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マドリード バルセロナ バレンシア ラ・マンチャ グラナダ ミハス セビリア コルドバ トレド
日本からスペインへの直行便は有りません。
今回はドイツ・ミュンヘン経由バルセロナへ。
バレンシア、グラナダ、セビリア、マドリード
を廻って、フランクフルト経由で帰国のルート
となりました。スペイン内はバスと列車で
約2千キロを走り抜けました。
スペインの面積は約50.5万Ku、日本の
1.3倍あります。
人口は4.6千万人で約1/3。1人当たりの
面積は日本の約4倍になります。
旅行中の気候は欧州寒波の影響か結構
気温は低い状態ながら、日中は20℃を
越える日もあり、朝夕と日中の温度差が
大きかったです。


スペインはイベリア半島にある立憲君主国です。イベリア半島には有史以前に人が居住しており、
紀元前1100年には王国が存在した遺跡もあるようです。紀元前500年〜紀元前300年ころには
フェニキア人とギリシャ人がこの地を植民地にしていましたが、ローマ人が彼らとの戦いに勝ったことで、
紀元前202年から約500年間はローマ人による支配地となりました。
キリスト教は1世紀には伝わりましたが、711年に北アフリカから侵攻したウマイヤ朝にローマが敗れ、
その後はイスラムの世界となりました。この時代の遺跡は世界遺産としても残されています。
1492年にグラナダの陥落によりイスラム支配は終焉し、1515年にスペイン王国が成立します。
そのスペインも数々の業績を残しながらも衰退し、国内戦争や、独立戦争の結果1936年には
フランコ将軍の独裁政治体制が出来上がります。1975年にフランコ将軍が亡くなると王政復古され、
1978年憲法成立後の民主化で現在に至っています。
スペインは世界遺産登録数で世界一(イタリアとは毎年トップ争いになるようです)を誇っています。
至る所に世界遺産があり、そのいずれもが立派な遺産です(ほんの少ししか見てないんですが)。
駆け足で回ったスペインの一部を下記にご紹介します。
マドリード マドリードはスペインの首都です。人口は300万人以上を抱え、16世紀から
スペインの政治、経済、文化の中心地となっています。
標高が667mで欧州の首都では最も高い位置にあります。
古い都だけに道が複雑に延びており、戸惑いも感じますが、何処へ行っても
絵になる街です。
マドリードと言えばまずは王宮からでしょう。10世紀にイスラム教徒により建設され、16世紀にハブスブルク家
の居城となり、1734年の火災後ブルボン家により再建されています。2800の部屋が有ります。
上は正面中庭から、下は北東部からの外観です。一部の部屋が一般開放されていますが、
王宮内部は撮影禁止となっています。素晴らしい内装と絵画の数々は一見の価値ありです。
10時開門に早くから観光客が並んでいました。勿論我々も行列の仲間入りです。
入場料は10ユーロ、60歳以上は7ユーロと書いてあったのでパスポートを出したら、
「ヨーロピアンオンリー」といわれてしまいました。残念。
左は王宮参観受付前の行列、右は王宮の北側にあるサバティーニ庭園からの眺めです。
庭園は改修中で中央部の噴水も残念ながらその姿を見ることが出来ませんでした。
王宮広場から見た大聖堂正面です。正式名はアルムデナ大聖堂。建設計画は16世紀の早くから
ありましたが、完成は1993年とずいぶん時間がかかりました。時間の関係で内部は見ませんでした。
左は入場門方面からの、右は北東部からの大聖堂の景観です。
左はサバティーニ庭園の景観です。手前の像はカルロス三世です。右はサバティーニ庭園からの王宮の
眺めです。季節的に緑の色がくすんでいましたが、春になれば素晴らしい庭になると思われました。
左は王宮東側のオリエンテ広場に立つフェリペ4世像です。その向かい側にはオペラ座が有ります。
王宮周辺部の写真はこちらからご覧いただけます。王宮周辺
早朝のスペイン広場です。セルバンテス没後300年を記念して建てられたモニュメントです。
石像はセルバンテス、手前にはドン・キホーテの像が有ります。後ろのビルはスペインビルでオフィスビルです。
左はドン・キホーテ像です。右はスペイン広場の横に有ったガウディの弟子により100年前に設計され
建てられたマンションです。
スペイン広場のすぐ近くを通るグラン・ピアです。マドリッド一の繁華街となります。
この日は日曜日で車も少なかったです。
左は街中で結構見かけるツーリストポリスです。すり、万引きが多いから気を付けるよう何度も言われました。
右はあちこちにある宝籤売り場です。コルドバの駅構内にもありました。スペイン人も籤好きなんでしょうね。
王宮から太陽の門(プエルタ・デル・ソル)へ向かう途中にあるヴィラ広場です。右はカーサ・デ・ラ・ビラ
(旧市役所)で1696年の建設、その奥は1537年にたてられたカサ・デ・シスネロ(お城)です。
ヴィラ広場とマヨール広場の間にサン・ミゲ―ル市場が有ります。観光客にも人気が出てきたそうです。
左は建物、右は内部の様子です。
マヨール広場(Plaza Mayor)です。中央の像はフェリッペ3世です。周囲は17世紀時代のバルコニー付きの
建物で取り囲まれた長四角の広場です。過っては闘牛場や刑場にもなったそうです。この日は日曜日で
色々なお店やパーフォーマンスをやる人が沢山出ていました。
左は北寄りからの広場の眺めです。右は建物の回廊に色んな店が出ていて人で一杯でした。
マヨール広場の少し北にはデスカルサス・レアレス修道院があり、この日は日曜日で信者以外の入場は
できませんでした。その向かい側にはティッセン美術館(別館でしょうか)があり、シャガール展を開いていました。
日曜日で入場を待つ長蛇の列でした。残念ながら入場は諦めました。そこでテラスを探してちょっと一休み。
日向の席はどこも満席、日陰のところはガラガラです。
プエルタ・デル・ソルの全景です。手前の像はマドリードの紋章クマとヤマモモ、奥にカルロス三世の騎馬像です。
太陽の門の謂れは元々マドリードは城壁で囲まれていて、その城壁にある門の一つがここだったことに
由るそうです。ここから各地への道が延びていて、ここには0km起点の標識が有るそうですが、残念ながら
見つけられませんでした。
毎年年末のカウントダウンがここで行われるそうです。
中央の噴水は若者のデート場所でもあり、デモ隊の集合場所にもなっているようです。
画面の左寄りの集団はプラカードを抱えて集まっています。対照的に右ではぬいぐるみを着て
観光客に写真を一緒に撮るよう勧めていました。
ソルからアルカラ門へ向かうアルカラ通りを進みます。18〜20世紀初頭の建物が並ぶ通りは素晴らしい眺めです。
イスパニア信託銀行です。大理石の美しい建物でした。
アルカラ通りからシーべレス広場、更にアルカラ門を眺めることが出来ます。広場を右に行けばプラド美術館、
レイナ・ソフィア美術館に出ます。この公園はマドリッドを象徴する場所の一つです。
コムニカシオニス宮殿です。現在は市庁舎となっています。
スペイン銀行本店です。
元々1599年に作られた門はカルロス3世により改築され新しく現在のアルカラ門が1778年に作られました。
門の高さは19.5mでローマ時代の凱旋門の基本構造を踏襲しているそうです。
市庁舎の西寄りにあるプラド美術館です。所蔵絵画は油彩画だけでも約7,600枚、展示されているのは
およそ1,300点。今回の旅の目玉の1つでした。館内を通り抜けるだけでも結構時間がかかるのに、
一点一点じっくり見ればどれだけ時間がかかるか判りません。ガイドさんの案内で今回は
エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤを、自由時間にルーベンス、ムリリヨなどを観賞してきました。
ゴヤの「着衣のマハ」は日本に貸し出し中で、「裸のマハ」が壁を独占していました。館内は撮影禁止です。
ソフィア王妃芸術センターです。ここでの見ものはピカソの「ゲルニカ」です。
ダリの作品は撮影可能でした。比較的分かりやすい作品を・・・・・
芸術センターを出たところにスクエアが有ります。日向ぼっこしている人たちがいます。おじさんが一人サックスを
吹いていました。
周辺のテラスでは春の陽ざしを求める人で一杯。センターの向かいには工事中の新幹線駅が有りました。
スペインの食事といえばパエリア。大きなパエリア(鍋)で煮込んだご飯を手際よく盛り付けてゆきます。
この両手掴みの就いた鍋のことをパエリアというそうで、街中でも売っていました。従い、煮るのはご飯に
限らず、パスタのパエリアもあります。
スペインタパス料理です。上左からスペイン風オムレツ(ジャガイモが入ってます)、茸炒め、ミンチ肉と卯で玉子、
下左コロッケ、肉パイ。これらの料理は小皿に入れてビールのジョッキの蓋代わりに載せて出したものだそうです。
まあ、おつまみということでしょうか。                                        ページトップへ