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英国 The United Kingdom of  Great Britain & Northern Ireland
英国は旧宗主国として現在も英連邦を形成していますが、夫々の国は独立しており、
狭い意味での英国としては左図のイングランド、ウェールズ、スコットランド、
北アイルランドの4地区からなる連合王国と言えます。
夫々の地域は一応自治権のある国として存在していますが、世界的には英国
(The United Kingdom of Great Britain & Northern Ireland)の一部と
みなされています。国旗はユニオンジャックですが、夫々のカントリーには個別の旗があり、
夫々の旗を組み合わせたものがユニオンジャックになっています。(ウェールズは別)
アイルランドは独立国です。

スコットランドは1707年までは独立した王国でした。
首都であるエジンバラには二つの宮殿が置かれ、現在でも年に一度は
エリザベス女王が避暑に訪れるのだそうです。人口は約50万人弱です。
グラスゴーはスコットランドの最大の都市で人口の4割(60万人弱)が住んでいます。

イングランドはブリテン島の半分以上を占めています。首都ロンドンがあります。
ロンドンの人口はグレーターロンドンで850万人ほどです。

今回は羽田空港からロンドンへ飛び、そのままスコットランドのグラスゴーへ向かいました。
グラスゴーで2泊してエジンバラへは日帰りでした。
その後、イングランドの湖水地方からリバプールに出て、ロンドンへと向かいました。
10月の英国はてっきり気候の良い時期かと思っていたら、緯度的には北海道より
北にあるため、もう、冬支度の季節でした。毎日のように雨の降る気候ですが、
エジンバラ以外は朝晩のみで、観光中に雨に降られることは殆どありませんでした。
羽田からスコットランドへ
羽田便は自宅からは大変で、今回も朝の早い便の為、前泊となりました。
BA008便でロンドンで乗継、ロンドンからグラスゴーに向かいました。
羽田空港国際線ターミナルから
8:50発のBA008便です。

B777−300型機での
運航です。
羽田を出てすぐ、
デズニ―ランドやデズニーシーが
見られました。

翼のすぐ後ろで、どうしても
エンジン排気の関係で、
下界の眺めが曇ってしまいます。
房総半島の上空から
富士山が眺められました。

旅の最初に富士を見ると
旅運が良いと感じます。
裏磐梯の上空です。
東吾妻山と吾妻小富士が
眺められ、檜原湖も見えます。
本州を縦断する形で
北海道稚内から
利尻・礼文島の上を
通過して、ロシアへと向かいます。

帰り便のBA007は
日本海を横切り、新潟上空から
日本へと入りました。
ロシアのアムール川です。
シベリアの山並みです。
既に雪が積もっています。
ロシアの北部ハタンガ地域の
上空です。
川と池の集合体です。
この様な景観が続きます。

ハタンガ地域を通り抜け、
暫くすると
ロバス湖上空を通過します。

この辺りも大小各種の湖と
池が満ち溢れています。
ロシアからカラ海を抜け、
バレンツ海からノルウェイ―
に入ります。
ノルウェイ―上空です。

川と云うより入江が深く
入り込んでいるようです。

この後ノルウェイ―海から
英国に入りました。
スコットランド
スコットランドは前述のように1707年までは独立した王国でした。
スコットランド王家は843年に建国したと言われるケネス1世に始まると
されています。
その後、1603年にスコットランド王ジェームス6世がイングランド王を兼ねることとなり、
スコットランドとイングランドは同じ王様を頂く(同君同盟)ことになります。
更に、1707年に両国で合同法が成立し、スコットランド議会が解散され、
両国は同じ国となっています。
1999年には再びスコットランド議会が再開され、現在では英国の名前の基に、
スコットランド、ウェールズ、北アイルランドがイングランドと共に一国を形成し、
夫々が自治権をもったカントリーとなっています。

今回はロンドンで乗り継ぎ、グラスゴーで2泊し、エジンバラ市、デュムゴインを回り、
イングランドへ入る手前で、グレトナ・グリーンを訪れ、その後、イングランドのリバプールへ
向かいました。

スコットランドは実質2泊1。5日で、大半が車窓からの眺めとなり、更に、バスの窓は
UVカットガラスで写真撮影には全く不向きでした。
折角の景観は脳裏に残して帰るしかありませんでした。

グラスゴー
グラスゴーはスコットランドの最大の都市です。過っては100万人以上いた人口は現在60万人弱と
なっていますが、英国でも4番目の都市で、造船業で発展してきました。
歴史のある街を半日で廻るのは無謀でした。少なくとも2・3日は必要でしょう。
ロンドン・ヒースロー空港です。
ここで乗り換えてグラスゴーへと
向かいます。
英国の緯度は北海道より
北となり、日没も早いです。

この日も16時半ごろには
飛び立ったのに、早や日没を
迎えています。

搭乗機はA321です。
グラスゴーの街並です。
市街の西寄り空港の近くで
中心地からは離れています。
夕暮れのグラスゴー空港の
外観です。

画面にポインターを置くと
空港の様子がご覧頂けます。

(Scottland6)
ホテルには夜着です。

2泊したクロウウッドハウス
(Crowwood House)です。

夕食はなし。
翌朝、スコットランで最初の
食事です。

パンとお茶位かと思っていたら、
意外に豊富な朝食でした。

中央のプレートは個人個人に
供され、飲み物やデザートは
フリーに取れます。

但し、生野菜はありません。
欧州人は朝に野菜を摂ると
身体を冷やすと考えるからだ
そうです。

また、英国の料理は味が
薄いのが特徴で、これは
調味料で自分好みの味に
するためだそうです。
グラスゴー市内の地図です。

今回訪れた場所のみ
示しています。

この日は午前中にエジンバラへ
行ったので、グラスゴーの
観光は夕刻からとなりました。

車窓からの眺めも良かったですが、
UVカットガラスのため、写真の
撮影には不向きなバスでした。

ウィスキー蒸留所からの戻り、
グラスゴー市内に入った所で、
車窓からのボタニックガーデン
にある「キッブル・パレス」です。
温室になっています。

園内は一部紅葉しています。
画面にポインターを置くと
ご覧いただけます。
グラスゴー市街の眺めです。
古いビルが並んでいます。
グラスゴー大聖堂へ向かう
途中にある墳墓と
その奥にグラスゴー王立
診療所です。

右手の壁が墳墓になって
います。
グラスゴー大聖堂です。

この銅像は「デイビッド・
リビングストン」の像です。

道路の両側の街頭の上に
付いている飾りは聖マンゴーの
象徴です。魚と鐘と木と鳥です。
市章(下)にも使われています
詳細は後述です。

大聖堂のサファードと
尖塔です。

この大聖堂は12世紀に建造され、
1560年の宗教改革を生き延びた
スコットランド本土で唯一の
中世の大聖堂です。

この日は到着が夕刻の5時を
過ぎており、内部への入場は
叶いませんでした。残念〜。
大聖堂の裏にはビクトリア朝時代
に造られたグラスゴーの共同墓地
ネクロポリスがあります。
3,500におよぶモニュメントの
地下には5万人の人々が
永眠しているとのことです。

画面にポインターを置くと
モニュメントもご覧頂けます。
大聖堂の横からの眺めです。
中央に塔が建っています。

この聖堂の地下には聖マンゴーの
墓があります。

聖マンゴーは、6世紀に
スコットランドの一部にキリスト教を
広めました。またグラスゴーの
守護聖人でもあります。

同僚が殺した小鳥を蘇らせ、
ハシバミ の木に火を点し、
ローマ から鐘をもたらし、
失われた指輪を魚から見出した
という グラスゴー の守護聖人
マンゴー の奇跡の話から鳥、木、
鐘、指輪と魚からなる聖人の象徴が
グラスゴーの紋章に使用されている
訳です。

大聖堂の横にある
王立診療所です。


画面のポインターを置くと
右手の同じく王立診療所の
建物もご覧いただけます。
グラスゴー大学です。

1451年に設置された大学で、
500年以上の歴史を有する英語圏
最古の大学の一つであり、
中世から高位聖職者を輩出し、
近世では、蒸気機関の発明や電力単位のワット(W)で知られる
ジェームズ・ワットや経済学の
アダム・スミスなど歴史上の
重要人物を数多く輩出しています。

ニッカウィスキーの竹鶴政孝も
この大学に留学していました。

画面にポインターを置くと
正面の門をご覧いただけます。
校舎の右手方向を見ています。

画面にポインターを置くと
手前の前庭にある
戦没者慰霊園がご覧頂けます。
現在も献花されています。
街の通りから眺める
大学の尖塔です。
手前の建物も大学の一部です。
左の建物はアーガイル通りにある
赤レンガの建物です。
大きい建物でした。

右手にはケルビングロー
美術館・博物館があります。

画面にポインターを置くと
少しボケていますが、
美術館・博物館の建物を
ご覧いただけます。
グラスゴー市内にも二階建ての
公共バスが運行されています。
グラスゴーの中心
ジョージ・スクエアです。

正面に見えるのは
グラスゴー市商業組合です。

左手の高い塔の上の銅像は
ウォルター・スコットの像です。
ウォルター・スコットはスコットランド
を代表する詩人・小説家です。

画面にポインターを置くと
左手から右方向を見た
画面もご覧いただけます。
正面はグラスゴー市庁舎です。
1883年の建造です。
イタリアルネッサンスの
宮殿様式の建物です。

手前の銅像はヴィクトリア女王、
その奥の塔はウォルター・スコット
の像です。

ほかにも色々と銅像がありますが、
車窓からではこれが限界でした。

画面にポインターを置くと
別角度からの広場と
スコットランド豪族の末裔で英国の
首相も務めたグラッドストーンの
銅像がご覧いただけます。
広場の奥のビルに
「People Make Glasgow」
の表示があり、街中でも
あちこちでこのピンクの中に
書かれた文字を見掛けます。

市民憲章みたいなものでしょうか。

手前ではテントを張っていますが、
この広場は色々なイベントに
利用されているそうです。
夕食はホテルのレストランでした。
メニューはステーキとなっています。
左は野菜のポタージュスープ、
中はこれがステーキ、スコットランド
風と言う事でしょうか。
まるでシチューでした。
右のデザートはフルーツの
ミルクシロップ漬けで、イチゴ、
オレンジ、棗、ジャックフルーツ
などが入っていました。
ジャックフルーツは珍しいです。

左の写真はレストランのバーです。
どこのレストランにも必ず
バーカウンターがあり、飲み物は
自分で好きなものをカウンターで
オーダーして、お金を払って
貰ってきます。
概ね、ビールを飲みましたが、
ビター、ラガー、エールの3種あり、
どれも美味しかったです。
グラスゴーの夜明けです。

10月では朝は7時半でも
この状態で、明けるのは8時過ぎ
との事でした。

夕方も暮れるのが早く、観光には
夏場がお勧めでしょう。
ホテルの隣はゴルフ場に
なっていました。
イギリス的なフラットで
ラフの深いコースの様でした。

プレーする時間は個人旅行で
来ない限りとても取れそうに
有りません。

本場のスコットランドでのプレーは
体験したかったです。
二日目の朝食のプレートも
前日とほぼ同じで、トマトが
ビーンズに変っていました。

手前の三角のパンはもっちりと
したクレープのようなものです。
コンチネンタルにしてはまあまあの
朝食でした。
宿泊したホテルの朝の
様子です。

白壁に黒の枠組みが
清潔感を感じさせます。
花飾りも綺麗でした。
エジンバラ
エジンバラは旧スコットランド王国の首都で、現在もカントリーの首都です。人口は50万人弱でグラスゴーに
次ぐ街です。街は新旧二つに分かれており、旧市街にはエジンバラ城とホリルードハウス宮殿があり、両建物を
結ぶ道路はロイヤルマイルと呼ばれています。グラスゴー同様半日程度ではエジンバラ城を見るのが精一杯でした。
エジンバラへはグラスゴーから朝出発し、午前中のみの
観光となりました。従い、エジンバラ宮殿とカールトンヒルを
訪れただけで、エリザベス2世が夏の避暑に来る
ホリールード・ハウス宮殿は訪れる時間がありませんでした。
また、オールドタウンは少し歩きましたが、ニュータウンはバスで
通過したのみとなりました。

エジンバラをゆっくり楽しむには2日間位は必要でしょう。
エジンバラで最初にバスが
止まったのはここ。
現地ガイドとの落合場所で
スコットランド公文書館です。
雨の上に車窓からで少し見難い
ですが、エジンバラ市長の官舎です。

エジンバラ市長は女性ですが、
なかなかのやり手なのだそうです。

一般の人の住居もこのような
スタイルのアパートメントに
なっているようです。
エジンバラ城とホリールードハウス
宮殿を結ぶキャノンゲイトは
別名ロイヤルマイルと呼ばれて
います。
オールドタウンの中心地となり、
お店なども並んでいます。
中央に見える教会は
ロイヤルマイルの中ほどにある
セント・ジャイルズ大聖堂です。

その奥に見える塔はロイヤルマイル
マーケットです。

ロイヤルマイルを横に入る
バンクロードの突き当りに
ロイド銀行の本店があります。

その通りの角には裏表の顔の
異なる肖像のある看板が掛かって
います。
これは「プロディ」というパブで、
昼は石工ギルドの組合長という
実業家で、夜は泥棒やってた男が
愛用していた場所で、
その男ブロディーの名を冠したパブ
となっています。


画面にポインターを置くと
裏表の顔の看板を
ご覧いただけます。
鍵を持っているのは昼間のブロディ―
左の布袋を持っているのは
夜のブロディーの姿です。

ロイヤルマイルの西寄りにある
教会の建物ですが、
「Highland Tolbooth St John’s
Church」は1842年に創建され
1979年に教会としては閉鎖
されました。

現在は教会ではなく、
「The Hub」という名前で、
コーヒーショップや
土産物屋さんが入っています。






看板の上に金の鳥が飾られています。
建物はスコットランドのナショナル・トラストに
よって管理運営されています。




こちらはオールドタウンで
最も古い建物です。

「Gladstone’s Land」と呼ばれ
ています。
元々1550年に建てられたものを
1617年にトーマス・
グラッドストーンが買収し、
6階建のアパートメントに
したのだそうです。
現在は博物館として運営
されているようです。
内部を見ることが出来るよう
ですが、今回は時間的に
無理でした。



雨にぬれるエジンバラ城です。

城内の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

エジンバラ城
The Hubの前にある
セントコロンバス・フリーチャーチ
です。
こちらはまだ教会のようです。
カールトンヒルに向かう散歩道で、
世界でも最初に出来た
散歩道なのだそうです。
落ち着いた道です。

散歩道を登りきると
この塔に出会います。
ネルソン記念碑です。
この塔の上には木製の丸い球
が載っており、これが12時に
なるとポールに沿って上に
登って行くそうです。

この球を港にいる船が見て
時間を知るそうです。

ただ、雨や霧で見えない
場合もあり、エジンバラ城の
大砲が毎日1時に空砲を放って、
時間を知らせるのだそうです。

画面にポインターを置くと
木製の球をご覧いただけます。

丘の様子は下記のボタンから
お入り頂けます。

カールトンヒル

カールトンヒルを降りた所にある
スコットランドの政府建物で、
「St.Andrew’s House]です。
スコットランド政府機関の
中枢です。

「Scottish Government」と
呼ばれています。

エジンバラでの昼食は
右手の赤い門のあるレストランで
摂りました。

この場所は一段低い所にあり、
上を走る道路はビルの
2階あたりになります。

この様にエジンバラの街は
高低差の大きい場所に
造られており、地図上では
平坦に見えるところも
相当の段差が有るようです。

オールドタウンの橋の殆どが
川ではなく道路との交差になって
います。

レストランと食事の模様は
下記ボタンからお入り頂けます。
エジンバラの昼食
エジンバラの市街はこのように
至る所が坂道です。
石塀も段々造りです

塀の奥にはグレイフライアーズ・
カークヤードがあります。
ここは世界で1番怖い墓地と
称されているようです。

エジンバラの忠犬、ボビーも
ここに埋葬されているとの
ことです。
街の中にこのような
ほんわかした絵が描かれて
いました。
ゴミ箱も目立たないようです。





Bedlam Theatre,

デュムゴイン・ウィスキー蒸留所
グラスゴーのやや北寄りにある
ウィ
スキー蒸留所を見学しました。
デュムゴインにある
「Glengoyen 蒸留所」を
見学に向かいました。

途中にこんな石造りの馬の像が
建っていました。

車窓からでちょっと見難く
成りましたが、石造の馬で、
何か謂れがありそうです。
グラスゴーの北よりの町
スターリングの丘の上に
お城が遺されていました。
15世紀後半に建造された
名城です。

靄の関係ではっきりとは
見えませんが、牧場の中の
小高い丘のお城、
スターリング城です。

途中停車してもらえ、
撮影しましたが、思った程
綺麗には撮れませんでした。
スコットランドはどこを走っても
道路の傍は全て牧場に
なっています。
車窓からで見難いですが、
丘が続き、牧場が続き、
羊、牛、馬が放牧されています。

グラスゴー市の北部、
デュムゴインという町ある
こじんまりしたウヰスキー工場
です。
「Glengoyne」のブランドで
販売されています。

蒸留所の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

ウヰスキー蒸留所
グレトナ・グリーン
イングランドの国境に最も近いスコットランドの村は、1754年にイングランドで結婚を制限する
婚姻法が制定されて以降、若い恋人たちがこの村に駆け込み、結婚式を挙げるという駆け込み村に
なった場所です。現在もこの村で結婚式を挙げるカップルが多いそうです。
グラスゴーを朝の8時に出発です。

南に向かいます。
8時半でやっと東の空が
明るくなってきました。
北の国を感じさせる朝です。
スコットランドの各地で
風力発電用の風車を見掛けます。
エコエネルギー政策の一貫
でしょうか。

丘の多いスコットランドらしい
風景でした。
こうした牧場が続きます。
道路沿いの眺めは殆ど
牧場と羊、牛、馬です。

「ヒル」という言葉がぴったりの
丘陵地帯です。
見た目には田園風景ですが、
全て牧場です。

白い点々は全て羊です。
グレトナ・グリーンの
ブラックスミス・ショップで
元の鍛冶屋跡です。

イングランドで結婚できなくなった
若いカップルがこの村へ駆け込み、
この鍛冶屋の鉄床の前で晴れて
結ばれたのだそうです。

イングランドでは1754年に
親の承諾を得た21歳以上の男女が
結婚できるとされ、結婚式は
教会で挙げなければならない
と云う婚姻法が制定されました。

スコットランドでは1940年まで
当人同士の意志だけで結婚でき、
16歳以上なら、両親の同意が
なくても、2人の証人のもとで
婚姻が可能だったので、
多くのイングランドのカップルが
国境を超え、このグレトナ・グリーン
にきて結婚したのだそうです。
鍛冶屋跡を中心に、
周辺には愛を語る若者の像や、
ショップが何軒か並んでいます。
この様なモニュメントも置かれ
その奥はスーベニアショップに
なっています。
ここもお土産屋さんです。
スコットランド産品を販売
しています。
鍛冶屋跡の向かいにある
多分、一般の住宅でしょう。

煉瓦造りでがっちりした住宅に
なっています。
教会っぽい建物ですが
確認はしませんでした。

やはりレンガ造りの建物です。
郵便ポストは角型でした。
裏庭では何台かの車が
この様に荷台や地面に
衣類や日用品、食料などを
販売していました。
朝市?みたいなものでしょうか。
                                               イングランドへ  ヨーロッの風景