甘粛省
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甘粛省は左図でも判るように、西域の中心地となっています。

周囲は新疆、青海、四川、陝西、寧夏、内蒙古に接し、
黄河は青海省に源流があり、蘭州から北上しています。
蘭州はこの黄河を横切ることで発展した都市です。

面積は45.4万㎢で全国第7位の大きさです。
人口は約2600万人で省都は蘭州市です。

昔のシルクロードの一端を担い、武威から酒泉までの
河西回廊は交易ルートになっていたほか、漢代からの
長城が築かれていました。

今回は立ち寄れませんでしたが、酒泉、嘉峪関、敦煌は
良く知られた甘粛省の都市です。
甘粛省は東から西へ北上する形で延びています。

2018年8月12日から蘭州に入り、13日に高速鉄道で天水まで
往復し、麦積山石窟を見てきました。
14日には蘭州から武威経由で張掖に出て、近郊の
丹霞地貌を2日間で廻り、その後、青海省西寧へと向かいました。

天水には中国4大石窟の一つである「麦積山石窟」があり、
当初予定の世界遺産「炳霊寺」が雨による増水で河を渡れない
と云う事で、急遽変更されて訪れました。

武威は前漢時代のシルクロードの拠点であり、軍事要衝でも
有ったようです。前漢時代の青銅製「馬踏飛燕」像などが出土
しています。

張掖の街中は時間の関係で余り見て回れませんでしたが、
朝の散歩の折に転倒する事故で、カメラを破損、眼鏡を紛失
と云う不甲斐ない事になってしまいました。

下の各都市名をクリックすると、夫々の都市に飛ぶことが出来ます。
蘭州 武威 張掖
上海から蘭州
成田から東方航空で上海まで飛び、約6時間の待ちで蘭州に向かいました。
台風の影響で軒並みフライトキャンセルになる中を、定刻2時間遅れながら
飛んでくれて、その日の内に蘭州まで行けました。
上海空港は雨。

先の天気が気になるところですが、
絶対雨には合わないの信念で
乗継便を待ちました。
成田~上海間のフライトは
エアバス321で、それでも夏休み
期間の為か満席。

窓際の席は取れず、三席の真ん中と
最悪ながら、3時間弱で我慢我慢。
従い、ここまでの写真はなし。
相変わらずだだっ広い上海浦東空港で
時間待ち。
旅行社のサービスで待ち時間に
軽食を摂りました。

「慶記焼味」でワンタン麺とエビ焼売。
自費ながら紅茶も(下図)。

まあ、機内食よりは美味しく頂けました。

更に、航空会社からの待ち時間用の
クーポン券が出て、飲料水とアイス
コーヒを指定の喫茶店で購入。

中国の航空会社は湖南省武源陵の
時同様、食べ物でごまかす癖があるなぁ。
国内線カウンターも斯様にだだっ広い
スペースを持っているのも国民性?
出発カウンターにやっと案内が
でました。成田からの上海着は
13時10分。蘭州行きの定刻は
19時35分。
実際に飛び立ったのは21時でした。
22時頃に出てきた機内食。

肉焼うどんとサラダ。夜食には
十分な量でしょう。

「蘭州中川国際空港」です。
中国では第4番目に標高の高い
空港(1947m)で、空港から市街まで
中国で2番目に遠い(67km)場所に
あります。

なんとかその日のうちに
ランディングは出来たものの、
空港内では日付が変わりました。

蘭州の空港はほとんど記憶に
残っていないものの、ここまで立派な
空港ではなかったはず。
2015年に第二ターミナルビルが
完成したそうです。
荷物受取ロビーも広くて清潔。
ここ中国かな?
蘭州空港の外観。
バスの車窓からで車内灯などが
邪魔ですが、近代的な空港が
夜陰に浮かびます。
蘭州~天水

初日の観光は世界遺産の「炳霊寺」が予定されていたものの、雨の為、水量が増え、川を渡るのが
難しいとの事で、急遽、天水にある麦積山にある石窟を訪れることになりました。
麦積山石窟は中国四大石窟の一つと言われています。他の三つは洛陽龍門、大同雲崗、敦煌莫高。


深夜2時頃のホテル着で、連泊なので
幾らか気分的には楽ですが、
初日からの延着は厳しいものがあります。

ホテルは4星級で設備もまあまあ。

ホテルの内部や食事の内容は
下記ボタンからお入り頂けます。

ホテルと食事
ホテルから蘭州西駅までバスで
走ります。

この通りは「白銀路」でここでは
鉄路と並行して走っています。

左手に見える列車は在来線です。

蘭州の街並は中央に丘があり、
黄河と丘に挟まれた形で形成され、
この丘は五泉山公園に続きます。
石垣上に形成された住宅街です。
正面に見えるイスラム寺院は
「蘭州西関清真大寺」です。

長安、西寧、カシュガルの清真大寺
とともに、西域4大モスクに数えられて
います。
蘭州西駅に向かう高速路から
「太清宮」が見えました。
道教の寺院です。本拠は瀋陽市に
あります。

「小西湖公園」です。

公園の奥は黄河が流れています。

白い塀には「小西湖賦」が彫られています。

この時点ではまだ雨が降っていますが、
傘の必要が無い程度になっています。
「蘭州西駅」の前に出ました。

立派な駅です。高速鉄道の完成と
共に作られ、西安からラサまでの開通に
より、2013年に改修され、2014年に
リニュアルオープンし西北地区では
最大の鉄道駅となっています。

その歴史は1953年に開業しています。

蘭州西駅のホームです。
右側に停車している列車は
高速鉄道です。

左端に停車している列車は在来線です。

蘭州西駅の構内など詳細は
下記ボタンからお入り頂けます。

 蘭州西駅の様子
新幹線型の高速鉄道が入線
してきました。

西安始発の列車です。
殆どの人が蘭州で降りました。
その人数位が蘭州から乗車します。

9時17分発です。
列車内の様子です。

右2列、左3列の車輛です。
幸いなことに、往復共に窓際に
座席が取れました。

当日の切符です。
これ以降の切符は全て地元ガイドさんが
精算用に持って行ったので、
画像がありません。

指定席が無くても自由席で乗車が
出来るようです。指定席を持った人が
来ると席を立つ人がいます。
車掌もそれを認めているようです。



「天水南駅」です。

10時35分に到着しました。
1時間20分くらいの乗車時間です。

蘭州から天水までの車中と
車窓の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

蘭州~天水車窓



天水・麦積山
天水市は甘粛省の地図で見られるように、省の南東端近くの町で、甘粛省第二の都市です。
「天河水を注ぐ」から命名されたとされています。市部は2区4県1自治県に分かれます。
今回はそのうちの麦積区にある麦積山石窟のみを訪れました。
天水南駅です。

高速鉄道の開通にあわせ
完成された新駅です。
高速鉄道専用駅です。

駅前広場は広々としていて、
未だ工事中の個所もあります。
天水南駅から市街地に
入るとこの様なビル街に
出くわします。
左奥の建物はマンション
でしょう。

中国全土でマンション開発が
行われていますが、バブルの
心配はないのでしょうか。
南駅から麦積区への道は
工事中が多く、バスは
波乗り状態です。

左手の土手は植栽が
進められているようです。

画面にポインターを置くと
植栽されている土手が
ご覧いただけます。
駅前のマンション群に比べると
一寸レベルダウンする住宅街
ですが、道路が完成すれば
町の様子も変わるでしょう。

麦積山への途中にある賈河村の
レストラン街の一つに入り、
昼食をとりました。

天水市の食事


レストランからはすぐの場所に
麦積山の入口があります。

入口を入るとカートが山の近くまで
お客を運んでくれます。


カートの終点からさらに登ると
石窟への入口にでます。

この門の左手から中に入ります。

麦積山石窟の状況は下記のボタンから
お入り頂けます。

麦積山石窟
帰り道で後方に麦積山が望めます。

石窟は右手の裏側にあります。
麦積山石窟からの帰り道で
羊と羊を追う人が見えました。

川に架かる橋は土管を利用した
道路になっています。
天水南駅へ戻る車中からの眺望です。

新しい工場が建設されています。
建設中で何の工場かは不明です。

なかなか瀟洒な工場です。
こちらは工場でしょうか?役所でしょうか?

モダンな形の建物です。
工事中の道路と建物の対比が
発展途上を感じさせます。
正面奥に立派な建物があります。

地区のお役所だろうと思われますが、
詳細は不明です。
まだ舗装工事中?などでしょうか、

手前の川は渭河です。
建設中の新駅の前でお年寄りたちが
涼んでいます。

写真撮らしてねと声を掛けたら、
にっこりしてくれました。

中国の大都市圏でも昔はどこででも
見られた風景でした。
帰りも天水南駅からの乗車です。

駅舎の部分はほぼ完成していますが、
ショップなどはまだ入っていないところも
多くあります。

流石に待合室近辺には幾つかのお店が
出来上がっていました。
駅前広場です。
なかなか立派な広場になっています。

正面のガラス張りの建物は
エレベーター設備です。

画面にポインターを置くと
待合室の中の様子もご覧頂けます。
プラットホームと入線中の高速鉄道です。

画面にポインターを置くと
ホームの案内板もご覧頂けます。
蘭州西駅行のⅮ9811列車で
17時25分発と記されています。
我々の乗車した高速列車D9811は
時速245kmを表示していました。
路線区間ではほぼ最高速度のようです。

G列車は時速300km以上で走りますが、
D列車は200~250kmだそうです。

中国の高速列車にはG,D,Cの三種あり、
C列車は近郊短距離を走る列車です。
到着した蘭州市内はすでに夕闇が迫って
いました。
ただ、車窓からで、窓ガラスがUVカット
グラスなので、色が赤くなっています。
 
蘭州到着後そのまま夕食を摂りに
レストランへ直行です。

「王朝家宴」という店です。
1階には足裏マッサージの店も入っています。
当日の食事の内容は下記ボタンから
お入り頂けます。

蘭州の夕食
蘭州市
甘粛省の省都蘭州は別名金城とも称され、三つの県と五つの区を所轄し、中国で五番目に設立された
国家級新区で、蘭州ニューハイテク産業開発区、蘭州経済区の二つの国家級開発区と、
四つの省レベル産業地区を有している工業都市です。
 蘭州市内の中心街です。

右下が蘭州駅、左端が蘭州西駅となっています。

今回は朝夕の散歩の時間もなく、蘭州市内は午前の
武威への出発前の時間を利用して、前日行けなかった
「白搭山公園」のみを散策しました。

蘭州市内も色々と見どころも多いのですが、今回は
中継地点として2泊しただけでした。

蘭州市は東の方向へ市区を広げており、空港への
高速道路沿いに新しい工業区が開発されています。
また、空港への高速鉄道も開通しています。
蘭州のホテルでの最後の朝食です。

結構種類は色々とありますが、少し軽めの
朝食にしました。

蘭州市内観光から武威、張掖市までの
走行と、張掖丹霞の観光と張掖西駅までの
ロングドライブを担ってくれたバスです。

9名の参加者で38人乗りの
バスなので、一人で2席使用しても
まだ余裕があります。
ホテルから白搭山公園へ向かう途中での
蘭州市内を流れる「黄河」の朝の眺めです。
車窓からで、UVカットガラスのため、
少し赤っぽく写っています。

赤茶色の水が滔々と流れています。
白搭山の前にある黄河に架かる
「中山橋」周辺です。
蘭州市の黄河に架かる橋としては
最古のものだそうです。

黄河の奥は蘭州市街地です。
手前の黄河沿いの通りは市民の
遊歩道になっており、色々な飾りつけや
施設が並んでいます。
「白搭山公園」の入り口です。

階段と坂道を登って行きます。

もともと、前日に訪問予定の場所で、
前日の訪問地変更に伴い、武威へ
向かう前に立ち寄るということで、
時間的余裕のない観光となりました。
入り口にある庭園と回廊です。
山へは回廊を登ってゆきます。
 
白搭山の白搭寺への入り口です。

ここからは階段での登りになります。
公園内は大きくて、色々な遊覧地があり、
ロープウェイやシュライダーなどの設備も
ありますが、今回は時間の関係で
白搭寺のみを見てきました。

白搭寺と公園の一部は下記ボタンから
お入りいただけます。


白搭山公園
下りの階段では現地の人たちと
出会いました。
平日ですが、夏休みなので結構家族連れが
たくさん来ていました。

画面にポインターを置くとレリーフの前を
通る家族連れもご覧いただけます。
公園内ではお馴染みの太極拳を
やっていました。
中国各地での典型的な朝の風景です。
白搭山公園の入り口には
「金城関」があります。
金城関の傍には昔の建物風に造られた、
倣古街があり、レストランや土産物屋が
並んでいます。
内部を散策する時間的余裕が
ありませんでした。

金城関の駐車場からバスで一路
「武威」へと向かいます。
朝の蘭州市内は渋滞しています。

車窓から眺める蘭州市内を流れる
黄河です。
8月は降雨も多く、水はまさに黄色に
染まっています。
冬場などの渇水期には茶色が薄くなり、
透明度が上がるそうです。

黄土高原を流れる河の特徴なのでしょう。
黄河沿いにある「蘭州水上清真寺」です。

蘭州のイスラム寺院の中でも古いほうに
入る寺です。1913年の創建です。

白搭山から当寺のミナレットが見えます。
「中山橋」の様子です。

1909年に完成開通した鉄製の橋で、
黄河を渡る最初の橋として
旧名は「第一橋」とされていました。
1928年に孫中山を記念して現在の
名前に変えられました。

元の橋は1372年に建造された浮橋だった
そうです。

現在、車は通行できません。
街道筋の壁に彫り物がされています。
瞬間的で陶製か彫ったものかは
不明ですが、粋な壁になっています。

掃除をしているおじさんも絵になります。
蘭州市を離れて武威市へと向かいます。

「蘭州北」高速道路入口付近の景観です。

後ろの高架を走る列車は在来線です。
武威市
武威市は黄土高原、青蔵高原、蒙新高原の三大高原が交錯するところにあり、地形は北側より南側が高く、
南西部から北東部に傾斜し、それぞれ南の祁連山脈、中の回廊平原、北の砂漠の3部分に分けられています。
人口は190万人強で、標高は1020~4814mあります。河西回廊の東側に位置し、昔はシルクロードの要衝でした。。
高速道路沿いはまだまだ工事中の個所も
多くて、雑然としていますが、古い町並みも
見られ、また、河西回廊の山並みを
楽しめます。

河西回廊に沿った山並みです。

この辺りはまだ低い黄土台地ですが、
4千メートルを超える山並みも望めます。
途中の休憩場所として
「永登」という街のPAで下車しました。

永登県は蘭州市に属する県で、
人口は50万人います。
隣には天祝チベット族自治県があります。
永登県を出ると天祝チベット族自治県に
入ります。
並木の向こうで見難いですが、チベット風
建物も散見されます。
走っている道路が2千mほどあり、
奥に見える山々は3千m以上の山並みです。
放牧地帯だけにあちこちで羊や牛の群れを
見かけます。
河西回廊をめぐる田園地帯です。

黄土高原の色彩が少し薄れる場所でも
あります。
庄浪河に沿って走る高速道路沿いに
ダムがあります。
「十八里堡水庫」です。

もう武威市管轄地域です。
武威市に近づくとさらに裸の山が
続きます。
黄土高原そのものでしょう。
道路際にはこのようなトウモロコシ畑も
あります。
畑の手前に盃を裏返した様な土盛が
並んでいますが、これはこの地方の
お墓です。土葬されているそうです。

甘粛省各地でこの墓が見られます。
「武威駅」です。

武威駅は1954年に建設され、現在の
新駅は2010年に営業開始しています。
雷臺公園の入り口を模したような建物に
なっています。

蘭州駅からは303kmあります。

新蘭線と包蘭線の分岐点です。

駅前にあるホテルのレストランで
昼食を摂りました。

食事の内容は下記ボタンからお入り
頂けます。


 武威の昼食
雷臺公園の入口です。

雷臺公園は張氏の漢代の墳墓が発掘
された場所で、公園内にはその墳墓が
残されています。

墳墓からは銅製の奔走馬が出土しています。
 


雷臺漢墓から出土した銅製の「奔走馬」
(馬踏飛燕)が公園のシンボルになっています。
出土品はすべて甘粛省博物館に展示されており、公園に展示されているのはサイズを拡大した
レプリカと、墓内には実物と同サイズの
レプリカが置かれています。

雷臺漢墓とは1969年に雷臺の槐の木の下で、地元民に発見された東漢末の大型煉瓦墓です。

公園と雷臺漢墓は下記ボタンから
お入り頂けます。


 雷臺公園
武威市内です。

武威は紀元前121年、漢の武帝の命令で、
驃騎将軍霍去病は匈奴を討つため河西へ
遠征しました。その偉大な武功を顕すために
武威と名前をつけたのだそうです。

武威市には25民族が住んでいますが、
漢族がメインです。
市内にある「鳩摩羅什寺」です。

シルクロードを通り、西域に仏教を
伝えたインド人クマーラジーヴァを漢訳して
鳩摩羅什と表記したものだそうです。

五胡の時代、涼州(現甘粛省)にいた
鳩摩羅什は。後秦により国師として長安に
迎えられ、仏典の漢訳と説教に努める
こととなったようです。

鳩摩羅什の没年ははっきりしませんが、
おそらく409~413年の間と思われ、
この寺院には唐代に作られたという
八面十二層の舎利塔があるそうですが、
残念ながら車窓から門を見るだけでした。

雷臺漢墓から武威文廟に向かう車中から
武威市中を眺めていると。街中の公園にも
奔走馬の像が立っています。
 こちらの公園では「武威は皆さんを歓迎
します」と書かれた緑のアーチが飾られ、
左手には建造中のビルが建っています。

人の数や、車の数からみると、まだまだ
発展の余地のある街だろうと思われます。
「武威西夏博物館」です。

涼州で出土した西夏時代の文物を展示
しています。一番貴重なのは西夏碑で、
「凉州重修護国寺感通塔碑銘」と称されて、
西夏文字と漢文字を対照する石碑の中では
文字が一番多い石碑だそうです。

館内は残念ながら撮影禁止になっています。
 
西夏博物館の前にある「武威文廟」です。

明代の1439年に創建された甘粛省では
最大の孔子廟で、中国でも第三の規模を誇る
規模になっています。

文廟内部は下記ボタンからお入り頂けます。

武威文廟
武威市から再び高速道路で張掖へと
向かいます。

武威市の武威ICから高速に入ります。
高速道路の北寄りには漢代、明代の
長城が残されているのが見えます。

走行中はブレて写真になりませんでしたが、
高速道路傍に残る明代の長城跡で
バスを一旦停止してくれました。
高速道路での一時停車も良い経験です。

岩ではなく、赤土の泥で固めたものです。
明代の長城跡です。
高速道路を挟んだ反対側にも
櫓跡が残されています。
張掖のホテルに到着です。

「電力大廈」は電力会社のビルに
敷設されたホテルで、ここは裏庭の
駐車場です。

左手のピンク色の看板は「餐庁」と
書かれていて、ここがレストランです。
宿泊場所は左手から入ります。

張掖市
張掖とは「国の臂掖を張り」西域に通じるという意味でつけられた名前だそうです。
漢代に
霍去病が匈奴を破り、以後シルクロードの要衝となり、水と土がよく、産物も豊富なため「金の張掖」と
称されました。人口は128万人で26の少数民族が生活しています。
  張掖市の中心街地図です。

今回、張掖市内を観光する時間は
ありませんでしたが、朝の散歩で
甘泉公園と大仏寺のみ訪れました。

甘泉公園ではスリップ転倒するという
ハプニングで、むち打ち症状らしき
物がありましたが、旅行中は何とか
特段の差しさわりもなく過ごせました。

張掖市では2泊し、氷溝丹霞、七彩丹霞、
平山湖大峡谷の三か所を回りました。

最終日は張掖西駅から高速鉄道で、
青海省西寧市へと向かいました。

丹霞は最近公開された観光地なので、
余り知られていない場所ですが、
国内客中心に多くの観光客が訪れて
いました。
張掖市街の朝です。
中央の建物は電力大廈です。
このビルの横に敷設された
電力ホテルに宿泊しました。
ホテルと朝食は下記ボタンから
お入り頂けます。

張掖のホテル

一人で散歩に出かけました。
ホテルの前の通り、「欧式街」です。
通りには洋式の建物なども多く、
マルコ・ポーロが住んでいたことからの
命名のようです。
欧式街と北水橋街との交差点に
マルコ・ポーロの像が立っています。

北水橋街は「甘泉公園」に通ずる
道です。

欧式街は画面のように洋風の
建物が多く並んでいます。
欧式街から西大街へ戻り、西大街を
東へ向かうとこの明清街へと出ます。

明清街の入口にはこのような
「明清古風」の掲額のある牌坊が
立っています。

画面にポインターを置くと
牌坊の周囲の花壇に水をやる人を
ご覧いただけます。
水は如雨露ではなく、ポリタンクから
撒いています。
明清街です。
早朝で人通りはほとんどありません。

両側のお店は飲食店が多いです。
明清街は200mほどの短い通りです。

北の端はこのようなお店があります。
 
明清街を通り抜けると
「甘泉公園」の南入口に出ます。
1984年に完成した公園だ
そうです。

この公園内で水にぬれた石畳で
滑って、仰向けに転倒し、帰国後の
医者通いの原因となりました。

公園の内部は下記ボタンから
お入り頂けます。


 甘泉公園
ホテルから張掖市の西方向にある
氷溝丹霞を目指します。
流れる川は「黒河」です。

張掖丹霞地質公園は祁連山の北麓に
広がる中国唯一の丹霞地貌と多彩な丘の
復合区で、「中国の最も綺麗な七大丹霞」
の一つと評されています。

今回は張掖市の西部の氷溝丹霞、
七彩丹霞と北東にある平山湖大峡谷の
三つの丹霞を訪れました。

張掖市から各丹霞への大まかな
方向図です。

左方向は酒泉市になります。
右方向は武威市になります。
右下方向は青海省西寧になります。
自治県に入ると山の様相が変わります。

赤土の裸山が目の前に聳え立ちます。
アメリカのセドナの岩山に似た山が
続きます。

「氷溝丹霞」の入口です。

開発されてまだそれほどの時間が
経っていない観光地で、張掖丹霞として
2002年に発見され、公園になったのは
2005年です。

氷溝丹霞の風景は下記ボタンから
お入り頂けます。

氷溝丹霞

氷溝丹霞からバスで次の丹霞である
「七彩丹霞」へと向かう途中で、
少数民族の騎馬像が車窓から
眺められます。
 
昼食は丹霞内にあるホテル
「氷溝大酒店」のレストランで摂ります。

裕固民族料理の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

「七彩丹霞」へ向かう途中の車中から
この様なドーム型の建物が見えました。

温室でもなさそうだし、人家は周辺に
ないし、観光施設なんでしょうか?
ちょっと気になる風景です。
こちらも公園のような、何か集客用の
建物が建設中です。

中央のモニュメントは何を象徴
しているのでしょうか。
「七彩丹霞」の入口です。

ここは立派な建物が建てられています。
 
「七彩丹霞」の風景です。
入口に一番近い場所の
景観です。

この様な地層が広がっています。
七彩丹霞の風景は下記ボタンから
お入り頂けます。

七彩丹霞
我々が戻るころにまだ入場する
人たちがいます。
七彩丹霞は夕日の落ちる頃が
色彩的にも最も美しいのだそうです。

ただ、この日は曇っており、夕陽は
期待できず、我々は早めに諦めて
バスに戻りました。


この日の夕食は丹霞地区にある、
少数民族経営のレストランで田舎料理を
摂りました。

食事の内容は下記ボタンから
お入り頂けます。

張掖の夕食

 
翌朝の張掖のホテルでの朝食は
相変らず余り種類もなく、この程度の
食事になりました。

画面にポインターを置くと
ちょっと変わった麺をご覧頂けます。
ビーフンと厚めのカット麺です。

7時食事開始ながら前日同様、食材の
出方が遅く、散歩への8時集合では
この程度が精一杯です。
この朝は、ツアーの希望者での
大仏寺見学散歩となりました。
あいにくの雨の中を大仏寺へと
向かいました。

隋代に創建された万寿寺木塔が
あるので足を運んでみました。
高さ33メートルの八角九層の塔です。
搭の奥が寺の門になります。

この辺りは公園になっています。
グループでは前日にこの辺りを
散歩した人もいたようです。



大仏寺の前にある「西夏国寺」の
石碑です。

この辺りは西夏と称されていた時代も
あり、繁栄していた場所ですが、
その後、モンゴル帝国によって
滅ぼされています。

大仏寺は西夏時代の甘粛省で最大の
西夏建築物だそうです。

大仏寺の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

 大仏寺
朝食後、平山湖大峡谷へと向かいます。

幾つかある丹霞のうちで、今回は
氷溝丹霞、七彩丹霞、平山湖大峡谷の
三か所を1日半で回ります。

最後にこの平山湖大峡谷を訪れました。

張掖市の東北方向になります。
朝の雲が山間に向かって流れてゆきます。
車窓からですが、幻想的な風景です。
平山湖蒙古族村ある
「張掖平山湖地質公園大峡谷」です。

入口のアーチは氷溝丹霞と似ています。
 
中国のグランドキャニオンとか、
東洋のモニュメントバレーと称される
赤い岩山の景観です。

この大峡谷は2014年5月に正式に
開放された観光地で、自然がそのまま
残されています。
本格的なトレッキングルートもあり、
ハイキングも楽しめる地域です。

大峡谷の景観は下記ボタンから
お入り頂けます。

平山湖大峡谷
平山湖からの戻りの道路は往路では
利用できた新しいトンネルが、復路では
通行止めとなっており、古いがたがた道を
走りました。

その途中で見られる火力発電所です。

張掖市内への途中にある少数民族の
村です。丹霞の観光客のおかげで、
商売のチャンスが増え、豊かな村に
変貌したのだそうです。
張掖市の東に新しい仿古(昔を真似た)
の街並みが作られています。
「甘州」城です。
こちらが正面になります。

まだ建設途上のようで人影は
ありません。

観光資源にするのでしょうか。
張掖市内に戻ってきました。

こちらも新しい街並みで、
シルクロードのゴールデンタウン
と名付けられています。

シルクロードだからラクダです。
また、平山湖大峡谷の象徴も
ラクダの岩です。

張掖市内のレストランで昼食を
摂りました。

昼食の後は張掖西駅から
青海省西寧へ向かいます。

今回の甘粛省の旅もこのレストランが
最終地点となります。

レストランと食事の内容は下記ボタンから
お入り頂けます。

張掖の昼食
昼食後に張掖西駅に来ました。
高速鉄道の駅です。
 
駅舎の正面入り口です。

駅の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

西寧へ向かう

この後は高速鉄道で青海省に入ります。
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