
ウラジオストックでは有名なお店だ
そうです。お土産にチョコレートの
詰め合わせを購入しました。 |
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ボロフスキー聖堂です。
内部のイコンが立派ですが、
写真の撮影は不可です。
墓地に1885年に建てられた
礼拝所が始まりだそうで、その後、
石造りの教会に改築されたものの、
ロシア革命で1935年に爆破、
墓地は閉鎖されました。この土地は、
長らく公園として利用されていましたが、
ソ連の崩壊後、寄付が集められて、
2007年に現在の教会が再建されました。
聖堂の横にもニコライ2世の胸像が
立っていました。
画面にポインターを置くと胸像を
ご覧いただけます。
教会の玉ねぎ屋根の色が
全て金色の場合は男性神(キリスト)で
青色との混色は女性神(マリア)が
祀られているそうです。
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堂内の様子です。
堂内は撮影禁止とガイドさんから
言われ撮りませんでしたが、
色々なサイトでは問題ないとの
説もあり、資料として他人の写真を
1枚拝借しました。
ハバロフスクのガイドさんは
堂内撮影禁止と言う意味は個人が
聖人或いは聖画を背景に自分を
撮るのは禁止で、人物の入らない
写真なら問題ないとの説明も
ありました。
撮影禁止の表示がない場合が多く、
どちらの説を取るか難しいです。 |
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詩人与謝野晶子は1912年に
パリにいた夫鉄幹に会いにいくため
ウラジオストクを経由しシベリア鉄道に
乗りました。
この歌碑は旧極東連邦大学の
校内にあり、ロシアの学生にも
与謝野晶子は好まれていたそうです。
歌碑の内容一部は
「旅に立つ」 いざ、天の日は我がために
金の車をきしらせよ、
颶風(ぐふう)の羽は東より
いざ、こころよく我を追へ。
以下3段まであります。
校舎はルースキー島に移転して、
現在は空きビルになっています。 |
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浦潮本願寺跡のモニュメントです。
1886年、西本願寺はウラジオストクに
初めての海外布教所を開きました。
1904年の日露戦争で活動を一時停止、
1937年には完全に閉鎖となりました。
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要塞博物館の近くにある
「ロシア正教会」です。
正面にキリストの像があります。
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「ウラジオストック軍事要塞」
と称する博物館です。
1996年に海軍300周年を記念して
作られています。
実際の要塞を博物館にしています。
何れの武器も手で触れることが
出来ます。
旧兵舎は博物館として、種々の
展示品が並んでいます。
詳細は下記ボタンからお入り頂けます。
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ルースキー島大橋です。
島へ渡る橋で、中央部は金角湾
大橋と同様の斜張橋です。
APEC開催のために架設された
橋です。
全長3.1kmで、斜張橋部分は
1,886mでこの橋の主塔間の距離
(中央径間)1,104mは世界最大と
なっています。
画面にポインターを置くと
斜張橋の部分をご覧いただけます。 |
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ルースキー島にある大学です。
ルースキー島には要塞が残っており、
そちらを見に行く予定が、道路が閉鎖
されており、霧も出て、見通しも悪い
と言う事で、この大学のみを見て
市中へ戻りました。
2012年に開催された「ロシアAPEC」
の会場として建設された建物を
国立極東連邦大学として使用しています。
極東連邦大学は帝政ロシア時代の
1899年に東洋大学として開校されて
います。
詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。
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「鷲の巣」展望台はウラジオストク
観光の目玉スポットで、標高192mの
展望台から街全体と金角湾が一望
できます。
円台の上にある像はロシア文字の
原型となるキリル文字の発明者の
キリルとミフォディです。
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ウラジオストク2日目の夕食の
レストランです。
「アストリアホテル」のレストランで
「Ogonek」です。
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スヴェトランスカヤ通りの
アルセニエフ歴史博物館です。
元横浜正金銀行が入っていたビルです。
アルセニエフが国際的に知られるようになったのは、3部作の「デルス・ウザーラ」を
1923年に出版してからでしょう。
このビルは1904年に建てられ、元は
商館で、革命後には当館で
横浜正金銀行や州の財政局、
漁業海洋学大学などが入居していました。 |
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中央広場前のスヴェトランスカヤ通り
の光景です。 |
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ウラジオストック駅です。
シベリア鉄道の起点駅です。
ここからハバロフスクに向かいます。
最初の建物は1891年に建てられ、
1912年に現在の建物となっています。
1912年に敦賀−ウラジオストク航路が
開かれ、ウラジオストク駅経由で
日本からヨーロッパまで2週間で
行くことが出来るようになりました。
横断歩道の信号でガイドの戻るのを
待っていたら、ガイドは戻らず、
添乗員に電話で連絡できたので、
何とか発車前に乗車できたけど、
何のためのガイドか判らんなぁ〜。
列車の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。
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