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フランスは101県が26の地域圏に分けられて います。ここでは行った地域を中心に便宜的に 北部地方、中部地方、南部地方の 三つに分けました。 乗り継ぎでパリには何度が降りましたが、 フランスに入国したのは今回が初めてです。 直行便でパリに入り、乗り継ぎでニースに 行きました。乗継便に乗れず、一旦パリで 泊ることになりましたが、祭前日と言うことで 待機者が多く増便が出て、その日のうちに 何とかニースに着けました。 出発時にチェックインカウンターのコンピューター トラブル、機内の冷蔵庫不調、パリでの乗継便 トラブルと初日に三連発。どうなる事かと 案じましたが、その後は順調に日程を こなすことが出来ました。 今回残念ながらTGVに乗れませんでしたが、 走る車両は何度か目にしました。日本式の 到着遅れ払い戻しを実施していたようですが、 余りに遅れの多さから中止になったそうです。 |
北部フランス | 中部フランス | 南部フランス |
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フランス北部はパリ近辺とモンサンミッシェル、シャルトル、ジヴェル二ーを廻りました。 南部、中部では牧場地帯が多かったのですが、北部では小麦畑が中心でした。 |
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花の都パリ。確かにヨーロッパ各地の首都を纏めたような美しさをもった街でした。 ただ、今回は日程的に滞在時間が短く、車窓からの観光も多く、パリを楽しむだけの余裕は有りませんでした。 取りあえず、見るべきものを見て回ったと言う感じでパリの休日などと言う洒落た行動はなしでした。 シャンゼリゼのテラスでお茶の一杯でもと思ったのですが、夜の遅い時間の自由行動で地下鉄に乗るのが 精一杯でした。 |
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パリの南西20kmにあるヴェルサイユは1682年にルイ14世により建てられた 宮殿があり、バロック建築の代表作でもあります。宮殿の噴水庭園は宮殿よりも 労働力が多く投入されており、これは水のない土地に水をひいたためです。 それが絶対君主の力を見せることになるとルイ14世が考えた為です。 今回は午後の数時間で宮殿内部を見ることに集中され、庭園は宮殿の窓からしか 見られませんでした。残念〜。 |
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ジヴェル二ーはパリの北80km、セーヌ川の下流にあり、 モネが後半生を過ごした場所です。 見所はモネの住居跡とモネの描いた通りの庭園です。 |
モネのアトリエが現在は 売店になっています。 出口が此処になります。 |
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アトリエの内部です。 睡蓮の絵が何枚かかかっていますが、 全て複製品です。 屋内は記念品売り場です。 |
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モネの住んでいた住居跡です。 現在は記念館として開放されて います。 屋内に掛っているモネの絵は 全て複製品ですが、 此処に展示されている浮世絵は モネが生前に集めたもので、 全て本物です。 |
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モネの部屋から眺めた庭園です。 | |
広い庭には数々の花が 咲き乱れていました。 印象派画家の庭と言った 風情が十分です。 |
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邸宅と通りを挟んで 水の庭園が有ります。 モネが好んで描いた 睡蓮があちこちで花を つけていました。 |
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まるでモネの絵を見ているような 風景です。 |
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日本的な物を好んだ モネらしく、これは太鼓橋と 名付けられています。 |
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カラフルな庭園は モネの画材として 大いに利用されたことでしょう。 |
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見学を終えた小学生が アイスクリーム販売車に 並んでいました。 美味しそう〜 |
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シャルトルはパリの所為南部にあり、キリスト教巡礼の地として有名です。 街の中心にはノートルダム大聖堂があります。街中には木材を利用した古い建物も 多く残っています。時間の関係で街の中はゆっくりと見ることはできませんでした。 |
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パリから西へ350kmの大西洋に浮かぶ小さな島がモン・サン・ミッシェルです。 708年に司教おペールの夢枕に立ったミカエルのお告げで聖堂が 建てられました。11〜12世紀には巡礼者でにぎわい、13世紀にほぼ現在の 姿になっています。1979年に世界遺産に登録されています。 |
昼過ぎのモン・サン・ミッシェルは 曇り空で色合いが写真には 出ませんでした。 |
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午後9時過ぎのモン・サン・ミッシェルは 丁度夕陽が落ちる間際でした。 この日2回目の眺めです。 |
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午後10時過ぎにやっとライトアップ されました。 ホテルの近くからシャトルバスが 出ていたので、3度目の渡島です。 |
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午後11時過ぎになってやっと 暗くなりました。 ライトアップのモン・サン・ミッシェルは 三脚を使っても綺麗には撮れません でした。コンパクトカメラの限界か? 腕の問題か? |
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夕食後の散歩がてら 近くの麦畑まで出かけました。 麦畑に浮かぶモン・サン・ミッシェルは 幻想的でした。 |
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14世紀の英仏100年戦争の折には 此処は難攻不落の要塞となりました。 島への入口です。 |
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要塞であったことを証するように 砲筒が飾られていました。 当時のものでしょうか…。 |
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左は島に入ってすぐの「王の門」 塀と跳ね橋、落し格子で守られて います。 右は「哨兵の門」14世紀に作られた 修道院の入口です。 |
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元は島だったモン・サン・ミッシェルは 観光用の道路と干潟を埋める泥で 昔の景観が失われつつあるため、 島の状態に戻す工事が昼夜行われて います。 近い将来には海に浮かぶモン・サン・ ミッシェルが復元されることでしょう。 島内と修道院内部は 下のボタンからお入りください。 |
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モン・サン・ミッシェルでの昼食は 当然オムレツ(左)で中がマシュマロの 様にふわふわです。従い、下手なボーイが カットすると中味が全部出てしまいます (ポインターを画面に置くとその状態の写真 をご覧頂けます)。 それと鴨のグリル(右)でした。 このオムレツは巡礼者の疲れをいやすため プ―ラ―ル夫人が考案したと言われる巨大な オムレツです。これを幾つかに切って 食します。 |
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夜はカキが有ると言うので大枚30ユーロを はたいて注文しました。小振りで味はまあまあ でしたが、ちょっと高すぎ。この辺りのカキは 一時全滅し、広島より種カキを送ってもらい、 復活したとのことです。 右は魚ですが、名前を書いたメモをなくしました。 タラの様な感じでしたが名前は違ってました。 |
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