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フランスは101県が26の地域圏に分けられて
います。ここでは行った地域を中心に便宜的に
北部地方、中部地方、南部地方の
三つに分けました。
乗り継ぎでパリには何度が降りましたが、
フランスに入国したのは今回が初めてです。
直行便でパリに入り、乗り継ぎでニースに
行きました。乗継便に乗れず、一旦パリで
泊ることになりましたが、祭前日と言うことで
待機者が多く増便が出て、その日のうちに
何とかニースに着けました。
出発時にチェックインカウンターのコンピューター
トラブル、機内の冷蔵庫不調、パリでの乗継便
トラブルと初日に三連発。どうなる事かと
案じましたが、その後は順調に日程を
こなすことが出来ました。
今回残念ながらTGVに乗れませんでしたが、
走る車両は何度か目にしました。日本式の
到着遅れ払い戻しを実施していたようですが、
余りに遅れの多さから中止になったそうです。
北部フランス 中部フランス 南部フランス
ノルマンディ地方
フランス北部はパリ近辺とモンサンミッシェル、シャルトル、ジヴェル二ーを廻りました。
南部、中部では牧場地帯が多かったのですが、北部では小麦畑が中心でした。
パリ
花の都パリ。確かにヨーロッパ各地の首都を纏めたような美しさをもった街でした。
ただ、今回は日程的に滞在時間が短く、車窓からの観光も多く、パリを楽しむだけの余裕は有りませんでした。
取りあえず、見るべきものを見て回ったと言う感じでパリの休日などと言う洒落た行動はなしでした。
シャンゼリゼのテラスでお茶の一杯でもと思ったのですが、夜の遅い時間の自由行動で地下鉄に乗るのが
精一杯でした
パリと言えばやはりエッフェル塔に
なりますかねぇ。
左はシャイヨー宮からの眺め。
塔の前の橋はセーヌ河に掛るイエナ橋
です。前に広がるのはトロカテロ庭園です。
右は凱旋門の上から
夜のライトアップの眺め。
エッフェル塔は1889年パリ万博の際に
建設されています。
明治時代に既にかかる鉄塔が造られて
いたことが驚きです。
夜はライトアップされており、
特に、毎時零分から5分間白い光が
煌めきます。偶々これに遭遇しましたが、
思ったほどよい写真には
なりませんでした。(カメラ?腕?)

ポインターを画面に置くと
別角度からの写真がご覧
頂けます。
左はセーヌ川からの
右はシャイヨー宮の像と一緒の
エッフェル塔です。
それと凱旋門(車窓)。
丁度戦没者慰霊祭が
行われており、軍が出て
式典をやっていました。
翌日の夜に上まで登りましたが、
螺旋階段で上がるので
顎が出ました。

1836年にナポレオンが
作らせた門です。
左のレリーフは「1810年の勝利」
でナポレオンが女神から
冠を頂いている図。
右は「1792年の義勇兵の出陣」
を現しています。

画面にポインターを置くと
螺旋階段をご覧頂けます。
凱旋門の中央下にある
第一次世界大戦で戦死した
無名兵士の墓です。
追悼の炎が燃え続けています。

正面の通りはシャンゼリゼ大通りです。


画面にポインターを置くと
夜の凱旋門をご覧頂けます。
凱旋門から見た夜のシャンゼリゼ大通り
です。
既に23時を廻っていますが、まだまだ
宵の内と言った感じです。
大通りのテラスではワインで夕食を
摂る人たちが一杯です。
凱旋門へは地下鉄で行きました。
夜が遅い所為か車内は空いていました。
グループの日本人数人で行ったのですが、
乗車駅で「すりが多いので気を付けて
下さい」との構内放送が日本語と英語で
ありました。多分、我々が改札を通ったので、
放送したのだろうと思います。
空いていた為か、誰も被害には
遭いませんでした。

帰りの車内ではグループのために
席を替ってくれたマドモアゼルが
いました。気分爽快。

地下鉄2号線「シャルル・ド・ゴール広場」
駅です。思ったよりきれいです。
イタリアはひどかった。
地下鉄の電車も撮りましたが、
ピンボケでした。あ〜ぁ。
モンマルトルの丘にあるサクレ・
クール寺院です。
丘にはケーブルカーでも上がれます。
19〜20世紀にかけて芸術家が
集まった場所です。
現在も似顔絵描などが沢山
集まってきていました。

画面にポインターを置くと
ケーブルカーをご覧頂けます。

ケーブルカーはごく短距離です。
乗らずに歩く人も多いです。
32名乗りで満員になると
自動的に改札バーが動かなくなります。

ケーブルカーで出会った
母子連れです。
何処から来たのかは聴けませんでした。
話す言葉はフランス語のようだけど、
判りません。
丘の上のデルトル広場です。
このおじさんの並べている
肖像画は女性ばかり。
だからでしょうか、お客さんも
女性でした。
どれも綺麗に仕上がっていました。

私の父親が昭和40年にパリへ来て
此処で似顔絵を描いて貰っています。
兄貴が駐在していたとはいえ、当時
団体ツアーもなく、明治生まれで
言葉もできない親父が良くも一人で
此処まで来たなぁ、と思います。
デルトル広場のカフェで
休んでいる人も多いです。
日本人は写真を撮るのに
余念が有りません。
白い壁の窓際に並ぶ
鉢植えの花が綺麗でした。
丘の上を観光トレインが
走っています。
のんびり乗っている人は
余り多くないようです。
日本人は一人もいません。
日本人観光客は皆急ぎ足で
廻っています。
クール寺院のそばにある
サンピエール教会です。
1147年の完成でパリでは
3番目に古い教会です。
教会の横、クール寺院の横門で
新婚さんが写真撮影を
していました。
アジアっぽいお二人でした。
下りは歩く人が多いようで
結構な人波です。
もっとも、ケーブルカーを
待っている間に下まで着けるので、
余程足でも悪くないと、
待つ人は少なそうです。

モンマルトルの近辺は
下町で物価も安いようですが、
治安面の問題もあるのでしょうか、
パリのお巡りさんが観光客の間を
巡回していました。
パリの美術館と言えば
「ルーブル美術館」がまず
最初でしょうか。
左は勿論「ミロのヴィーナス」
右は「サモトラケのニケ」
入場時間が早かったので
いずれもゆっくりと鑑賞できました。
前後左右、どの方向からも
鑑賞できます。
教科書でしか見たことのない
彫像、絵画を目の当たりにする
至福の時間です。


ルーブル美術館の詳細は
下記からお入り頂けます。
    ルーブル美術館
オペラ・ガルニエ(車窓)です。
世界三大オペラ座の一つで、
1875年の完成。
博物館も併設されているそうです。
残念ながら内部を見ることは
出来ませんでした。
マドレーヌ寺院です。
車窓からの撮影でバス車内の
蛍光色のため青っぽくなりました。


画面にポインターを置くと
正面からの写真がご覧いただけます。
車窓からですので、やはり
反射光が出ています。
サン・ラザール駅です。
1837年の開業でパリでは一番古い
ターミナルです。
モネが1877年に「サン・ラザール駅」
を描いています。
画面にポインターを置くとモネの絵の
様な駅舎をご覧頂けます。
サン・ラザール駅から出発する
通勤電車です。
二階建てで、通勤客は全員着席
出来るそうです。
日本の朝のラッシュを考えると
信じられないことです。

ポインターを画面に置くと
朝の駅前風景をご覧頂けます。
パリの小学校では親が送り迎え
する事が義務付けられているそうです。
通勤前の一仕事として両親の
いずれかが送迎役になります。
日本のような集団登下校は
ないそうです。
セーヌ川の傍にある
コンセルジュリーです。
パリ革命の時の牢獄に
なった宮殿です。

ポインターを画面に置くと
反対側からの眺めが
ご覧頂けます。
パリ警視庁です。
なかなかシックな建物です。

画面にポインターを置くと
画面左後方からの建物を
ご覧頂けます。
パリと言えばノートルダム寺院
せむし男の物語。(左)
今回は下車観光が無く、
内部にも入れませんでした。

右はサン・ジャック塔です。
サン・ジャックとはヤコブのことで
塔の上に立つヤコブ像から
そう呼ぶそうです。
元は教会の鐘楼だったそうです。
高さ62m。1509年ごろの建造。
パスカルがこの塔で大気圧の実験を
行ったことでも有名です。
パリの街中を流れるセーヌ川です。
川べりには市民が大勢座っています。
川から眺めるパリの市街もまた別の
雰囲気が有ります。
画面にポインターを置くと別の川べりを
ご覧頂けます。

セーヌ川からの景観は下記のボタンから
お入りください。
           セーヌ川景観
川から眺めるルーブル美術館です。
ビル・アケム橋と地下鉄6号線、
奥にはエッフェル塔も眺められます。
橋の一つ一つが凝った造りになっており、
眺めていて飽きません。
パリ市立ガリエラ美術館・
コスチューム博物館です。
ルネッサンス様式の古い石造り
の建物にモダンな壁画でした。
こちらはパリの交通警官です。
迷惑お構いなしの違法駐車も
眺めているだけで取り締まりません。

でも、ヴェルサイユでは我々のバスが
駐停車禁止の場所で止まったところ
後ろに居たパトカーにしっかり罰金を
取られていました。
仕事もする時にはするんですねぇ。
コンコルド広場にある
オベリスクです。
エジプトのルクソール宮殿に
有った物を持ち帰って来ました。
説明ではエジプトから贈られたと
行ってましたが、本当かねぇ。
エジプトではそうとは言ってなかったと
記憶するんだけど・・・・
コンコルド広場から眺めた
シャンゼリゼ通りと凱旋門です。
大通りは石畳になっています。
パリと言えばマロニエの花咲く並木道。
まだ花が残っていました。
左はムール貝、右はポトフ。
いずれもフランス料理と言えますが、
団体ツアーでの食事は
この程度でしょうか。
パリ最後の夜はエスカルゴ。
写真を撮るのを忘れてぱくつきました。
ヨーロッパ全体に言えることでしょうが、
パンはどこも結構美味しいですね。
ヴェルサイユ
パリの南西20kmにあるヴェルサイユは1682年にルイ14世により建てられた
宮殿があり、バロック建築の代表作でもあります。宮殿の噴水庭園は宮殿よりも
労働力が多く投入されており、これは水のない土地に水をひいたためです。
それが絶対君主の力を見せることになるとルイ14世が考えた為です。
今回は午後の数時間で宮殿内部を見ることに集中され、庭園は宮殿の窓からしか
見られませんでした。残念〜。
(上、左)
ヴェルサイユ宮殿の
入口です。
赤坂離宮の門にも
似た感じの正門です。
この門は一般には
使われていません。
見学者入口(右手)からの
宮殿の眺めです。
  
   
宮殿内部への入口です。
勿論、此処だけが入口では無く、
観光用に開放された宮殿内の
入口と言うことです。

宮殿内部は下記からお入りください。

  ヴェルサイユ宮殿内部
ベルサイユ宮殿の近くにある
大通りとオッシュ広場(手前の
白い塔)、その奥に
ノートルダム教会が望遠出来ます。
シヴェル二ー
ジヴェル二ーはパリの北80km、セーヌ川の下流にあり、
モネが後半生を過ごした場所です。
見所はモネの住居跡とモネの描いた通りの庭園です。
モネのアトリエが現在は
売店になっています。
出口が此処になります。
アトリエの内部です。
睡蓮の絵が何枚かかかっていますが、
全て複製品です。
屋内は記念品売り場です。
モネの住んでいた住居跡です。
現在は記念館として開放されて
います。
屋内に掛っているモネの絵は
全て複製品ですが、
此処に展示されている浮世絵は
モネが生前に集めたもので、
全て本物です。
モネの部屋から眺めた庭園です。
広い庭には数々の花が
咲き乱れていました。
印象派画家の庭と言った
風情が十分です。
邸宅と通りを挟んで
水の庭園が有ります。
モネが好んで描いた
睡蓮があちこちで花を
つけていました。
まるでモネの絵を見ているような
風景です。
日本的な物を好んだ
モネらしく、これは太鼓橋と
名付けられています。
カラフルな庭園は
モネの画材として
大いに利用されたことでしょう。
見学を終えた小学生が
アイスクリーム販売車に
並んでいました。
美味しそう〜
シャルトル
シャルトルはパリの所為南部にあり、キリスト教巡礼の地として有名です。
街の中心にはノートルダム大聖堂があります。街中には木材を利用した古い建物も
多く残っています。時間の関係で街の中はゆっくりと見ることはできませんでした。
シャトレ広場から眺める
ノートルダム大聖堂です。
右手は市庁舎です。
大聖堂は元のロマネスク様式の
教会が1194年の大火で西側の
鐘楼部分を残して焼失、その後、
26年間でゴシック様式の教会が
建設されました。
従い、この大聖堂の鐘楼は
ロマネスク様式とゴシック様式の
2本の鐘楼が建っている訳です。
大聖堂正面です。
鐘楼の北楼(左)は112m、
南楼(右、ロマネスク様式)は
103mあります。
バラ窓とステンドグラスは
素晴らしいです。
このステンドグラスは
大聖堂で最古のものです。

正面サファードは
中央にキリスト像と動物、
右はキリスト生誕、
左はキリスト昇天をテーマにした
彫刻が施されています。
柱像は典型的なロマネスク様式で
造られています。
サファードの彫刻です。
ステンドグラスの絵柄が
見難いですが、
右側はキリストの系図を示すエッサイの樹、
中央はキリストの生涯、
左側はキリストの死と復活が
夫々描かれています。
即ち、キリスト教教義の集約と
言えるものです。
左は北大門のバラ窓と
ステンドグラスです。

右は南大門のバラ窓と
ステンドグラスです。

いずれもゴシック様式初期の
バラ窓です。

左は柱上の聖母で16世紀の
もの、多くの巡礼者がこの像を
見るために訪れるそうです。
ポインターを画面に置くと聖母の
拡大画面をご覧頂けます。

右は内陣の上部です。
内陣は修理中のため
中には入ることが出来ず、
この大聖堂の中で
12世紀のステンドグラスの傑作
「シャルトルブルーの聖母」は
残念ながら見られませんでした。
また、この大聖堂再建のきっかけと
なった「聖母マリアのベール」の
おさめられている聖ピア聖堂も
見られませんでした。
床に作られた迷路です。
これは巡礼者が苦行のため
膝をついてこの曲りくねった
迷路を辿るのだそうです。
全長は262mになります。
門から入ってすぐのところに
作られています。
教会の北側にある
(左) 16世紀の時計塔です。時間には
   拘らなかったのか針は1本です。
   ポインターを画面に置くと時計の
   拡大写真をご覧頂けます。

(右) 北大門です。13世紀のものです。
東側からの大聖堂の全体像です。
東側には庭園が広がっています。
東側にある庭園の一部です。
庭園の中にある元司教館です。
現在は市立博物館になっています。
聖堂の付近の民家です。

ポインターを画面に置くと
聖堂から見たシャルトルの街が
ご覧頂けます。
木質を多用した住宅が
此処の特徴だそうです。
この辺の道路には巡礼者への
標識が埋め込まれていました。
シャルトルの駅に近い
シャトレ広場からの眺めです。
シャルトル駅です。
モン・サン・ミッシェル
パリから西へ350kmの大西洋に浮かぶ小さな島がモン・サン・ミッシェルです。
708年に司教おペールの夢枕に立ったミカエルのお告げで聖堂が
建てられました。11〜12世紀には巡礼者でにぎわい、13世紀にほぼ現在の
姿になっています。1979年に世界遺産に登録されています。
昼過ぎのモン・サン・ミッシェルは
曇り空で色合いが写真には
出ませんでした。
午後9時過ぎのモン・サン・ミッシェルは
丁度夕陽が落ちる間際でした。
この日2回目の眺めです。
午後10時過ぎにやっとライトアップ
されました。
ホテルの近くからシャトルバスが
出ていたので、3度目の渡島です。
午後11時過ぎになってやっと
暗くなりました。
ライトアップのモン・サン・ミッシェルは
三脚を使っても綺麗には撮れません
でした。コンパクトカメラの限界か?
腕の問題か?
夕食後の散歩がてら
近くの麦畑まで出かけました。
麦畑に浮かぶモン・サン・ミッシェルは
幻想的でした。
14世紀の英仏100年戦争の折には
此処は難攻不落の要塞となりました。
島への入口です。
要塞であったことを証するように
砲筒が飾られていました。
当時のものでしょうか…。
左は島に入ってすぐの「王の門」
塀と跳ね橋、落し格子で守られて
います。
右は「哨兵の門」14世紀に作られた
修道院の入口です。
元は島だったモン・サン・ミッシェルは
観光用の道路と干潟を埋める泥で
昔の景観が失われつつあるため、
島の状態に戻す工事が昼夜行われて
います。
近い将来には海に浮かぶモン・サン・
ミッシェルが復元されることでしょう。

島内と修道院内部は
下のボタンからお入りください。
     モン・サン・ミッシェル
      
モン・サン・ミッシェルでの昼食は
当然オムレツ(左)で中がマシュマロの
様にふわふわです。従い、下手なボーイが
カットすると中味が全部出てしまいます
(ポインターを画面に置くとその状態の写真
をご覧頂けます)。
それと鴨のグリル(右)でした。
このオムレツは巡礼者の疲れをいやすため
プ―ラ―ル夫人が考案したと言われる巨大な
オムレツです。これを幾つかに切って
食します。
夜はカキが有ると言うので大枚30ユーロを
はたいて注文しました。小振りで味はまあまあ
でしたが、ちょっと高すぎ。この辺りのカキは
一時全滅し、広島より種カキを送ってもらい、
復活したとのことです。
右は魚ですが、名前を書いたメモをなくしました。
タラの様な感じでしたが名前は違ってました。
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