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ハバロフスクはアムール川沿いに発展した都市です。人口は約58万人で シベリアではウラジオストックに次い2番目の都市です。 ウラジオ同様、日本人には縁の深い都市でもあります |
ハバロフスクの地図です。北東に空港があります。 市の中心部(旧市街)は左図の緑の線で囲んだ部分で、中心部はそれ程 大きな都市ではありません。 ハバロフスクは1649年にこの地を開拓したエロフェイ・ハバロフにちなんで、 1858年までハバロフカと呼ばれていました。その後、ハバロフスクと改名されました。 日露戦争が終えた明治末期には帝政ロシアと日本との関係が深くなり、 日本人が居留するようになったようです。 終戦前後で現地で亡くなった方々の墓地が空港への途中にあります。 日本人墓地に献花してきました、 この地は行政区画としてはハバロフスク地方でハバロフスク市は 州都になります。ハバロフスク市の成立は1858年です。 緑の点線はアムール川遊覧船で航行した航路です。 アムール大橋は鉄道と自動車の併用橋になっています。 1998年に新しい橋が完成しています。古い橋の橋脚は残されています。 |
ハバロフスク中心街(旧市街)の地図です。 ハバロフスク駅からアムール川まで通るアムルスキー通りが 旧市街のメインストリートになります。 今回観光箇所から外れましたが、中央市場をはじめ、多くの 施設が集中している通りです。 シベリア鉄道で、ハバロフスク駅に到着後、そのまま、ホテルへ 直行し、朝食をホテルで摂りました。 朝食後、少し時間が有ったので、ホテル周辺を散策しました。 その後、市内観光は緑の丸の箇所を巡り、昼食のあと、アムール川の 遊覧船に乗船と言う事で、ごく限られた場所のみの観光となりました。 帰国時の空港への途中でディナモ公園と日本人墓地に立ち寄りました。 ウラジオストクでも感じましたが、じっくりと時間をかけて回れば、 結構面白い町だと思われます。 日本に最も近いヨーロッパと言う雰囲気も十分に味わえます。 |
ハバロフスク駅です。 駅舎はネオ・ロシア様式ですが、 2008年のハバロフスク市建設 150周年に合わせて駅舎の修復 が行われました。 現駅舎は2007年の完成です。 到着する列車の車窓からの 眺めです。左手の塔の由来は 聞き損ねました。 |
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正面から眺める駅舎です。 緑の屋根とピンクの壁の取り合わせが、 色んなイメージを沸かせます。 |
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駅前に立つ「エロフェイ・ハバロフ」の 銅像です。 ハバロフスクの産みの父(?)です。 |
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ハバロフスク駅到着が朝8時過ぎで、 そのままホテルへ直行です。 画面にポインターを置くと 入口の様子をご覧いただけます。 |
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インツーリストホテルの朝食は 時間の遅かったせいかとも思いますが、 割りに質素なビュッフェです。 ビュッフェは13時頃までオープン しているそうです。 |
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ホテルの傍に立つ 「ヤコヴ・チャチェンコの像」です。 彼はハバロフスクの創設者とも 言われており、ハバロフスク開基 150周年に建てられました。 高さ4mあります。 銅像の立っている場所が、1858年に チャチェンコが兵士と共に上陸した 場所なのだそうです。 |
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「郷土誌博物館」です。 1896年にロシア地理学会の アムール川流域支部によって開設され、 極東・沿海地方の歴史、自然、民族に 関する資料が展示されている博物館で、 世界に3体しかないという「ステラ海牛」 の全身骨格もあります。 2008年に旧館に隣接した新館が 完成し、先住民族の暮らしなどが 展示されています。 博物館の内部は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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歴史博物館の横にある、 アムルール川を見下ろす高台に 設けられている展望台です。 「ウチョース(絶壁)」と名付けられ、 2003年に建てられました。 |
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博物館の横にある「亀石」です。 右上に見えている説明板には 「この碑は、女真族のエスイクイ 将軍が契丹を破るために大いなる 貢献をしたことを顕彰する碑です。 碑は1193年、ニコラエフスク (現在のウスリースク)の丘に 建立されました。 この記念碑は1895年に博物館に 移されて来ました」なる旨が 書かれているそうです。 ガイドさんからは12世紀の墓だと 説明受けました。 所謂、贔屓像でしょう。中国では 石碑を背にした贔屓は良く見られます。 |
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郷土誌博物館と極東美術館の 間に建つ家です。 お役所か博物館っぽいのですが 文字が読めず、確認出来ませんでした。 綺麗な建物です。 |
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極東美術館の前に立つ 「赤軍博物館」です。 この建物は戦前、日本の国立銀行が 入居してたビルだそうです。 内部には赤軍の武器などが 展示されています。 内部の様子は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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「極東美術館」です。 ショップのみへの立ち寄りで、 内部の参観は出来ませんでした。 画面にポインターを置くと 側面からの建物をご覧頂けます。 |
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ウスリー川を眺める位置に建つ 「ウスペンスキー大聖堂」です。 こちらは1900年に建てられましたが、 スターリン時代に取り壊され、2001年 元の設計図に基づき、建直されて います。 大聖堂の周囲には2つ名前で呼ばれる 広場があり、通りを挟んでもう一つの 公園もあります。 元大聖堂の有った場所には 赤軍とパルチザンの記念碑の立つ コムソモール広場が作られています。 元々あった「ソボールナヤ広場」が 大聖堂の復元と共に再生されて 「大聖堂広場」と呼ばれています。 広場の様子は下記ボタンから お入り頂けす。 |
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車窓からの市街地の眺めです。 正面に「スパソ・プレオ・ブラジェンスキー 大聖堂」が見えています。 ハバロフスクの街も結構アップダウンの ある街です。 |
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「スバソ・プレオ・ブラジェンスキー大聖堂」 と「オベリスク」です。 2003年に建設れた極東ロシアで 最大の大聖堂です。 高さ70mの金色の玉ねぎ屋根を 持つ教会で、起伏の多いハバロフスクの 街中のあちこちから遠望出来ます。 大聖堂の立つ場所は「栄光広場」と 呼ばれており、第二次世界大戦慰霊碑 なども立っています。 周辺の様子は下記ボタンからお入り 頂けます。 |
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ハバロフスクでの昼食の レストランです。 玄関には「Pectopah(レストラン)」 とのみ書かれていますが、店名は 「ストリピン」と言うレストランです。 レストランの内部と昼食の内容は 下記ボタンからお入り頂けます。 |
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レストランからレーニン広場へ 向かう途中の街の景観です。 |
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レーニン広場です。 広場にはレーニン像と噴水が あります。 広場は州政府庁舎、中央電信電話局、 大学、銀行などが取り巻いています。 広場の詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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レーニン広場からアムール川 遊覧船乗り場へ向かう途中にある ビルです。なかなか近代的な 造りになっています。 ハバロフスクの街は古い建造物と、 新しい建物がお互い邪魔をしない 状態で混在しています。 |
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遊覧船乗り場の入り口付近です。 画面にポインターを置くと チケット売り場の様子をご覧頂けます。 自動発券機のみです。 |
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遊覧船乗り場です。 桟橋もなく、川岸から直接 乗船します。 右手の船が我々が乗った 遊覧船です。 アムール川の景観は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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アムール川の風景です。 まさに夏の雲が湧いています。 |
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遊覧船下船後にアムルスキー通りを 散策しました。 旧市街だけに古い建物が数多く 残されています。 |
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アムルスキー通りには愛知県出身の 竹内一次氏が1910年(明治43)に 建てた建物があります。 ロシア風丸屋根を持ち、 正面コーナー部分には竹内家の 家紋・笹りんどうが彫られています。 ホテルとして建てられ、百貨店や レストランの機能を持つ複合ビル だったそうです。 1889年(明治22)には ハバロフスクには38人の居留者が 定住していたそうです。 1階にショップがあり、ガイドさんの お勧めのアイスクリームを求めました。 画面にポインターを置くと 買ったアイスをご覧いただけます。 |
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アムルスキー通りが 大聖堂広場と交わる場所です。 馬を連れてきている人がいます。 観光客相手でもなそうですが、 乗せて貰えるのでしょうかね。 |
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夕食までの時間を利用して、 ウスペンスキー大聖堂の西側の 公園へ出向きました。 目的は地図上に書かれていた カメラポイント・「We choose life」 という彫像を探すことでした。 ホテルの受付が教えてくれた場所が ここでしたが、見当たらず、通りがかりの ご夫婦に場所を確認したら、「その場所に 何があるか知ってるか?」との 流暢な英語での回答です。 地図にカメラポイントとあるので、と 応えたら、その方向へ行くので一緒に ついておいでと言われ、教えて もらったのが下図のモニュメントです。 |
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アムルスキー通りに有った (受付が教えてくれた場所とは 全く反対側)オブジェは 男女の靴が煙草の箱を踏み潰して いる像です。 ご夫婦が「何があるのか知ってるか?」 と聞かれた意味が分かりました。 これはハバロフスク市が進めている 禁煙運動の一環として造られた オブジェなのだそうです。 恐らくご夫婦は「物好きだなぁ」と 思われたのではないでしょうか。 ハバロフスク市内にはこのような 禁煙を推進するための彫像や モニュメントが色々と作られて いるのだそうです。 |
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アムルスキー通りの終点にある ゲートです。 近くのレーニンスタジアムへの 入場門らしいです。 車輛はこの門までしか入れません。 この日の夕食は宿泊ホテルの レストランで摂りました。 食事は下図で 前菜のポテトサラダ、飲み物はビール、 メインは「ペリメニ(ロシア風水餃子)」 です。壺の中にスープと一緒に餃子風 肉包が入っています。 画面にポインターを置くと 中身をご覧いただけます。 デザートはもっちりとしたケーキです。 |
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ホテルから見るアムール川の 夕景色です。午後9時過ぎで この風景です。 |
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ホテルの窓から見る朝のアムール川と 手前はレーニンスタジアムのスポーツ 複合施設です。 奥はスタジアムです。 |
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朝食は前日朝と同じです。 ごく簡単なブッフェです。 画面にポインターを置くと ブッフェ会場をご覧いただけます。 |
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朝食の後、少しホテルの周辺を 歩いてみました。 散歩の風景は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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いよいよ帰国日でホテル出発です。 ホテルのロビーにいた日本人の 小学生に声を掛けたら、 日本各地から交流会に参加した 小学校高学年生と中学1年生の 集団で、ハバロフスクには5日間 滞在したそうです。 元気にバスに乗り込んでゆきました。 彼ら・彼女らには空港で再会しました。 年寄にきちんと挨拶してくれました。 画面にポインターを置くと 別の生徒さん、付添いの先生も ご覧いただけます。 |
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空港へ向かう前に公園と日本人墓地を 訪れる事になりました。 日曜朝のハバロフスクの街並です。 |
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アムルスコヴォ通りにある 多分鉄道関係の役所です。 |
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アムルスキー通りの風景です。 女学生のスタイル画の看板が ありました。 グリーンベルトも綺麗に整備 されています。 |
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レーニン広場の朝です。 バスで通り過ぎます。 |
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レーニン広場の傍に有る 「ディナモ公園」です。 日曜日の朝の公園の様子は 下記ボタンからお入り頂けます。 |
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「人文大学」の校舎のようです。 日曜日の朝は学生さんも休みでしょう。 |
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ハバロフスクの絵がビルの壁を 飾っています。 そのお隣は「カラオケ」の文字が 見えます。「SOLO」という店のようです。 |
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空港近くにある日本人墓地を 訪れました。 日本人の墓地に献花してきました。 墓地の様子は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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ハバロフスク空港ビルです。 | |
交流会に参加した生徒さんが ポーズをとってくれました。 同じフライトで帰国しました。 |
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ハバロフスク空港の駐機場への 出口です。 歩いて飛行機へ向かいます。 |
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帰国便も来た時と同じS7会社の A320型機です。 画面にポインターを置くと この日の機内食をご覧いただけます。 往路と同じサンドイッチです。 |
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