極東ロシアの風景
 極東地区の風景、 ロシアの風景、 トップページ
極東ロシアは、ロシア連邦の内、極東に分類される地域を
表す用語で、極東ロシアには東シベリアのバイカル湖から
太平洋に接する地域までの範囲が含まれています。

この地域の人口は約620万人です。
その内、ウラジオストックが約60万人、ハバロフスク約58万人で
極東ロシア地区の1・2位を占めています。

シベリア鉄道はウラジオストクとモスクワを結ぶ世界最長の
鉄道路線です。1873年にロシアがウラジオストクを開港した際に、
この鉄道の敷設が始まっています。
2017年8月に極東ロシアを訪れた際に、ウラジオストクから
ハバロフスクまでシベリア鉄道にも乗車しました。

ウラジオストクもハバロフスクも戦前の日本の活動を示す
建物などが、数多く残されています。

成田からウラジオストクまでは約2時間のフライトです。日本に
最も近いヨーロッパと言われる所以です。

2017年8月はウラジオストクからシベリア鉄道でハバロフスクへ
向かう、3泊4日の旅でした。ゆっくり観光するにはもう少し日数が
必要だと感じます。

夫々の都市の写真は下記の都市名をクリックください。


ウラジオストク ハバロフスク
ウラジオストクの風景
ウラジオストクはロシアの極東部に位置する都市で、沿海州(プリモールスキイ地方)の州都になっています。
戦前は日本人も多数居住しており、明治時代には浦塩(潮)斯徳と表記されていました。
太平洋艦隊の基地である軍港を持ち、ロシアの拠点都市です。以前は写真撮影なども厳しい条件があった様です。

ウラジオストクはシベリアの玄関口であり、シベリア鉄道の始発、終着駅の
都市でもあります。

ウラジオストクは入江が入り組んだ海岸線を持つており、その地形から
海軍の重要拠点となっており、1971年まで市中へはウラジオストク市民以外は
入れなかったそうです。また、1992年までは軍事的理由から 外国人が
入ることができなかった街なのです。

前述の如く、ウラジオストクはシベリアでは最も人口の多い都市で、
市の中心部には政治経済の各種拠点もあります。

ルースキー島へは立派な橋が架かっています。島には極東連邦大学や
要塞跡などがありますが、天候が悪く、霧で見通しがつかない為、観光は
取り止めとなりました。大学の外観のみ見てきました。

成田発ウラジオストク行の航空機は、
S7航空と言うロシア国内線では
最大のシェアを占める航空会社です。

機体はエアバス320型機とやや小型
です。

画面にポインターを置くと
出発カウンターの様子も
ご覧いただけます。
15:40発の便ですが、
機内食はこのサンドイッチのみ
でした。
チキンとチーズが挟んであります。

画面にポインターを置くと
中身がご覧いただけます。
19:10着予定ながら、2時間ほどで
ウラジオストクの湾が見えてきます。

シベリアと日本の時差は+1時間で
予定のフライト時間は2.5時間です。
ウラジオストク空港です。

空港設備の写真撮影は控えた方が
良いとの事でしたが、機内からの
撮影では特に乗務員からの注意など
ありません。
空港の表玄関です。
2012年夏にAPEC開催に合せ
完成したものです。
空港からウラジオストク市街地へ
向かう途中、アムール湾を渡る
海上橋です。
長さは約4、362mあります。
ロシアでは3番目に長い橋です。

橋を渡ったところ辺りから
アムール湾に浮かぶ小島が
見られます。
「パンケーキ島」と称されています。

画面にポインターを置くと
島をご覧いただけます。
逆光でうまく撮れていませんが・・・・
  街の中心街の地図です。

主な観光地は緑の丸で示しています。

旧日本領事館のある場所から北方向への通りが
旧日本人街となっており、日本人が
建てたり、使用していた建物が並んでいます。

本願寺跡の右手は大学で、その構内に
与謝野晶子の歌碑が立っています。

夏場で日が長いので、1日で結構回れましたが、
日本人の歴史をたどってゆっくり見て回る街だと
感じます。 
空港から街中に入った
風景です。

奥に見える鉄塔はテレビ塔です。
街中のロータリーに立つ塔です。

飾の上部にはCCCPの文字があり、
ソ連時代のもののようです。
ウラジオストク駅です。

夕闇の中に立つ駅舎はなかなかの
雰囲気のある建物です。

駅の詳細は別項で説明しています。

空港からレストラン「ホーホロマ」へ
直行しました。

極東ロシアでの最初の食事です。

レストランと夕食

ウラジオストクでの宿泊ホテルです。
韓国との合弁の「ヒュンダイホテル」
です。

ウラジオストクで最初に5星を獲得
したホテルだそうです。

ホテルとその周辺の朝の風景は
下記ボタンからお入り頂けます。

ホテルとその周辺
朝のアレウツカヤ通りです。
南北に通じるメイン通りの一つです。

ウラジオストク駅に向かっています。
ウラジオストック駅の前にある
レーニン像です。

元々はモスクワに向かって
指をさすように作られましたが、
モスクワを指差すと駅の反対側になり、
大衆にお尻を向けることとなり、
この方向に修正されたそうです。

その結果レーニンは日本を指差す
事に成りました。
レーニン像の南側にある
中央郵便局です。

中央郵便局の向かいにある
「ウラジオストク駅」です。

1893年の開業で、駅舎は1894年に
完成しましたが、1912年に現在の
ネオ・ロシア様式に改修されています。

シベリア鉄道の起点駅です。

駅内部は下記ボタンから
お入り頂けます。

ウラジオストク駅

駅の隣の海岸沿いに立つ
マリンターミナルです。

フェリーの乗船場になっています。

付近の光景は下記ボタンから
お入り頂けます。

マリンターミナル

海岸沿いに通るスヴェトランスカヤ通
には、ウラジオストクの中央広場
「革命戦士広場」があります。
ここでは、1917年〜1922年に
極東のソビエト政権樹立のために
活躍した戦士の像が並んでいます。

モスクワの彫刻家アレクセイ・テネタが
制作した像で、1961年に
除幕されています。

正面の白いビルは州政府庁舎です。
「ホワイトハウス」と呼ばれています。

広場の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

中央広場と朝市
「ウラジオストクGUM」と言う
国立の百貨店です。
スヴェトランスカヤ通りに面しています。

1884年ドイツ商人のグスタフ・
クンストとグスタフ・アルベルスに
よって建てられました。

現在も百貨店で、店内には
博物館もあるそうです。
「カラベーリナヤ海岸通り」。
ウラジオストクの港に沿って
歩道がずっと伸びています。
軍艦などウラジオストクの軍事施設
があります。

ここでは毎朝、号砲の儀式が
あります。基地内には入れませんが、
通りから良く見えます。
今回号砲の儀式を見ることが出来ました。

画面にポインターを置くと
基地の様子もご覧いただけます。
「金角湾海上大橋(黄金橋)」です。
2012年に完成しています。

斜張橋で長さは1,388m、
主塔の高さは226m、海面の高さ
64mあります。
橋脚のスパン長さは737mあります。

大型船の通り抜けが可能な橋です。
市中心部の中央広場近く、
カラベーリナヤ海岸通りに沿って
潜水艦C−56博物館、ニコライ2世
凱旋門、アンドレイ教会等が
立ち並んでいます。

潜水艦C-56博物館は、ソ連時代に
活躍した潜水艦が陸に揚げられた
もので、内部が博物館として一般公開
されています。

この潜水艦はドイツ製で潜水時間
32時間だったそうです。
1975年に第二次世界大戦の
勝利を記念して設置されました。
第二次大戦時代にはソ連の潜水艦の
なかで一番実績を収め、ソ連の歴史で
初めて世界一周航海を成功させた
潜水艦です。

「アンドレイ教会」は、ロシア正教会の
建物です。華やかで美しい教会です。
内部は金と白を基調としたエレガントな
造りで、壁にはたくさんのイコン
(聖像)が置かれており、厳かな空気が
流れています。

内部の撮影は出来ません。

画面にポインターを置くと

聖アンドレイ教会の前にある
戦没者記念碑に灯されている
「永遠の炎」をご覧いただけます。
1891年、ニコライ皇太子
(後のニコライ2世)が日本からの
帰路にウラジオストクに立ち寄りました。
それを記念し建設された門です。

元の門は1927年に帝国時代を
思い出させるとして破壊されました。
現在の門は2003年に復元された
凱旋門です。
聖アンドレイ教会の前に立つ
アンドレイ像です。
沿海地方行政府の建物です。
市の中心広場の真ん中に立つ、
高い建物は、「ホワイトハウス」とも
呼ばれています。

20階建ての建物でウラジオの人は
これを「差し歯」と呼ぶそうです。

昼食のレストランです。
「ポルト・フランコ(Porto−Franco)」は
1919年に開業したレストランです。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

ランチレストラン
ベランダのある正面奥の建物は
労働者のアパートでした。

バム鉄道建設労働者が里心を
起こさないように、出来るだけ
立派な宿舎にしたのだそうです。

その左は高官や警察官用の
アパートだったそうです。
屋上に彫像が立っています。

更にその左手に、車窓からの写真が
撮れませんでしたが、3階建ての
家があり、元ブリンナー家の住宅で、
ユル・ブリンナーが生まれた家だ
そうです。
家の前にはブリンナーの像が
立っています。
アレウツカヤ通にある
チョコレートのお店です。
ウラジオストックでは有名なお店だ
そうです。お土産にチョコレートの
詰め合わせを購入しました。
ボロフスキー聖堂です。
内部のイコンが立派ですが、
写真の撮影は不可です。

墓地に1885年に建てられた
礼拝所が始まりだそうで、その後、
石造りの教会に改築されたものの、
ロシア革命で1935年に爆破、
墓地は閉鎖されました。この土地は、
長らく公園として利用されていましたが、
ソ連の崩壊後、寄付が集められて、
2007年に現在の教会が再建されました。

聖堂の横にもニコライ2世の胸像が
立っていました。
画面にポインターを置くと胸像を
ご覧いただけます。

教会の玉ねぎ屋根の色が
全て金色の場合は男性神(キリスト)で
青色との混色は女性神(マリア)が
祀られているそうです。


堂内の様子です。

堂内は撮影禁止とガイドさんから
言われ撮りませんでしたが、
色々なサイトでは問題ないとの
説もあり、資料として他人の写真を
1枚拝借しました。

ハバロフスクのガイドさんは
堂内撮影禁止と言う意味は個人が
聖人或いは聖画を背景に自分を
撮るのは禁止で、人物の入らない
写真なら問題ないとの説明も
ありました。
撮影禁止の表示がない場合が多く、
どちらの説を取るか難しいです。
詩人与謝野晶子は1912年に
パリにいた夫鉄幹に会いにいくため
ウラジオストクを経由しシベリア鉄道に
乗りました。

この歌碑は旧極東連邦大学の
校内にあり、ロシアの学生にも
与謝野晶子は好まれていたそうです。

歌碑の内容一部は
「旅に立つ」
いざ、天の日は我がために
金の車をきしらせよ、
颶風(ぐふう)の羽は東より
いざ、こころよく我を追へ。

以下3段まであります。


校舎はルースキー島に移転して、
現在は空きビルになっています。
浦潮本願寺跡のモニュメントです。

1886年、西本願寺はウラジオストクに
初めての海外布教所を開きました。
1904年の日露戦争で活動を一時停止、
1937年には完全に閉鎖となりました。

要塞博物館の近くにある
「ロシア正教会」です。
正面にキリストの像があります。


「ウラジオストック軍事要塞」
と称する博物館です。
1996年に海軍300周年を記念して
作られています。

実際の要塞を博物館にしています。
何れの武器も手で触れることが
出来ます。
旧兵舎は博物館として、種々の
展示品が並んでいます。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

要塞博物館
ルースキー島大橋です。
島へ渡る橋で、中央部は金角湾
大橋と同様の斜張橋です。

APEC開催のために架設された
橋です。

全長3.1kmで、斜張橋部分は
1,886mでこの橋の主塔間の距離
(中央径間)1,104mは世界最大と
なっています。

画面にポインターを置くと
斜張橋の部分をご覧いただけます。

ルースキー島にある大学です。

ルースキー島には要塞が残っており、
そちらを見に行く予定が、道路が閉鎖
されており、霧も出て、見通しも悪い
と言う事で、この大学のみを見て
市中へ戻りました。

2012年に開催された「ロシアAPEC」
の会場として建設された建物を
国立極東連邦大学として使用しています。

極東連邦大学は帝政ロシア時代の
1899年に東洋大学として開校されて
います。

詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


極東連邦大学
「鷲の巣」展望台はウラジオストク
観光の目玉スポットで、標高192mの
展望台から街全体と金角湾が一望
できます。

円台の上にある像はロシア文字の
原型となるキリル文字の発明者の
キリルとミフォディです。

鷲の巣展望台
ウラジオストク2日目の夕食の
レストランです。
「アストリアホテル」のレストランで
「Ogonek」です。

ウラジオの夕食
スヴェトランスカヤ通りの
アルセニエフ歴史博物館です。
元横浜正金銀行が入っていたビルです。

アルセニエフが国際的に知られるようになったのは、3部作の「デルス・ウザーラ」を
1923年に出版してからでしょう。

このビルは1904年に建てられ、元は
商館で、革命後には当館で
横浜正金銀行や州の財政局、
漁業海洋学大学などが入居していました。
中央広場前のスヴェトランスカヤ通り
の光景です。


ウラジオストック駅です。
シベリア鉄道の起点駅です。

ここからハバロフスクに向かいます。

最初の建物は1891年に建てられ、
1912年に現在の建物となっています。
1912年に敦賀−ウラジオストク航路が
開かれ、ウラジオストク駅経由で
日本からヨーロッパまで2週間で
行くことが出来るようになりました。

横断歩道の信号でガイドの戻るのを
待っていたら、ガイドは戻らず、
添乗員に電話で連絡できたので、
何とか発車前に乗車できたけど、
何のためのガイドか判らんなぁ〜。

列車の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

シベリア鉄道
                            ハバロフスクの風景      極東ロシアの風景  トップページ